『それから』夏目漱石

 『それから』では、実業家の父の経済的な援助のもとで裕福な生活を送る代助が、恵まれた生活を捨て、三千代とともに生きる決意をするまでを描いている。代助のような生活を送る人間が恋愛のためだけに本当にこのような選択をし得るのか、かつて友人の平岡に周旋したはずの三千代になぜ今さら愛情を注ぐのかという疑問を多くの読者は感じるのではないかと思う。代助が三千代に近づいていく必然は、単に三千代への恋愛感情や過去の二人の関係だけに求めることはできない。代助の現在の生活の矛盾と父や兄との関係、さらに平岡との関係を考察することで、代助が三千代との人生を選ぶに到る心理の流れを解きあかすことができればよいと思う。

代助と平岡        代助の社会観

高等遊民         借金の依頼        

平岡との再会       代助の縁談

平岡夫婦と代助     代助と三千代

代助と家族


代助と平岡

 代助の父は明治維新後の資本主義的発展の波に乗り成功した実業家である。兄は父のあとを継いで実業家となり、代助は大学を卒業しても実業界に入ることを要求されなかった。この自由で気楽な立場に基づき、代助は高等遊民の生活を始める。

 学生時代から満たされた生活を送ってきた代助に対し、出世して豊かな生活を獲得したいと願っている平岡が対比的に描かれている。平岡は大学を卒業するとすぐに就職し、一年後地方へ転勤になった。代助は平岡のように生活の心配をする必要がなく、卒業後も自由で気儘な生活にとどまった。二人は卒業と同時にまったく別の生活に入っていったが、卒業当初は互いの立場の違いが二人を今まで以上に親密にした。

其時分は親爺が金に見えた。多くの先輩が金に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金に見えた。(岩波書店、漱石全集第八巻、七二頁)

 だから自分も「早く金になりたいと焦つ」(七二)たと代助は言う。代助の生活には野心や希望を抱いて社会へ出ていく多くの学生たちのような熱意や活気が欠けていた。漠然とした焦りを抱いていた代助は、実社会の荒波に乗り出した平岡との交際に意義を感じる。

其時分は互に凡てを打ち明けて、互に力に為り合ふ様なことを云ふのが、互に娯楽の尤もなるものであつた。(十六)

 代助は自己の利害を度外視して友人のために尽くすことを自らの理想と考え、平岡に対してそれを実践した。社会に出て奮闘する平岡を理解し助力することは、代助にとって間接的に社会の活気に触れることであり、また代助のような立場にいる人間だからこそできる意義のある行為である。代助はこの理想を徹底させることで平岡の野心や熱意に対抗しようとした。平岡が持ち出した三千代との結婚の希望は、代助にとって自己犠牲という日頃の理想を実践する絶好の機会となった。

 代助は三千代を平岡に周旋する際、過去の親しい交際を思い出し苦痛を覚えたと言う。代助と三千代は三千代の兄を中心に親しい交際を続けていたが、三千代の兄の死と父親の没落によって二人の距離は遠ざかった。三千代の兄の死後代助が三千代との関係を発展させようとすれば、気楽な生活や家族との関係を犠牲にしなければならなかっただろう。当時の代助にはもとよりそれほどの情熱はなかった。代助は実際には三千代との関係よりも今まで通りの安楽な生活を選んだのであり、平岡のために三千代への愛情を犠牲にしたというのは代助の誤解である。しかし三千代を平岡に周旋することを苦しい「自己犠牲」であると感じれば感じるほど代助の行為は意義を持つことになり、代助は平岡の行動力や熱意を前にしたとき感じる圧迫感を解消することができた。

彼等は双互の為めに口にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでゐると確信してゐた。さうしてその犠牲を即座に払へば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云ふ陳腐な事実にさへ気が付かずにゐた。(十六)

 当時の行為を代助はこのように回想している。代助の犠牲的行為は平岡の活動に対して無為の生活を肯定しようとする努力であり、この犠牲的行為を徹底させた結果代助と平岡との差は広がった。地方への転勤が決まり三千代を連れて東京を発つ日、平岡の目には「得意の色が羨ましい位」(一六)感じられた。財産やコネに頼らず実力だけで将来を切り開いていこうという気概が平岡の「得意」の内容である。財産を失い心細い境遇にいた三千代は、平岡にとって共に将来を築くのに相応しい相手であった。これまでと同じ安楽な生活にとどまった代助と、見ず知らずの土地に三千代と二人で出立する平岡との違いは明らかであった。平岡の「得意」は代助の痛いところを突いており、代助は平岡の「得意」を憎らしいと感じる。

