『首飾り』(モーパッサン) 教 案
(1)はじめに
首飾りを借りて舞踏会に行ったマチルドは、帰り道に首飾りを落としてしまう。同じ首飾りを買って返すために借金を背負い、十年後ようやく借金を返すことができた。久しぶりに友人に出会った彼女はその首飾りが偽物であったことを知る。この物語は展開の起伏の大きさと、最後の意外な結末が印象的な作品である。授業で扱った場合、多様な、そして対立的な感想がでてくる作品である。
フランス革命を経験したフランスでは多様で変化に満ちた人生が展開されている。マチルドの場合もバラエティに富んだ人生の一つである。「首飾り」の授業によって、単純な道徳的結論を下すのではなく、様々な人生を許容する視点を身につけるきっかけにできればと考え、この作品を取り上げている。
(2)作者モーパッサン
作者のモーパッサンは1850年に二月革命後のフランスに貴族の家柄に生まれた。その後ルイ・ナポレオンのクーデター、第二帝政の時代に幼年時代をすごし、神学学校に入学する。20歳の時には普仏戦争を遊軍隊員として経験する。海軍省の事務官として勤めながらフロベールに文学上の指導を受け、フロベールを介してゾラたちの自然主義作家と交わった。30歳の時彼らとともに普仏戦争に取材した短編小説集を発行し、中でもモーパッサンの『脂肪の塊』は絶賛を浴び注目される存在になった。33歳の時には『女の一生』が驚異的な売れ行きを示し、人気作家となりパリの上流社交界に出入りする。その後十年間で多数の短編小説を執筆し、フランス社会の様々な階級の生活を描写した。『首飾り』をはじめ、『ベラミ』、『シモンのパパ』『ジュール叔父』『藁椅子直しの女』『宝石』『勲章』などすぐれた作品を残している。43歳の時、精神病院にて息をひきとった。
(3)時代背景
・1815 ナポレオン退位、王政復古
・1830 七月革命、立憲君主制への移行
・1848 二月革命、第二共和制
・1851 ルイ・ボナパルトのクーデター、第二帝政
・1855 パリ万国博覧会
・1857 六大鉄道会社設立、第二次鉄道ブーム
・1860 主要鉄道網完成、パリが20区に拡大
・1869 大西洋に海底電信ケーブル敷設
・1870 普仏戦争
・1871 パリ・コミューン、第三共和制
・1882 第三次鉄道ブーム
・1889 パリ万博、エッフェル塔建設
(4)導入[作品の紹介、朗読と感想]
作者や登場人物を紹介した後に全体を読む。その後感想を書く。教師が朗読すれば、約20分から30分で読むことができる。感想文は200字から400字程度が適当である。次の時間に感想のいくつかを紹介する。
[補足]
・いくつかの意見を紹介して、この作品は多様な受け止め方のできる作品であることを強調した。
・次のような感想が主に出された。
*飾りが偽物でかわいそうだ。
*マチルドが贅沢をしなければこんなことにならなかった。
*なくした時に正直に言っていればあんな目にあわなくて済んだ。
*女性として彼女の欲望は理解できる。
*夫は文句も言わずに一緒に苦労したのは立派だ。
*フォレスチエ夫人は相手の事を考えて真実を言うべきではなかった。
*外見を気にしなくなったのはよかった。
等である。
これらの感想はそれぞれに根拠がある。この作品は生徒の生活実感や価値観に基づいた強い主張が引き出される。これらの異なった意見を互いに検討しあうことでさらに内容理解が深まるであろう。代表的な意見を整理して、自分の意見と違う感想について文章を書かせる方法もある。
マチルドに否定的な意見が多いときに、感想を紹介した後に、最後の場面も彼女をかわいそうにと思う必要は全くないと宣言して議論の活性化を図るのも一つの方法である。
(5)マチルドの境遇
[概要]
作品の冒頭でモーパッサンは女性の美しさと富についての、世間でよく見られる受け止め方を紹介している。庶民の家に美しい娘が生まれるのは「運命のまちがい」である、美しい女には身分が高く金持ちの男がふさわしい、「一段下の階級に転落した女」は「ふしあわせ」である。モーパッサンはこうした常識に沿うかのように話を始めながら、実際はまったく逆の内容を持つ物語を展開している。
マチルドの経歴は「持参金はなし、遺産のころげこんでくる当てもなく、身分あり金のある男から、…妻に迎えられる、手立てはなかった」と書かれている。マチルドは育った境遇にふさわしい相手と結婚した。
