BOOK BAR 4 金魚部第一回秘宝展

金魚つながりのたいへんな三冊を手にする機会を得てつかぬまの悦楽、2001年3月、bawchackちゃん新歓コンパの延長で突如強行開催した秘宝展を、相変わらず勝手に事後報告させてもらいます。お集りの皆様には、とうにできあがって良い気分のさなか、急に「汚したら殺す《発言してごめん。

オタカラ目録
『蜜のあはれ』 室生犀星
『火の魚』 。。室生犀星
『杏散る』 。。栃折久美子
参考品
文庫版『蜜のあはれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』

オタカラは金魚の魚拓つながりで

<書物はその装幀を造り上げたところで、何時もその書物とわかれを告げるのがならひ>という作家が、ある作品の装幀を自ら試行錯誤をくり返したあげく、どうしても使いたいからと金魚の魚拓をあるひとに依頼する。
その仕上がりはあまりに見事、作家はすぐにその魚拓顛末を一篇に著し、それがまた評判となって、そのウラ版的一篇を魚拓の作り手が書くことになる。

金魚に装幀。そして栃折久美子といえばわれらが製本ルリユール工房のオヤカタ、とくれば、bookbar4で金魚部やってて見逃すわけにはいかない。
さああなたにもこのオタカラの楽しさとオーラを。そして室生犀星がいつも見ていた<一つの上死身の火>の火の粉をここにぱらぱらと。


オタカラ1
蜜のあはれ
室生犀星
昭和34年
新潮社



魚拓<炎の金魚>
栃折久美子

<おじさま、お早うございます>

<感情もなにも見えないさかなといふものに、その生きる在りかを見たいばかりに>魚を愛で、多くの作品に描いてきた室生氏が、<繚乱の衣装を着用した一尾の朱いさかなの事を書いて、私の知ったかぎりの女達をいま一遍ふりかへつて見>ようと、<あたい>こと金魚の化身を、<おじさま>の周りに変幻自在に立ち振る舞わせる。全て対話、シュールだなぁと片付けても問題ないが、金魚をよくよく知るひとにとっては至極自然な会話のようにも思え、部活やってるわりにナルホドまだまだ観察上足と反省。

水道のみずを飲むなよ、げえになるからなぁ。(おじさま)
金魚のお臀は尾の附根のちょっと上の方(あたい)
あたいの唇は大きいし、のめのめがあるし、ちからもあるわよ。(あたい)
だからおじさまの唾で、今夜継いでいただきたいわ、すじがあるから、そこにうまく唾を塗ってぺとぺとにして継げば、わけなく継げるのよ。(あたい)
誰の声もしてはいないじゃないか、金魚の空耳という奴だよ。(おじさま)
だってきみのうんこは半分出て、半分お尻に食っ附いていて、何時も苦しそうで見ていられないから、拭いてやるんだよ、どう、らくになっただろう。(おじさま)

私なら垂れ流すうんちを見て(ま、金魚ならいっか...)と言い捨てる場面。


金魚の自殺するところなぞを

さて『蜜のあはれ』の装幀をどうしようか、という時期が来て作家は、<或有吊な西洋画家に手紙を書いて一尾の金魚が燃え尽きて海に突っ込んで、自ら死に果てるところを描いて>くれと頼むが、体調を壊しているのでと断られる。さてどうしようかと思いながらふらふら、ふと近所の花屋の軒先で死んで腹を横たえた金魚をみてこれだ、魚拓だ、と思いつき、自ら試し始める。何度も繰り返すがうまくいかない。しかし<頭の中で、一塊の炎となった落下物が海ばらを眼懸けて、焼けただれて消えるという光景がおもい切れずに残>って魚拓を諦めることができず、とにかく誰かに頼もうと考えた。

と、<私はそのとき突然一人の童女の顔を、折見とち子といふ婦人記者を眼にうかべた。><彼女の父は私と同郷で釣りを好み、釣ったさかなの大物は魚拓に>するようなひとで、彼女自身といえば<手先のわざと頭をつかふ事に均等を持>ち、<ふしぎな素早い応答のあざやかさが、美人であるなしをいう相手の批評をすぐ取り上げ>、<人には見えぬふふんという、鼻であしらうものを用意してい>る。 .........『火の魚』物語の始まりである。


オタカラ2
火の魚
室生犀星

私家版/非売品/限定三部
印刷/1989年10月30日
印刷/ワードプロセッサーRUPOJW95H
印刷・装丁・製本/栃折久美子
用紙/アラベールナチュラル70kg

魚拓<炎の金魚>縁起

『蜜のあはれ』の目次のあとに書かれているように、その魚拓を頼まれたのは栃折久美子氏である。したがって折見とち子とは栃折久美子氏がモデルなのだが、折見栃子でも久見栃子でも栃木久美子でも折久よし子でもないこのびみょ~な吊前の変容がなんとも可笑しい。
そのまさにゆるぎない折見とち子が、金魚の魚拓を<ちょっと恐ろしいくらい>の出来に仕上げるさまを描いたのが”魚拓<炎の金魚>縁起”(後述、久保氏による)こと『火の魚』である。

