おかち日記「1歩2歩散歩」
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旧街道のためのマメ知識
旧街道のための歴史年表

あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行


あ行@人物編
足利義尚
あしかが よしひさ
寛正6年~延徳元年(1465〜1489):25歳
 足利義政&日野富子の長子で室町幕府第九代将軍。 六角高頼征伐のため出陣したが、戦果を上げないうちに陣中で死去。
長享1 1487 六角征伐のため近江国栗太郡鈎に本陣を置く 23
在原業平
ありはらの なりひら
天長2年〜元慶4年(825~880):56歳
 平安時代前期の歌人で六歌仙・三十六歌仙の1人。 イケメンの歌人として『伊勢物語』の主人公となっている。
承和14  847 聖観音像を刻んで不退転法輪寺を創建する 23
応和1  961 業平が主人公となる『伊勢物語』がこの頃成立する 没後81
伊藤博文
いとう ひろぶみ
天保12年~明治42年(1841〜1909):69歳
 明治時代の政治家で初代内閣総理大臣(初代を含め4回就任)。 旧千円札の人。 周防国出身で吉田松陰の松下村塾に学び、尊王攘夷運動の志士として明治維新を迎える。
明治20 1887 金沢八景の料亭東屋で憲法の草案を起草する 47
伊奈忠治
いな ただはる
文禄元年〜承応2年(1592~1653):62歳
 江戸時代前期の関東郡代。 父忠次・兄忠政の死後、伊奈家の郡代職を継ぎ、利根川・江戸川・荒川などの治水事業や新田開発で業績を残す。 領内に飢民のない功績を賞されている。
寛永5 1628 中山道のルートを付け替え、大宮宿を移転させる 37
今井兼平
いまい かねひら
仁平2年~元暦元年(1152〜1184):33歳
 平安時代後期の武将で木曾四天王の1人。 源義仲の乳母の子で、義仲の挙兵以来各地を転戦し、義仲と運命をともにする。
寿永3 1184 討ち死にした源義仲の後を追い自害する 33
歌川広重
うたがわ ひろしげ
寛政9年~安政5年(1797〜1858):62歳
 名作連作版画『東海道五十三次』を生んだ江戸時代後期の浮世絵師。 幕府定火消同心の安藤家に生まれる。
 15歳で歌川豊国に入門しようとしたが満員のため断られ、代わりに歌川豊広に入門。 16歳で豊広の「広」と、広重の本名・重右衛門(じゅうえもん)の「重」をとって「広重」の名を与えられる。 27歳で家業の火消同心を辞し、絵師を本業とする。
天保4 1833 『東海道五十三次』(保永堂版)が刊行される 37
天保5 1834 『東海道五十三次』(保永堂版)が完結する 38
天保8 1837 『木曽海道六十九次』の制作を渓斎英泉から引き継ぐ 41
天保12 1841 広重・英泉合作の『木曽海道六十九次』が完結する 45
 安藤広重と表記されることがあるが、「安藤」は本姓なので画名は「歌川広重」が正式名称。
大海人皇子
おおあまのおうじ
天武天皇(てんむてんのう)
太田道灌
おおた どうかん
永享4年〜文明18年(1432〜1486):55歳
 室町時代の武将で扇谷(おうぎがやつ)上杉定正の重臣。 江戸城を築いた武将として有名。 30回以上の合戦を戦い、めざましい活躍で扇谷上杉家の勢力を拡大させたが、主君定正に暗殺される。
大友皇子
おおとものおうじ
弘文天皇(こうぶんてんのう)

か行@人物編
鏡女王
かがみのじょおう
?~天武12年(?~683):?歳
 万葉歌人。 藤原鎌足の正室&藤原不比等の母。
天智8  669 夫藤原鎌足の大病平癒を祈願して山階寺を建立する
梶原景時
かじわら かげとき
?〜正治2年(?〜1200):?歳
 鎌倉幕府初期の御家人。 源頼朝挙兵時は敵だったが、石橋山で頼朝のピンチを救い、その後頼朝に従い要職を歴任する。
 讒言(ざんげん)で源義経を失脚させたことは有名。 しかし頼朝の死後、讒言の行き過ぎで景時自身が失脚する。
寿永2 1183 上総広常を暗殺し、血の着いた太刀を湧き水で洗う