平岡からは始終手紙が来た。「安着の端書、向ふで世帯を持つた報知」「支店勤務の模様、自己将来の希望」(一六)など日常生活のこまごまとした報告から、代助は自分の生活にない活気や充実感を感じとり返事を書くことに苦痛を覚えた。平岡が代助の行為に対する感謝の気持ちを伝えて来た時だけ、代助は平静を取り戻した。自分の行為が現在の平岡の生活に大きな影響を与えていると考えると、代助は平岡のために犠牲を払った自分の価値を高く評価することができた。
 やがて平岡との文通が疎遠になりはじめると「今度は手紙を書かない方が、却つて不安になつて、何の意味もないのに」(一六)無理に手紙を出すようになったと代助は言う。平岡が去ったのち、代助の生活は平岡に対抗することで得ていた緊張感を失った。平岡との友情が自分にとっても平岡にとっても大した意味を持たなくなりつつあると考えると、代助は自分の生活の意味が失われるような気がして不安になった。

 代助にとって家族との関係が日常生活の中で強い結びつきをもつ唯一の人間関係になった。代助に実社会の雰囲気を伝えてくれる唯一の存在だった平岡とも遠ざかり、世間からひきこもった生活を送るようになった代助は、自力で自らの生活の中に意義を見出さなければならなくなった。平岡のための「自己犠牲」がもたらした結果を前にして、代助は今までのように犠牲的行為を理想と考えるわけにいかなくなった。平岡に対抗していたころの代助には自分の生活に目的を見出そうという意欲があったが、高等遊民としての生活を長く続けるにつれ、高尚な熱意や目的がない状態が人間の偽らざる状態であると考えるようになった。漱石は代助の生活のこの決定的な変化を

代助の頭も胸も段々組織が変つて来る様に感ぜられて来た(十七)

 と書いている。この変化に伴って

平岡へは手紙を書いても書かなくつても、丸で苦痛を覚えない様になつて仕舞つた。(十七)

 代助は自分の生活に生じたこの変化を、過去の子供じみた理想を克服し、社会に対する高度な認識を得た結果であると考えるようになった。

 

高等遊民

 現在代助は父から独立した一戸を与えられ、月に一度「親の金とも、兄の金ともつかぬもの」(二五)を貰いに実家に行く。代助の無為の生活は書生の門野の生活と対比的に描かれている。門野は学校へも行かず就職もせず、代助の家に書生として置いてもらっている。自分の無為は余裕があるものに許された高尚な贅沢であると代助は考えているが、余裕のない家庭に育った門野が働きもせずごろごろしているのは代助の目から見ると「全くの呑気屋」(十)である。代助は父や兄の勢力のおかげで望めばいつでも「何でも出来」(八)る地位にいる。門野は有利な地位を望んでも得られる可能性はない。門野はのらくらしているようでも生活してゆくためには「風呂でも何でも汲」(十一)んで賄いのばあさんや代助とうまく付き合ってゆくことが必要であり、どんな境遇に置かれても使い走りでも何でもこなすことが門野が生活の中で身につけた能力である。代助は望めば「何でも出来」る地位にいるが、やらなくても差し支えがないから何かすることを望むことはない。余裕のある生活の中で代助は「何でも出来」る能力を失ってゆく。

代助から見ると、此青年の頭は、牛の脳味噌で一杯詰まつてゐるとしか考へられない。(十一)

