『舞姫』論


 はじめに

 森鴎外は現在の文学史において漱石と並ぶ文豪とされており、『舞姫』は日本近代文学の成立に決定的な役割を果たした作品と位置づけられている。また『舞姫』は高等学校の国語の教科書のほとんどに採用されており、鴎外の作品の中で最もよく知られている作品である。

 『舞姫』発表直後に石橋忍月と鴎外の論争が起こった。忍月は、豊太郎がエリスを捨てて帰国するという作品の流れが「支離滅裂」であると批判し、豊太郎は高い地位につく人間ではなく「ユングフロイリッヒカイト(処女性)」を重んじる人間であるとした。戦後もこの論争を継承してさまざまな評論が蓄積されてきた。佐藤春夫や平野謙を中心とする「近代的自我」の目覚めや挫折に関する論、これと対立する中野重治の論、70年代に入ってあらわれた山崎正和の『闘う家長』などがその代表である。最近の都市論に基づく解釈も同じ問題を前提している。この問題に関して国文学の研究者や学者の議論は基本的には出尽くしていると思われる。しかし我々は忍月と鴎外の論争に含まれている問題が解決されるには至っていないと考えている。

 批評家の間で豊太郎の苦悩が高く評価されているのに対して、一般の読者には優柔不断とか無責任という否定的感想が多いと思われる。特に豊太郎がエリスを発狂させ、相沢に「一点の恨み」を持つというラストシーンに後味の悪さが残ることも事実である。このような素朴な感想に対して豊太郎の才能を殺すべきではないという肯定的評価が対立している。

 エリスとの愛情に満ちた生活か、大臣の下で才能を活かすかという選択肢を前提すれば、豊太郎のように決定を下さないという特有の苦悩が生じる。双方の選択はそれぞれともに正当なものであり、どちらか一方を否定することは他方からの批判を生む。この同等の対立においてはいずれが正しいかを決定できない。我々は豊太郎を批判する一般読者の素朴な立場と豊太郎を擁護する批評家たちの立場の対立の意味を解明することが、この作品を理解する鍵だと考えている。

 我々は、豊太郎を道徳的に批判あるいは擁護する立場を越えるために議論を重ねてきた。この課題は思っていたより複雑で予想外の時間を費やしたが、残念ながらこの課題を解決するには至らなかった。むしろこの課題の重要性を理解できたことが成果であった。この作品が含む道徳性の矛盾の研究を今後の課題としていきたいと考えている。

 この研究は作品全体についての総括的結論に到達できなかったので、作品の流れに沿って細部についての具体的分析を重ねるという形式をとっている。本文の引用にあたっては読みやすさを第一に考え、表記に関しては高等学校の教科書を基準に原文を改変した。

 なお、この研究会の参加者は次のとおりです。

   〔近代文学研究会〕 
 小縣薫、桶野育司、都築景子、寺田昌雄、中澤徹也、長谷行洋、平井薫、松村直子、若林京子                        
                         1997年11月2日

 明治維新を果たした後、日本は西洋諸国から諸制度を早急に導入して近代的国家としての体制を作ることを課題としていた。近代化を遂行する官僚が多数求められ、留学生が西洋に派遣された。留学生は帰国後日本の資本主義的発展の基礎を築いた。同時に急激な発展による社会矛盾を激しく批判する者も現れた。

 『舞姫』の豊太郎はこの対立の部外者である。豊太郎は近代化を推し進めるエリートでも近代化の批判者でもなく、エリートから自然的に分離された落ちこぼれである。豊太郎にはそれが意識されていない。豊太郎は両者とは別の、両者を越えた批判意識を持つと考えている。
 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱灯の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にここに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。
 豊太郎は留学生の中で孤立している。豊太郎自身は孤立を留学生に対する優越と考えている。こうした観点から留学生たちはカルタやホテルでの外泊によって特徴づけられ、内省的思索的な豊太郎と、そうでない留学生たちという対比がなされている。ここには内省的感傷的傾向を高く評価する豊太郎の特徴が現れている。
 五年前のことなりしが、平生の望み足りて、洋行の官命をかうむり、このセイゴンの港まで来しころは、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新たならぬはなく、筆にまかせて書き記しつる紀行文、日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりて思へば、幼き思想、身のほど知らぬ放言、さらぬも尋常の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげに記ししを、心ある人はいかにか見けむ。
 以前、筆にまかせて書いた紀行文によって世間から高い評価を獲得したが、それは若い頃の話であり、今は世間にもてはやされることを誇るような未熟な精神を乗り越えたと考えている。豊太郎はこのような内省的成長を自分の価値としている。
 げに東に帰る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそはなほ心に飽き足らぬところも多かれ、浮世の憂きふしをも知りたり、人の心の頼み難きは言ふも更なり、我と我が心さへ変はりやすきをも悟り得たり。
 豊太郎は、「浮世の憂きふし」や「人の心は頼み難」いこと、「我と我が心さへ変はりやすき」ことを悟ったと言っている。このような心理や「ニル・アドミラリ」は優秀な人間が青春期を通過するときに獲得する、よくありがちな経験として挙げられている。彼はヨーロッパでの経験によってこのような認識を越えていることが示されている。
 ああ、ブリンヂイシイの港を出でてより、はや二十日余りを経ぬ。世の常ならば生面の客にさへ交はりを結びて、旅の憂さを慰め合ふが航海の習ひなるに、微恙にことよせて房の内にのみこもりて、同行の人々にも物言ふことの少なきは、人知らぬ恨みに頭のみ悩ましたればなり。この恨みは初め一抹の雲のごとく我が心をかすめて、スイスの山色をも見せず、イタリアの古跡にも心をとどめさせず、中ごろは世をいとひ、身をはかなみて、はらわた日ごとに九廻すともいふべき惨痛を我に負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳とのみなりたれど、書読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響きのごとく、限りなき懐旧の情を呼び起こして、幾たびとなく我が心を苦しむ。ああ、いかにしてかこの恨みを銷せむ。もしほかの恨みなりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すがすがしくもなりなむ。これのみはあまりに深く我が心に彫りつけられたれば、さはあらじと思へど、今宵は辺りに人もなし、房奴の来て電気線の鍵をひねるにはなほ程もあるべければ、いで、その概略を文につづりてみむ。
 豊太郎は自分の部屋に閉じこもり、「人知らぬ恨み」を抱いて周囲の景観に心を動かさない。彼の苦悩は、同行の人々に理解されない深い苦悩であるとされている。豊太郎は外界との接触を持たないことを内面化や思索の深まりとして評価している。一般的には内面に対する関心の深まりと外界に対する関心の深まりは一致する。豊太郎の場合は内面化が外界との接触を断ち切ることを意味しており、内面的な関心も瑣末になる。豊太郎の苦悩はいかにも感傷にふさわしく「一抹の雲」「腸日ごとに九回すともいふべき惨痛」「一点の影」「懐旧の情」等の大げさな言葉によって表現されている。
 余は幼きころより厳しき庭の訓を受けしかひに、父をば早く失ひつれど、学問の荒み衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でて予備黌に通ひし時も、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎といふ名はいつも一級の首に記されたりしに、独り子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりそのころまでにまたなき名誉なりと人にも言はれ、某省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三年ばかり、官長の覚え殊なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我が名を成さむも、我が家を興さむも、今ぞと思ふ心の勇み立ちて、五十を越えし母に別るるをもさまで悲しとは思はず、はるばると家を離れてベルリンの都に来ぬ。
 豊太郎はかつて首席、学士、官僚という経歴を誇りにし、名を揚げ家を興すという個人的成功を洋行の目的としていた。彼も個人的成功を収めようとするエリート意識を持っていた。豊太郎は成功によって母を田舎から呼び寄せたが、洋行に際しては母との別れをそれほど悲しい思わないほど決意は強かった。このように豊太郎は成功の大きさと決意の強さを母との関係で表現している。
 余は模糊たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、たちまちこのヨオロツパの新大都の中央に立てり。何らの光彩ぞ、我が目を射むとするは。何らの色沢ぞ、我が心を迷はさむとするは。(中略)されど我が胸には、たとひいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動かさじの誓ひありて、常に我を襲ふ外物を遮りとどめたりき。
 ベルリンの華やかさ、女の美しさ等々はドイツ近代国家の発展をあらわす現象である。豊太郎はベルリンの華やかさを「あだなる美観」と感じている。このことは、彼がベルリンの華やかさを外面的にとらえていることを示している。「あだなる美観」に注目するものが、「あだなる美観」に心を動かされまいという禁欲的意識を持つ。ベルリンに対して瑣末な関心を持つことと、禁欲的意識に価値を見いだすこととは一致している。
 かくて三年ばかりは夢のごとくにたちしが、時来れば包みても包み難きは人の好尚なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教へに従ひ、人の神童なりなどほむるがうれしさに怠らず学びし時より、官長のよき働き手を得たりと励ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、ただ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風にあたりたればにや、心の中なにとなく穏やかならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表に現れて、昨日までの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我が身の、今の世に雄飛すべき政治家になるにもよろしからず、またよく法典をそらんじて獄を断ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。
 余はひそかに思ふやう、我が母は余を生きたる辞書となさむとし、我が官長は余を生きたる法律となさむとやしけむ。辞書たらむはなほ堪ふべけれど、法律たらむは忍ぶべからず。今までは瑣々たる問題にも、極めて丁寧に答しつる余が、このころより官長に寄する文には、しきりに法制の細目にかかづらふべきにあらぬを論じて、ひとたび法の精神をだに得たらむには、紛々たる万事は破竹のごとくなるべしなどと広言しつ。また大学にては法科の講筵をよそにして、歴史・文学に心を寄せ、やうやく蔗を噛む境に入りぬ。
 官長はもと、心のままに用ゐるべき器械をこそ作らむとしたりけめ。独立の思想を抱きて、人並みならぬ面持ちしたる男をいかでか喜ぶべき。危ふきは余が当時の地位なりけり。されどこれのみにては、なほ我が地位を覆すに足らざりけむを、日ごろベルリンの留学生のうちにて、或る勢力ある一群れと余との間に、おもしろからぬ関係ありて、かの人々は余を猜疑し、またつひに余を讒誣するに至りぬ。されどこれとてもその故なくてやは。
 当時は先進国の知識の導入が必要でありエリートが多数必要とされた。しかしまだエリート養成の体制が整っておらず官僚になれるエリートは少数であった。語学ができるだけでも重要な価値を持った。その結果、留学生の中で、国家的課題に邁進する優秀なエリートと、具体的な政策能力を持たないエリートとの分化が生じる。豊太郎の「まことの我」の目覚めはこの分化の具体的過程を示している。

