旧街道のための人名辞典 
| あ行 | か行 | さ行 | た行 | な行 | は行 | ま行 | や行 | ら行 | わ行 |
あ行@人物編 |
|||||||||||||||||
| 足利義尚 あしかが よしひさ |
寛正6年~延徳元年(1465〜1489):25歳
足利義政&日野富子の長子で室町幕府第九代将軍。 六角高頼征伐のため出陣したが、戦果を上げないうちに陣中で死去。
|
||||||||||||||||
| 在原業平 ありはらの なりひら |
天長2年〜元慶4年(825~880):56歳
平安時代前期の歌人で六歌仙・三十六歌仙の1人。 イケメンの歌人として『伊勢物語』の主人公となっている。
|
||||||||||||||||
| 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
天保12年~明治42年(1841〜1909):69歳
明治時代の政治家で初代内閣総理大臣(初代を含め4回就任)。 旧千円札の人。 周防国出身で吉田松陰の松下村塾に学び、尊王攘夷運動の志士として明治維新を迎える。
|
||||||||||||||||
| 伊奈忠治 いな ただはる |
文禄元年〜承応2年(1592~1653):62歳
江戸時代前期の関東郡代。 父忠次・兄忠政の死後、伊奈家の郡代職を継ぎ、利根川・江戸川・荒川などの治水事業や新田開発で業績を残す。 領内に飢民のない功績を賞されている。
|
||||||||||||||||
| 今井兼平 いまい かねひら |
仁平2年~元暦元年(1152〜1184):33歳
平安時代後期の武将で木曾四天王の1人。 源義仲の乳母の子で、義仲の挙兵以来各地を転戦し、義仲と運命をともにする。
|
||||||||||||||||
| 歌川広重 うたがわ ひろしげ |
寛政9年~安政5年(1797〜1858):62歳
名作連作版画『東海道五十三次』を生んだ江戸時代後期の浮世絵師。 幕府定火消同心の安藤家に生まれる。15歳で歌川豊国に入門しようとしたが満員のため断られ、代わりに歌川豊広に入門。 16歳で豊広の「広」と、広重の本名・重右衛門(じゅうえもん)の「重」をとって「広重」の名を与えられる。 27歳で家業の火消同心を辞し、絵師を本業とする。
|
||||||||||||||||
| 大海人皇子 おおあまのおうじ |
→天武天皇(てんむてんのう) | ||||||||||||||||
| 太田道灌 おおた どうかん |
永享4年〜文明18年(1432〜1486):55歳
室町時代の武将で扇谷(おうぎがやつ)上杉定正の重臣。 江戸城を築いた武将として有名。 30回以上の合戦を戦い、めざましい活躍で扇谷上杉家の勢力を拡大させたが、主君定正に暗殺される。
|
||||||||||||||||
| 大友皇子 おおとものおうじ |
→弘文天皇(こうぶんてんのう) | ||||||||||||||||
か行@人物編 |
|||||||||||||||||
| 鏡女王 かがみのじょおう |
?~天武12年(?~683):?歳
万葉歌人。 藤原鎌足の正室&藤原不比等の母。
|
||||||||||||||||
| 梶原景時 かじわら かげとき |
?〜正治2年(?〜1200):?歳
鎌倉幕府初期の御家人。 源頼朝挙兵時は敵だったが、石橋山で頼朝のピンチを救い、その後頼朝に従い要職を歴任する。讒言(ざんげん)で源義経を失脚させたことは有名。 しかし頼朝の死後、讒言の行き過ぎで景時自身が失脚する。
|
||||||||||||||||
| 上総広常 かずさ ひろつね |
?~寿永2年(?~1183):?歳
平安時代末期の豪族的武士で、通称上総介(かずさのすけ)。
|
||||||||||||||||
| 和宮 かずのみや |
→親子内親王(ちかこないしんのう) | ||||||||||||||||
| 片岡庄兵衛 かたおか しょうべえ |
?年~?年:?歳
大津算盤の始祖。 中国式算盤を改良して大ヒットさせる。
