この作品は昭和十二年『中央公論』に発表されたもので、平成7年にこの本の解説を書いている外村彰氏が、卒論の資料としてミュージアムに所蔵されていた原稿を調査にきたのをきっかけに、ミュージアムが発行した小冊子である。表紙の文字は息子である岡本太郎。
外村彰氏の解説の最後の部分をここに引用いたします。
「.....かの子の小説原稿のうち、定稿の形で現存するのは、「金魚撩乱」と「河明り」だけです。両稿とも、かの子の書誌研究家・入谷清久氏が発見され、川崎市市民ミュージアムに所蔵されています。筆跡をみると、かの子と同居していた恒松安夫あるいは新田亀三の手による清書に、かの子らしい字体による推敲がほどこされていました。
川崎市市民ミュージアムでこのたび出した「金魚撩乱」は、当初この原稿を復刻する予定でしたが、結局かの子の最終的な意向を尊重し、『巴里祭』所収の文章を底本としたことを、おことわりしておきます。(立命館大学博士課程在学)」
※2003年、ピエ・ブックスより発行された『Kingyo』に、その全文が掲載された。
かの子の生地
かの子の生家である大貫病院は、川崎市高津区の大山街道沿いにあった。蔵のある病院としても有名だったが、取り壊されてマンションとなった。そんな縁もあって、川崎には川崎市岡本太郎美術館がある。生田緑地の一番奥にあり、かの子や一平についての資料も揃う。メタセコイアの木立で精気をもらい、ザリガニ釣りを冷やかしながら美術館まで歩いてまわったら、後は民家園をゆっくり散策して白川郷の●家でひと休みすれば、まるまる一日コースです。
岡本太郎と金魚鉢とポートワインについての逸話を、従弟の大貫誠氏が書いています。