 豊太郎はエリートとして働いてきた今までの自分を父や母や官長の言いなりに動く「所動的」「器械的」人物だったと反省し「まことの我」に目覚めたと言っている。

 この時代には新しい国家の建設にたずさわることは、最も重要で困難な課題に取り組むことであった。能力を発揮することと、社会的に高い評価や地位を獲得することが一致する時代であった。この時代に国や社会のために働くことに束縛や疑問を感じるのは、大きな使命を理解せずに命令に従っていただけだったことを示している。豊太郎が「まことの我」を掲げることは、日本の近代化への貢献と対立している。

 豊太郎は自分のやって来た学問を、器械的に法律の細目にかかずらわるか、細目を否定して法の精神の獲得を目指すかにあると考え、法の精神を目指すという意欲において高度な思想問題を担当しうると考えている。豊太郎は自分の思想性を他の留学生の実務能力以上に評価している。豊太郎が自己の思想に一般的意義を感じ得るのは地位の力による。

 豊太郎は具体的な実務からかけ離れた抽象的な課題を掲げる。「一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹のごとくなるべし」という言葉は、具体的に法律に係わっていない者の法律・政治の認識であり、さらに学問一般に対して無知であることを示している。豊太郎が考えるような個別的問題と離れた一般的精神はない。豊太郎が細目の研究を軽んじたことは、彼が現在の具体的学問を嫌悪していること、あるいは学問に必要な労苦に耐え得ないこと、日本における近代法体制の整備という留学生の使命を全く理解していないことを意味している。これは法律や政治に対する無知ではなく、豊太郎の人間関係と関心の狭さによる認識能力の限界であり、克服しがたい無能である。この無能は歴史・文学の分野においても同様に現象する。

 小心で「所動的・器械的」な人間が突然大言壮語を放ち、「独立の思想を懐きて、人並みならぬ面持ち」をしていると思い始めるのはよくある現象である。落ちこぼれて孤立した状態を豊太郎は独立したと考える。独立の思想を形成して独立的に活動することと、独立の思想を懐いたと考えることは違う。対立しようという意志が対立を意味するわけではない。独立的な内容を持たない場合は独立を宣言したり、大言壮語を公言する等々の行動になる。この反省が所動的でなくなったことを意味しないことを理解できないのが所動的な人間の所動的たる所以である。
 かの人々は、余がともに麦酒の杯をもあげず、玉突きの棒をも取らぬを、かたくななる心と欲を制する力とに帰して、かつはあざけり、かつは嫉みたりけむ。されど、こは余を知らねばなり。ああ、この故よしは、我が身だに知らざりしを、いかでか人に知らるべき。わが心はかの合歓のいふ木の葉に似て、物触れば縮みて避けんとす。我が心は処女に似たり。余が幼きころより長者の教へを守りて、学びの道をたどりしも、仕への道を歩みしも、みな勇気ありてよくしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、みな自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、ただ一筋にたどりしのみ。よそに心の乱れざりしは、外物を捨てて顧みぬほどの勇気ありしにあらず、ただ外物に恐れて自ら我が手足を縛せしのみ。
 エリート内部で客観的に能力による分化が発展する。豊太郎はエリート留学生との対立を、誤解や讒誣などの個人と個人の関係、主観的で偶然的なものとして認識する。これは落ちこぼれに特有の自己肯定的な認識である。

 豊太郎にとって自分と他の留学生との決定的な違いは歓楽街で遊ぶか遊ばないかにあると考えられる。歓楽街に行くことに一般的意義を見出しているのは歓楽街に行く留学生ではなく、行かない豊太郎である。一般の留学生にとって歓楽街は彼らの生活の一部にすぎない。歓楽街で遊ばないことを勇気がないと評価し、歓楽街で遊ぶことを勇気ある行動だと評価することは、他の留学生との対立の本質を認識できず、対立点を歓楽街との関係に設定していることを示している。

 豊太郎は歓楽街に行かなかったことを自分の「本性」が臆病で小心で遊ぶ勇気がなかったからだと否定的に評価する。豊太郎の臆病という自己評価は、彼の高潔さとそれを誇らない謙虚さを示す効果があるとされている。歓楽街で遊ぶことは大胆さや能力を証明するものではないし、歓楽街で遊ばないことが臆病や小心を証明するものではない。しかし豊太郎のような観点から行かない者は、実際に臆病で小心で卑屈である。