|
||||||||||||||||
| 金沢貞顕 かねざわ さだあき |
弘安元年~元弘3年(1278〜1333):56歳
金沢顕時の三男で鎌倉幕府第15代執権。 幕府の要職を歴任し、金沢北条氏の最盛期を築く。
|
||||||||||||||||
| 金沢実時 かねざわ さねとき |
元仁元年〜建治2年(1224~1276):53歳
鎌倉時代中期の武将。 鎌倉幕府の要職を務め、幕府の中枢である評定衆にも加わっているが、ホントは学問が好き。
|
||||||||||||||||
| 鑑真 がんじん |
嗣聖5年~天平宝字7年(688〜763):76歳
唐の高僧で日本律宗の開祖。 日本への渡航を懇願されたものの、渡航は5回失敗。 失明を乗り越え、6度目の渡航で来日。
|
||||||||||||||||
| 北政所 きたのまんどころ |
→高台院(こうだいいん) | ||||||||||||||||
| 行基 ぎょうき |
天智7年〜天平勝宝元年(668~749):82歳
奈良時代の僧。 河内国(後の和泉国)大鳥郡蜂田郷の生まれ。 布教と共に治水・架橋や布施屋設置などの社会事業を展開する。 初めは朝廷から弾圧されるが、76歳で東大寺大仏造営の勧進に起用され、78歳で初代大僧正に任命される。
|
||||||||||||||||
| 渓斎英泉 けいさい えいせん |
寛政2年~嘉永元年(1790~1848):59歳
江戸時代後期の浮世絵師。 美人画を得意とする。 名所絵にも定評があり、『木曽海道六十九次』を手がけたが、途中で放棄して歌川広重に引き継がれる。 晩年は文筆業に専念する。
|
||||||||||||||||
| 孝謙天皇 こうけんてんのう |
養老2年〜 神護景雲4年(718〜770):53歳
聖武天皇と光明皇后の第一皇女で阿倍内親王。 僧道鏡を寵愛した。 淳仁天皇に譲位した後、重祚して称徳天皇となる。
|
||||||||||||||||
| 高台院 こうだいいん |
天文18年~ 寛永元年(1549〜1624):76歳
豊臣秀吉の正室で北政所(きたのまんどころ)。 幼名ねね(おね)。 秀吉死後は高台院と称し、京都東山に高台寺を建立する。
|
||||||||||||||||
| 弘文天皇 こうぶんてんのう |
大化4年~天武元年(648〜672):25歳
天智天皇の長子で大友皇子。 壬申の乱で叔父の大海人皇子と王位をめぐって争うが敗死。 天智の死後に即位したのかは不明だが、明治天皇によって「弘文天皇」と追号された。
|
||||||||||||||||
| 光明皇后 こうみょうこうごう |
大宝元年~天平宝字4年(701~760):60歳
藤原不比等の三女で光明子(こうみょうし)&聖武天皇の皇后。 夫の聖武と共に仏教に篤く帰依し、天平文化の発展に寄与する。
|
||||||||||||||||
| 後白河天皇 ごしらかわてんのう |
大治2年~建久3年(1127〜1192):66歳
鳥羽天皇の第四皇子。 即位3年で子の二条天皇に譲位し、中断があるものの34年に及ぶ院政を行う。 武士の時代が始まり、平清盛・源義仲・源頼朝を相手に朝廷の権威の安定に努める。
|
||||||||||||||||
| 近藤勇 こんどう いさみ |
天保5年〜慶応4年(1834〜1868):35歳
幕末の幕臣。 農民宮川久次郎の三男として生まれたが、近藤家の養子となり、天然理心流4代目を襲名。 幕府が募集した浪士組に参加して京に上り、その後新選組を組織して局長となる。
|
||||||||||||||||
さ行@人物編 |
|||||||||||||||||
| 西行 さいぎょう |
元永元年〜文治6年(1118〜1190):73歳
歌集『山家集』を生んだ平安時代後期の僧侶・歌人、そして旅人。 藤原秀郷の子孫として生まれ、俗名は佐藤義清(のりきよ)。 生涯に2回旅した陸奥国の藤原秀衡とは遠縁にあたる。鳥羽上皇の「北面の武士」の職を辞し、23歳で出家。 高野山を拠点に奥州や中国・四国などを旅する。
