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大学沿革 |
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1847年 『アメリカろう者年報』第一巻(American Annals of the Deaf)、ろう学校高等部、またはろう者のための高等教育という考えを提案。 1851年 コネティカット州ハードフォートで開かれたろう教育指導者会議で、ろう学校高等部またはろう者向けの高等教育について議論され、ろう者が芸術、科学、土木技術などの高いレベルで学ぶことができるという点に集約。教育施設の設置が可能であれば、全国規模とし、公立か連邦財政にて行われることが望ましいとされるが、実現化に向けての取り組みが検討課題となる。 1854年 『アメリカろう者年報』(American Annals of the Deaf)に、ペンシルベニア州のろう者ジョン・カーリン(John Carlin)が執筆した「The National College for Mutes 」(『国立聾唖大学』)という原稿が載る。彼は、のち国立聾唖大学設立記念式典で初めて名誉修士号を授与される。 1957年 ジャクソン政権下、合衆国郵政省長官を務めた裕福な慈善家エイモス・ケンドール(Amos Kendall)、ろうの孤児などを収容して教育する施設を作るために所有地の一部を寄贈した。のち、コロンビア聾唖教育施設(Columbia Institution for the Instruction of the Deaf and the Blind)が設置され、アメリカ初の公立聾学校の設立者の一人トーマス・ホプキンズ・ギャローデットの息子の一人、エドワード・マイナーが校長になる。 1957年5月30日 当時20歳のエドワード・マイナー・ギャローデットはコロンビア盲聾唖学校長に就く。母親ソフィア・ギャローデットも同校初のマトロンになる。 1857年6月18日 同校が開校し、5人のろう生徒が入学。数週間後には11人のろう児と4人の盲児の追加入学が認められる。 1858年1月21日 連邦議会下院ホールで生徒の作品展示会が行われ、多くの参観者を得る。 1858年9月 設立してから2周年の秋に新学期が始まり、翌年の7月に終了するが、のち学年度として定着する。 1859年 19の部屋の煉瓦の寄宿舎が校舎の隣に作られる。建物の工事経費は7100ドル、および3500ドル相当分の約2エーカーの土地はケンドールの寄付による。 1861年8月 南北戦争の最中、できたばかりの寄宿舎はペンシルベニア州軍隊のための病院として使われ、35人の負傷した兵士が入院。一人が死亡し、9月に新学期が始まるまで、残りの兵士たちは回復し退院。 1862年10月31日 「聾唖者大学で指導するろうの教師を養成すること、現在聾唖者には認められていない多くのことをなし得るように聾唖者の機会を向上させること、必要な精神力をもつ聾唖者を受け入れる施設を公開すること」というろう者向けの高等教育の必要性について、連邦議会が召集される。 1863年7月 コロンビア盲聾唖学校の北西部にある14エーカーの土地を購入し、総計16エーカーの広さになる。 1864年 連邦議会で、コロンビア聾唖教育施設を「国立聾唖大学」(National College for the Deaf and Dumb、翌年にはNational Deaf-Mute College)に格上げする議案が通過し、リンカーン大統領が署名。初代学長にエドワード・マイナー・ギャローデット。8人の学生が入学。 1866年 第一回卒業式が行われる。 1869年 グラント大統領、卒業証書に署名する。それ以来、大統領が大学の名誉学長(パトロン)として署名するようになった。 1880年 ・電話の発明で知られているアレキサンダー・グラハム・ベル、大学卒業式で来賓として祝辞を述べ、名誉博士号を授与される。 ・イタリアのミラノで開かれた国際聴覚障害教育会議に大学関係者が出席。 1877年 初めて6人の女学生の入学が許可される。 1954年 議会法により、「ギャローデット大学」(Gallaudet College)に改称。 1960年 大学教授で言語学者のウィリアム・ストーキーが『手話の構造』という、手話を言語と位置づけた初めての研究論文を発表。 1969年 モデル中等聾学校(Model Secondary School for the Deaf)、大学構内に設置。 1986年 聾教育法(Education of the Deaf Act)の通過に伴い、単科大学(College)から総合大学(University)に格上げされる。 1988年 聞こえる学長が選ばれたため、ろう者の学長を求める学生運動「デフ・プレジデント・ナウ」(Deaf President Now : DPN)が起こり、大学卒業生のキング・ジョーダン博士がろう者として初めて8代学長に任命される。 1989年 国際ろう会議・演劇祭典「The Deaf Way」、ワシントンDCで主催。 1990年 大学卒業生のハーヴェイ・コーソン博士(Harvey J. Corson)、副学長にろう者として初めて任命される。 2002年 国際ろう会議・演劇祭典「The Deaf Way II」、ワシントンDCで主催。 2005年 キング・ジョーダン学長、2006年末に学長職退職予定を発表。 2006年 副学長のジェーン・K・フェルデナント、次期学長に任命されるも、学長人事を巡る大学紛争が起きる。 2007年1月 大学理事会、次期学長のジェーン・K・フェルデナントを解職し、大学卒業生のロバート・R・ダビラ氏を暫定学長に任命する。 2008年 大学理事会、暫定学長のロバート・R・ダビラ氏を9代学長として任命。 →続く |
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■歴代学長と在任期間
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