 歓楽街に行かないことが留学生たちの「嘲り」や「妬み」を生んだとされている。関係が悪くなった原因が「嘲り」や「妬み」ならば責任は留学生にある。「嘲り」や「妬み」など、相手の下らない行為をあげつらった上でそれを弁護することは自己弁護と対立回避と中傷を同時に果たそうとするやり方である。豊太郎はこういうつまらない詮索が人間関係を展開させると考えている。

 「冤罪」を負うのに豊太郎に原因があってはならない。また同僚に原因があってもならない。しかし単なる誤解だけだと冤罪を負わせるまで豊太郎を追い詰めることになるのは不自然である。他の留学生との対立の形成を描く際に矛盾、無理が生じている。この無理は分離に対する豊太郎の認識の矛盾である。

 豊太郎は対立を解消、回避する形で彼らと一致しようとする。しかしこうした認識形態こそ留学生との精神的対立を客観的に意味している。豊太郎は国家的課題を実務的に果たす点において官僚との競争に勝つ能力はない。うぬぼれはあっても現実に基づく自信は持てず、無能特有の心理的不安定が生じ、瑣末な対立に敏感に反応する。官長や留学生からの孤立を地位に関する危機と感じるせこい保身的感覚が発達する。豊太郎は常に不安に晒され偶然に流されていく。

 「まことの我」は対立を辞さない独立的なイメージを与えたが、留学生との関係では対立はなかったという点で「弱き心」が出てくる。「まことの我」と「弱き心」は一見形式が対立している。形式だけで自我を評価すればここに矛盾が発見される。これは彼の内部に生ずる矛盾である。「まことの我」も「弱き心」も出世していくエリートインテリとの分離を反映している。自己の意志に基づくものとするか、対立の意志のない自然的なものとするか、エリートインテリからの分離を違った形で反映している。どちらも無能故に孤立したことを独自に自己肯定的に評価したものである。それぞれ無知に基づく蛮勇と、無能故の臆病に基づく対立の回避を示している。
 ある日の夕暮れなりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル・デン・リンデンを過ぎ、我がモンビシュウ街の僑居に帰らむと、クロステル巷の古寺の前に来ぬ。余はかの灯火の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷に入り、楼上の木欄に干したる敷布、襦袢などまだ取り入れぬ人家、頬髭長きユダヤ教徒の翁が戸前にたたずみたる居酒屋、一つの梯はただちに楼に達し、他は穴倉住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向かひて、凹字の形に引き込みて建てられたる、この三百年前の遺跡を望むごとに、心の恍惚となりてしばしたたずみしこと、幾たびなるを知らず。
 豊太郎は貧民街をうら悲しくさびれたものと感じ、感傷に耽っている。この感傷は社会性を失い狭い世界に満足する人間特有の感情であり、豊太郎はそれを全面的に肯定している。
 今この所を過ぎむとする時、閉ざしたる寺門の扉に依りて、声を呑みつつ泣く一人の少女あるを見たり。年は十六、七なるべし。かむりし巾を漏れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我が足音に驚かされて顧みたる面、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて、物問ひたげに憂ひを含める目の、半ば露を宿せる長きまつげに覆はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我が心の底までは徹したるか。
 彼は、はからぬ深き嘆きに遭ひて、前後を顧みるいとまなく、ここに立ちて泣くにや。我が臆病なる心は憐憫の情にうち勝たれて、余は覚えずそばに寄り、「何故に泣きたまふか。所に係累なき外人は、かへりて力を貸しやすきこともあらむ。」と言ひかけたるが、我れながら我が大胆なるにあきれたり。
 彼は驚きて我が黄なる面をうちまもりしが、我が真率なる心や色に現れたりけむ。「君はよき人なりと見ゆ。彼のごとくむごくはあらじ。また我が母のごとく。」しばし涸れたる涙の泉はまたあふれて、愛らしき頬を流れ落つ。
 「我を救ひたまへ、君。我が恥なき人とならむを。母は、我が彼のことばに従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一銭の貯へだになし。」あとは欷歔の声のみ。我が眼はこのうつ向きたる少女の震ふ項にのみ注がれたり。
 留学生の間で孤立した豊太郎は貧しく孤立した無力な少女との偶然の出会いを求めている。少女に対する「憐憫の情」が用心深い彼を思わず大胆にした。留学生が国家的使命に取り組んでいるのに対して、少女に個人的援助をするのが豊太郎の課題である。

 エリスは「恥なき人」となる危機に直面していた。父親の葬儀のために母親から身を売ることを強要されていた。エリスは父が死んで母と対立し他に頼る人もなく、ゆきずりの外国人に助けを求めるほどに孤立していた。

 エリスのこのような事情は豊太郎が解決できる問題として設定されている。エリスの直面している困難は葬儀代がないことである。豊太郎が与えることができる金額に見合う限定的で特殊な困難である。
彼は優れて美なり。乳のごとき色の顔は灯火に映じて微紅を潮したり。手足のか細くたをやかなるは、貧家の女に似ず。老媼の室を出でしあとにて、少女は少しなまりたることばにて言ふ。「許したまへ。君をここまで導きし心なさを。君はよき人なるべし。我をばよも憎みたまはじ。明日に迫るは父の葬、頼みに思ひしシャウムベルヒ、君は彼を知らでやおはさむ。彼はヴィクトリア座の座頭なり。彼が抱へとなりしより、はや二年なれば、事なく我らを助けむと思ひしに、人の憂ひにつけ込みて、身勝手なる言ひかけせむとは。我を救ひたまへ、君。金をば薄き給金をさきて返しまゐらせむ。よしや我が身は食らはずとも。それもならずば母のことばに。」彼は涙ぐみて身を震はせたり。その見上げたる目には、人を否とは言はせぬ媚態あり。この目の働きは知りてするにや、また自らは知らぬにや。
 我が隠しには二、三「マルク」の銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、余は時計をはづして机の上に置きぬ。「これにて一時の急をしのぎたまへ。質屋の使ひの、モンビシュウ街三番地にて太田と尋ね来むをりには価を取らすべきに。」
 少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辞別のために出だしたる手を唇に当てたるが、はらはらと落つる熱き涙を我が手の背に注ぎつ。
 豊太郎はエリスに時計を与えることによって関係を形成する。豊太郎の美徳が座長との区別で描写されている。「憂ひにつけこんで身勝手なる言ひかけ」をする座長と違って豊太郎は援助の見返りをいっさい考えていない。恩を着せないことが豊太郎の人格の高さを示すとされている。

 代償を要求しない豊太郎に対してエリスは涙を流して感謝する。小金の代償としてエリスは心の独立性を放棄している。エリスはこのような関係を屈辱と感じる自尊心を持たない。豊太郎が人格的であることとエリスの全面的な依存が対応している。このような関係が高度な人間関係と考えられている。

 同情心が実際の関係を形成する梃子は金である。同情と感謝に基づく道徳的な人間関係は僅かな金を媒介にしている。エリスの困難は葬儀代がないことによる道徳的な危機である。豊太郎はその危機からエリスを救い、代償を求めない。それに対してエリスが深い感謝を捧げる。豊太郎の援助ではエリスの貧しい状況は変わらない。これは僅かな金を媒介とした人間関係の特徴である。