[発問例]
・マチルドはどんな家庭に生まれたのか。
*安月給取りの家に生まれた。かなりの美人。
・どんな相手と結婚したのか。
*文部省の小役人(同じ庶民)と結婚した。
・第二段落冒頭の一文「身なりをかざってみようがないので……」からマチルドのどんな暮らしぶりがわかるか。
*おしゃれ好きだが、実際は簡潔な服装で押し通している。
*マチルドは自分の境遇に応じた生活をしている。
[補足]
「けだし、女には元来身分も血統もなく、彼女たちの美しさ、彼女たちの魅力が生まれや家柄の役をつとめるからである。彼女たちの生まれつきのこまやかさ、優雅の本性、頭の働きのしなやかさ、それだけが彼女たちの唯一の等級であり、下層の娘を身分の高い貴婦人と同等の位置に据える。」
この文章は一般論として挿入されているように見えるが、作品全体の展開と一致している。
ここで指摘されている「こまやかさ、優雅の本姓、頭の働きのしなやかさ」はマチルドの持つ内面的魅力と一致している。マチルドの舞踏会での成功は、小役人の妻であるマチルドが、その美しさ、魅力、優雅さによって、身分の高い貴婦人と同等の位置に立つ機会を得たことを示している。さらに小説の後半においては、十年の貧乏生活の後、貴婦人たちとは全く別の高度な精神的内容を獲得することを意味している。この指摘については授業のまとめとして触れることができれば触れるようにすると良い。(最後の部分「下層の……」は新潮文庫では「玉の輿にのることができるというものだ」となっている。これは誤訳であると思われる。)
(6)マチルドの不満と空想
[概要]
マチルドの不満は日常生活のこまかな事柄で、「同じ階級の別の女だったら気にもとめないであろうような、こうしたすべてのこと」と書かれている。不満は夫との生活(夫の地位や収入)に向けられてはいない。マチルドは実際の行動においては、堅実で質素な生活を送っており、家事をこなしている。このような生活の中でマチルドは空想にふけっている。日々の生活にまみれるほど空想が広がっている。
[発問例]
・マチルドの「くるしみの種」は何か。
*すまいが貧しい(壁や家具がみすぼらしい)
*晴れ着やアクセサリーをもっていない。
・マチルドはどのような生活を空想しているか。
*贅沢な住まいで、贅沢な食事を味わう。
・マチルドの切なる願いは何か。
*豪華な衣装と装身具を身につけて人から称賛されたい。
[補足]
・実際のマチルドを理解する上では夫との関係が重要である。次の場面で描かれているように夫はマチルドとの生活に満足しており、夫婦の信頼関係は築かれている。この信頼関係の基礎となっているのはマチルドの日常における行動全体である。
・彼女の夢の内容をくわしく検討する必要はないと思われる。高校生にとってはこのようなフランスの上流階級の邸宅の様子を具体的に思い浮かべるのは難しい。教師の側で簡単に内容をまとめることで十分と思われる。
・冒頭部分のマチルドに対してどのように感じるか、何人かの生徒を指名して意見を言わせることによって、彼らの印象を引き出すことができる。マチルドに反感をもつ生徒と、ある程度共感をもつ生徒との間に、他の作品ではめったに見られない生徒同士の意見の対立が起こる。
(7)夫との関係
[概要]
スープの場面の夫の様子から、夫がマチルドとの生活に満足していること、夫婦の人間関係はうまくいっていることがうかがえる。これはマチルドが小役人の妻として、日常生活ではやるべきことをやっているということを示している。
[発問例]
・マチルドの夫はマチルドとの生活をどう考えているか。スープの場面からよみとれることはないか。
*夫は満足そうにしている。
・夫の様子から、夫婦の人間関係はどのような状態にあると考えられるか。
*マチルドは夫を満足させている。毎日の生活のやるべき仕事はしている。
*夫婦の人間関係はうまくいっている。
(8)招待状をめぐる二人の信頼関係
[概要]
夫はマチルドの希望をかなえてやろうと、苦労して舞踏会の招待状を手に入れた。望み手が多い点にマチルドと同じ立場の多くの人々が舞踏会を楽しみにしていることが表れている。舞踏会は、彼らの手に届く範囲内での最高の晴れ舞台である。行くからには精一杯の準備をして華やかに振る舞いたいと考えている。マチルドは舞踏会に行きたくてたまらないのを必死で抑えている。夫は行きたい気持ちがわかるから、途方にくれる。
