成人式を考える2002.01.14
2001年は成人式が大荒れでした。
今年の成人式はどうなるのでしょうか?いずれお昼には判明するでしょう。などと選挙結果を待つような口ぶりです。(^^)
そもそも、式とは何でしょうか?
広辞苑を引きますと『式』には意味が多々ありますが、(2)儀式が該当しそうです。「儀式」とは「公事、冠婚葬祭にさいし、一定の規則にしたがって行う作法、またはその行事」だそうであります。
人間は馬鹿じゃありませんから、式そのものの価値を計っていると思います。
私は過去幾多の卒業あるいは修了式に参列しましたが感激したもの、緊張したもの、喜びあふれるものもあった反面、まったく感動しなかったものも多々あります。
- 30年前、私は通信教育の短期大学の卒業式に参列しました。
見方によれば、通信教育なんか履歴書にも学歴として書けません。どんな価値があるの?と言われそうです。
でも会社勤めしながら3年間勉強し、同僚にお願いして休ませてもらってスクーリングに行き、月給が3〜4万円の時でしたので学費を払うのも大変で、卒業することは容易なことではありませんでした。当時入学した人の2・3割しか卒業できないと言われていました。卒業式にでたときは背が30センチも伸びた気がしたほど誇らしい思いをしました。まさしく栄冠といえると思います。
学校名を挙げさせてください。産業能率短期大学です。
自衛隊のレンジャー訓練のテレビ番組を見たことがあります。飲まず食わずで何昼夜も歩き、戦闘訓練をする。その過程で脱落し入院する人もいました。終了式に訓練の際の怪我のために松葉杖で参加した人もいました。この人たちにとって式でバッジをもらうことは最高の喜びであり誇りでありましょう。
ちょっと違いますが、勲章をいただくことは名誉なことです。私にとって勲章なんか縁のない話です。しかし勲章を手に入れることは可能です。勲章を売っている店に行けば勲一等金鵄勲章であろうともお金しだいで手に入れることができます。
しかし、勲章の値打ちはそれを得るための行為や業績、研究成果にあるのであって、わずかな金銀に価値があるのではありません。
- ”連隊は最初2009人の新兵で始まった。修了したのは187人であった。他の14人は死に、志願を取り消され、落伍し、転属し、傷病除隊した。
短い訓示の後に修了証明が渡され最後の分列行進をし、連隊は解散した。すばらしい日だった。おれの人生で最高の日だった。”(「宇宙の戦士」ロバート・ハインラインより)
式の価値はそこに至るまでの努力に比例するのです。
「酒もタバコも女も経験済みです。成人式をきっかけにタバコを止めます。」なんて昨年のテレビインタビューで言っていた参列者がいました。てらいもあり、受け狙いもあるでしょうが実態もそうかけ離れてはいないでしょう。
成人式の意義なんて元々ありませんものね、
努力なしに成人になるならば成人式は無意味・無価値であるのは論理的帰結です。
主催者は出席してくれた労をねぎらうべきかもしれません。
成人式での騒ぎどうこうは単なる現象です。
成人式が価値がないから、出席者が盛り上げているのかもしれません。
私は成人式で暴動を起こすのが良いとは思いません。しかし成人式に緊張感を持ち涙があふれるほど感激して出席している方はいらっしゃらないでしょうね
成人式がすばらしいと感じるためには、日本の成人が誇りあるものでなければならないでしょう。
自国の国歌、国旗を敬わないこの国で市民となることが誇らしいものであるはずはありません
本日の主張!
成人式が厳粛であるためには、
成人式が価値あるものでなければならず、
そのためには日本の市民であることが誇りあるものでなければならない。
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