文治3 1187 頼朝から讒言の罰として鎌倉中の道路整備を命じられる
正治1 1199 讒言が行き過ぎて源頼家に鎌倉を追放される
上総広常
かずさ ひろつね
?~寿永2年(?~1183):?歳
 平安時代末期の豪族的武士で、通称上総介(かずさのすけ)
寿永2 1183 梶原景時との双六の最中に暗殺される
和宮
かずのみや
親子内親王(ちかこないしんのう)
片岡庄兵衛
かたおか しょうべえ
?年~?年:?歳
 大津算盤の始祖。 中国式算盤を改良して大ヒットさせる。
慶長17 1612 近江国の大谷で大津算盤の製造を始める
金沢貞顕
かねざわ さだあき
弘安元年~元弘3年(1278〜1333):56歳
 金沢顕時の三男で鎌倉幕府第15代執権。 幕府の要職を歴任し、金沢北条氏の最盛期を築く。
嘉元3 1305 六浦荘金沢郷の平潟湾の入り江に瀬戸橋を架ける 28
金沢実時
かねざわ さねとき
元仁元年〜建治2年(1224~1276):53歳
 鎌倉時代中期の武将。 鎌倉幕府の要職を務め、幕府の中枢である評定衆にも加わっているが、ホントは学問が好き。
正嘉2 1258 六浦荘金沢郷の居館内に持仏堂を建立する 35
鑑真
がんじん
嗣聖5年~天平宝字7年(688〜763):76歳
 唐の高僧で日本律宗の開祖。 日本への渡航を懇願されたものの、渡航は5回失敗。 失明を乗り越え、6度目の渡航で来日。
天平宝字3  759 平城京に唐招提寺を創建する 72
北政所
きたのまんどころ
高台院(こうだいいん)
行基
ぎょうき
天智7年〜天平勝宝元年(668~749):82歳
 奈良時代の僧。 河内国(後の和泉国)大鳥郡蜂田郷の生まれ。 布教と共に治水・架橋や布施屋設置などの社会事業を展開する。 初めは朝廷から弾圧されるが、76歳で東大寺大仏造営の勧進に起用され、78歳で初代大僧正に任命される。
朱鳥1(白鳳14)  686 近江国甲賀郡の大岡山山頂に大岡寺を創建する 19
養老5  721 平城京に菅原寺を創建する 54
天平13  741 伊勢国鈴鹿郡の関に地蔵菩薩を安置する 74
天平勝宝1  749 入寂 81
渓斎英泉
けいさい えいせん
寛政2年~嘉永元年(1790~1848):59歳
 江戸時代後期の浮世絵師。 美人画を得意とする。 名所絵にも定評があり、『木曽海道六十九次』を手がけたが、途中で放棄して歌川広重に引き継がれる。 晩年は文筆業に専念する。
天保6 1835 『木曽海道六十九次』が刊行される 46
天保8 1837 『木曽海道六十九次』の制作を歌川広重が引き継ぐ 48
天保12 1841 英泉・広重合作の『木曽海道六十九次』が完結する 52
孝謙天皇
こうけんてんのう
養老2年〜 神護景雲4年(718〜770):53歳
 聖武天皇光明皇后の第一皇女で阿倍内親王。 僧道鏡を寵愛した。 淳仁天皇に譲位した後、重祚して称徳天皇となる。
天平神護1  765 称徳天皇が平城京に西大寺を創建する 48
高台院
こうだいいん
天文18年~ 寛永元年(1549〜1624):76歳
 豊臣秀吉の正室で北政所(きたのまんどころ)。 幼名ねね(おね)。 秀吉死後は高台院と称し、京都東山に高台寺を建立する。
慶長4 1599 三井寺の金堂を再建する 58
 「北政所」は摂政・関白の正室に対する称号なので、「高台院」が正式名称。 しかし、一般的には北政所=ねねとなっている。
弘文天皇
こうぶんてんのう
大化4年~天武元年(648〜672):25歳
 天智天皇の長子で大友皇子。 壬申の乱で叔父の大海人皇子と王位をめぐって争うが敗死。 天智の死後に即位したのかは不明だが、明治天皇によって「弘文天皇」と追号された。
天武1  672 瀬田の唐橋で大海人皇子と壬申の乱最後の決戦となる 25
光明皇后
こうみょうこうごう
大宝元年~天平宝字4年(701~760):60歳
 藤原不比等の三女で光明子(こうみょうし)聖武天皇の皇后。 夫の聖武と共に仏教に篤く帰依し、天平文化の発展に寄与する。
天平勝宝8  756 夫聖武天皇の七七忌に遺品を正倉に収める 56
後白河天皇
ごしらかわてんのう
大治2年~建久3年(1127〜1192):66歳