[発問例]
・夫の「得意満面の様子」はどんなことを表しているか。
*夫は招待状を苦労して手に入れた。
*夫はマチルドが有頂天になって喜ぶことを期待していた。
・招待状に対してマチルドの反応はどうであったか。
*夫の期待に反してマチルドは着る服がないから行きたくないと答えた。マチルドはみじめな思いをするくらいなら初めから行かないほうがましだと考えている。行くからには華やかに振る舞いたいと思っている。
・「激しい努力で、苦痛をおさえる」とあるが、マチルドはどのような気持ちを抑えているのか。
*舞踏会に行きたい気持ちを抑えている。
(9)400フランの意味
[概要]
400フランは彼らの家計で支出できる限度額である。彼らは日頃質素な生活をおくることで400フランをためることができた。舞踏会でマチルドが使うか、夫の猟銃に使うかどちらにしても、この400フランは彼らが生活を楽しむために貯めた金である。彼らは堅実な生活の中から生まれる自然な欲望をもっている。
夫もマチルドが400フランを使うのに満足している。「400フラン都合しよう」というのは、彼ら夫婦の信頼関係に基づく言葉である。夫はマチルドがどんなに舞踏会に行きたいかを理解しているし、マチルドも夫が自分のために楽しみを諦めてくれたことを理解している。今回はマチルドにチャンスが訪れ、夫が協力するが、別の機会に夫にチャンスが訪れた場合はマチルドは夫のために労苦を惜しまないはずである。
[発問例]
・「胸算用」は何を計算しているのか。
*洋服にいくらかかるに加えて、いくらくらいなら捻出できるか家計の余裕を考えている。
・マチルドの答えに対する夫の反応はどうだったか。
*「夫は少し青い顔になった。ちょうどそれだけの金額を取りのけておいたからである。」
・夫が自分の銃を諦めてドレスを買うことに同意する理由は何か。
*夫はマチルドの希望を理解し、マチルドの希望をかなえることが自分の喜びであると考えた。
(10)首飾りを用意するまで
[概要]
パーティーに行く準備をする二人の充実感と満足感を理解する。マチルドの悩む様子にも、夫がアイデアを出し、それを喜ぶ姿にも二人の真剣さがよく表れている。フォレスチエを訪問する場面で、マチルドの興奮や遠慮、借りられたときの喜びなどを指摘し、パーティーの準備への夫婦の努力を理解する。
[発問例]
・マチルドの悩みは何か。
*アクセサリーがない。舞踏会には衣装と共にアクセサリーが必需品である。
・夫のアドバイスは何か。
*女学校時代の友人であるフォレスチエに借りにいけばいい。
・衣装やアクセサリーなどの準備の様子から、どんなことがわかるか。
*舞踏会の準備を真剣にしている。
*自分たちに可能な精一杯の努力をしている。
*金と知恵をだしあって夫とマチルドと二人で協力して取り組んでいる。
*苦労して準備することに、二人は充実を感じている。
*旅行やイベントの場合でも本番同様準備が楽しいものである。
・首飾りを借りる場面から、マチルドのどのような気持ちを経験しているか。
*たくさんの宝石を前にした興奮。
*気に入った首飾りを見つけたときの喜び。
*貸してもらえるかどうかという不安。
*交渉が成功したときの喜び。
(11)舞踏会の当日
[概要]
マチルドは舞踏会で大成功をおさめた。マチルドは誰よりも「上品で、優雅で、愛嬌があり」その夜の最高の美人と認められた。パリで文部大臣が主催した舞踏会だから美人は他にもいただろうが、マチルドほど充実している人はいなかった。マチルドは準備に苦労した分、溌剌としていた。それが周囲の人々にも十分伝わった。
[発問例]
・舞踏会でのマチルドはどのように描写されているか。
*誰よりも美人
*上品、優雅、にこやかな微笑み
*うれしさのあまり上気していた
・彼女が成功を収めることができた原因はなにか。
*もともと美人だった。
*衣装や首飾りが十分準備できた。
*はつらつとしていきいきしていた。
*めったにないチャンスであり、苦労して準備した分の意気込みにあふれていた。
*全力で頑張って、そして勝ち取った大成功である。
(12)帰宅の場面
[概要]
