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plastic book とは、開放されたテキストを本のかたちにしたもののために名づけました。柔軟で形成的で人工的な、パッケージでない製本装幀した本のこと。

プラスチックの陰謀に気付け
プラスチックってなんだっけ?まず思うのは人工物としての「プラスチック」。語源であるギリシア語のplassein(粘土や蝋などの柔らかい物質を型に入れて作ったり形をつけられたりすること)的な、可塑性という意味での「プラスチック」ではないだろう。
『プラスチックの文化史』(遠藤徹著、水声社)を読むと、ある時代はその先端を、ある時代は悪の権現、そして現代にいたっては「生分解性プラスチック」というように、時代とともに付加された意味とともに変幻してきたことがよくわかる。"plastic"という言葉そのものが、受動的人工的で能動的可塑的なものなのか。
そのことは、わたしが『本』に対してもつイメージに直結した。意味付けるのはわたしたち。プラスチックも本もみな、ただおおらかに生き延びようとしているだけ。
開放されたテキストは次第に立体的になるだろう
踊らされているよナと思いつつ、テキストがオープンになってわたしたちはそれをどんなふうに読んでいくのだろうかと考える。今のところわたしはプレーンテキストかHTML版で充分、わざわざ縦書きにしたいとは思わない。今後より記憶にとどめるための工夫を、わたしたちは重ねていくだろう。それは、これまでのいわゆる「本」への固執からうまれた縦書きソフトや、ものめずらしさ先行の電子本という方法とは別の、もっとわたしたちの五感を触発するような、つまり立体化していく過程ではないかと思う。
プラスチックな手で、背骨を持つ本を作る
そんな陰謀を、私は受けてたちましょう。対等であるために、これまでのようにプリントを束ねてべっとりノリで固めたり、パッケージであることを一方的に求めてきた態度を改めようと思う。だからあえて、それらとは区別して plastic book をなのっておきたかった。

『 plastic book 』の製本装丁は、糸をもちいてかがる。それは、本文紙がしっかりかつ優しく綴じられて強固な「背骨」を持ち、しなやかに開く構造を持つこと。あとは、自由だ。

「慈悲深い造り主よ!汝のプラスチックな手をもて、その力を顕わしめ給え」(18世紀、最初の英語辞書を作ったサミュエル・ジョンソンが造り主のプラスチックな能力をたたえた言葉)

このplasticbook版『十八時の音楽浴』は、2000年春の「東京国際ブックフェア」の 「book-ing」さんのブースにてユニバーサルブック構想の一例として展示されました。