 実践的な能力を失うと同時に、代助は門野にはない「細緻な思索力と、鋭敏な感応性」(十二)を身につけ、それを門野の庶民的な能力よりも高く評価するようになる。「学校騒動」の記事に対する反応の仕方に、代助の「細緻な思索力」と門野の感覚の違いが描かれている。
 生徒が校長を排斥したという事件のいきさつを読んで代助がまっさきに考えるのは、こういった事件の裏には校長批判に隠された別の「損得問題」があるに違いないということである。事件を痛快がる門野に代助は「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かることでもあるんですか」(七)と冷やかに答えている。事件の背後にある複雑な事情に目がとどかない門野の単純さに対する軽い皮肉がこめられている。
 門野は「冗談云つちや不可ません。さう損得づくで、痛快がられやしません」(同右)と答え、代助の皮肉を理解しない。高い地位にいて生徒に対して力を持っている校長が、弱い立場にある生徒の要求に従わざるを得なくなることが門野には何となく愉快である。詳しい事情が分からなくても、門野は生徒側の「損得問題」が実現することを一緒になって喜んでいる。門野にとって社会は興味や同情や共感を感じさせる事件が毎日どこかで起こっている活気にあふれた場所である。
 一方世間とかけ離れた生活を送る代助は、活動が生徒にとって持つ意味を問題にせず、個人的な利害の方に注目する。大隈伯が生徒の味方をしたという記事を読むと、生徒を早稲田へ呼び寄せるための方便だと解釈する。代助の目には社会が個人の「損得問題」によってでたらめに動いているように見え、社会で起こる出来事を退屈だと思う。学校騒動の記事を読みながらやがて「倦怠さうな手から、はたりと新聞を夜具の上に落とした」(六)という描写には、社会の動きに対してニヒルになっている代助の冷めた感覚があらわれている。

 代助の主な関心は日常生活の些細なことに向けられる。「仕舞には本当の病気に取つ付かれる」(十一)と門野に茶化されるほど代助は自分の身体の具合を気にかける。心臓に手を当ててその鼓動を確かめることは代助の習慣になっている。代助はもしこの心臓が止まったらと考え、こんな恐怖に脅えることなく毎日門野のように呑気に暮らせたら「如何に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生を味はひ得るだらう(五)と言う。代助は人並み以上に鋭い神経を持っていることを「天爵的に貴族となつた報に受ける不文の刑罰」(十二)と考え誇りに思っている。同時にこれらの言葉には現在の生活を「気楽」だとも「生を味はひ」つくしているとも感じられないでいる代助の気だるい気分が反映されている。

 代助は自分の生活に活力の不足を感じる時、普段は忘れている平岡の暮らしぶりを想像してみることがある。「然したゞ思い出す丈で、別段問ひ合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要も」(十七)なかった。代助は平岡が相変わらず三年前に別れた時と同じ熱意をもって活躍しているに違いないと考える。けれども現在の代助は平岡の生き方を自分に関わりのない生き方として割り切っていた。だからわざわざ問い合わせる必要を感じなかったが、同時に「勇気も」なかったと書かれている。目的も熱意もなく家族との小じんまりした関係の中におさまっている代助にとって、平岡の活躍ぶりを目のあたりにすることは実際「勇気」を必要とすることであった。

 

平岡との再会

 別々の人生を歩んでいた代助と平岡は、平岡の辞職をきっかけに再び接点を持つことになった。平岡の境遇に思わしくない変化が生じたことをにおわせる葉書を受け取ったとき、代助は「はつと思つた」(十七)と言う。平岡の境遇が今まで想像していたような華々しいものでないことが分かると、代助は遠い世界の人間になりつつあると感じていた平岡との距離が縮まったような気がした。代助は「逢ふや否や此変動の一部始終を聞かうと」(同右)平岡の訪問を心待ちにした。平岡との三年ぶりの再会は、変化に乏しい代助の生活に平岡や三千代との親しい交際という新たな要素を持ち込むことになるはずであった。
 二人の三年ぶりの再会の場面ではこのような気分で平岡を迎えた代助と、代助の厚意を退けようとする平岡とのすれ違いが描かれている。代助は玄関先に平岡の声を聞きつけるなり「手を執らぬ許りに旧友を座敷へ上げた」(十三)。しかし平岡の態度には代助のもてなしをそらすよそよそしい様子が感じられた。再会した最初の瞬間に二人が漠然と感じた違和感は、それぞれが持ち出す話題の違いの中にあらわれている。

 辞職の理由をなかなか話したがらない平岡に対して、代助は夜中の十二時に始まる神秘的なニコライ復活祭の話や、その帰りに見た夜桜の美しかったことを話して聞かせる。現在の代助が平岡に示すことができるのは、こういった「麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験」(十九)である。代助は平岡と離れていた間に平岡の社会的な経験よりも高等遊民として味わう「贅沢な経験」の方をより豊かな経験であると考えるようになった。「そんな真似が出来る間はまだ気楽」(十八)だと言う平岡の「相手の無経験を上から見た様な」(十八)態度に、代助は余裕をもって対応している。平岡とは別の世界で自分なりの成果を挙げているという自覚が代助の余裕の内容である。

