「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」
非常に簡単明瞭で分かりやすいですか?
私には分からないことだらけです。
まず「『すべて』国民は」とは聞きなれない表現ですが、「総べ」に助詞(て)がついたもので「『すべての』国民」と同じと解釈してよいようです。
では本題に入りまして「国民」ってなんでしょうか?
憲法第十条で「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」とあります。
どの法律で定めているかと調べますと、「国籍法」(昭和二十五年五月四日法律第百四十七号)の「第一条 日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。」とあります。
しかし、この法律で定めているのは国籍の取得と喪失についてであり、国民の要件は書いてありません。推定すれば「国民」とは「日本の国籍を持つ人」らしい。
すると隣のご隠居も生まれたばかりの赤ちゃんも国民となります。(あたり前か?)
ならば彼らも勤労の義務を有するのでしょうか?それとも日本人は一生のある時期だけ勤労の義務があると解釈するのでしょうか?憲法と下位の法律では謎です。
ところで、勤労ってなんですか?
これは憲法に規定がありません。広辞苑を引きますと「心身を労して勤めに励むこと」とあります。
まあ、悪いことではないでしょうが、、
最後に「権利があり、義務を負っている」そうです。
権利というからには要求すれば与えられるのでしょうか?働く意思があってハローワークに行っても仕事がないときは就職できません。失業保険をもらっても、生活保護を受けることができたとしても国は「勤労の機会」を保証してません。
勤めを家事労働、社会奉仕、趣味まで拡大したとして、それさえしてない人、あるいはできない人はどうなんでしょうか?権利はあるんでしょうか?義務を果たしてない人はどうなるのでしょうか?
公害関連の法規では努力義務というのがあります。「省エネに努める」なんてのはそうです。勤労は努力義務なのでしょうか?
私の結論
この項は意味を持たない。
なくても困らない盲腸条文でしょう。
オレンジ様よりお便りを頂きました。(2004.10.29)
おばQさんこんにちは。
さて、今日は27条1項についてであります。
「勤労の権利を有し、義務を負う」
確かに、国はすべての国民に勤労の機会は保証していません。
しかし、すべての国民にハローワークなどの公共機関を利用できるようにしています。それだけでもこの条文に意味があるのではないでしょうか。
先生曰く、この義務は「精神的な義務」だそうです。オレンジ様、お待ちいたしておりました。
いつも私も思いもよらない観点からのご指摘ありがとうございます。
最後のセンテンスについてですが、
精神的義務ですか? 私の理解できない概念ですね。
いったい心の内面に要求することができるのか? そんなことできるはずありません。
それこそ憲法19条に反します。かって東京裁判の尋問で理解できないことは理解できない、矛盾していることはおかしいなあと考えることがまっとうなことではないか?と思います。
「あなたはどう感じたか?」と問うたに対して、裁判長が
「そのようなことを聞くのは無意味である。あなたは何をしたかと聞きなさい」
というやり取りがあったことをご存じでしょうか?
無理やり解釈しようとして「精神的義務」などというものを考えることもなさそうです。