舞踏会が終わったあとのマチルドの心情を確認する。夫婦はなかなか馬車が見つからず苦労して帰ってきた。豪華な毛皮や専用の馬車を持った高官たちとの地位の差が描かれている。マチルド達にとって馬車の算段までする余裕はない。彼らにふさわしい馬車に乗って帰る。庶民にとって、こういう苦労は特別なものではない。
階段をのぼる場面では「彼らは沈んだ気持で」「もうおわってしまった」と書かれている。彼らはできるかぎりの手段をつくして成功し、満足している。終わったあとのさびしさも満足のうちであり、準備から舞踏会での成功までの高揚を経験したあとの落ち着いた気分で成功の余韻に浸っている。彼らはこれから元の生活に戻り再びエネルギーを蓄える。その前の穏やかな充実感が描かれている。
[発問例]
・夫婦は帰るときに何に困ったか。
*馬車がないこと。
・マチルドはどういう感慨をもっているのか。どういう感情に満たされているのか。
*舞踏会のためにやるだけのことをして成功した満足と、それが終わった淋しさ。
・もういちど自分の姿を眺めようとした時のマチルドの心理はどういうものか。
*舞踏会の成功の余韻に浸っている。舞踏会の成功を最後に確認しようとしている。
(13)首飾りの紛失
[概要]
首飾りがなくなっていることに気がついた。この偶然の事件によって新たな状況がうまれた。その状況にどう対処するかが問われた。
夫は警視庁、新聞社、辻馬車組合など心当たりのある所へは何処へでも苦労をいとわずに出かけて行った。マチルドは責任を感じて茫然とするのに対して、ロワゼルはマチルドの打撃を理解して首飾りを見つけるための端的な行動をとっている。彼らの信頼関係は首飾りの紛失によって揺らいでいない。舞踏会の準備と同じく過失に対しても彼らの真剣さが出ている。
[発問例]
・首飾りをなくしたことがわかった後、夫はどのような行動をとっているか。
*心当たりのある所へは何処へでも苦労をいとわずに出かけて行った。
・災難が起こった時の夫の行動の特徴はどのようなものか。
*首飾りを見つけるための、実質的な行動だけをしている。
*マチルドのショックを理解しており、信頼関係は揺らいでいない。
(14)弁償の決意
[概要]
「一週間たち、あらゆる望みの綱が切れた。」から「……ロワゼル夫人を泥棒と思いはしなかったろうか?」まで。彼らは手を尽くしても紛失した首飾りを見つけることができなかった。その後、ただちに代わりの品を探して借金をする場面である。
[発問例]
・「あらゆる望みの綱が切れた」とはどういうことを示しているか。
*いろいろ手を尽くして探したが、見つかる可能性がなくなった。
・それで夫婦はどうすることにしたのか。
*代わりの品を見つけて返す(弁償する)ことにした。
・宝石商で見つかったそっくりの首飾りはいくらだったのか。
定価は40000フラン。36000フランで買えることになった。
・夫婦はその金をどのようにして都合したのか。
ロワゼルの父の遺産が18000フランあった。残りは借金。
[補足]
・彼らは首飾りを見つけるために出来るかぎりのことはした。そして見つかる可能性がなくなったとき、直ちに弁償する決心をしている。弁償せずに済ませる方法など、全く考えていない。莫大な借金を背負い込み、その借金を働いて返す決断が、さも当然のことであるかのようになされている。この場面には過失に対して真摯に対応して自分たちの精神的価値を守り抜く彼らの決意が読み取れる。
・「後半生をすっかりだいなしにし、返すあてがあるかどうが考えてもみずに、どしどし書類に署名した。そして、未来の不安におののき、今後自分の上におそいかかるであろう絶望的な貧乏ぐらしに、あらゆる物質的不自由と精神的苦悩の展望に、心をいためながら」とロワゼルの心理が描写されている。ロワゼルは大きな借金を背負う覚悟があるから、今後の厳しい生活を具体的に想像する。今後の生活を恐ろしく思うのも、覚悟の表れである。
彼らは400フランにどれほどの努力が必要かを知っている。彼らにとっては労苦を払って信頼関係を強めることが日々の生活の中で身についている。それと同じ感覚でフォレスチエ夫人との人間関係に真摯に対応している。彼らは偶然にそっくりの首飾りを見つけてそれを返すことにした。彼らはそっくりの首飾りが見つかったことを幸運と考えている。彼らは今まで以上の労力を払うことを当然の選択として、これ以外にないと思い込んでいる。