 鳥羽天皇の第四皇子。 即位3年で子の二条天皇に譲位し、中断があるものの34年に及ぶ院政を行う。 武士の時代が始まり、平清盛・源義仲源頼朝を相手に朝廷の権威の安定に努める。
保元2 1157 山城国の山科に六地蔵を分置した六角堂を設置する 31
建久1 1190 源頼朝を引見して権大納言・右近衛大将を任ずる 64
近藤勇
こんどう いさみ
天保5年〜慶応4年(1834〜1868):35歳
 幕末の幕臣。 農民宮川久次郎の三男として生まれたが、近藤家の養子となり、天然理心流4代目を襲名。 幕府が募集した浪士組に参加して京に上り、その後新選組を組織して局長となる。
慶応4 1868 板橋宿の刑場で斬首され、胴体が埋葬される
三条大橋で晒された首が法蔵寺に埋葬される
35

さ行@人物編
西行
さいぎょう
元永元年〜文治6年(1118〜1190):73歳
 歌集『山家集』を生んだ平安時代後期の僧侶・歌人、そして旅人。 藤原秀郷の子孫として生まれ、俗名は佐藤義清(のりきよ)。 生涯に2回旅した陸奥国の藤原秀衡とは遠縁にあたる。
 鳥羽上皇の「北面の武士」の職を辞し、23歳で出家。 高野山を拠点に奥州や中国・四国などを旅する。
文治2 1186 東大寺勧進のため2度目となる奥州への旅に出る 69
 『新古今和歌集』には最多の94首が入集し、『小倉百人一首』86番にも選ばれている。 松尾芭蕉の『おくのほそ道』はリスペクトする西行の足跡をたどる旅といわれている。
坂上田村麻呂
さかのうえの たむらまろ
天平宝字2年~弘仁2年(758~811):54歳
 平安時代初期の武将で第2代征夷大将軍。 光仁朝以来の悲願であった“まつろわぬ”蝦夷(えみし)を討伐し平定する。
 征夷大将軍をはじめ、数々の戦功によって昇進を重ね、53歳で大納言となる。 古代のヒーローとして数多くの伝説を持つ。
延暦9  790 遠江国佐野郡に善光寺を建立する33
延暦16  797 1回目の征夷大将軍となる
大晦日に駿河国の豊積神社へ戦勝報告をする
40
大同2  807 遠江国の事任神社を本宮山より遷座する 50
弘仁3  812 嵯峨天皇の勅によって田村神社が創建される 没後1
佐佐木信綱
ささき のぶつな
明治5年~昭和38年(1872~1963):91歳
 三重県出身の歌人&国文学者。 唱歌「夏は来ぬ」を作詞した。
明治29 1896 「夏は来ぬ」が『新編教育唱歌集(第五集)』で発表される 24
薩摩義士
さつまぎし
リーダー:薩摩藩家老 平田靱負(ひらた ゆきえ)
宝永元年〜宝暦5年(1704~1755):52歳
 薩摩藩が江戸幕府に木曽三川の「御手伝普請」を命じられ、1年半に及ぶ難工事で苦闘の末に完成。 「宝暦治水」と呼ばれる。
 病気や事故、幕府に対する抗議の切腹などで80名以上の藩士が犠牲となり、周辺地域では「薩摩義士」として祀られている。
宝暦3 1753 薩摩藩が江戸幕府に木曽三川の御手伝普請を命じられる 50
宝暦5 1755 治水工事が完成し、平田靱負が巨額の費用と犠牲者の責任を取り自害
52
 御手伝普請は、幕府が工事の設計・監督、工事を請負う藩が費用を負担するという、外様大名の経済力を抑えるためのシステム。
シーボルト
Philipp Franz von Siebold
1796~1866:70歳
 ドイツの医学者で植物学者。 長崎郊外に鳴滝塾を開いて蘭学を教え、多くの医者・学者を輩出する。
文政9 1826 江戸参府の帰りに近江国栗太郡の善性寺を訪問する 30
十返舎一九
じっぺんしゃ いっく
明和2年~天保2年(1765〜1831):67歳
 滑稽本『東海道中膝栗毛』を生んだ江戸時代後期の戯作(げさく)者。 駿河国府中の同心重田家に生まれ、本名は貞一。
 町奉行の転勤に従った大坂で浄瑠璃の修行をした後、奉行所勤めを辞し、江戸の版元「蔦屋」の食客となる。 弥次喜多の道中記『浮世(東海)道中膝栗毛』が大ヒットとなり、約20年間も『膝栗毛』シリーズを書き続ける。
享和2 1802 『浮世(東海)道中膝栗毛』出版 38
文政5 1822 『続膝栗毛』完結 58
