高橋昭八郎個展「反記述による詩」は 2004年8月12日に終了いたしました。 

高橋昭八郎展によせて
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四角あるいは矩形のポエジー
――δ誌掲載のs8t(高橋昭八郎)のヴィジュアル作品をめぐって─
田名部信
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「δ」
編集 田名部信
発行 δ
 s8tのヴィジュアル作品は、5号(1996年10月刊行)から19号(2003年10月刊行)にわたってほぼ連続して(18号を除いて)、15点がδ誌に掲載されている。
 それぞれの作品のタイトルを挙げると、5号:day poem、6号:day poem(タイトルは同じだが5号掲載の作品とは別の作品)、7号:things to hear / things not to hear、8号:things to hear / things not to hear (7号掲載作品に編集人のレイアウトミスがあったため修正して再掲載したもの)、9号:-in [appear/dis/appear]g...、10号:Matrix、11号:matrix, TAMA.靈--soul, spirit, 雨--rain 口--mouth 人--man、12号:無のステンドグラス(the stained glass of Japanese character「無(mu)」that means "nothing")、無 nothing/empty/never/anti- 口 mouth/entrance/exil/hole/speak/biginning/end…"、13号:無のステンドグラスII(the stained glass of Japanese character「無(mu)」that means "nothing")無nothing/empty/never/anti- 口 mouth/entrance/exil/hole/speak/biginning/end…"、14号:詩/篇[canto]口mouth/entrance/exil/hole/speak/biginning/end…、15号:詩/篇[canto]口mouth/entrance/exil/hole/speak/biginning/end…(タイトルは同じだが14号掲載の作品とは別の作品)、16号:詩/篇[canto]母 mother口mouth/entrance/exil/hole/speak/biginning/end…、17号(掲載作品2点):poem's sculpture/poem's shoe sound、19号(掲載作品2点):poem's mute/poem's wheel。
 一読して表題がきわめて重要な役割を果たしていることがわかる。
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「day poem」
 高橋昭八郎
「δ」5号 1996.10
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  "day poem" という作品を見て(読んで)みよう。
 この作品では、時間の単位であるdayとpoemが一体化したものとしてとらえられている。dayの日本語である「日」という文字は19の小さな四角あるいは矩形の非連続体からなり、いわば非文字化されているけれどもしかし文字としてのシニフィアンの機能を完全に失っているわけではない。むしろ空無化された文字として慣用的シニフィエの破れ目に対応している。そのことは四角あるいは矩形の一部が破かれ、下からいくつかの別の四角あるいは矩形が顔をのぞかせていることで強調されてもいる。もっとも破れ目から顔をのぞかせているのは日常的なものとは異質の非日常的なもの(しばしば異形のものとして表象される)ではまったくない。そこに顔をのぞかせているのは日常的なものの別の連鎖を示す記号の断片でしかない。1つの日常性の連鎖系と別の日常性の連鎖系がどのような接したり交差したりするかについては何の手がかりも与えられていない。というのもそれが実存(人間であること)の基本的な条件であるからである。4つの写真:1つには本棚の一角らしきものと誰だかわからないひとの顔、1つには仰向けになった状態で膝を折り曲げた女のものと思われる裸の片脚と何かはっきりとわからないもの、1つには新聞の三面記事ないしはセンセーショナルな週刊誌のタイトル「妻を殺したと運転手が自首」、そしてもう1つには2匹の犬、がイメージとして日常性のいくつかの連鎖系を明示しているけれども、それらの関連についてもどんな手がかりも与えられていない。上に述べたことと同じ理由によってであろう。「々」という字が、そのような「日」がおそらく近似的にだがズレをもって反復されることを示している。そして表題はこれらの事柄すべてにポエジーがあることを告げ知らせているのである。言い換えれば、そんな風にしてポエムが現実に埋め込み直されているのである。ことばとイメージが重層することで感度が高まるポエム=光学器械として。したがって読者は、そのポエム=光学器械を通して、あまりにも身近にあるためにかえってよく感知することができなかったポエジーをあらためて(と同時に新しく)感知することになるのである。もう一度言い換えれば、ポエジーが非明示的に明示されるのを感知することになるのである。
 s8tが語およびそれ以外の素材をつかって制作するポエム=光学器械はとても感度がいい。それというのも、この詩人は、その技術をいわゆる語法の巧みさからではなくポエジーによるポエジーについての自己言及の明晰化から引き出しているからである。ここでは「自我」という名の近代の神話はもはやめざめの湖の表面に重なる透明な影でしかない。
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「無のステンドグラス氈v
 高橋昭八郎
「δ」12号 1999.11
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  "無のステンドグラス(the stained glass of Japanese character「無(mu)」that means "nothing")、無 nothing/empty/never/anti- 口 mouth/entrance/exil/hole/ speak/biginning/end…"、という作品は、この透明な影を主題化した作品と考えることができる。
 無という字の一部が拡大されステンドグラス化されることで、無の範列(nothing/empty/never/anti-)がいわば空白の連鎖を形づくる一方で、字の空白部から口とその範列(mouth/entrance/exil/hole/speak/biginning/end…)が生じている。ここでは、ポエジーそのものであるようなランガージュ、あるいはランガージュそのものであるようなポエジーの無言のドラマが展開しているのである。このドラマを見るためには、読者みずからがみずからの透明な影を横切って透明な劇場の中に入場する他ないだろう。だからこの作品はすぐれた作品のみがもつあのきわめて実践的な要請を、ここでもまた前述と同じ語法を使うことになるけれども、非明示的に明示しているのである。
 いずれにしても四角あるいは矩形は口でもあるのではないだろうか。生命がそこから生まれる口。ポエジーがそこから生まれる口。たとえ作品の内部に四角あるいは矩形らしきものが配置されていない場合でも、輪郭としての四角あるいは矩形を意識することで、s8tはポエジーに新しい口を与えようとしているようにぼくには思われる。というのも同じ古い口から、ということは同じ古い四角あるいは矩形から、新鮮なポエジーが生まれ出ることはけっしてないからである。 .
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 以下は、faxでの交信があった際にぼくが作成して送信したアンケートへのs8tさんの回答である。

1. あなたにとって正方形は何?
-マル、あるいはサンカクです。
2. 時間の背中はどんな感触?
-ブルー。
3. 円錐の空間の中でのあなたの出生地は?
-宙宇。
4. あなたの好きな匂いは?
-真空。
5. ことばにからだであるいはからだにことばで触れるために実践しているあなたの詩法にとって本とは何?
-消去、または燃焼。
6. 自己と他者とのあいだにある(と想定されている)透明な壁を突き抜けていくためにあなたが有効と考えるペンのかたちは?
-不定形。
7. インクの海から誕生するヴィーナスあるいは永遠に女性的なものは現実の女性のいっそう現実的な姿であるということについてのあなたの意見は?
-La Mariee mise a nu par ses célibataires, meme (Le Grand Verre) Marcel Duchamp
「解答というものはない。
 なぜなら、問題というものがないからだ」
8. 目に見えるものは目に見えないものを背後にもつのではなく、目に見えるものが目に見えないものを創造し目に見えるものにするのだということとあなたの詩法の関係は?
-擬餌
9. あなたの一番遠い記憶は?
-いま、現在。そして、無時間。

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「高橋昭八郎を讃えて」 田名部信

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