 代助の話と違って、平岡の語る会社でのいきさつは散文的である。赴任当初は支店長との対立も辞さず自分の意見を主張したこと、そのため支店長から疎んぜられたこと、立場をわきまえた態度をとることでようやく支店長ともうまく付き合えるようになったこと等々を平岡は淡々と語っている。平岡は支店長との新たな関係を「無闇に御世辞を使つたり、胡麻を摺るのとは違ふ」(二一)と言う。実際平岡は支店長に媚びたり取り入ったりするつもりはなかっただろうが、出世が学問や実力だけで実現できるものではなく「御世辞」や「胡麻を摺」りといった多くの条件を必要とすることを知った。赴任してしばらくは「非常な勤勉家として通つてゐた」(一〇〇)平岡が、三千代の病気をきっかけに放蕩するようになったと書かれている。かつて代助を圧倒した平岡の熱意や理想は、出世のために必要な様々な条件を知ることによって大きく変化していった。

 出世して豊かな生活を築きたいと願っても、実際に出世できる人間は限られている。出世の望みを無理やり断たれるところから出世のために必要な煩わしい手段を厭い出世以外に価値を見出そうとする新たな感覚が生まれてくる。平岡は支店長に気に入られ、順調に出世コースを歩みはじめたかに見えた。ところが部下の遣い込みが発覚して平岡は否応なく出世の夢を断たれることになった。もっとも責任ある立場にいるはずの支店長の地位が安泰だったのに対し、財産もうしろだても持たない平岡のような人間はまっさきに出世コースからはじき出された。

会社員なんてものは、上になればなる程旨い事が出来るものでね。実は関なんて、あれつ許の金を使ひ込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ(二一)

 失職をきっかけに平岡は支店長と自分の間にある大きな隔たりを思い知らされた。同時に、小さな過ちで即座に社会の底辺に放り出される部下の境遇を「気の毒」と感じるようになった。平岡は部下の不祥事のせいで辞職に追い込まれたが、芸者に入れ込んで会社の金に手を出した部下の過ちを恨む気にはなれなかった。

 部下の遣い込んだ金を自分で弁償したという平岡の話を聞いて「君も大分旨い事をしたと見える」(二一)と代助は言う。平岡が経験してきた程度の「人間の暗黒面」(二二)には充分通じているという代助の自信があらわれている。「人間の暗黒面」という言葉にあらわれているように、代助が平岡の話から感じとるのは信頼していた部下が平岡を裏切った、上司が自分の身を守るために平岡を見捨てたといった個別的な人間関係である。このような煩わしい関係の中にあって平岡もまた自分自身の利益のために「旨い事」をしてきたに違いないと代助は推測する。代助が「平岡のそれとは殆ど縁故のない自家特有の世界で、もう是程に進化」(二二)したという「進化」の内容は、学校騒動に対する見方と同じように平岡の社会的な経験の中から個別的な事情や利害を取り出して問題にする観察力である。
 「君も大分旨い事をした」と言うとき代助が注目しているのは、支店長のように「上」の方にいる人間も平岡や平岡の部下のように下の方にいる人間も「旨い事」をしたいと願っていることに変わりはないという一面である。代助は世の中の誰もが自己の「損得問題」を中心に動いているという見方が平岡に対しても支店長に対しても公平で客観的な見方であると考えている。しかし「旨い事をしたと仮定しても、・・・生活にさへ足りない位だ」(二二)と平岡が言うように、「旨い事」をしたいと願っても実際にその望みを実現できる人間は限られている。誰もが利己的な利益を追い求めるのは仕方のないことだと言うとき、代助は平岡と支店長の間にある隔たりを無視することによって、平岡や平岡の部下と比較にならないほどの力を持ち「旨い事」をし得る立場にいる支店長を無意識のうちに擁護していることになる。地位や財産に恵まれた代助は、平岡よりも支店長のような「上」の方の人間に近い立場に立っている。代助はこのような立場の人間に好都合な社会観を知らず知らずのうちに身につけた。