 豊太郎はわずかな金でエリスを義理で縛り精神的に従属させている。豊太郎とエリスの描き方は鴎外が貧乏人の精神より金の援助を高く評価していることを示している。
 ああ、なんらの悪因ぞ。この恩を謝せんとて、自ら我が僑居に来し少女は、ショウペンハウエルを右にし、シルレルを左にして、終日兀座する読書の窓下に、一輪の名花を咲かせてけり。この時を始として、余と少女との交はり漸く繁くなりもて行きて、同郷人にさへ知られぬれば、彼らは速了にも、余をもて色を舞姫の群れに漁するものとしたり。我ら二人の間には、まだ痴がいなる歓楽のみ存したりしを。
 他の留学生がエリスとの関係を漁色と誤解し告げ口したこと、官長が「学問の岐路」に走る豊太郎を憎んでいたことが免職の原因となっている。このような誤解や個人的対立によって莫大な国費が費やされている留学生が免職にされている。

 免職について豊太郎に非難されるべき弱点はない。豊太郎は誤解や讒誣に抗議せずに免職を受け入れている。豊太郎に責任のない誤解による免職という設定は後の復帰を予定している。


 余とエリスとの交際は、この時までは、よそ目に見るより清白なりき。彼は父の貧しきがために、十分なる教育を受けず、十五の時舞の師の募りに応じて、この恥づかしき業を教へられ、クルズス果てて後、ヴィクトリア座に出でて、今は場中第二の地位を占めたり。されど詩人ハックレンデルが当世の奴隷と言ひしごとく、はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にてつながれ、昼の温習、夜の舞台と厳しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をもまとへ、場外にては独り身の衣食も足らずがちなれば、親はらからを養ふものはその辛苦いかにぞや。されば、彼らの仲間にて、卑しき限りなる業に落ちぬはまれなりとぞいふなる。エリスがこれを逃れしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とによりてなり。彼は幼き時より物読むことをばさすがに好みしかど、手に入るは卑しきコルポルタアジュと唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、余と相知るころより、余が貸しつる書を読みならひて、やうやく趣味をも知り、ことばのなまりをも正し、いくほどもなく余に寄する文にも誤り字少なくなりぬ。かかれば余ら二人の間には、まづ師弟の交はりを生じたるなりき。
 豊太郎は舞姫の生活の特徴として薄給や売春を描いている。舞姫の仕事や売春を「恥づかしき業」「卑しき限りなる業」とし、貧しい娘が陥りやすい堕落と考えている。「当世の奴隷」と言われる舞姫の境遇に「その辛苦いかにぞや」と同情をよせている。自己の社会的、道徳的優位を確信した上での彼の同情の中には貧しい生活や低い地位に対する軽蔑が表れている。

 舞姫に関する記述には、舞姫の実際の姿ではなく豊太郎の価値観が反映している。舞姫や貧乏人一般に対する鴎外の偏見の対立像として、豊太郎にふさわしい道徳性を備えているのがエリスである。

 売春は貧しい娘が道徳性に欠けるために生じる堕落であり、エリスは「おとなしき性質と、剛気ある父の守護とによりて」売春を免れてきたとされている。エリスは他の舞姫とは違って、堅固な道徳性を持ち読書を好むという豊太郎の価値観に対応した特別な資質を持っている。豊太郎は彼女に趣味を教え、なまりや誤字脱字を直してやるという「師弟の交はり」を結ぶ。教養を与え誤字脱字と訛りを直すことが下層の人間を引き上げ高度な人間関係をつくるものと考えられている。
 公使に約せし日も近づき、我が命は迫りぬ。このままにて郷に帰らば学成らずして汚名を負ひたる身の浮かぶ瀬あらじ。さればとてとどまらむには学資を得べき手だてなし。この時余を助けしは、今我が同行の一人なる相沢謙吉なり。彼は東京にありて、既に天方伯の秘書官なりしが、余が免官の官報に出でしを見て、某新聞紙の編集長に説きて、余を社の通信員となし、ベルリンにとどまりて政治学芸の事などを報道せしむることとなしつ。
社の報酬はいふに足らぬほどなれど、すみかをも移し、午餐に行く食店をもかへたらむには、かすかなる暮らしは立つべし。とかう思案するほどに、心の誠を現して、助けの綱を我に投げかけしはエリスなりき。彼はいかに母を説き動かしけむ、余は彼ら親子の家に寄寓することとなり、エリスと余はいつよりとはなしに、有るか無きかの収入を合はせて、憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ。
 豊太郎は相沢の助けによってドイツに留まる手段を得る。相沢のような友人がおり通信員の仕事を得るのは、豊太郎の高い地位を示している。

 豊太郎は留学生と離れて独自の道をたどり始める。エリスの助けで住居を得ることもできた。エリスの母に対する説得は「いかに母をとき動かしけん」ですまされている。豊太郎には経済的にも人間関係上も困難が生じない展開になっている。「憂きがなかにも楽しき月日」という表現には、困難を知らない者の自分は困難を経験しているという思い込みが表れている。
 朝の珈琲果つれば、彼は温習に行き、さらぬ日には家にとどまりて、余はキョオニヒ街の間口狭く奥行きのみいと長き休息所に赴き、あらゆる新聞を読み、鉛筆取り出でてかれこれと材料を集む。この切り開きたる引き窓より光を採れる室にて、定まりたる業なき若人、多くもあらぬ金を人に貸しておのれは遊び暮らす老人、取引所の業の暇をぬすみて足を休むる商人などと臂を並べ、冷ややかなる石卓の上にて、忙はしげに筆を走らせ、小女が持て来る一盞の珈琲の冷むるをも顧みず、空きたる新聞の細長き板切れに挿みたるを、幾種となく掛け連ねたるかたへの壁に、幾たびとなく行き来する日本人を、知らぬ人は何とか見けむ。また一時近くなるほどに、温習に行きたる日には帰り路によぎりて、余とともに店を立ち出づる、この常ならず軽き、掌上の舞をもなし得つべき少女を、怪しみ見送る人もありしなるべし。
 豊太郎の熱心な仕事ぶりが休息所の人々との対比で描写されている。「定まりたる業なき若人」「多くもあらぬ金を人に貸しておのれは遊び暮らす老人」「取引所の業の暇をぬすみて足を休むる商人」などに囲まれて、豊太郎は「あらゆる新聞を読み」「忙はしげに筆を走らせ」ている。周囲の人々は豊太郎の仕事ぶりを際立たせる対比としてのみ描写されている。