 著作で得たお金で生計を立てた最初の人物とされる。
持統天皇
じとうてんのう
大化元年~大宝2年(645~702):58歳
 天智天皇の第二皇女&叔父である天武天皇の皇后。 天武即位後は中央集権体制の推進を助け、天武死後は孫の文武天皇に譲位するため自ら即位して天皇となる。
天武9  680 天武天皇が病気平癒を祈願して飛鳥に薬師寺を創建する 36
聖武天皇
しょうむてんのう
大宝元年~天平勝宝8歳(701~756):56歳
 文武天皇の第一皇子で首(おびと)皇子。 母は藤原不比等の娘・宮子で、皇后も不比等の娘・光明子(こうみょうし)。 天災・疫病が続いたり、藤原氏台頭に頭を痛めたのか?仏教に篤く帰依する。
神亀5  728 皇太子基王の菩提を弔うため金鐘山寺を建立する 28
天平12  740 東国行幸を始め、伊勢・美濃・近江を5年かけて巡幸 40
天平13  741 国分寺・国分尼寺建立の詔を発表する 41
称徳天皇
しょうとくてんのう
孝謙天皇(こうけんてんのう)
親鸞
しんらん
承安3年〜弘長2年(1173~1262):90歳
 鎌倉時代初期の僧で浄土真宗の開祖。 山城国宇治郡の日野に生まれ、日本仏教史上初めて僧として妻子を持つ。
 比叡山で修行後、29歳で浄土宗の法然に入門。 大ブレイクした念仏は弾圧され、越後国に流罪となる。 流罪後は約20年、関東で布教活動を行う。 60歳を過ぎてから帰京し、著作活動に励む。
貞永1 1232 相模国の能満寺(現正安寺)に宿泊して布教する
相模国の国府津に立ち寄り、その後7年間滞在する
60
菅原道真
すがわらの みちざね
承和12年~延喜3年(845~903):59歳
 平安時代前期の学者&政治家。 幼少の頃から優秀で、55歳で右大臣にまで昇ったが、讒言により太宰府へ左遷。 死後は祟りのために天満天神として祀られたが、今は学問の神となっている。
蝉丸
せみまる
?年〜?年:?歳
 平安時代の伝説的歌人&盲目の琵琶奏者。 逢坂山に暮らす。
天慶9  946 近江国逢坂山の蝉丸神社に主神として祀られる

た行@人物編
泰澄
たいちょう
白鳳11年?〜神護景雲元年(682?〜767):86歳?
 越知(おち)山・白山を開山した山岳信仰の祖と伝えられる。 越前国麻生津(あそうづ=福井市浅水町)に生まれ、越知山で入寂する。
神亀3  726 伊勢国三重郡に石薬師寺を創建する 45?
天平1  729 尾張国愛知郡に観音寺(荒子観音)を創建する 48?
平清宗
たいらの きよむね
嘉応2年~文治元年(1170~1185):16歳
 平氏の棟梁平宗盛の長男&清盛の孫。 壇ノ浦の戦いで敗れ、源義経によって鎌倉へ護送された後、義経の郎党に斬首される。
文治1 1185 近江国の野路口で斬首され、首を六条河原に晒される 16
平将門
たいらの まさかど
?〜天慶3年(?〜940):?歳
 平安時代中期の武将。 一族間の争いをきっかけに、自らを新皇と称して関東の独立を図ったが、朝敵として討たれる。 死後、国家の悪政に反抗したヒーローとして、霊魂伝説が生まれる。
天慶3  940 下総国で朝廷軍の藤原秀郷に討たれる
延慶2 1309 武蔵国の神田明神に祀られる 没後369
親子内親王
ちかこないしんのう
弘化3年~明治10年(1846~1877):32歳
 仁孝天皇の第八皇女で孝明天皇の異母妹。 江戸幕府第14代将軍徳川家茂(いえもち)の正室。 公武合体のため降嫁し、中山道を下向した。 名前は幼称の「和宮」の方が有名。
文久1 1861 板橋宿の縁切榎を避けて回り道をする 16
天智天皇
てんぢてんのう
推古34年~天智10年(626〜671):46歳
 舒明天皇の第二皇子で中大兄(なかのおおえ)皇子。 母は皇極(斉明)天皇で天武天皇(大海人皇子)の同母兄とされる。
 大化の改新の中心人物で、「改新の詔」を発表して駅馬・伝馬を定める。 百済復興を図った白村江の敗戦後、大津に遷都する。
天智7  668 中大兄皇子が即位して天智天皇となる 43
天智10  671 崩御 46
天武天皇
てんむてんのう
舒明3年?~朱鳥元年(631?~686):56歳?
