おふくろの味 2004.09.04
テレビ番組に「やってとーらい」というのがある。
道路に炊事道具をそろえておいて、通りかかった人を呼び止めて、指定した料理を作っていただくというものである。
dish.gif 映し出されるのは、包丁を満足に使えない方、料理方そのものが分からない人、味付けがでたらめな人、さまざまである。まさに抱腹絶倒である。
裏話によると、みながみなそんな料理音痴ではなく、メニュー通りちゃんと作れる人も多いらしい。でもそんな当たり前の人を放送しては喜ばれないから、おかしな人を選んで放送するとのこと。
今の若い人は料理をしない、料理ができないなんてことはないと思いますよ、
そんなことをいうのはピラミッドに書かれた『今の若い人は・・・』の類ではないかと・・・

最近は包丁のない家庭が多いと新聞記事にあった。料理を作らない家庭が増えている・・・と記事は続くのだ。
本当かどうか? 確たる証拠はなさそうだ。
国勢調査で各家庭の包丁所有状況でも調べないと事実かどうかなんて言えるはずがない。
監査ではしっかりした証拠がなければ余計なことを言わないことが鉄則。
へたをすると恥をかく 
といいつつ、我が家にもまともな包丁はない!
ステインレスの万能包丁がひとつあるだけである。肉を切るのも、野菜を切るのも、冷凍食品の袋を切るのも、冷凍食品を切るのも、引越しの時梱包ロープを切るのもこれ一丁!
どうだ、まいったか! 

もっとも、冷凍食品を切ると刃こぼれしてしまうので、この万能包丁は私どもが結婚してから既に数代目になった。落語家か歌舞伎俳優並みである。
料理が好きな方は、包丁だって料理道具だってそれはそれは揃えているのでしょう。
包丁だって、出刃包丁、菜切包丁、冷凍食品用、刺身包丁などなど・・・・果物さえ専用の皮むきナイフがあるそうだ。そんなのを使う人は菜っきりひとつで使いまわせないかわいそうな人なのであろう。

よく、おふくろの味という。子供の頃、母親が作ってくれた料理の味付けは体にしみこんで、それ以降の人生でそれが味覚の基本になるという、迷信である。
迷信というのは暴言ではない。・・・少なくとも私にとっては、
私がこどもの頃、料理とか味付けなんて時代じゃなかった。要するに食べられればありがたい時代である。うまいまずいは二の次であった。そして本当のことを言えば、田舎者であった母親は料理を知らず、へただったのだと思う。

私の母を貶めるつもりはなく、事実そうだったのだと思う。

まして貧乏一家であったので食を楽しむというレベルではなかった。
肉なんて食べた記憶がない。魚はサンマ、果物は干し柿ていどである。キュウリとかトマトというのは畑から盗んで食べるものであった。
すき焼きというものは姉が就職するとき初めて食べた。オヤジは娘がこれから社会に出て行くのにすき焼きも食べたことがないのでは恥をかくだろうと、肉を買ってきて姉に作り方を教えたのである。
てんぷらなんてのは何かイベントがあるとき、街のてんぷら屋から買ってくるご馳走であった。
恥をかいたついでに言えば、私が刺身とか寿司を食べたのは高校を出て社会人になってからのことである。
蟹を食べたとき、こんなうまいものがあったのか!と感動したが、そののちどんなわけかアレルギーになり、今は食べられない。

fufu.gif
そんな生い立ちだったので、家内と結婚する前に親戚に挨拶に行って、チャーハンと鳥のから揚げを出され、帰り道「ああいう料理を作って欲しい」と言ったことがある。家内はこれにかなりカチンときたらしい。
私にしてみればそんなご馳走はめったに食べたことがないので、家内が作ってくれたらうれしいなという意味だったのだが、家内はそんなものも作れないと思っていたのかと感じたらしい。
以降、二人で暮らすようになってから、家内の料理攻勢はとどまるところを知らず、私の胴回りは増える一方である。30年間で胴回りは15センチ増加し、体重も8キロ増えた。
家内の料理の腕はありあわせのものであっという間に作るということにかけては天下一品であると信じる。
でも結婚して30年、家内もだいぶ手抜きをするようになった。結婚当初はアップルパイを焼いてくれたのだが、もう10年以上作ってくれていない。そう言うと近くのコンビニでアップルパイを買ってきて『これでガマン』でおしまいである。

おいしんぼというまんががある。
 この原作者雁屋哲はまた論じるところが多いのだが、それは別な機会に
この漫画で描かれることは私の理解を超える。超現実的といおうか、彼らが目指しているものは私にとって理解困難である。川の違いによる川魚の味の違いを論じ薀蓄(うんちく)を語っても、私にとっては猿がシェークスピアの芝居を観るようなものである。
究極のメニューを求めての彷徨、まさに味の求道者である。 パチパチ
まあ、いかなる宗教を信じよう料理道を歩もうとここは日本、憲法が思想信教の自由を保障している。

私の家内は子供たちが大学に行くときにひととおりの料理を教えた。それは手の込んだすばらしい料理の作り方ではなく、栄養のバランスよく、いかに短時間で作るかという観点からのレッスンであったらしい。
3年間、娘と息子は同じアパートに住んでいた。(最後の1年は家族そろって暮らした)息子に言わせると「おねえちゃんは帰りが遅いのでおれがいつも料理していた」というし、娘に言わせると「私がいつも作っていたのよ」とのことであり、真相は闇の中である。
どちらが料理をしていたのかは謎であるが、外食せずに自分たちで料理して食べていたことは間違いないらしい。
一方、この私は料理というのはいっさいダメである。料理どころかカップヌードルのお湯を沸かすのさえも面倒なので家内がいないときはほとんどが買い食い、弁当である。
まだ拾い食いするとこまではいっていない。 



ッツ、どこがおふくろの味なんや!
と罵声が飛んできそうですが
私におふくろの味はないと先ほど申し上げたとおりです。
私にあるのは家内の味です。

わたしです
家内です
ハイハイ
バカなこと言ってんじゃありません。



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