 豊太郎は自分の姿が人にどう見られているかを強く意識している。記事の材料を求めて新聞に没頭するという豊太郎の姿は注目を集め、そこへエリスが迎えに来ることでさらに目立ったことだろうと考えられている。彼の学問的情熱は忙しそうな態度やコーヒーの冷め具合によって表現されている。実際には勉強をしていない者が自分は学問をしているということを想像する時にこのような内容になる。
 我が学問は荒みぬ。屋根裏の一灯かすかに燃えて、エリスが劇場より帰りて、椅子に寄りて縫い物などするそばの机にて、余は新聞の原稿を書けり。昔の法令条目の枯れ葉を紙上にかき寄せしとは異にて、今は活発々たる政界の運動、文学、美術に係はる新現象の批評など、かれこれと結び合はせて、力の及ばむ限り、ビョルネよりはむしろハイネを学びて思ひを構へ、様々の文を作りし中にも、引き続きてヴィルヘルム一世とフリードリッヒ三世との崩ソありて、新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何などのことにつきては、ことさらに詳らかなる報告をなしき。されば、このころよりは思ひしよりも忙はしくして、多くもあらぬ蔵書をひもとき、旧業を尋ぬることも難く、大学の籍はまだ削られねど、謝金を納むることも難ければ、ただ一つにしたる講筵だに行きて聴くことはまれなりき。
 我が学問は荒みぬ。されど余は別に一種の見識を長じき。そをいかにといふに、およそ民間学の流布したることは、欧州諸国の間にてドイツにしくはなからむ。幾百種の新聞雑誌に散見する議論には、すこぶる高尚なるも多きを、余は通信員となりし日より、かつて大学にしげく通ひしをり、養ひ得たる一隻の眼孔もて、読みてはまた読み、写してはまた写すほどに、今まで一筋の道をのみ走りし知識は、おのづから総括的になりて、同郷の留学生などのおほかたは、夢にも知らぬ境地に至りぬ。彼らの仲間にはドイツ新聞の社説をだによくはえ読まぬがあるに。
 免官後の記者生活で留学生とは違う新たな見識を獲得したことが強調されている。この見識に内容はない。ベルネやハイネの名前を引用したり、「力の及ばむ限り」、「読みてはまた読み」、「写してはまた写す」、「夢にも知らぬ境地」、「総括的」などの形式的な描写に終始している。社説を読みこなす語学力を持つことが高く評価されると考えている。語学力は留学生にとって必要な能力であるが、それは留学生としての仕事をこなす手段としてである。仕事の内容と無関係に語学力だけを取り上げ堪能ぶりを誇ることは語学にしか能力のない者の情けない自慢話である。
 明治二十一年の冬は来にけり。表町の人道にてこそ砂をも撒け、スキをも揮へ、クロステル街の辺りは凸凹坎カの所は見ゆめれど、表のみは一面に凍りて、朝に戸を開けば、飢ゑ凍えしすずめの落ちて死にたるも哀れなり。室を暖め、かまどに火をたきつけても、壁の石を透し、衣の綿をうがつ北ヨオロッパの寒さは、なかなかに堪へ難かり。
 エリスは二、三日前の夜、舞台にて卒倒しつとて、人に助けられて帰り来しが、それより心地悪しとて休み、もの食ふごとに吐くを、悪阻といふものならむと初めて心づきしは母なりき。ああ、さらぬだにおぼつかなきは我が身の行く末なるに、もしまことなりせば、いかにせまし。
 今日は日曜なれば家にあれど、心は楽しからず。エリスは床に臥すほどにはあらねど、小さき鉄炉の畔に椅子さし寄せて言葉寡し。
 この時戸口に人の声して、程なく庖廚にありしエリスが母は、郵便の書状を持て来て余に渡しつ。見れば見覚えある相沢が手なるに、郵便切手プロシアのものにて、消印にはベルリンとあり。いぶかりつつも開きて読めば、とみの事にてあらかじめ知らするに由なかりしが、昨夜ここに着せられし天方大臣に付きて我も来たり。伯のなんぢを見まほしとのたまふに、疾く来よ。なんぢが名誉を回復するもこの時にあるべきぞ。心のみ急がれて用事をのみ言ひやる、となり。読み終はりて茫然たる面持ちを見て、エリス言ふ。「故郷よりの文なりや。悪しき便りにてはよも。」彼は例の新聞社の報酬に関する書状と思ひしならむ。「否、心になかけそ。御身も名を知る相沢が、大臣とともにここに来て我を呼ぶなり。急ぐと言へば今よりこそ。」
 エリスが妊娠した時に相沢の手紙が届く。妊娠と同時に出世の糸口が生じ、二人を結び付ける要因と二人を引き裂く要因が同時に展開しはじめる。これは小説の劇的効果、悲劇性を高めようとした設定である。

 相沢は豊太郎が現在名誉を失っていると評価している。手紙には、相沢が豊太郎に大臣との関係で名誉を回復する機会を与えようとしていることが書かれている。豊太郎は切手の消印を見て「いぶか」ったり、突然の呼び出しに「茫然たる面持ち」になったりするばかりで、地位を回復する機会が訪れていることを意識していない。
 かはゆき独り子を出だしやる母も、かくは心を用ゐじ。大臣にまみえもやせむと思へばならむ、エリスは病をつとめて立ち、上襦袢も極めて白きを選び、丁寧にしまひおきしゲエロックといふ二列ボタンの服を出して着せ、襟飾りさへ余がために手づから結びつ。「これにて見苦しとは誰もえ言はじ。我が鏡に向きて見たまへ。何故にかく不興なる面持ちを見せたまふか。我ももろともに行かまほしきを。」少し容を改めて。「否、かく衣を改めたまふを見れば、なにとなく我が豊太郎の君とは見えず。」また少し考へて。「よしや富貴になりたまふ日はありとも、我をば見捨てたまはじ。我が病は母ののたまふごとくならずとも。」
 「なに、富貴。」余は微笑しつ。「政治社会などに出でむの望みは絶ちしより幾年をか経ぬるを。大臣は見たくもなし。ただ年久しく別れたりし友にこそ会ひには行け。」エリスが母の呼びし一等ドロシュケは、輪下にきしる雪道を窓の下まで来ぬ。余は手袋をはめ、少し汚れたる外套を背に被ひて手をば通さず、帽を取りてエリスに接吻して楼を下りつ。彼は凍れる窓を開け、乱れし髪を朔風に吹かせて、余が乗りし車を見送りぬ。
 エリスは豊太郎が立派に見えるのを喜んでいるのに対して、豊太郎は不興な面持ちであるとされている。ここでのエリスと豊太郎の対比は、豊太郎が富貴に関心を持たないことを示すものである。豊太郎は「何富貴」と出世に対する無欲さを表明している。豊太郎は出世に無関心ながら、相沢や大臣に会うことを拒否したりはしない。大臣に会いに行くのではなく相沢に会いに行くのであると説明する。豊太郎は相沢や大臣と会うことで出世の可能性が生じた時、積極的な欲望を持たない。これは豊太郎の心理の大きな特徴である。

豊太郎は友達から手紙が来たり、友達に会いにいくことが出世の可能性を生じさせる立場にある。豊太郎が立派に見えるほど、エリスの不安が強まるのが彼らの関係である。

 少し汚れた外套を背におおって、一等ドロシュケに乗り込む豊太郎は颯爽としている。ここは本来の彼の能力に相応しい世界に戻る場面として描かれている。エリスとの生活の描写にはなかった緊張感がある。エリスが豊太郎を見送る場面には二人の分離が描写されている。
 余が車を降りしはカイゼルホオフの入り口。門者に秘書官相沢が室の番号を問ひて、久しく踏み慣れぬ大理石の階を上り、中央の柱にプリュッシュを覆へるゾファを据ゑつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。外套をばここにて脱ぎ、廊を伝ひて室の前まで行きしが、余は少し踟チウしたり。同じく大学にありし日に、余が品行の方正なるを激賞したる相沢が、今日はいかなる面持ちして出で迎ふらむ。室に入りて相対して見れば、形こそ旧に比ぶれば肥えてたくましくなりたれ、依然たる快活の気象、我が失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。
 相沢が待つカイゼルホーフの華やかな雰囲気が描かれている。豊太郎は大理石の階段、堂々とした柱、プリュッシュを覆ったソファー、大きな鏡など表面的な華やかさに注目している。これらの描写には彼が実際の政治の世界の矛盾を知らないことが現れている。

 この華やかな世界はエリスとの生活とは対照的な世界である。カイゼルホーフに入っていく豊太郎の高揚した心理が描かれている。エリスが危惧したように、豊太郎がエリスの世界から離れていく人物であるということが示されている。