 平岡は代助の言葉に苛立ちを感じた。代助は平岡が意気揚々と出世コースを歩んでいるわけではないことを知り安心したが、平岡が困難な条件をくぐり抜けて出世の道を歩んでいれば代助と平岡の社会的な立場は近づくことになり平岡は代助とも折れ合うことができたはずである。しかし出世の可能性を失ったことによって、平岡は代助の世界から遠ざかった。平岡は代助が生まれながらに恵まれている財産が社会でどれほど大きな意味を持っているか、代助と自分の間にどれだけ大きな境遇の違いを生み出すかを知った。代助が当たり前に思っている瀟洒な家や余裕のある暮らしぶりは、三年前には感じなかった距離を平岡に感じさせた。
 平岡は代助とのすれ違いが二人の地位や境遇の違いから生じた感覚の違いであり、この隔たりを埋めることはできないと感じた。代助の兄に仕事の口を頼んでみたものの、平岡はそれ以後自分の方から代助を訪ねたり会社の都合を問い合わせたりする気になれなかった。豊かな生活を送る代助と出世コースを踏み外した平岡では住む世界が違っており、この再会を機に代助と次第に疎遠になることは平岡にとっては自然な成り行きであった。

 代助は平岡とのすれ違いの意味が理解できず、二人のすれ違いを自分のことをいつまでも世間知らずのお坊ちゃんだとみなしている平岡の誤解のせいだと考える。

彼の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。(二二)

 世の中の動きをすべて「人間の暗黒面」や「損得問題」で総括しようとする代助の目には、平岡の社会的な経験も見るべきもののない「陳腐な秘密」であると映る。平岡の経験に対して代助がどのような対象を陳腐でない経験と感じるかが、アンドレーエフの『七刑人』を読む場面で描かれている。
 代助は死刑が執行される最後の場面に強烈な印象を受けている。夜明け前、七人の死刑囚たちが次々に絞首台に引き立てられてゆき最後に自分の番が回ってくる。代助はもし自分がこんな立場に置かれたらと考え、「生の欲望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方に往つたり来たりする苦悶を心に描き出しながら」(四一)戦慄を覚えずにはいられないと言う。代助にとってこのような経験こそが、平凡な生活を送っている人間が味わうことの出来ない贅沢な経験である。
 代助は平岡の「陳腐な秘密」に対して、普通の人間が感じたり興味をもったりしない対象に感銘を受け関心を持ち得ることを自らの思索力や感受性の鋭さであると考えている。しかし平岡のような実生活上の経験と芸術作品から受ける感銘や思索力は、代助が考えているように対立するものではない。高度な認識力を獲得しようという代助の意志とは裏腹に、代助の関心の対象は次第に世間離れした瑣末な事柄になり、思索の内容からは現実的な切実な問題が抜け落ちていく。

 高等遊民としての「進化」を徹底させた結果、代助は「三十になるか、ならないのに既に」(二二)「ニル・アドミラリ」に陥った。代助は社会を知りつくしたために「ニル・アドミラリ」が生じたのだと考えているが、実際は現実の動きと関わりを持たず人間関係や関心の対象が狭い範囲に限られているためにこのような倦怠感にとらえられている。

代助は平岡が語つたより外に、まだ何かあるに違いないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有つてゐないことを自覚してゐる。(二二)

 平岡の経験を理解できない代助が平岡の辞職の細かな事情を詮索することは、実際個人的な事情に対する俗な好奇心を満足させようとする行為になる。平岡とは「縁故のない自家特有の世界で」進化した、「平岡が代助を子供視する程度に於て……代助も平岡を子供視し始めた」(二三)というのは「自己特有の世界」に対する代助の自信をあらわすと同時に、平岡の経験を自分と「縁故のない」世界の出来事として切り離してしまおうとする消極的な気分のあらわれでもある。

 高等遊民としての「進化」には代助の少なからぬ努力が刻まれており、代助は平岡の経験の前に自信を揺るがされることはなかった。しかし「処世の階子段を一二段で踏み外し」「恰も肺の強くない人の、重苦しい葛湯の中を片息で泳いでゐる」(四五)平岡の苦しげな様子は代助に不安を感じさせた。代助には平岡のように処世の階段から転落し社会の中を「片息で泳いで」ゆく勇気はなかった。厳しい現実の中で「熱病に罹つた如く行為に渇いて」(一八二)いる平岡の様子は代助に気後れを感じさせた。