|
||||||||||||||||
| 坂上田村麻呂 さかのうえの たむらまろ |
天平宝字2年~弘仁2年(758~811):54歳
平安時代初期の武将で第2代征夷大将軍。 光仁朝以来の悲願であった“まつろわぬ”蝦夷(えみし)を討伐し平定する。征夷大将軍をはじめ、数々の戦功によって昇進を重ね、53歳で大納言となる。 古代のヒーローとして数多くの伝説を持つ。
|
||||||||||||||||
| 佐佐木信綱 ささき のぶつな |
明治5年~昭和38年(1872~1963):91歳
三重県出身の歌人&国文学者。 唱歌「夏は来ぬ」を作詞した。
|
||||||||||||||||
| 薩摩義士 さつまぎし |
リーダー:薩摩藩家老 平田靱負(ひらた ゆきえ) 宝永元年〜宝暦5年(1704~1755):52歳
薩摩藩が江戸幕府に木曽三川の「御手伝普請」を命じられ、1年半に及ぶ難工事で苦闘の末に完成。 「宝暦治水」と呼ばれる。病気や事故、幕府に対する抗議の切腹などで80名以上の藩士が犠牲となり、周辺地域では「薩摩義士」として祀られている。
|
||||||||||||||||
| シーボルト Philipp Franz von Siebold |
1796~1866:70歳
ドイツの医学者で植物学者。 長崎郊外に鳴滝塾を開いて蘭学を教え、多くの医者・学者を輩出する。
|
||||||||||||||||
| 十返舎一九 じっぺんしゃ いっく |
明和2年~天保2年(1765〜1831):67歳
滑稽本『東海道中膝栗毛』を生んだ江戸時代後期の戯作(げさく)者。 駿河国府中の同心重田家に生まれ、本名は貞一。町奉行の転勤に従った大坂で浄瑠璃の修行をした後、奉行所勤めを辞し、江戸の版元「蔦屋」の食客となる。 弥次喜多の道中記『浮世(東海)道中膝栗毛』が大ヒットとなり、約20年間も『膝栗毛』シリーズを書き続ける。
|
||||||||||||||||
| 持統天皇 じとうてんのう |
大化元年~大宝2年(645~702):58歳
天智天皇の第二皇女&叔父である天武天皇の皇后。 天武即位後は中央集権体制の推進を助け、天武死後は孫の文武天皇に譲位するため自ら即位して天皇となる。
|
||||||||||||||||
| 聖武天皇 しょうむてんのう |
大宝元年~天平勝宝8歳(701~756):56歳
文武天皇の第一皇子で首(おびと)皇子。 母は藤原不比等の娘・宮子で、皇后も不比等の娘・光明子(こうみょうし)。 天災・疫病が続いたり、藤原氏台頭に頭を痛めたのか?仏教に篤く帰依する。
|
||||||||||||||||
| 称徳天皇 しょうとくてんのう |
→孝謙天皇(こうけんてんのう) | ||||||||||||||||
| 親鸞 しんらん |
承安3年〜弘長2年(1173~1262):90歳
鎌倉時代初期の僧で浄土真宗の開祖。 山城国宇治郡の日野に生まれ、日本仏教史上初めて僧として妻子を持つ。比叡山で修行後、29歳で浄土宗の法然に入門。 大ブレイクした念仏は弾圧され、越後国に流罪となる。 流罪後は約20年、関東で布教活動を行う。 60歳を過ぎてから帰京し、著作活動に励む。
|
||||||||||||||||
| 菅原道真 すがわらの みちざね |
承和12年~延喜3年(845~903):59歳
平安時代前期の学者&政治家。 幼少の頃から優秀で、55歳で右大臣にまで昇ったが、讒言により太宰府へ左遷。 死後は祟りのために天満天神として祀られたが、今は学問の神となっている。
|
||||||||||||||||
| 蝉丸 せみまる |
?年〜?年:?歳
平安時代の伝説的歌人&盲目の琵琶奏者。 逢坂山に暮らす。
|
||||||||||||||||
た行@人物編 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 泰澄 たいちょう |
白鳳11年?〜神護景雲元年(682?〜767):86歳?