 舒明天皇の第三皇子で大海人(おおあま)皇子。 母は皇極(斉明)天皇で天智天皇の同母弟とされるが、天武天皇の誕生年が『日本書紀』に記載されていないため、正確な年齢は不明。
 1ヶ月に及ぶ「壬申の乱」で日本史上まれな王位(皇位)簒奪を行い、即位した後は中央集権的な律令国家の確立を目指す。
天武1  672 吉野から脱出して伊勢国桑名郡で宿営する
瀬田の唐橋で大友皇子と壬申の乱最後の決戦となる
42?
天武9  680 持統天皇の病気平癒を祈願し飛鳥に薬師寺を創建する 50?
 「天皇(すめらみこと)」の称号は天武天皇が始めたとする説が有力。
徳川家光
とくがわ いえみつ
慶長9年〜慶安4年(1604〜1651):48歳
 徳川秀忠の次男で江戸幕府第3代将軍。 幼名は祖父家康と同じ竹千代。 20歳の時に秀忠が隠居し、第3代将軍となる。
 家康を崇拝し、生涯10回の日光社参を行う。 東照宮の大造営も諸大名の献納を一切受けず、幕府の支出だけで行っている。 死後も家康に仕えるため、遺言により日光山輪王寺に埋葬される。
元和9 1623 相模国梅沢の藤巻寺に立ち寄る 20
寛永3 1626 上洛のため脇往還佐屋路が整備される 23
寛永11 1634 上洛のため脇往還佐屋路が開設される
上洛のため土山宿に土山本陣が設置される
上洛のため水口城に御殿が設置される
31
徳川家康
とくがわ いえやす
天文11年~元和2年(1542~1616):75歳
 言わずと知れた江戸幕府初代将軍&東照大権現。 三河国岡崎城主松平広忠の長男で幼名は竹千代。
 3歳で母と生き別れとなり、6歳で今川氏に人質として送られる途中で奪われて織田氏へ送られたり、その後今川氏に送られて桶狭間の戦いまで駿府で過ごしたり、幼少期から波瀾万丈。 19歳で岡崎城に戻って三河国支配の回復に務め、着々と勢力を拡大する。 49歳で豊臣秀吉より関東への転封を命じられ、豊臣政権下で最大の大名となり、秀吉死後、関ヶ原の戦いに勝利して天下人となる。
 駿府城で死去。 遺言により駿河国の久能山に葬られ、一周忌を経て下野国の日光山に改葬された。 死後も神(東照大権現)となって、“関八州の鎮守”として江戸(東京)を見守っている。
天文11 1542 三河国の岡崎城で誕生する  1
永禄6 1563 三河一向一揆で山中八幡宮の鳩ヶ窟に隠れる 22
元亀1 1570 遠江国の引馬城を改修して浜松城を築城する 29
天正10 1582 駿河国の蒲原に御茶屋を建立する 41
天正13 1585 駿河国の駿府に駿府城を築城する 44
天正15 1587 遠江国見付の宣光寺に釣鐘を寄進する 46
天正20 1592 伊勢国関の御茶屋御殿で休息する 51
文禄4 1595 江戸に金座を開き小判を鋳造させる 54
慶長5 1600 掛川城主山内一豊から久延寺で接待される
上洛の途中近江国の常善寺に宿陣する
59
 日本橋を五街道の起点と定め、一里塚・並木などを設置したり、宿場を整備してくれたおかげで、旧道歩きが楽しめています。 旧道界の重要人物…ってゆーか、旧道界の大権現さま。
巴御前
ともえごぜん
?年~?年:?歳
 平安時代後期の武将で源義仲の愛妾&今井兼平の妹。 義仲没後は和田義盛の妻となり、朝比奈義秀を産んだとされる。
豊臣秀吉
とよとみ ひでよし
天文6年~慶長3年(1537~1598):62歳
 言わずと知れた太閤殿下。 織田信長に仕え、草履取りから身分制度を乗り越えて出世し、37歳で長浜城主となる。 本能寺の変で信長の死後、最大のライバル徳川家康を従えて天下人となる。
天正18 1590 増田長盛に命じ鴨川に京都三条(大)橋を架ける
伊豆国の山中城を攻め半日で落城させる
相模国の石垣山に一夜城を築城する
宇津ノ谷の石川家に陣羽織を与える
54
天正19 1591 尾張国の津島神社に楼門を寄進する 55
 秀吉自身は百姓から身を起こして天下人となったが、太閤検地・刀狩りなどで百姓の武装解除・耕作専念義務を定め、近世封建制度の基礎を確立した。

な行@人物編
長屋王
ながやおう
天武13年〜天平元年(684~729):46歳
 高市(たけち)皇子の第一子&天武天皇の孫で、奈良時代の皇親の政治家。 藤原不比等の死後、子の藤原四兄弟と対立。
和銅5  712 大般若経600巻を写経させる(和銅経) 29
ニコライ
Nicholai Aleksandrovich Romanov
1868~1918:50歳
 ロシア帝国最後の皇帝でニコライ2世。 皇太子時代に来日。
明治24 1891 来日中の滋賀県大津町で襲撃され負傷する 23
仁徳天皇
にんとくてんのう
?年~?年:83歳?