 余が胸臆を開いて物語し不幸なる閲暦を聞きて、彼はしばしば驚きしが、なかなかに余を責めむとはせず、かへりて他の凡庸なる諸生輩をののしりき。されど物語の終はりし時、彼は色を正していさむるやう、この一段のことは、もと生まれながらなる弱き心より出でしなれば、いまさらに言はむもかひなし。とはいへ、学識あり、才能ある者が、いつまでか一少女の情にかかづらひて、目的なき生活をなすべき。今は天方伯も、ただドイツ語を利用せむとの心のみなり。おのれもまた、伯が当時の免官の理由を知れるが故に、強ひてその成心を動かさむとはせず、伯が心中にて曲庇者なりなんど思はれむは、朋友に利なく、おのれに損あればなり。人を薦むるは、まづその能を示すにしかず。これを示して伯の信用を求めよ。またかの少女との関係は、よしや彼に誠ありとも、よしや情交は深くなりぬとも、人材を知りての恋にあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交はりなり。意を決して断て、と。これ、その言のおほむねなりき。
 相沢はもともと品行方正の点で豊太郎を激賞していた。彼は豊太郎を学識と才能をもつ人物として評価している。相沢は、エリスとの関係を「人材を知りての恋」ではないと批判する。エリスがいかに豊太郎を愛していても豊太郎の才能を理解することも生かすこともできない、そのような恋愛にこだわって自分の才能を殺すような「目的なき生活」をすべきでないと説得する。彼は豊太郎の才能は天方との関係で生かされるものだと考え、エリスとの関係さえ解消すれば名誉回復は可能であると保証している。エリスと別れるべきだということが相沢の考え方としてはっきり示されている。
 大洋に舵を失ひし舟人が、はるかなる山を望むごときは、相沢が余に示したる前途の方針なり。されどこの山はなほ重霧の間にありて、いつ行き着かむも、否果たして行き着きぬとも、我が中心に満足を与へむも定かならず。貧しきが中にも、楽しきは今の生活、捨て難きはエリスが愛。我が弱き心には思ひ定めむ由なかりしが、しばらく友の言に従ひて、この情縁を断たむと約しき。余は守るところを失はじと思ひて、おのれに敵するものには抗抵すれども、友に対しては否とはえ答へぬが常なり。
 別れて出づれば風面を打てり。二重の玻璃窓を厳しく閉ざして、大いなる陶炉に火をたきたるホテルの食堂を出でしなれば、薄き外套を透る午後四時の寒さはことさらに堪へ難く、膚粟立つとともに、余は心の中に一種の寒さを覚えき。
 相沢が示した選択肢では、社会に対して大きな使命を果たすことと、エリスとの愛情に満ちた生活とが対立させられている。才能か愛情かという選択肢においては、才能を生かすことは愛情を失うことであり、愛情に生きるとは才能を殺すことである。これらはどちらか一方を選べば同等に重要なもう一方を失うことになる、二律背反の選択肢である。

 この選択肢において相沢は才能を選ぶべきだと主張した。豊太郎はこの選択肢のどちらを選ぶべきか思い悩んでいる。豊太郎は「捨てがたきはエリスが愛」「弱き心には思い定めむ由なかりし」と決定を下すことができない。豊太郎の悩みも相沢の立てた選択肢を前提としており、二人の間に選択肢の内容についての対立はない。一方を選ぶか、どちらも選べないかの違いは選択肢内部の対立である。

このような選択肢を受け入れた場合、友達には否とは言えない性格だというちょっとした事情でつい別れると約束するという展開が自然な流れとなる。
 ひと月ばかり過ぎて、ある日、伯は突然我に向かひて、「余は明旦、ロシアに向かひて出発すべし。従ひて来べきか。」と問ふ。余は数日間、かの公務にいとまなき相沢を見ざりしかば、この問ひは不意に余を驚かしつ。「いかで命に従はざらむ。」余は我が恥を表さむ。この答へはいち早く決断して言ひしにあらず。余はおのれが信じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問はれたるときは、咄嗟の間、その答への範囲をよくも測らず、ただちにうべなふことあり。さてうべなひし上にて、そのなし難きに心づきても、強ひて当時の心虚なりしを覆ひ隠し、耐忍してこれを実行することしばしばなり。
豊太郎は自分が信じている人から突然頼まれたので、よく考えずに返事してしまったと反省している。ロシア行きに同意することは大臣との関係が深まり、事態がエリスと分離する方向に大きく動くことを意味している。明確に意識せずに相沢や大臣の要請を受け入れることが常にエリスとの分離に向かう契機になる。彼らの客観的な関係は分離に向かっており、ちょっとしたきっかけで分離が促進される。
 露国行きにつきては、何事をか叙すべき。我が舌人たる任務は、たちまち余を拉し去りて、青雲の上に落としたり。余が大臣の一行に従ひて、ペエテルブルクにありし間に余を囲繞せしは、パリ絶頂の驕奢を氷雪のうちに移したる王城の装飾、ことさらに黄蝋の燭を幾つともなくともしたるに、幾星の勲章、幾枝のエポレットが映射する光、彫鏤の巧みを尽くしたるカミンの火に寒さを忘れて使ふ官女の扇のひらめきなどにて、この間、フランス語を最も円滑に使ふものは我なるが故に、賓主の間に周旋して事を弁ずるものもまた多くは余なりき。この間余はエリスを忘れざりき。否、彼は日ごとに書を寄せしかばえ忘れざりき。余が立ちし日には、いつになく独りにて灯火に向かはんことの心憂さに、知る人のもとにて夜に入るまでもの語りし、疲るるを待ちて家にかえり、直ちにいねつ。次の朝目ざめし時は、なほ独りあとに残りしことを夢にはあらずやと思ひぬ。起き出でし時の心細さ、かかる思ひをば、生計に苦しみて、けふの日の食なかりし折にもせざりき。これが彼が第一の書のあらましなり。
宮廷の華やかさとその中で語学を駆使する豊太郎の活躍が描かれている。豊太郎が上流社会で注目され評価されることは、エリスとの分離が進むことを示している。この分離はエリスの不安として描かれている。そうした状況の中で豊太郎は分離を意識せず、エリスに対する愛情はむしろ深まっている。
文をば否といふ字にて起こしたり。否、君を思ふ心の深き底をば今ぞ知りぬる。君はふるさとに頼もしき族なしとのたまへば、この地によき世渡りの生計あらば、とどまりたまはぬことやはある。また我が愛もてつなぎ留めではやまじ。それもかなはで東に帰りたまはむとならば、親とともに行かむはやすけれど、かほどに多き路用をいづくよりか得む。いかなる業をなしてもこの地にとどまりて、君が世に出でたまはむ日をこそ待ためと常には思ひしが、しばしの旅とて立ち出でたまひしよりこの二十日ばかり、別離の思ひは日にけに茂りゆくのみ。たもとを分かつはただ一瞬の苦艱なりと思ひしは迷ひなりけり。我が身の常ならぬがやうやくにしるくなれる、それさへあるに、よしやいかなることありとも、我をばゆめな捨てたまひそ。母とはいたく争ひぬ。されど我が身の過ぎしころには似で思ひ定めたるを見て心折れぬ。我が東に行かむ日には、ステッチンわたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せむとぞ言ふなる。書き送りたまひしごとく、大臣の君に重く用ゐられたまへば、我が路用の金はともかくもなりなむ。今はひたすら、君がベルリンに帰りたまはむ日を待つのみ。
 豊太郎のロシア行きはエリスにとって一時も離れられない愛情の深さを悟る機会となった。エリスは豊太郎に帰国の可能性が生じたことに気づき、自分がついていくために方策を立てている。