 

平岡夫婦と代助

  代助の予想した形と違った形であったが、平岡との再会は代助の生活に新たな刺激をもたらした。代助には平岡の落ち着きのない様子や生活の困窮が友人として平岡に近づいてゆく自然な動機だと思えた。しかし平岡にとって代助との友情という個人的な関係は問題ではなくなりつつあった。平岡は満たされた生活を送っている代助から同情や生半可な理解を示されるのが不愉快だった。代助が平岡の様子を気に掛けて自分から平岡の宿を訪ねたとき、代助を迎えた平岡は「其顔にも容子にも、少しも快さゝうな所は見えなかつた」(四四)と代助は言う。職捜しのために新居を捜す余裕もない平岡の境遇が「気の毒になつて」下宿の世話を申し出たものの、代助は平岡の境遇を心配することを友人としての当然の行為だと考えるわけにいかなくなった。

 このとき、疎遠になってゆくばかりの代助と平岡の関係をつなぎとめたのが三千代の存在である。はじめて平岡の宿を訪ね三千代と再会した時、代助はたまたま平岡が「何か急はしい調子で、細君を極め付けて」(四四)いる場面に出くわした。平岡のせわしい後ろ姿を見送りながら「旅宿に残されてゐる細君の事を考へた」(四五)と言うように、代助には三千代が平岡の失職によって平岡以上につらい立場に立たされているように思えた。平岡に対するこだわりを三千代への好意を犠牲にしたせいだと考えてきた代助には、三千代と再会したときに三千代の方へ気持ちが向くことは自然な感情の動きであると思えた。

 代助は平岡の留守にもう一度三千代に会おうと考えたが「気が咎めて」会うことが出来なかったと言う。また「勇気を出せば行かれると思つた」が「これだけの勇気を出すのが苦痛であつた」(四六)と代助はここでも再び「勇気」を問題にしている。代助が二人の生活に近づこうとすれば、恵まれた立場にいる人間としての同情や援助という形で近づいていく以外の手段はなかった。代助の生活には高等遊民としての恵まれた生活と余裕以外に平岡に対して示せるものがなかった。そして平岡に拒絶された同情や援助を平岡の妻である三千代に向けることは、平岡にとっていっそう侮辱的な意味を持つことになった。夫婦の不和を想像させる状況のもとで三千代と再会したことが代助が三千代に近づいていく根拠になったが、代助は二人の生活に自ら積極的に入り込んでいく決心がつかなかった。
 こうして自分の方から三千代を訪れる勇気もなく「落ち付かない様な、物足らない様な」(四六)気持ちで過ごしている時に、代助は三千代の突然の訪問を受けた。この訪問は代助にとって、三千代に対するそれまでの躊躇を打ち破るきっかけになった。

 代助が平岡ではなく三千代を通して二人の生活に近づいてゆくようになったことには、平岡とも代助とも違う立場にいる三千代の個性が大きく関わっている。三千代は実家の没落や平岡との気苦労の多い生活の中で鍛えられ、代助との過去を清算した。しかしお嬢さんとして育ち代助と結びつく可能性を持っていた三千代には、学生時代から一貫して代助に対抗し野心を抱いてきた平岡の気概は理解できなかっただろう。平岡が代助のお坊ちゃんじみた感覚に反発を感じ代助から遠ざかり始めても、平岡の反感や意地が理解できない三千代は代助に対して過去の関係やお互いの境遇の違いにこだわらない古い友人として振る舞った。平岡は借金の返済の目処が立たずに困っていたが、代助に金を借りることに躊躇を感じた。三千代は金の貸し借りに羞恥心を感じるものの、三千代にとって代助はもっとも借金を頼みやすい相手であった。

 代助は三千代の態度の中に平岡のようなよそよそしさがないことを感じとり安心した。そして昔と同じように気軽に三千代を食事に誘う自分の態度が「幾分か此女の慰謝になる様に感じた」(四九)。三千代が代助の所に来ることができたのは代助との過去が自分にとっても代助にとっても終わったことだという自覚があったからだろう。しかし代助の目には三千代が示すこだわりのない態度が過去に二人を結びつけていた親密さのなごりであるように見えた。代助は三千代の境遇を気の毒に感じ、三千代のために何とかして金の都合をつけてやりたいと思う。