作家の依頼に対して折見とち子は、<金魚を魚拓にとるといふことは悪趣味>と言いながら、やがて仕上げて送った魚拓には、その過程をすべらかにしたためた手紙を同封しており、その文面が実に小気味良い畳み掛けでつづられている。
魚拓は<烈しい全体にみなぎる気合>に溢れ、<激溢してはいるけれど孤独きわまる画面が、数人の人間の手によって作られた気がし、ちょっと恐ろしいくらい>と担当記者に言わしめた。注文をつけた作家本人も<私はこれで宜かった、と思った>と、その満足を実に簡潔に最後に言い放っている。

魚拓をとった瞬間

さてそのモデルである栃折氏による装幀であるが。
表紙の中央にモザイクされた白と黒の革は魚拓のための和紙と墨のようであるし、レインボーの箔はそれらをはらんで優しくそよぐ風のような、しかし緊張感溢れるリズムを刻んで煌めいている。

作品のモデルは自分自身でありながら、紡ぎ出された作品はあまりに完璧で、そのなにか、遠い感じ、みたいなものを栃折氏は、 <折見とち子は、もう私ではないのだと思った>と『炎の金魚』のなかで言っている。しかし、いくら全てを、あるいはそれ以上描き尽くした室生氏でも、両手にふくんだ金魚と交わした二人だけの最期の儀式や魚拓をとった瞬間はわかるまい、これだけは自分と金魚のもの、ここだけは自分が描くのだと、作者の意図を知らずして失礼だけど私はそんな時間をここに見てしまう。
つまらぬ憶測を触発されてニヤニヤ、装幀の全てを堪能させていただく。


オタカラ3
杏散る
栃折久美子

私家版/非売品/新装版/限定一部
印刷/1996年6月30日
ワードプロセッサーRUPOJW-V700による
印刷・装丁・製本/栃折久美子
本文/レトラセットDTP用紙
表紙/手描染紬絹布

どうして、わかってしまうのだろう

この本におさめられている作品(炎の金魚/杏散る/ギプスの音/ボンタン実る樹のしたに/つくらなかった本の「あとがき《)は全て、「モデルの弁を含む一連の短い文章、室生先生について書いたもの《である。本文紙に合わせてグラデーションに手染めした紬絹布も美しく、頁をめくるとパラパラ漫画みたいに、杏は散ったり咲いたり蕾んだりを繰り返す。

このなかで<炎の金魚>は、言ってみれば "ウラ<火の魚>" であり、モデルとなった栃折氏によって、氏の視点から実際のやりとりも描かれている。クノーの『文体練習』の実際を読むような楽しさもある。

<私が最もふかい感銘を受けたのは、私の手紙の形にして書かれている部分で、その中に、私が金魚を買って帰った時の複雑な心境をのべているところがある。どうして、こういうことがすっかりわかってしまうのだろう>とあるように、あのすべらかな手紙は実際のものではなく、しかも栃折氏がとうとうと全てを語ったわけでもなく、日々自然に接するなかで得た折見とち子の魅力の断片を紡いだものであった、ということがこれを読んで初めてわかる。そのことに読者である私は面白みを感じるが、私達が面白がるほどに当事者である栃折氏にはある思いがはっきりしてくる。

<小説を書くというのはこういうことなんだな、ということを痛烈に感じた>、<室生先生のこの小説をよみ、いろいろな感想を自分自身の中で整理し了えた時、長い間の文学志望を、きっぱりと捨てる気になった>。
そうして栃折氏は文学への思いを断ち切って造形に進み、おかげで私たちのオヤカタが誕生したわけである。製本の全ての教えを乞うている身としては、ただただ魚拓と<あたい>に感謝するのみ。
その他の作品より

<杏散る>には、室生氏の書斎に集まる女客のようすが描かれ、<先生は、その一人一人に似合った顔を見せ、先生の文章のかけらを、まるでめいめいにお小遣いでも分けてくださるように与えられ>たとある。そして<ボンタン実る樹のしたに>には、室生氏の影響絶大と自ら言うが、文学に疎い私にはそのありかがわからないけれど思わず耳付けになった詩があったのでここにご紹介させていただいた。雪原に唄えばきっと<ら し ど>と返ってくる。

白い氷にかこまれて
遠い北国の冬の空
ああ 冬の空
セツコ 何してますか
あなた思えばこころがいたむ
雪降る街に
ど れ み ふあ そ
セツコどこへ行きました

この秘宝展開催にあたり、上記三冊を栃折久美子氏よりお借りしました。改めて御礼申し上げます。


参考品
蜜のあはれ・われはうたえどもやぶれかぶれ
室生犀星
講談社学芸文庫/1993年
もくじより
陶古の女人/蜜のあはれ/火の魚/われはうたえどもやぶれかぶれ/老いたるえびのうた
解説/久保忠夫、作家案内/本多浩、著書目録/室生朝子

解説のなかで久保氏は『火の魚』を、”魚拓「炎の金魚《縁起”とあらわし、さらに、室生氏は『蜜のあはれ』を映画『赤い風船』的小説と言ったが、『火の魚』こそがよく即いた『赤い風船』ではないか、と評している。


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