|
![]() |
うす曇りのブリュッセルに降り立った平さんだが、入学試験に合格しなければベルギーには滞在できない。「私はこれからどうなるのか」一瞬不安がよぎるが、様々な準備でそれにひたる暇がない。 (2001.12.24 4-kama記) |
3)不安はあるけどひたってる間もなく![]() 空 港からブリュッセルまでの電車の中から見えるのはうす曇りの空で、私はこれからどうなるのだろう、と思ったことは今でも忘れない。多分入れるだろうと予測はしていたが、入学試験は入学試験だ。これに落ちれば、ベルギーに滞在出来ない。駄目な場合は、とにかくパリまで行こう、ということは話し合っていたが、それはやはりいやだった。 ブリュッセル一の名所、グランプラスから程近い小さなホテルにその日は泊まり、翌日学校に正式の試験登録に行った。自分では、簡単に行けると思っていた学校だったが、そばまで行ってからが手間取った。栃折久美子さんの留学記「モロッコ革の本」で学校の位置は認識していたつもりだったが、実際にその場所を見つけるのは少し難しい。 学校のあるAbbaye de la Cambreという場所は、ルイーズ通りから行くと、道がちょうど二股に分かれたところの左側にあり、外からみるとすり鉢状にくぼんだ公園というおもむきだ。私はそのすり鉢の底に学校があることを見つけられず、まっすぐ奥にひかえるカンブルの森まで進んでしまった。人に聞きながら学校にたどり着いたのは、お昼直前だった。かつて僧院だった建物が学校になっている。登録をして、試験当日に必要な道具のリストを渡された。 ![]() 午後は、指定された道具などを買いに、製本材料店に行った。Wilberz & Delcordeという名前のこの店は、トラム(路面電車)で学校からでも往復で2時間近くかかる。小さなブリュッセルにしては、買い物に時間がかかる店だ。ブリュッセルは地下鉄が2路線しかない。他の公共交通機関としてはトラムとバスのみ。郊外に住む人も市内に住む人も自家用車で通勤する人が多いが、その割に混雑が少ないのだから、首都といってもその小ささがわかるだろう。 初めての週末は、街歩きをした。1年中雨が降るベルギーで、9月は比較的晴れの日が多い気がする。過去に2度、旅行で来たことがあるといっても、周辺の住宅街は初めてだから、やはり新鮮だ。ホテルの周辺地区はイクセルという区で、100年前から戦前くらいにかけて住宅街になったところだから、古さもほどほどの落ち着いた街だ。緑の多い小さな公園が住宅街の中にいくつもあり、散歩するのが楽しい。入学試験がどうなるかわからなかったが、このようにしてどのあたりに住みたいか、検討していった。 (上記写真2点:Jualian Gracq著「Un Balcon en foret」。ラカンブルでは2年生で初めてパッセカルトンを作る。これは半革額縁装。濃茶のモロッコ革) ![]() (上記写真:「Un Balcon en foret」の表紙のために作ったPapier de decor(装飾の為の紙)。色鉛筆とアクリル絵の具で着色した三椏紙を、薄黄色に着色した洋紙の上にちぎって貼っていく。 乾いたら、プレスに入れ平らにして制作。) ![]() 新 学期の最初の週のアトリエは、道具や本の買い物で費やされた。この年の1年生は月、水、金曜の午後が原則アトリエに行く日で、その内の1回はルリユールではなく、ドリュール(dorure)という装飾に関する勉強だった。他の日は、講義と基礎実技に費やされる。当時の1年生の授業は5科目、美術史、現代美術、文学、写真、意味論、基礎実技はデッサン、色彩論、フォーム、遠近法があり計9科目。これは1年生全員に課されるもので、ルリユールはこれだけ受ければよかった。アトリエによっては、例えば修復の学生などはこの9科目に加え、専門の講義が7,8科目はあるのだから大変だ。講義は進級していくに従い、課目が減っていき、5年生は各自のアトリエ制作のみとなるが、そこにたどりつく頃には、学生数は1年生の半分くらいになるのだった。 (上記写真:卒業審査の時。同級生で一緒に卒業したフランス人のセリーヌと。彼女は洗練された美しい紙を作る。) |