 応神天皇の第4皇子で大雀命(おおさざきのみこと)。 民家から炊飯の煙が立ち上らないのを見て、3年間の課役を免じたので「聖帝」と呼ばれる。 嫉妬深い皇后に悩む人間臭い天皇。

は行@人物編
藤原秀郷
ふじわらの ひでさと
?年~?年:?歳
 俵藤太と号する平安時代中期の武人。 下野国の土豪だったが、平将門の乱を平定した功績により下野守に任命される。 その豪勇ぶりによって、中世ではヒーローとなり百足退治伝説が生まれる。
天慶3  940 平貞盛に協力して下総国で平将門を討つ
藤原不比等
ふじわらの ふひと
斉明5年〜養老4年(659~720):62歳
 奈良時代の政治家で藤原鎌足の次男。 持統天皇以後の信任が厚く、皇室と姻戚関係を結んで、藤原氏繁栄の基礎を築く。
和銅3  710 遷都の際に飛鳥の厩坂寺を平城京に移転する 52
北条氏綱
ほうじょう うじつな
長享元年〜天文10年(1487〜1541):55歳
 戦国時代の武将で北条早雲の嫡男。 氏を伊勢から北条に改め、相模・武蔵を支配して後北条氏を戦国大名に成長させた。
大永4 1524 渋川氏が築いた蕨城を攻めて破壊する 38
北条氏康
ほうじょう うじやす
永正12年~元亀2年(1515〜1571):57歳
 北条氏綱の嫡男で相模国小田原城主。 扇谷上杉氏を滅ぼし、甲斐の武田信玄・駿河の今川義元と三国同盟を結び、関東統治を安定させる。 民政も充実し、後北条氏の全盛期を築く。
天文17 1548 荏柄天神社社殿造営のため関所を設置する 34
天文24 1555 娘の嫁ぎ先である今川氏真に千貫樋を贈る 41
永禄1 1558 領国内の伝馬制を確立する 44
天正18 1590 氏康が築城した山中城が豊臣秀吉に攻められ落城 没後19
北条政子
ほうじょう まさこ
保元2年〜嘉禄元年(1157〜1225):69歳
 北条時政の長女で鎌倉幕府初代将軍源頼朝の正妻。 父時政の反対を押し切り、深夜豪雨の中を伊豆山権現で待つ頼朝の元に走ったという逸話は有名。 頼朝死後は尼将軍と呼ばれ、幕府の実権を将軍から北条氏による執権政治の確立に尽力する。
建久3 1192 安産祈願(実朝を妊娠)を相模国内で行う 36
正治1 1199 夫源頼朝が死去 43
承久3 1221 御家人を前に頼朝の恩義を説く名演説 65
 2度の上洛で京・鎌倉往還を通っている。 1度目は頼朝に伴って東大寺再建法要、2度目は頼朝死後朝廷との和解工作のため。
北条泰時
ほうじょう やすとき
寿永2年~ 仁治3年(1183~1242):60歳
 北条義時の嫡子で鎌倉幕府第3代執権。 承久の乱で朝廷に勝利し、初代六波羅探題北方に就任。 義時の死後執権職を継いで、最初の武家法典である御成敗式目(貞永式目)を制定する。
貞永1 1232 御成敗式目(貞永式目)を制定する 50
仁治1 1240 鎌倉山内の道路(巨福呂坂)を切り開く 58
仁治2 1241 六浦路の工事で土石を運び、トップ自ら汗を流す 59
 鎌倉の都市整備・道路整備を行った人で、旧道界の重要人物。

ま行@人物編
松尾芭蕉
まつお ばしょう
寛永21年〜元禄7年(1644~1694):51歳
 名作俳諧紀行文『おくのほそ道』を生んだ江戸時代前期の俳人、そして旅人。 言葉遊びだった俳諧を文学にまで高めた功績で、「俳聖」と呼ばれる。 伊賀国上野の無足人(準武士的な農民で苗字帯刀を許された)松尾家に生まれ、本名は宗房(むねふさ)
 29歳で江戸に下り、32歳で「桃青(とうせい)」号、39歳で「芭蕉(はせを)」号などの俳号を使用する。 旅の途中の大坂で死去し、遺言により近江国大津宿の義仲寺に埋葬される。
「旅に病んで 夢は枯れ野を 駆け廻る」
貞享1 1684 『野ざらし紀行』の旅に出る 41