・舞踏会の衣装400フランを20万円と仮定すると、今回の借金は900万円になる。高利で借りるので利息を含めれば、倍ぐらいの金額になる。
・正直に言えばよかったというのは、二人のように実質的な責任をとるのではなく、弁償せずに済ませる方法を探すことである。こうした感想は後半のマチルド夫婦の貧乏生活を否定的に評価することに基づいている。
・(注1)「あらゆる種類の金貨のやっかいになった」(筑摩)は「あらゆる種類の金融業者と関係を結んだ」(新潮)となっている。新潮の訳が正しいと思われる。
・(注2)貨幣の単位。1ルイ=20フラン、1スー=1/20フラン
(15)マチルドの覚悟
[概要]
夫は首飾りをなくした瞬間から、状況を受け止めて自分のすべきことを次々行動に移していく。マチルドは、落ち着くまでに時間がかかる。しかし覚悟した後は端的に行動して大きな力を発揮する。舞踏会に行くときも、首飾りをなくした時も、この二人は協力しあって問題を克服していく。
彼らは借金を返すために屋根裏部屋に引っ越した。女中には暇を出し、マチルドは家事を全て自分でするようになった。買い物する時は値切って倹約した。夫は毎晩内職した。彼らにとって1万8千フランは今までの同じ生活をしていたのでは返済できない大金である。彼らはこれまでも質素で倹約的な生活をしていた。その意味で新しい生活はこれまでの生活の延長または徹底であり、全くかけ離れた生活に変化したわけではない。
[発問例]
・マチルドの覚悟、決心はどのようなものか。
*「このおそろしい借金をはらわなければならないのだ。払わなければならないとなったら払おう。」
・マチルドの生活はどのように変化したか。
*女中に暇を出した。
*屋根裏部屋にひっこした。
*家事はすべて自分でするようになった。
*買い物の時はねぎって倹約した。
*夫は毎晩内職した。
(16)十年後
[概要]
十年後マチルドはすべての借金を返済した。彼女は貧乏な家のしっかりものの女性になった。彼女はテキパキと働き、外見をまったく気にしなくなった。近所の人達ともかなりつきあいがある様子が伝わる。厳しい生活を十年間経験することによって、マチルドは精神的なたくましくさを獲得した。自己と自己の境遇を肯定する新しい精神を獲得することができた。
マチルドは舞踏会のことを忙しい仕事の合間になつかしい思い出としてしみじみと味わっている。マチルドは現在の生活に充実を感じ、過去の自分も舞踏会の思い出も肯定している。マチルドは舞踏会に全力を尽くして成功し、その後の生活もやり抜いている。このような人間が忙しい生活の合間に持つ感慨は非常に高度であり魅力的である。マチルドの感慨には彼女のすべての労苦と喜びが織り込まれている。
[発問例]
・マチルドはどのような変化をしたか。
*貧乏な家のしっかりものの女性になった。
*外見をまったく気にしなくなった。
・マチルドはどんなときに舞踏会を思い出しているか。
*夫の留守中など、いそがしい仕事の合間、ちょっとゆっくりするために窓際にすわった時
・どんな気持ちともに舞踏会のことを思い出しているか。
*自分が美しく、ちやほやされたことをなつかしく思い出している。*いい思い出として残っている。
*舞踏会に行ったこと、首飾りをなくしたことの後悔はない。
・舞踏会がいい思い出になっていることから考えると、彼女は自分の現在の生活をどのように考えていると思われるか。
*現在の生活に充実を感じている。
・彼女は自分の人生をどのように感じていると思われるか。
*自分の人生の変化を冷静に受け止めている。
*美しくちやほやされた自分と忙しく働いて借金を返した自分と両方に満足している。
・この場面のマチルドをどのように感じるか自由に発言させる。
(17)作者の問いかけ
「あの首飾りをなくしていなかったら、どんなことが起こっていただろうか? それこそ、誰にだって解からないではないか! 人生って、なんという奇妙なもの、なんという変わりやすいものだろう! ひとひとりを破滅させたり救ったりするのに、なんというわずかのことしかいらないことか!」