越知(おち)山・白山を開山した山岳信仰の祖と伝えられる。 越前国麻生津(あそうづ=福井市浅水町)に生まれ、越知山で入寂する。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 平清宗 たいらの きよむね |
嘉応2年~文治元年(1170~1185):16歳
平氏の棟梁平宗盛の長男&清盛の孫。 壇ノ浦の戦いで敗れ、源義経によって鎌倉へ護送された後、義経の郎党に斬首される。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 平将門 たいらの まさかど |
?〜天慶3年(?〜940):?歳
平安時代中期の武将。 一族間の争いをきっかけに、自らを新皇と称して関東の独立を図ったが、朝敵として討たれる。 死後、国家の悪政に反抗したヒーローとして、霊魂伝説が生まれる。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 親子内親王 ちかこないしんのう |
弘化3年~明治10年(1846~1877):32歳
仁孝天皇の第八皇女で孝明天皇の異母妹。 江戸幕府第14代将軍徳川家茂(いえもち)の正室。 公武合体のため降嫁し、中山道を下向した。 名前は幼称の「和宮」の方が有名。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 天智天皇 てんぢてんのう |
推古34年~天智10年(626〜671):46歳
舒明天皇の第二皇子で中大兄(なかのおおえ)皇子。 母は皇極(斉明)天皇で天武天皇(大海人皇子)の同母兄とされる。大化の改新の中心人物で、「改新の詔」を発表して駅馬・伝馬を定める。 百済復興を図った白村江の敗戦後、大津に遷都する。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 天武天皇 てんむてんのう |
舒明3年?~朱鳥元年(631?~686):56歳?
舒明天皇の第三皇子で大海人(おおあま)皇子。 母は皇極(斉明)天皇で天智天皇の同母弟とされるが、天武天皇の誕生年が『日本書紀』に記載されていないため、正確な年齢は不明。1ヶ月に及ぶ「壬申の乱」で日本史上まれな王位(皇位)簒奪を行い、即位した後は中央集権的な律令国家の確立を目指す。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 徳川家光 とくがわ いえみつ |
慶長9年〜慶安4年(1604〜1651):48歳
徳川秀忠の次男で江戸幕府第3代将軍。 幼名は祖父家康と同じ竹千代。 20歳の時に秀忠が隠居し、第3代将軍となる。家康を崇拝し、生涯10回の日光社参を行う。 東照宮の大造営も諸大名の献納を一切受けず、幕府の支出だけで行っている。 死後も家康に仕えるため、遺言により日光山輪王寺に埋葬される。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 徳川家康 とくがわ いえやす |
天文11年~元和2年(1542~1616):75歳
言わずと知れた江戸幕府初代将軍&東照大権現。 三河国岡崎城主松平広忠の長男で幼名は竹千代。3歳で母と生き別れとなり、6歳で今川氏に人質として送られる途中で奪われて織田氏へ送られたり、その後今川氏に送られて桶狭間の戦いまで駿府で過ごしたり、幼少期から波瀾万丈。 19歳で岡崎城に戻って三河国支配の回復に務め、着々と勢力を拡大する。 49歳で豊臣秀吉より関東への転封を命じられ、豊臣政権下で最大の大名となり、秀吉死後、関ヶ原の戦いに勝利して天下人となる。 駿府城で死去。 遺言により駿河国の久能山に葬られ、一周忌を経て下野国の日光山に改葬された。 死後も神(東照大権現)となって、“関八州の鎮守”として江戸(東京)を見守っている。
「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.15 蒲原宿→由比宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.17 興津宿→江尻宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.18 江尻宿→府中宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.24 金谷宿→日坂宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.27 袋井宿→見付宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.28 見付宿→浜松宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.36 赤坂宿→藤川宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.37 藤川宿→岡崎宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.39 知立宿→鳴海宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.47 関宿→坂下宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.52 草津宿→大津宿 「2010 1日中、山道。」