貞享4 1687 『笈の小文』の旅に出る 44
元禄2 1689 『おくのほそ道』の旅に出る 46
元禄7 1694 最後となる旅で佐屋宿に宿泊
大坂で客死し、義仲寺に葬られる
51
元禄15 1702 『おくのほそ道』刊行 没後8
 帰郷や『野ざらし紀行』『笈の小文』などで数多く行き来しているためか、東海道には句碑が多い。
三井高利
みつい たかとし
元和8年〜元禄7年(1622~1694):73歳
 江戸時代前期の豪商で、三井家事業の創業者。 江戸に呉服店、京に仕入店を持つ兄の元で14歳より働き、商才を発揮した。 生涯を通じて秀でた商才と、たゆまぬ努力で成功した人物。
延宝1 1673 江戸本町一丁目に呉服店越後屋を開業する 52
源実朝
みなもとの さねとも
建久3年~建保7年(1192〜1219):28歳
 源頼朝北条政子の次男で鎌倉幕府第3代将軍。 兄源頼家が伊豆に幽閉されたため、12歳で将軍職を継ぐ。 しかし、実権は母政子をはじめ北条氏が握っているため、和歌に心を傾ける。
建保1 1213 謀反人渋河兼守が詠んだ歌を気に入り罪を赦す
私家集『金槐和歌集』が完成する
22
源範頼
みなもとの のりより
?〜建久4年(?〜1193):?歳
 源義朝の六男で頼朝の異母弟&義経の異母兄。 母は池田宿(磐田市)の遊女。 遠江(とおとうみ)国蒲御厨(かばのみくりや=浜松市)生まれなので蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれる。
 伊豆で挙兵した頼朝に呼応し参戦。 合戦後、頼朝に謀反の嫌疑をかけられ、伊豆修善寺に幽閉される。 その後自害。
源義仲
みなもとの よしなか
久寿元年〜寿永3年(1154〜1184):31歳
 平安時代後期の武将で「木曾義仲」とも呼ばれる。 源頼朝の従兄弟。 以仁王(もちひとおう)が発した平氏打倒の令旨を受け、頼朝より先に入京を果たす。 しかし義仲の政治性は低く、京の治安悪化もあり孤立。 頼朝の命を受けた源範頼・義経軍に討たれる。
寿永3 1184 近江国の粟津で討ち死にする 31
源頼朝
みなもとの よりとも
久安3年~正治元年(1147~1199):53歳
 言わずと知れた鎌倉幕府初代将軍。 河内源氏の棟梁源義朝の三男で、母は熱田神宮の大宮司藤原季範の娘。
 母の身分が低い長兄義平・次兄朝長と違い、12歳で皇后宮少進就任、13歳で上西門院蔵人、さらに二条天皇の蔵人に就任するなど、華やかな少年時代を送っている。 平治の乱では源家の嫡男として初陣を飾ったが、平清盛に敗れ父&兄2人を失う。
 平家に捕らえられ斬罪になるところを、清盛の義母池禅尼が早世した子平家盛に頼朝が似ているからと助命嘆願。 清盛が根負けして?奇跡的に命を助けられる。 14歳で伊豆配流。 約20年に及ぶ流人生活の後、以仁王(もちひとおう)が発した平氏打倒の令旨を受け挙兵。 源家ゆかりの地である鎌倉で武家政権を開く。
久安3 1147 尾張国愛知郡熱田で誕生する  1
永暦1 1160 伊豆配流で下向する際に建部大社で前途を祈願する 14
治承4 1180 富士川の戦い翌日、黄瀬川で弟義経と出会う
鎌倉郡大倉郷に屋敷を建てる(大倉幕府)
伊豆三嶋明神を勧請して瀬戸神社を創建する
34
建久1 1190 上洛のため遠江国菊河宿に宿泊する
上洛のため遠江国橋本宿に宿泊する
上洛のため近江国野路宿に宿泊する
44
建久9 1198 相模川の橋落成供養に出席した際に落馬する 52
正治1 1199 死去 53
 伊豆配流や鎌倉幕府開設後2度の上洛で京・鎌倉往還(古東海道)を通っている。 また奥州藤原氏討伐のため、鎌倉から「中路」を通り、陸奥国岩井郡厨河(岩手県盛岡市)間を往復している。
