題がふたつあるのはなんだ?とご不審を抱かれた方、そういう方はオープンマインドじゃありません(うそ)
実を言いまして、『ひとりごと』と『うそ800』の両方に関わるお話と思ったからでございます。
「片方にしか興味のないそれぞれの方にお役に立つのか?」と問われますれば、そう思うとお答えします。
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単なる時間つぶしとか挨拶・社交辞令でなければ、いかなる話し合い(カンバセーション・ディスカッション・ディベーティング)においても、はじめはあいまい漠然とはじまり、論を進めるうちに段々と話がビジブル、具体的になり、論点が明確、明瞭になってくる。

もちろん話し合いの性質によっては、こちらが明確な疑問文を発しそれに対して相手が明確な回答をしようとしまいと、こちらが知りたい情報を得られればそれで済むこともある。
どのような話し合いにおいても人と話をするとき、まなじりをけっして発言したり、厳しく問い詰めるのは、品もよくなくみっともいいものでもない。私たちの日常会話は、刑事ドラマの取調室での尋問ではなく、ちょっとわからないことを知りたいとか、あなたのお考えを教えてということに過ぎない。
私の仕事である監査だって同じことである。
監査ではオープンクエスチョンをすべしと言われている。オープンクエスチョンとは「How」とか「Why」などの疑問詞で始まる質問であり、クローズドクエスチョンとは回答が「Yes」か「No」となる質問を言う。
この環境審査レッスンにお便りが来てないじゃないか?いやウソ800そのものにご意見は来てないとお思いの方、
ちょっと待ったあ!
実はたくさんとは言わないが、ひとりごとと同じくらいお便りが来ている。
ただ、ひとりごとと違い、具体的なお悩みやご相談、あるいは異議・反論についても固有名詞がわかるようなものがほとんどなので掲載していないのだ。
いただいた抗議については私が間違っていれば即訂正謝罪するつもりであるが、今までのところ私が間違っていると認識したものはない。
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「毎年のPCB保有状況報告をしていますか?」
「公害防止統括者の変更届を見せてください」
こういうのをクローズドクエスチョンという。質問された方は「はい」か「いいえ」、あるいは質問者が求める具体的エビデンスを「これです」と提示するか「ありません」と答えることになる。
他方、
「PCBを保有していると管理が大変でしょうね?」
「工場長が代わったりすると、いろいろすることがあるんでしょうねえ〜?」
こういうのをオープンクエスチョンという。質問された方は、「Yes」か「No」ではなく、自分の言葉を文章として答えなければならず、その答えは一様ではない。同じことをしていても回答者によって変わって来る。
「Aをしてます」という場合もあるだろうし、「Bをしている」という場合もあるし、「Cはしていない」ということもあるし、「なにもしてません」という回答もある。質問に真正面から対応しない回答であることもある。
話が弾むという言い回しがあるが、オープンクエスチョンであれば質問と回答の掛け合いによって、あっちに行ったりこっちに来たりして話が面白くなる。
監査だって話が面白くないより面白いほうがよい。そして和気あいあいの雑談の中で知りたいことを知ることができ、適合を確認できれば監査員冥利に尽きるのではないか?
万一、不適合があったときでも、険悪な応酬の結果ではなく、和やかな話し合いの結果であったほうが双方とも気分が良いことは間違いない。
私が和気あいあいの監査をしているかどうか? 監査側としてはそのつもりなのだが、被監査側からはどう見られているのか・・・正直なところ自信はない。
法律で定めていることを守っているか否かを調べるにも、しらみつぶしに「しているか?」「記録があるか?」などと聞き取り調査することはない。
なごやかな雑談の中でそういった情報を聞き出せば良いのである。和やかに、短い時間で、必要十分な情報を聞き出すのがプロの監査員というものである。
監査の後、被監査側が楽しい時間だった、ところでいったい何を調査に来たのか?、何を聞かれたっけ?と疑問に思うようなものが理想の審査や監査ではないかと愚考する。
おっと、そのためには事前に監査計画を十分練っておかねばならないし、被監査事業所に対応したチェックリストを作り、かつそれを頭の中に収めておかないとそのような監査はできない。たんなるボケや好々爺ではつとまらないのは言うまでもない。
そしてオープンクエスチョンは当然として、それ以前のスタンスとしてオープンマインドでなければよい監査はできないと思っている。
監査員の中には「必ず、不適合を見つけてくるぞ」なんて口にする人がいる。オープニングミーティングで「審査とは不適合を見つけることです」と語ったISO審査員もいた。なんという思い違いであろう。
思い上がりでさえない

彼らは監査員や審査員に向かない。早いところ引退するのが世のため人のためである。
10年以上前、私が受講した審査員講習会で講師は「審査とは不適合を見つけることでなく、適合を確認することだ」と語った。そのとおりだ、それが監査の目的である。目的を知らずにはいかなる仕事もまっとうできないのは当然である。
この講師、有名な方でご高齢となられた今も現役でがんばっておられます。
オープンマインドというからには思い込みとか、偏見とは無縁でなければならない。しかしオープンマインドとはそれだけではない。

親子の会話、仲間同士の会話、監査であっても、相手と同じ目線、レベルで話をするのは礼儀からいって当然である。物理的にも背の低い方と話をするときは、身をかがめるのは常識である。上手とか立場が上位であるとかいうことを表に出してはいけない。
それと同時に監査というのは単なる噂話や雑談ではない。使命として与えられたアウトプットを得るための会話である。だからいかなるアプローチであっても、サーブする側(監査側)は目的とするところを忘れずに、レシーブ側(被監査側)がこちらの問いかけを理解しているか否かを常に把握しながら、相手の理解に合わせて使う言葉や言い回しを変えて、自分が知りたい情報を入手するために工夫しなければならない。それが監査側(サーブ側)の務めである。
私のしている監査は遵法監査であり、ISO規格(14001だけでなく19011など)に拘泥されない。しかし監査の本質は同じである。だってISOなんて発明される前から監査というものはあったのだから。
オープンクスチョンをするにもオープンマインドがなければ薄っぺらなものであり、本当に聞きたいこと知りたいことを手に入れることはできない。
同じ事を聞くにも、ちょっとした違いで結果は大きく異なります。
私の仕事での心構えが、このウェブサイトに少しでも反映されているならば望外である。
いや、このウェブサイトの心構えが、仕事に反映されていることを願うというべきであろうか?
家でも会社でもダジャレ男と呼ばれていることから、日々の態度に表れていることは間違いないようだ。
私は己の信じる主張を理論的、厳密に語ることもできる。(本当だろうか?)
監査でも杓子定規に聞くこともできる。(そのほうが簡単である)
しかし同じことを話すにも、私はくだけた文章、言い回し、ダジャレで語りたい。
私のスタンスは
笑いながら日本再生を考えるであって、遊びがないのは私の好みにあわない。
ここでいう遊びとは車のハンドルの遊びと同じく、余裕という意味である
本日の名言
このクラスの何人かは、この他愛のない教訓劇から何かをつかんでくれたことと信じる。
(
宇宙の戦士のデュボア先生の言葉)
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