中山道六十九次 Vol.00 日本橋→板橋宿 「2010 1日中、山道。」中山道六十九次 Vol.02 蕨宿→浦和宿 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 巴御前 ともえごぜん |
?年~?年:?歳
平安時代後期の武将で源義仲の愛妾&今井兼平の妹。 義仲没後は和田義盛の妻となり、朝比奈義秀を産んだとされる。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊臣秀吉 とよとみ ひでよし |
天文6年~慶長3年(1537~1598):62歳
言わずと知れた太閤殿下。 織田信長に仕え、草履取りから身分制度を乗り越えて出世し、37歳で長浜城主となる。 本能寺の変で信長の死後、最大のライバル徳川家康を従えて天下人となる。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
な行@人物編 |
|||||
| 長屋王 ながやおう |
天武13年〜天平元年(684~729):46歳
高市(たけち)皇子の第一子&天武天皇の孫で、奈良時代の皇親の政治家。 藤原不比等の死後、子の藤原四兄弟と対立。
|
||||
| ニコライ Nicholai Aleksandrovich Romanov |
1868~1918:50歳
ロシア帝国最後の皇帝でニコライ2世。 皇太子時代に来日。
|
||||
| 仁徳天皇 にんとくてんのう |
?年~?年:83歳?
応神天皇の第4皇子で大雀命(おおさざきのみこと)。 民家から炊飯の煙が立ち上らないのを見て、3年間の課役を免じたので「聖帝」と呼ばれる。 嫉妬深い皇后に悩む人間臭い天皇。
|
||||
は行@人物編 |
|||||||||||||||||
| 藤原秀郷 ふじわらの ひでさと |
?年~?年:?歳
俵藤太と号する平安時代中期の武人。 下野国の土豪だったが、平将門の乱を平定した功績により下野守に任命される。 その豪勇ぶりによって、中世ではヒーローとなり百足退治伝説が生まれる。
|
||||||||||||||||
| 藤原不比等 ふじわらの ふひと |
斉明5年〜養老4年(659~720):62歳
奈良時代の政治家で藤原鎌足の次男。 持統天皇以後の信任が厚く、皇室と姻戚関係を結んで、藤原氏繁栄の基礎を築く。
|
||||||||||||||||
| 北条氏綱 ほうじょう うじつな |
長享元年〜天文10年(1487〜1541):55歳
戦国時代の武将で北条早雲の嫡男。 氏を伊勢から北条に改め、相模・武蔵を支配して後北条氏を戦国大名に成長させた。
|
||||||||||||||||
| 北条氏康 ほうじょう うじやす |
永正12年~元亀2年(1515〜1571):57歳
北条氏綱の嫡男で相模国小田原城主。 扇谷上杉氏を滅ぼし、甲斐の武田信玄・駿河の今川義元と三国同盟を結び、関東統治を安定させる。 民政も充実し、後北条氏の全盛期を築く。
|
||||||||||||||||
| 北条政子 ほうじょう まさこ |
保元2年〜嘉禄元年(1157〜1225):69歳
北条時政の長女で鎌倉幕府初代将軍源頼朝の正妻。 父時政の反対を押し切り、深夜豪雨の中を伊豆山権現で待つ頼朝の元に走ったという逸話は有名。 頼朝死後は尼将軍と呼ばれ、幕府の実権を将軍から北条氏による執権政治の確立に尽力する。
|
||||||||||||||||
| 北条泰時 ほうじょう やすとき |
寿永2年~ 仁治3年(1183~1242):60歳
北条義時の嫡子で鎌倉幕府第3代執権。 承久の乱で朝廷に勝利し、初代六波羅探題北方に就任。 義時の死後執権職を継いで、最初の武家法典である御成敗式目(貞永式目)を制定する。
|
||||||||||||||||
ま行@人物編 |
|||||||||||||||||||||||||
| 松尾芭蕉 まつお ばしょう |
寛永21年〜元禄7年(1644~1694):51歳
名作俳諧紀行文『おくのほそ道』を生んだ江戸時代前期の俳人、そして旅人。 言葉遊びだった俳諧を文学にまで高めた功績で、「俳聖」と呼ばれる。 伊賀国上野の無足人(準武士的な農民で苗字帯刀を許された)松尾家に生まれ、本名は宗房(むねふさ)。29歳で江戸に下り、32歳で「桃青(とうせい)」号、39歳で「芭蕉(はせを)」号などの俳号を使用する。 旅の途中の大坂で死去し、遺言により近江国大津宿の義仲寺に埋葬される。 「旅に病んで 夢は枯れ野を 駆け廻る」