 豊太郎が社交界で活躍する能力をもち、自分に不似合いなくらい立派であることが、エリスの愛情を増すと同時に不安を感じさせる。豊太郎とエリスの分離の危機は進んでおり、それが愛情が盛り上がる契機になっている。
 ああ、余はこの文を見て、初めて我が地位を明視し得たり。恥づかしきは我が鈍き心なり。余は我が身一つの進退につきても、また我が身にかかはらぬ他人のことにつきても、決断ありと自ら心に誇りしが、この決断は順境にのみありて、逆境にはあらず。我と人との関係を照らさむとする時は、頼みし胸中の鏡は曇りたり。
 大臣は既に我に厚し。されどわが近眼はただおのれが尽くしたる職分をのみ見き。余はこれに未来の望みをつなぐことには、神も知るらむ、絶えて想ひいたらざりき。されど今ここに心づきて、我が心はなほ冷然たりしか。先に友の勧めしときは、大臣の信用は屋上の禽のごとくなりしが、今はややこれを得たるかと思はるるに、相沢がこのごろの言葉の端に、本国に帰りて後もともにかくてあらば云々といひしは、大臣のかくのたまひしを、友ながらも公事なれば明らかには告げざりしか。今更おもへば、余が軽率にも彼に向かひてエリスとの関係を絶たんといひしを、早く大臣に告げやしけん。
 エリスの手紙を読んで豊太郎は大臣への信頼とエリスへの愛情が両立しないことを意識する。豊太郎は任された仕事を忠実にこなしただけで、天方との関係に未来の望みをつなぐことなどまったく考えていなかった。豊太郎は相沢の言葉の背後にある天方の意志に思い至らなかったとされている。 

 エリスとの場末の生活から宮廷での活躍という大きな運命の変化を認識できないことは現実にはあり得ないことである。これを小説の想定として受け入れるならば、豊太郎はあまりにも無能な人間である。

 事態が帰国という大きな問題に発展したことを、豊太郎は自分の軽率さが原因ではないかと悩んでいる。実際には免官の経緯から相沢や天方との人間関係など、これまでの豊太郎をめぐる状況全体が帰国への流れを生み出している。その中で口約束自体は些細な問題である。「大臣は既に我に厚し」という状況にありながら、軽い口約束だけにこだわって反省するのが豊太郎の特徴である。
 ああ、ドイツに来し初めに、自ら我が本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の、しばし羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の糸は解くに由なし。先にこれをあやつりしは、我が某省の官長にて、今はこの糸、あな哀れ、天方伯の手中にあり。
ここで豊太郎は初めて大臣との関係を反省している。大臣との関係は拘束と意識されており、気づかぬままに拘束されてしまったという心理が強調されている。天方による拘束とは天方に認められ、高い地位で働くことを余儀なくされたことである。

 このような嘆きは、出世をのぞむ、しかも他人から出世を強制されるという形で出世をのぞむ人間の意識形態である。能力がなく競争をおそれ、端的に出世を望めない人間の心理の特徴である。大臣との関係が深まったことを不自由と嘆くのは、豊太郎に特有の満足の表明の方法である。豊太郎はここで自分が出世してしまったこと、出世からのがれられないことをしみじみと感じている。
 車はクロステル街に曲がりて、家の入り口に駐まりぬ。この時窓を開く音せしが、車よりは見えず。馭丁にカバンを持たせて梯を上らむとするほどに、エリスの梯を駆け下るに会ひぬ。彼が一声叫びて我が項を抱きしを見て、馭丁はあきれたる面持ちにて、何やら髭のうちにて言ひしが聞こえず。「よくぞ帰り来たまひし。帰り来たまはずは我が命は絶えなむを。
 ロシアに行ったことで大臣との関係が深まり、二人は自分たちが引き離されるかもしれないという危機感をもった。二人の愛情はさらに深まり、再会の場面ではすべてを忘れてロマンチックな愛情に浸っている。選択肢においては栄達と愛情とは対立する。その対立の中でエリスに対する愛情が深まり、栄達は忘れさられている。
 二、三日の間は大臣をも、旅の疲れやはおはさむとて、あへて訪はず、家にのみこもりをりしが、ある日の夕暮れ、使ひして招かれぬ。往きて見れば待遇殊にめでたく、ロシア行きの労を問い慰めて後、我とともに東に帰る心なきか、君が学問こそ我が測り知るところならね、語学のみにて世の用には足りなむ、滞留のあまりに久しければ、様々の係累もやあらむ、と相沢に問ひしに、さることなしと聞きて、おちゐたり、とのたまふ。その気色、いなむべくもあらず。あなやと思ひしが、さすがに相沢の言を偽りなりとも言ひ難きに、もしこの手にしもすがらずば、本国をも失ひ、名誉を引き返さむ道をも絶ち、身はこの広漠たる欧州大都の人の海に葬られむかと思ふ念、心頭を突いて起これり。ああ、なんらの特操なき心ぞ、「承りはべり。」と答へたるは。
 豊太郎は大臣から帰国の誘いを受けた。ここでは「様々な係累もやあらむ」という大臣の言葉にはエリスとの関係が含まれている。エリスとの関係をとるか、大臣の要請に従うかが問われている。この時彼は大臣の要請を承知しなければ、故郷を失い、名誉を挽回する機会を失ってしまうと考え承諾する。大臣の要請を受け入れることを肯定的に意識するとはエリスとの関係を放棄することを意味している。

 これまでは才能か愛情かという選択肢が問題になっていた。ここでは大臣の評価を受け入れ帰国することは名誉を回復することであり、大臣の評価を受け入れないことは故郷を失い汚名をきたまま「広漠たる欧州大都の人の海に葬られ」ることとされている。このような選択肢の中では大臣の要請を受け入れることは当然肯定される。この時エリスとの関係については判断されていない。この承諾がエリスを捨てることになることが選択肢から消えている。

 豊太郎はエリスとの関係をどうするかという判断をせずに相沢や大臣の要請を受け入れている。ここでの特操なき性格についての豊太郎の反省はエリスとの関係ではなく大臣の要請をつい承知してしまったことにすりかわっている。

 このように様々に変化する選択肢全体は豊太郎に特有の苦悩を生み出している。誰にでもこの選択肢があるのではない。正確には誰にもない。実力で出世をつかむことのできる人間には、この選択は問題にならない。出世の可能性のない人間にもこの選択は問題にならない。天方との関係で社会的に活動するか、エリスとの関係で個別的な生活に入るかという選択肢を設定してその選択肢に苦悩するのは、中間的な立場に規定された特有の意識である。実力で出世できず、たなぼた式の出世を望む人間に特有の選択肢であり、競争を避けて出世を手に入れたいという日本的な出世志向の一つの典型である。豊太郎は出世ための競争を恐れる臆病な人間である。
 鉄の額はありとも、帰りてエリスに何とか言はむ。ホテルを出でし時の我が心の錯乱は、たとへむに物なかりき。余は道の東西をも分かず、思ひに沈みて行くほどに、行き会ふ馬車の馭丁に幾たびか叱せられ、驚きて飛びのきつ。
 (中略)足の運びのはかどらねば、クロステル街まで来し時は、半夜をや過ぎたりけむ。ここまで来し道をばいかに歩みしか知らず。一月上旬の夜なれば、ウンテル・デン・リンデンの酒家・茶店はなほ人の出入り盛りにて、にぎはしかりしならめど、ふつに覚えず。我が胸中にはただただ、我は許すべからぬ罪人なりと思ふ心のみ満ち満ちたりき。
 大臣や相沢の要請を承諾することはエリスとの別れを承諾したことを含んでいる。豊太郎は大臣の要請を承諾したことが結果としてエリスとの別離をもたらすことになったことを「許すべからぬ罪人」と感じ苦悩する。