明治天皇
めいじてんのう
嘉永5年〜明治45年(1852〜1912):61歳
 孝明天皇の第二皇子で睦仁(むつひと)親王。 15歳で孝明天皇が崩御したため、翌年践祚(せんそ)して16歳で天皇となる。
 近代日本国家の君主としてカリスマ的な存在で、行幸した各地に数多くの記念碑が建立されている。
明治1 1868 東幸の際に石部宿の小島本陣に宿泊する
土山本陣で誕生日を迎え、第1回天長節が行われる
東幸&還幸の際に大津宿の大塚本陣に宿泊する
山城国山科の奴茶屋で小休する
17
明治2 1869 東京に向かう際に水口宿の鵜飼本陣に宿泊する
山城国山科の奴茶屋で小休する
18

や行@人物編
八百屋お七
やおやおしち
寛文8年〜天和3年(1668~1683):16歳
 江戸時代前期の女性で、恋心から放火した悲恋物語のヒロイン。 井原西鶴の『好色五人女』で上演されて大ヒットした。
天和3 1683 鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられる 16
享保4 1719 お七を供養するほうろく地蔵が建立される 没後36
山田いち
やまだ いち
文久3年~昭和13年(1863~1938):76歳
 農家の主婦。 サツマイモ「八ツ房」の畑から新品種を発見する。
明治31 1898 「八ツ房」の畑からサツマイモの女王「紅赤」を発見する 36
日本武尊
やまとたけるのみこと
記紀に登場する架空の人物で、モデルは4世紀頃の人とされる。
 景行天皇の三男で小碓命(おうすのみこと)、またの名を日本童男(やまとおぐな)。 仲哀天皇の父。 『古事記』では「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊」と表記される。
 景行天皇の命を受け、九州の熊曾、出雲を平定。 三種の神器・草薙の剣を身につけ、古東海道を通り東国平定の旅へと向かう。 伊勢国鈴鹿郡能褒野(のぼの)で30歳?の生涯を終えるが、悲劇のヒーローとして数多くの伝説を持つ。
養阿
ようあ
?年〜宝暦13年(?〜1763):?歳
 江戸時代中期の僧。 京都出身で俗名は村上茂八郎。 高野山で木喰行を積み、諸国行脚の後、数多くの土木工事を行う。
元文3 1738 3年を費やした日ノ岡峠の改修工事が完了する

ら行@人物編
良弁
ろうべん
持統3年~宝亀4年(689~773):85歳
 相模国または近江国の出身といわれる奈良時代の僧。 東大寺の創建に尽力して初代別当となる。 東大寺四聖(ししょう)の1人。
天平7  735 近江国栗太郡に常善寺を創建する 47
天平19  747 近江国の珪灰石の上に石山寺を創建する 58

 旧街道のための人名辞典です。 いざ旧街道を歩いてみたら、神社仏閣・名所旧跡を訪ねた時に歴史上の人物のプロフィールが分かった方が楽しいんじゃないかと思い、歴史好きってのも手伝ってプロフを作ってしまいました。
 近代くらいまでに登場する人物の年齢は数え年で表記しています。

旧街道のための人名辞典は、
『日本古代中世人名辞典』平野邦雄・瀬野精一郎編/吉川弘文館
『日本近世人名辞典』竹内誠・深井雅海編/吉川弘文館
『日本近現代人名辞典』臼井勝美・高村直助・鳥海靖・由井正臣編/吉川弘文館
kotobank(http://kotobank.jp/)
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/)
各地の案内板や市町村のホームページなどを参考にして作成しました。

とらぞう
最終更新日:2010年 8月21日

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