「1歩2歩散歩」東日本編 Vol.05 佐屋路 その2(東神守→桑名) 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.02 川崎宿→神奈川宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.19 府中宿→丸子宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.32 白須賀宿→二川宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.34 吉田宿→御油宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.35 御油宿→赤坂宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.36 赤坂宿→藤川宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.40 鳴海宿→宮宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.44 石薬師宿→庄野宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.47 関宿→坂下宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.52 草津宿→大津宿 |
||||||||||||||||||||||||
| 三井高利 みつい たかとし |
元和8年〜元禄7年(1622~1694):73歳
江戸時代前期の豪商で、三井家事業の創業者。 江戸に呉服店、京に仕入店を持つ兄の元で14歳より働き、商才を発揮した。 生涯を通じて秀でた商才と、たゆまぬ努力で成功した人物。
|
||||||||||||||||||||||||
| 源実朝 みなもとの さねとも |
建久3年~建保7年(1192〜1219):28歳
源頼朝&北条政子の次男で鎌倉幕府第3代将軍。 兄源頼家が伊豆に幽閉されたため、12歳で将軍職を継ぐ。 しかし、実権は母政子をはじめ北条氏が握っているため、和歌に心を傾ける。
|
||||||||||||||||||||||||
| 源範頼 みなもとの のりより |
?〜建久4年(?〜1193):?歳
源義朝の六男で頼朝の異母弟&義経の異母兄。 母は池田宿(磐田市)の遊女。 遠江(とおとうみ)国蒲御厨(かばのみくりや=浜松市)生まれなので蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれる。伊豆で挙兵した頼朝に呼応し参戦。 合戦後、頼朝に謀反の嫌疑をかけられ、伊豆修善寺に幽閉される。 その後自害。 |
||||||||||||||||||||||||
| 源義仲 みなもとの よしなか |
久寿元年〜寿永3年(1154〜1184):31歳
平安時代後期の武将で「木曾義仲」とも呼ばれる。 源頼朝の従兄弟。 以仁王(もちひとおう)が発した平氏打倒の令旨を受け、頼朝より先に入京を果たす。 しかし義仲の政治性は低く、京の治安悪化もあり孤立。 頼朝の命を受けた源範頼・義経軍に討たれる。
|
||||||||||||||||||||||||
| 源頼朝 みなもとの よりとも |
久安3年~正治元年(1147~1199):53歳
言わずと知れた鎌倉幕府初代将軍。 河内源氏の棟梁源義朝の三男で、母は熱田神宮の大宮司藤原季範の娘。母の身分が低い長兄義平・次兄朝長と違い、12歳で皇后宮少進就任、13歳で上西門院蔵人、さらに二条天皇の蔵人に就任するなど、華やかな少年時代を送っている。 平治の乱では源家の嫡男として初陣を飾ったが、平清盛に敗れ父&兄2人を失う。 平家に捕らえられ斬罪になるところを、清盛の義母池禅尼が早世した子平家盛に頼朝が似ているからと助命嘆願。 清盛が根負けして?奇跡的に命を助けられる。 14歳で伊豆配流。 約20年に及ぶ流人生活の後、以仁王(もちひとおう)が発した平氏打倒の令旨を受け挙兵。 源家ゆかりの地である鎌倉で武家政権を開く。
