通勤電車で「9×9=日本、19×19=インド」という大手予備校の中吊広告を見かけた。
ご存じの方も多いと思いますが、日本で掛け算九九といいますと、文字通り縦横1から9の組み合わせで81ですが、インドでは掛け算は1かける1から19かける19まで覚えるそうです。二桁の掛け算の結果を覚えていれば一桁ずつ計算するまでもなく答えがパットでますから、19かける19まで覚えているインド人は計算能力がすごいということのようです。
多くのメディアはこのように算数教育が進んでいるインドに負けてしまうぞと語っています。
本当でしょうか?
ところでいったい、算数で負けるとか勝つとかということがあるんでしょうか?
では、本日は掛け算九九について検討しましょう。
とはいってもダジャレしか能のないおばQのことですから、あまり役に立つ結論がでるはずがないのは言うまでもありません。

掛け算九九の思い出といいますと、まず自分が子供のとき、学校の行き帰り声に出して覚えたものです。
私の家から学校まで田畑の中を4キロ近く歩いていったので、時間的には十分ありました。ほかに面白いことがあるはずがなく一生懸命呪文のように唱えておりました。
私の子供たちはどのようにして覚えたのでしょうか? もちろん私に分かるはずがありません。やはり学校の行き帰りに呪文を唱えたのでしょうね〜
もっとも私の子供が小学生のとき、学校まで500メートルくらいでした。
住んでいたアパートが狭くなり一戸建てを探したとき、不動産屋のご紹介であちこち見て歩きましたが子供たちが「ここなら学校が近いよ」の一言で住む家を決めてしまったといういきさつでした。
私はときどき子供たちといっしょに風呂に入りましたが、子供はすぐに風呂から上がりたくなるので、掛け算九九を全部唱えさせて、間違えたらやり直させ、全部言えてから出したことを覚えています。
2,980 |
7 | 8 | 9 | / |
4 | 5 | 6 | * |
1 | 2 | 3 | - |
0 | +- | ・ | + |
|
さて、掛け算九九を覚えていないと人間生活ができないのか?といえばそんなことはなさそうである。
たとえば、ここに8760円の15%引きという商品があったとしましょう。今なら暗算ができなくても困りません。お店の人に電卓を借りてもいいし、携帯電話にも電卓機能があります。
もっともいまどき数百円くらい多い少ないを気にする人はいないかもしれない。
私がはたちのころ計算機と言えば計算尺とかタイガーしかなく、電卓というものは存在しなかった。だからちょっとした買い物でも暗算ができないと困るわけだ。お店にはレジスターの代わりに五玉のそろばんが合った時代です。
五玉のそろばんの最後の玉はいったいどんな役目があったのでしょうか?
いえ、お便りいただかなくてもけっこうです。
私の高校の時の数学の先生について話そう。
その数学の先生は二十歳そこそこで、生徒の私たちとほとんど歳が変わらずに親近感があった。今はどうだか分からないが、昭和40年頃は高校を出て2年間の教員養成の学校をでると工業高校の先生になれたのである。先生が不足していた時代だったのだろう。
その先生はむずかしいことは何でも知っていたのだが、黒板で問題を解くだんになるとほとんど正解にたどり着くことができなかった。なぜなら簡単な掛け算や割り算を必ず間違えたからだ。
そんな先生だったが、私は人格的な話ではなく、彼の数学の教師としての尊敬の念は確固として揺るがなかった。なぜなら彼は数学を知っていたからだ。
アインシュタインは算数ができなかったとか、本当かどうか分からないが、数学ができなくとも物理学者にはなれるのか?
もっともガウスとかガロアはとてつもない計算能力を持っていたらしい。

しかし、私は算数と数学は大きく違うのではないかと思うのです。
実用的な算数と、論理を考える数学はレベルが異なるというより、カテゴリーが異なるのだと思う。
数学とは論理を扱うのであるから数学の力を伸ばそうとするならば、算数を勉強するのではなく国語(日本語)を学ぶべきであろうと思う。
少なくとも私が今している仕事、ISO規格を読んで要求事項を理解するとか、法律を読んでいかに規制の網の目をくぐり抜けるか、監査であやしい所を見つけ出すか、議論の相手を屈服させるかということに掛け算九九をはじめとする算数の力は無縁・無力である。しかし数学、特に論理学は密接な関連があり、大声とか強引なだけでは論戦には勝てない。そして論理学と国語の力はイコールである。
もっとも国語と言っても、百人一首や源氏物語、あるいは夏目漱石や三島由紀夫をいくら読んでも力は付かない。
おおっと!反論があるかもしれないが、これは事実であると断言する。
いやしくも私は現役サラリーマンであり、特に論理を扱う仕事についているのだ。
論理を扱うために学ぶべき国語とは、実用文である。
さまざまな契約書、FAXやEメールの簡略で要点を外さない文章、社外、社内の公式なお手紙といったものを徹底的に読み、理解し、パターンを覚えこむことだと断言する。
キプリングの5W1Hの召使も忘れてはならない。
実は掛け算九九の話に戻るのだが、私はとうとう掛け算九九を覚えることができなかったのだ。それは恥ずかしくもないが事実である。じゃあ、今までの50数年間をどうやって生きてきたのか?