 この苦悩は別れることになった結果に対してであり、豊太郎がエリスが別れることになった具体的な行動自体を反省しているわけではない。しかも彼の行動は自分の才能を生かすという側面から認識されている。そのこと自体は一般に罪とすることはできない。このように具体的にはすべて弁明しておきながら結果に対して罪を認め苦悩するのが豊太郎の特徴である。

 このように具体的な罪を否定しておきながら、「許すべからぬ罪人」と苦悩する点に豊太郎に特徴的な誠実さがある。具体的な罪を認めない誠実さは具体的には何の対処もしないという特徴を持っている。苦悩し錯乱するということは苦悩の深さを意味するのではなく、何も対処する意志もなく、作品としては対処できない状況が設定されていることを意味している。豊太郎の誠実さは何らかの対策をする者に比べるとまったく価値のない誠実さである。豊太郎はエリスを心の底から純粋に愛している。豊太郎の道徳性、純粋性とは何も認識せず対処をしないということである。
 机に寄りて襁褓縫ひたりしエリスは振り返りて、「あ。」と叫びぬ。「いかにかしたまひし。御身の姿は。」驚きしもうべなりけり。蒼然として死人に等しき我が面色、帽をばいつの間にか失ひ、髪はおどろと乱れて、幾たびか道にてつまづき倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪に汚れ、ところどころは裂けたれば。余は答へむとすれど声出でず、膝のしきりにをののかれて立つに堪へねば、椅子をつかまむとせしまでは覚えしが、そのままに地に倒れぬ。
人事を知るほどになりしは数週の後なりき。熱激しくてうはことのみ言ひしを、エリスが懇にみとるほどに、ある日、相沢は尋ね来て、余が彼に隠したる顛末をつばらに知りて、大臣には病のことのみ告げ、よきやうに繕ひおきしなり。余は初めて、病床に侍するエリスを見て、その変はりたる姿に驚きぬ。彼はこの数週のうちにいたくやせて、血走りし目はくぼみ、灰色の頬は落ちたり。相沢の助けにて日々の生計には窮せざりしが、この恩人は彼を精神的に殺ししなり。
後に聞けば、彼は相沢に会ひし時、余が相沢に与へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞こえ上げし一諾を知り、にはかに座より踊り上がり、面色さながら土のごとく、「我が豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺きたまひしか。」と叫び、その場に倒れぬ。相沢は母を呼びて、ともに助けて床に臥させしに、しばらくして覚めし時は、目は直視したるままにて傍らの人をも見知らず、我が名を呼びていたくののしり、髪をむしり、布団をかみなどし、またにはかに心づきたるさまにて物を探り求めたり。母の取りて与ふる物をばことごとく投げうちしが、机の上なりし襁褓を与へたる時、探りみて顔に押し当て、涙を流して泣きぬ。
 これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用はほとんど全く廃して、その痴なること赤児のごとくなり。医に見せしに、過激なる心労にて急に起こりしパラノイアといふ病なれば、治癒の見込みなしと言ふ。ダルドルフの癲狂院に入れむとせしに、泣き叫びて聴かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾たびか出だしては見、見ては欷歔す。余が病床をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。ただをりをり思ひ出したるやうに、「薬を、薬を。」と言ふのみ。余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍を抱きて、千行の涙を注ぎしは幾たびぞ。大臣に従ひて帰東の途に上りし時は、相沢と議りて、エリスが母にかすかなる生計を営むに足るほどの資本を与へ、哀れなる狂女の胎内に残しし子の生まれむ折りのことも頼みおきぬ。ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得難かるべし。されど、我が脳裏に一点の憎む心、今日までも残れりけり。
 豊太郎は家にたどりついたとたんに倒れ、数週間意識不明になった。その間に相沢が訪ねてきてエリスに帰国の話を伝えた。それを聞いたエリスは発狂する。豊太郎の意識が回復したときには、もはやどうすることもできなかった。豊太郎は全快するがエリスは治癒の見込みがない。豊太郎の意識不明とエリスの発狂という偶然によって豊太郎の帰国は確定された。

 相沢は事情を知らず豊太郎の能力を発展させる観点から行動しただけでこのエリスの発狂に対して責任はない。彼はすでに決定されていたことを告げただけである。エリスを捨てる意志がなく、意識不明だった豊太郎にはもちろん責任はない。さまざまな偶然や罪ともいえない小さな罪が積み重なった結果、不幸にもこうなってしまったという流れである。

 天方の評価を受け入れて社会的に才能を生かすべきか、エリスとの愛情に満ちた生活を取るべきかという選択肢においてはどちらを選ぶことも自己を肯定することであり、どちらを選んでも非難されるべき余地はない。豊太郎はこの同等の選択肢において最後まで苦悩し、いずれをも選択しない。

 最後まで意志決定をしない豊太郎の苦悩がエリスのパラノイアを必要としている。豊太郎がエリスへの愛情を失うことなく、偶然の重なりによって外的に引き裂かれるということを徹底するには、エリスは死ぬか発狂するしかない。豊太郎がエリスに愛情を持ちエリスを捨てないという事実を維持するためにエリスを精神的に破滅させるというもっとも残酷な結果になっている。豊太郎の涙は、相沢の行動とエリスの発狂によって自分の良心や愛情を表明する機会を失った犠牲者としての感傷である。この感傷を描写するために豊太郎の錯乱とエリスのパラノイアという非現実的な設定が必要とされている。めったに起こらない偶然が次々に重ねられることによってこの感傷が描写されている。

 「されど、我が脳裏に一点の憎む心、今日までも残れりけり。」という文章はこの作品を象徴しており非常に印象的である。この一点とは相沢が豊太郎の知らない間にエリスに帰国を伝えたことである。エリスは豊太郎が自分を欺いていたと誤解して発狂した。

 エリスが発狂した原因を、相沢がエリスに帰国を知らせたことに限定することに豊太郎の偽善はない。豊太郎のエリスに対する心からの愛情にも偽りはない。愛していると言いながらエリスを捨てようとしていた、あるいは自分の責任にならないように相沢に責任を転嫁しているといった心理の二重性もない。二重性を持たずすべて純粋な愛情に基づいて行動するのが豊太郎の一貫した特徴である。

 この純粋な豊太郎の行動全体がエリスを破滅させた。しかし豊太郎の認識は彼を取り巻く諸関係や彼の実践の客観的な意味には到達しない。彼は具体的な個別の行動を諸関係や実践全体との関係では認識しない。豊太郎の特徴はエリスの運命を決定した彼の行動の全体と、彼の個別的で瑣末な行動を分離することにある。最後の言葉にあるように、あの時相沢がエリスに帰国の話をしたからエリスが発狂したとされる。

 豊太郎のすべての具体的で瑣末な行動が、直接エリスの破滅に結びついたわけではない。それぞれの行動を非難することは困難である。しかし同時に最後の文章に代表される豊太郎の特徴が後味の悪さを残すのも明らかである。この後味の悪さの原因は、彼の行動や言葉を全体的な連関から切り離して解釈することにある。

 このような彼の認識能力の限界そのものが偽善的である。彼の純粋性、偽りのなさは、自己認識や状況認識の極端な無能を意味している。この非常識ともいえる極端な無能は二重性がないにもかかわらず、あるいは二重性がないからこそ一層偽善を感じさせる。エリスの破滅にいたる過程で豊太郎が決定的な責任を持ち得ないところに、彼の偽善性と無責任性と非難されるべき罪がある。

                        
終わり
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