「1歩2歩散歩」東日本編 Vol.02 六浦道(鎌倉→金沢文庫) 「1歩2歩散歩」東日本編 Vol.04 佐屋路 その1(熱田→東神守) 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.01 品川宿→川崎宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.06 藤沢宿→平塚宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.10 箱根宿→三島宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.11 三島宿→沼津宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.24 金谷宿→日坂宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.31 新居宿→白須賀宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.52 草津宿→大津宿 |
||||||||||||||||||||||||
| 明治天皇 めいじてんのう |
嘉永5年〜明治45年(1852〜1912):61歳
孝明天皇の第二皇子で睦仁(むつひと)親王。 15歳で孝明天皇が崩御したため、翌年践祚(せんそ)して16歳で天皇となる。近代日本国家の君主としてカリスマ的な存在で、行幸した各地に数多くの記念碑が建立されている。
|
||||||||||||||||||||||||
や行@人物編 |
|||||||||
| 八百屋お七 やおやおしち |
寛文8年〜天和3年(1668~1683):16歳
江戸時代前期の女性で、恋心から放火した悲恋物語のヒロイン。 井原西鶴の『好色五人女』で上演されて大ヒットした。
|
||||||||
| 山田いち やまだ いち |
文久3年~昭和13年(1863~1938):76歳
農家の主婦。 サツマイモ「八ツ房」の畑から新品種を発見する。
|
||||||||
| 日本武尊 やまとたけるのみこと |
記紀に登場する架空の人物で、モデルは4世紀頃の人とされる。
景行天皇の三男で小碓命(おうすのみこと)、またの名を日本童男(やまとおぐな)。 仲哀天皇の父。 『古事記』では「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊」と表記される。景行天皇の命を受け、九州の熊曾、出雲を平定。 三種の神器・草薙の剣を身につけ、古東海道を通り東国平定の旅へと向かう。 伊勢国鈴鹿郡能褒野(のぼの)で30歳?の生涯を終えるが、悲劇のヒーローとして数多くの伝説を持つ。 「1歩2歩散歩」東日本編 Vol.04 佐屋路 その1(熱田→東神守) 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.08 大磯宿→小田原宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.16 由比宿→興津宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.18 江尻宿→府中宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.34 吉田宿→御油原宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.38 岡崎宿→知立宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.41 宮宿→桑名宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.44 石薬師宿→庄野宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.46 亀山宿→関宿 「2001年夢中の旅」東海道五十三次 Vol.52 草津宿→大津宿 |
||||||||
| 養阿 ようあ |
?年〜宝暦13年(?〜1763):?歳
江戸時代中期の僧。 京都出身で俗名は村上茂八郎。 高野山で木喰行を積み、諸国行脚の後、数多くの土木工事を行う。
|
||||||||
ら行@人物編 |
|||||||||
| 良弁 ろうべん |
持統3年~宝亀4年(689~773):85歳
相模国または近江国の出身といわれる奈良時代の僧。 東大寺の創建に尽力して初代別当となる。 東大寺四聖(ししょう)の1人。
|
||||||||
旧街道のための人名辞典は、
『日本古代中世人名辞典』平野邦雄・瀬野精一郎編/吉川弘文館
『日本近世人名辞典』竹内誠・深井雅海編/吉川弘文館
『日本近現代人名辞典』臼井勝美・高村直助・鳥海靖・由井正臣編/吉川弘文館
kotobank
(http://kotobank.jp/)
Wikipedia
(http://ja.wikipedia.org/wiki/)
各地の案内板や市町村のホームページなどを参考にして作成しました。
とらぞう
最終更新日:2010年 8月21日
Copyright (C) 2001-2010 TORAZOU, All Rights Reserved.