まあ掛け算九九をおぼえなくても命に別状はないだろうが、しかし算数の計算で点数が取れなくては困りますよね。
私は掛け算九九を全部おぼえることはできなかったので、必要なところだけを覚えることにした。
掛け算九九は81とおりであるが、実は全部おぼえることはないのである。
| 1の段 | 2の段 | 3の段 | 4の段 | 5の段 | 6の段 | 7の段 | 8の段 | 9の段 |
1 | 1×1 | 2×1 | 3×1 | 4×1 | 5×1 | 6×1 | 7×1 | 8×1 | 9×1 |
2 | 1×2 | 2×2 | 3×2 | 4×2 | 5×2 | 6×2 | 7×2 | 8×2 | 9×2 |
3 | 1×3 | 2×3 | 3×3 | 4×3 | 5×3 | 6×3 | 7×3 | 8×3 | 9×3 |
4 | 1×4 | 2×4 | 3×4 | 4×4 | 5×4 | 6×4 | 7×4 | 8×4 | 9×4 |
5 | 1×5 | 2×5 | 3×5 | 4×5 | 5×5 | 6×5 | 7×5 | 8×5 | 9×5 |
6 | 1×6 | 2×6 | 3×6 | 4×6 | 5×6 | 6×6 | 7×6 | 8×6 | 9×6 |
7 | 1×7 | 2×7 | 3×7 | 4×7 | 5×7 | 6×7 | 7×7 | 8×7 | 9×7 |
8 | 1×8 | 2×8 | 3×8 | 4×8 | 5×8 | 6×8 | 7×8 | 8×8 | 9×8 |
9 | 1×9 | 2×9 | 3×9 | 4×9 | 5×9 | 6×9 | 7×9 | 8×9 | 9×9 |
表で色の付いているたった37通りの組み合わせを覚えればよく、色のつけていない半分以上は覚える必要はないのである。
こうして手抜きのおばQは還暦まで生き延びたのである。ついでに申し上げればやっとのことで生き延びたのではなく、私は算数も数学も成績が良かったのである。
しかし、よく考えてみると冗長な掛け算九九を覚えることではなく、必要十分な組み合わせのみ覚えることが数学的に正しい選択肢ではないのだろうか?
数学でなく、算数であってもより大事なのは掛け算九九を覚えることではなく、その理屈を考えることである。掛け算九九がどのような根拠で作られたのかを知ることは、単に九九を暗記するより大切だと思う。
例をあげる。
算数でも数学でもたくさんの数式を暗記する。
(a+b)^2=a^2+2ab+b^2
この簡単な公式を説明できる人は私と同年輩で何割いるだろうか?
二次方程式の一般解をすぐに導ける人は何割いるだろうか?
暗記しているのではダメとする。
少なくとも五割はいないだろう。
掛け算九九よりもそういうことのほうが大事で役に立つのではないかと私は考える。
大事なのは思いを込めた文学ではなく実用文であり、いかに考えを正しく明確に表現するかということではないだろうか?
論理学なんていうと難しく思うかもしれない。
そんな難しいことではない。人の話を聞いて、その話がつじつまがあっているか、論理に飛躍があるのか、論理が間違っているかを考えることはとても大事なことだ。
いや、大事なことであるだけでなく私たちが生きていくうえでとても重要なことだ。
「憲法を守れ!」なんてキャッチフレーズを聞いて、「なるほど、憲法は守らないといけない」と単純に納得してしまう人もいる。
そのような行き方では人生において自分の権利の半分も得ることはできない。
護憲の鬼
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「憲法9条が平和を守る」なんて聞いて「そうなんだ」なんて思い込んでいては、自分の財産だけでなく己の国まで失ってしまう。
論理的に考えるとは、疑り深いということと同じではない。しかし、単に人の話を聞いてすぐに染まってしまうのとは違う。いったん自分の頭の中で自分の言葉で考えて、その妥当性を検討することだと思う。そのためには掛け算九九を覚えることとか、掛け算九九より19かける19まで覚える方が良いなんてことは絶対にない。
もちろん実用的な計算能力も非常に重要であることは間違いありません。以前は
そんなことを書いてます。
平方メートルを坪に換算するあるいはその逆なんてのは簡単です。平方メートルの数値を3倍して一桁少なくすると坪になります。
100平米×3=300 ⇒ 300÷10=30坪
ポンドをキログラムにするには半分にして1割引けばよい。
150lbs÷2=75-7.5=67.5kg
摂氏と華氏の換算なんてのもあります。
(もっとも最近では華氏は使われなくなりました)
距離と速度から所要時間を計算できることも大事なことです。
まあ、いつも私が申しているのは現実的なことしかありません。トッピとか革新的なんてことを申すはずがありません。
エッツ、だから保守的なんだって? そうかな〜
えー、最近「キッズGOO」という検索エンジンがサヨクや共産主義、中国マンセーのウェブサイトのみを表示し、右翼、北朝鮮拉致を非難するもの、右派正道のホームページを表示しないと話題になっております。
実は私のホームページも
「ごめんね。ページがひょうじできませんでした。」
キッズgoo上では、検索結果からジャンプするページを表示する際、プログラムにより表示を制御(フィルタリング)しています。このため、ページによっては、キッズgoo上で表示されない場合がございますのでご了承ください。
|
などと表示されるのです。
このホームページにはSEXと暴力があふれているような感じです。 
とはいっても、このホームページにあるたくさんのコンテンツが表示され、思想に関わらないページは表示できることが分かりました。
というわけで、思想に絡まないものを多々盛り込み、キッズGOOからたどり着いていただければあとはじっくりとお読みいただこうかと・・・
甘いでしょうか?
●早速、同志あらま様よりお便りがありました。(2006.03.25)
佐為さま あらまです
佐為さまがおっしゃったことは「左翼フィルター」のことですね。
当方のブログも掛かってました。
それでは、右翼ご本家の「頭山 満」は掛からないようですね。
いったい何の言葉が引っ掛かるのでしょうか。
「キッズgoo」+「フィルター」で検索しております。
あらま様、敵はとうとう最終兵器、思想信条の自由を侵してきましたか 
ここはひとつ、ガリレオの言葉で行きましょう。
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