貧乏生活に転落すること=不幸になること、精神的にも余裕を失うこと、と一般には考えられている。しかし人生において何が破滅で何が救いか、これは単純に答えを出すことはできない。それぞれの価値観が問われる問題である。上の言葉も、首飾りをなくしたことによってマチルドの人生は破滅したと理解することも、救われたと理解することもできる。
マチルドは大きな成功と災難を経験した。大きな成功を勝ち取るにも大きな災難を乗り越えるにも、何事に対しても全力を尽くす、これが前半と後半を通じて、マチルドの行動に一貫している。自分の生活を充実させたいという衝動が彼女を貫いている。このことが彼女の人生を豊かなものにしている。首飾りをなくしても、なくしていなくても、どんなことが起こっていても、マチルドは精一杯力を尽くしているだろうと思われる。これはマチルドだけでなく夫にも言えることである。
マチルドの十年の苦労を肯定する感覚を持たない場合は、ラストの結末と重なって、彼女の人生は破滅したとしか受け取ることができない。モーパッサンもそのようにしか受け取れない読者には、そのように見えるように書いている。
彼女の苦労を肯定する感覚がない時、「正直に言わなかったせいで、彼女は十年間を無駄にした」と考え、正直にいうべきだったという考えを強く持つ。十年の苦労を充実と見るならば、正直にいうかどうかは問題ではなくなる。
(18)フォレスチエとの再会
[概要]
マチルドは働きづめの生活の息抜きにシャンゼリゼを散歩しているときに、フォレスチエ夫人と出会った。相変わらず若々しく美しいフォレスチエ夫人を見て、マチルドは舞踏会の思い出や十年間の生活の労苦などのさまざまの感情がよみがえっている。マチルドはこのような感慨と共に首飾りの事を打ち明ける決意を固める。フォレスチエ夫人は話しかけられてもマチルドとはすぐに気づかないほど、マチルドは変わっていた。十年間の厳しい生活を乗り越えた落ち着きや自信がマチルドの態度や話し方に表れている。フォレスチエ夫人はマチルドの行為に感動して首飾りが偽物だったと告白する。物語はここで終わっている。マチルドがどう反応したか、この後マチルドはどうなったか、興味をそそられるその瞬間でモーパッサンは書くのをやめている。
マチルドは十年間の苦労によって逞しい精神を獲得した。首飾りが偽物だと知って驚くにしてもこの事件も舞踏会の思い出と同じように肯定的に取り込まれるだろう。マチルドがこの十年を無駄にしたとは考えないであろう。
[発問例]
・マチルドが昔とは違うのはどこか。
*「話しかけてやろうか?むろん、話しかけてやろう。今ではもう借金を払ってしまったのだから、全部打ち明けて言おう。」
*「彼女はつかつかとそばへ寄って行った。」
*「彼女は誇らしげな無邪気な喜びを顔にあらわしながら、にこやかに笑っていた。」
・フォレスチエ夫人は、どうして「激しく胸をつかれ」たのか。
*フォレスチエ夫人はマチルドが全力をかけて首飾りのために十年間の生活をやり抜いたことにうたれた。
・フォレスチエの言葉を聞いてマチルドはどう思ったであろうか。
*たいへん驚くだろうが、それも自分の人生におこった出来事として冷静に受け止め乗り越えるだろう。この十年は無駄だったとは考えないだろう。
[補足]
・最後については、自由に意見を言わせる、感想を書かせるなど、その後のマチルドを想像させるなど、いろいろな方法がある。
・「この後本物の首飾りを返してもらうべきだ。」という意見がだされることがある。首飾りが気になるのは物質的報酬を求めているからである。彼女は金は戻ってこないという前提で十年間頑張り通した。マチルドの精神的成長を認める場合に、物質的に報われないと苦労が無駄になると考える必要はない。
・この結末をどう理解するかはこれまでのマチルドの理解に規定される。窓辺の場面と同様、人生において労苦を引き受ける精神を持たない場合、首飾りが偽物だったことで、マチルドの人生は無駄になったと考えることになる。このような感想を強く持っている生徒を説得することはなかなか困難である。作品の解釈だけではない人生全体の理解にかかわっている。このようにそれぞれの価値観を浮かび上がらせるところまですすむ点が、この作品を授業で取り上げる上での魅力である。
(19)おわりに
