2)後手後手になった手続き。ありがとう、田村さん
留学を決意してからの2年間というものは....と書くべきほどの際だったことは実はなかった。それまでと同じ様な会社員生活を続け、週に1度、製本の講習に、2年目はさらに修復の講座に一晩通うようになっただけだ。そして、決意から1年3カ月ほどたって、アトリエの親方、栃折久美子さんに相談にのっていただいた。親方が25年程前に留学して製本を習った学校、「ラカンブル」に行って勉強したいと話した。それまでに、毎週親方にはお会いしていたが、面と向かってお話するのは初めてだった。
(右上の写真は2000.6月の学年末・卒業審査の合間に撮ったもの。右から、私と一緒に卒業した同級生、セリーヌ、わたし、左隣はドリュール(dorure)の先生アンヌ。座っているのはベルフロワさん、私の先生のリリアンの師匠でもある。)
ベルギーに行って勉強したいと言う私に、親方は「製本の勉強もさることながら、あなたはヨーロッパで暮らしてみたいのでしょう。」と言われた。その後、ラカンブルで既に3年生となっていた田村さんという女性と話す機会があった。彼女は親方に相談した時に「リリアン(ラカンブルの製本科主任の先生)に習わない手はない。」と言われたという。親方にとって私は目立たない受講生の筈だったが、一目で留学の不純な動機を見破られてしまったのだ。自分ではそんなつもりではないと思っていたが、言われてみるとその通りだった。若い頃に勉強を多少したものの、語学の才能はないと離れていたフランス語とその世界に身を置くことが出来るというのは、製本の勉強とは別の喜びではあった。
そういいながら、私の留学手続きはいつも後手後手だった。そもそも親方に話したのが、残り1年を切ってからである。春頃、親方から住所をうかがった前述の田村さんに手紙を書き、いろいろと教えていただいた。その前に学校に資料請求をしていたが、国際返信切手を同封したにも拘わらず、返事が来ない。仕方なく、田村さんにお願いしてそれも取り寄せていただいた。また、田村さんからのお手紙で、ベルギーへの留学手続きはかなり煩雑なものであることがわかってきた。
まず、学校に入学試験を受けるという仮登録をして、「受験登録証明書」を出して貰わなければならない。それを持って在日ベルギー大使館領事部に行き、学生ビザを発行してもらう訳だが、ベルギーではこの前段階に面倒な手続きがある。私の行こうとしていた学校は大学と同等の教育機関だったから、高校を卒業した証明がなければならないが、外国人学生はエキバランス(Equivalence)という高校卒業資格の外国人用証明書をとらなければならない。高校の卒業証明書と成績証明書(短大卒、大卒ならば、その分も)にフランス語(オランダ語圏の学校ならオランダ語)の翻訳をつけベルギー教育省に提出する。1カ月くらいするとコピーが1枚送られてくる。これが証明書かと思うと大間違いで、教育省内の認定委員会から教育大臣にあてた文書なのだ。「この申請者の卒業・成績証明書は大学に入るに足るものと認められるので、証明書を発行して欲しい」という省内依頼書の写しなのだった。
あまりにものんびりしていたことを後悔するようになっていた。書類をととのえるのに予想外に時間がかかり、この教育省のコピーを受け取った時点で7月に入っていた。学校はもう夏休みに入っていた。とにかく、そのエキバランスをとらなければならない、と時々ブリュッセルの教育省に電話をしたが、夏休み時期に入っているせいか、全然仕事をしている気配もなく、いつも「まだ来ていない」の一点張り。
実はこういう事態に到る事情があった。ブリュッセルの田村さんの説明では、入学試験の登録をする為には、既に滞在許可証を持っているか、このエキバランスを持っていることが条件という。だから、まず語学学校に登録をして、ビザを貰ってブリュッセルに来る。9月から語学学校に通いながら入学試験に臨み、合格したら語学学校は辞めラカンブルに入ればいいのではないか、これが田村さんのアドバイスだった。そこで、田村さんに語学学校の入学登録をして、証明書を送っていただき、日本のベルギー領事部にビザ申請をした。ところが、ベルギーでは語学留学は認めないというのだ。私の前に語学留学でビザを取った人もいる、とあとで聞いたが、とにかくもう駄目だという。自分の目下の問題を棚に置き、「確かにベルギーで方言のようなオランダ語やフランス語を勉強しなくてもいいだろう。ベルギーでフランス語学校の留学ビザが取れないのも道理である。」などとこの時は考えてもみた。それはさておき、自分がうかつだったとは言え、無事にベルギーに行けるのか。この時、田村さんがいろいろと考えてくださり、先に書いた「ベルギー教育省認定委員会が大臣に宛てた証明書発行依頼」のコピーを学校の事務所に持っていけば、入学試験登録証明を出してくれるのではないか、ということになった。夏休み明けを待って田村さんが手配をし、学校の証明書を送ってくださった。ぎりぎりでビザの取得が間に合い、出発3日前に飛行機のチケットが手配出来た。田村さんには今でも本当に感謝している。
こうして最後の胃の痛む数カ月を経て、9月2週目、試験直前にベルギーに出発することになった。
写真の本について
遠藤周作『深い河』講談社
製本年 2000年
総革、背が山羊革、平がマット仔牛革(英国風仔牛革)
背と平の間に手染め紙による装飾
見返し 手染め紙
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