これまでの授業の経験から考えると、エリート的価値観を持つ場合はマチルドの苦労を理解することができずマチルドを否定したり、または自分とはまったく関係のない人生とうけとってしまう。生活上の困難を抱えている生徒は、ストレートにマチルドを理解し共感したり最初は反感を抱いても最後には彼女を肯定するようになる。いずれにせよ『首飾り』はそれぞれの生活実感や価値観が表に出て授業が盛り上がる作品である。
モーパッサンの短編で、私たちが授業で取り上げて面白かった作品としては、『シモンのとうちゃん』(『シモンのパパ』)、『ジュール叔父』、『勲章(をもらった)』などです。これらについても順次アップしていきたいと考えています。その他のモーパッサンの作品を扱われた方があれば教えていただきたいと思っています。
(20) 参考 モーパッサン略年譜
1850年 ノルマンディーの港町ディェップに近いトゥルヴィル=シュール=アルク村で生まれる。モーパッサン家はロレーヌ地方の貴族の家柄で、十八世紀にノルマンディーに移りすんだ。母方の家はノルマンディーの旧家で、フローベール家と親しかった。バルザック死す。
1851年(1歳) ルイ=ナポレオンのクーデター。
1852年(2歳) 第2帝政の成立。
●フロベール『ボヴァリー夫人』(1857年)
1862年(12歳) 両親離婚。母ロールは2人の子供とともにエトルタのヴニルギー荘に住む。ユゴー『レ・ミゼラブル』
1863年(13歳) イヴトーの神学校に入学し、寄宿生になる。詩作をはじめる。
●ドストエフスキー『罪と罰』(1866年)
1867年(17歳) イヴトーの神学校を放校。一家は一時ルワンに移り住む。ルワンの詩人ルイ・ブイエを知り、自作の詩の批判を仰ぐ。その紹介でこの秋、はじめてフローベールと対面した。
1869年(19歳) パカローレア(大学入学資格試験)に合格。パリ大学法学部に入学手続き。
1870年(20歳) 7月、フランスがプロシャに開戦したので、遊動隊員として従軍する。12月、プロシャ軍ルワンに侵入、彼の軍隊も敗走。
1871年(21歳) 1月、普仏休戦協定成立。兵役を解除される。
1872年(22歳) 海軍省糧秣課の無給職員になる。以後1880年まで役所づとめがつづく。フローベールのパリ滞在中、毎日曜に詩の習作を見てもらう。
1873年(23歳) 海軍省の事務官になり、年俸千五百フランを受ける。友人ロベール・パンションらといっしょに劇作にはげむ。
1874年(24歳) フローペールの家で、ゾラ、ドーデ、ゴンクール兄弟等、当代の作家たちと知り合う。
1876年(26歳) サン・ジョルジュ街のゾラの家に招かれ、ユイスマンス、アンリ・セアール、レオン・エニックなど自然主義作家のグループと交わる。
●ゾラ『居酒屋』(1877年)、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』イプセン『人形の家』(1879年)
1880年(30歳) 1月、『脂肪の塊』の原稿をフローベールに送り賞讃の手紙をもらう。4月、ゾラの主宰により普仏戦争に取材した6人の短編小説集『メダン夜話』が刊行される。なかでも『脂肪の塊』は絶讃をあびモーパッサンの文名は一挙に高まる。
1881年(31歳) 最初の短編小説集『メゾン・テリエ』を刊行。この年、文部省を退職。
1882年(32歳) 5月、第二の短編小説集『フィフィ嬢』を刊行。
1883年(33歳) 長編小説『女の一生』完結。8ヵ月間に2万5千部という驚異的な売れゆきを示す。この頃から人気作家としてパリの上流社交界に出はいりする。
1884年(34歳) 短編小説集『月光』、『ロンドリ姉妹』、『ミス・ハリエット』を刊行。
1885年(35歳) 長編小説『ベラミ』を『ジル・プラス』紙に連載、刊行。ユゴー死す。
1886年(36歳) 長編小説『モントリオル』を『ジル・プラス』紙に掲載。
1888年(38歳) 長編小説『ピエールとジャン』、紀行『水の上』を出版。
1889年(39歳) 長編小説『死のごとく強し』出版。
1890年(40歳) 短編集『あだ花』を出版。
1893年(43歳) 7月6日、息をひきとる。7月8日、モンパルナス墓地に埋葬される。
なお、この略年譜は、『モーパッサンの生涯』(アルマン・ラヌー著、河盛好蔵・大島利治訳)及び『流星の人モーパッサン』大塚幸男著を参考にさせていただきました。