 

代助と家族

 代助は三千代のための借金の依頼を通して、初めて自分が「金に不自由しない様でゐて、其実大いに不自由してゐる男」(五十)だと気づいたと言う。代助が家族との関係におさまっている間は、代助は金銭面でも精神面でも自由を感じることができた。しかし家族に認められる範囲を越えて行動を起こそうとするとき、代助に自由は与えられていなかった。金の問題は兄や嫂の手を煩わさずには解決できず、代助は借金の依頼を通して家族の中で自分が置かれている立場を思い知らされることになる。

 代助の父は封建的な道徳主義を標榜して実業界を渡ってきた人物である。学生時代の代助は「親爺が金に見えた」と言うように、父の活動に圧倒され、父の道徳主義に感化された。今では父のブルジョア的活動を虚しい奔走と考え、現実の活動と一致しない父の道徳主義を「迂遠の空談」(一〇七)とみなしている。
 代助がもっとも父を敬遠する理由は、「自分の青年時代と、代助の現今を混同して、両方共大した変りはないと信じてゐる事」(二六)である。戦争に出たことがある父は「度胸が人間至上な能力であるかの如き言草」(二七)をし、代助は戦争に出たことがないから度胸がすわらないと言う。戦争の話を引き合いに出しながら父が問題にしているのは、裸一貫から現在の地位を築き上げるまで多くの障害や困難を乗り切るために必要としてきた「度胸」である。父には自分の若い頃の野心や気概とくらべ消極的な毎日に甘んじている代助の生活が、「度胸が据らな」いための意気地のない生活であると思える。

 代助はことあるごとに「度胸」を口にする父を「過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考へる事を敢てしない」(三二)時代遅れの人間だと考えている。しかし代助以上に父と親密な関係にある兄や嫂は、代助と違った側面から父を捉えている。
 「御父さんの国家社会の為に尽くすには驚いた。何でも一八の時から今日までのべつに尽してるんだつてね」(三四)と皮肉を言う代助に対して、嫂は「それだから、あの位に御成りになつた」(三五)と答えている。嫂にとって父は敏腕の実務家であり、長井の家をここまでにした立派な人物である。若くから父の片腕として実業界を渡ってきた兄は父とは違う新しい世代のブルジョアの感覚を身につけた。父が自分の活動をどう解釈しようと兄にはどうでもいいことであり、兄は事業に差し障りのないかぎり父の主義に口出ししないという態度を取っている。

 家族の中で代助だけが父の道徳主義に大きな矛盾を感じたり父の自慢話を不愉快に感じる。兄や嫂が父の説教癖を面倒な性質だと感じながらも父と調和してやってゆけるのは、彼らがそれぞれの立場に応じて父の活動や父が築き上げた地位や現在の生活を評価しているからである。代助は兄や嫂が当然のごとく認め評価していることに関心がない。二人が父の実績だけを問題にしているのに対し、代助はより精神的な側面を問題にし父の道徳主義や言動の不一致を批判的に捉える。そしてこのような側面から父を批評し得ることを、自らの認識力によるものだと自負したきた。

 代助は父を敬遠しながらもこれまで家族と深刻な対立を起こすことなく、適当に距離をおいて付き合ってきた。兄とも本音で向き合ったことはなかった。兄は父と違って「主義だとか、主張だとか、人生観だとかを」一度も持ち出したことがなく、また「此窮屈な主義だとか、人生観だとかいふものを積極的にうちこわして懸つた試もない」(五八)、代助にとってつかみどころのない人物である。その兄が借金の依頼を通して実業家らしい一面をのぞかせる。

 兄は代助が学生の頃芸者遊びをしすぎて抱え込んだ借金をきれいに肩代わりしてくれたことがある。父が若い妾を囲っているように、こういった道楽に対する散財は彼らの世界では特別なことではない。しかし兄は平岡のような男のために金を借りたいという代助の感覚を理解しない。そういう場合は放っておけばなんとかなる、今までだってそれで済んできたと兄が例証にあげるのは、長井の家の敷地内に長屋を借りている男や、さらにその男を頼ってくる親類といった下層の人々である。平岡は出世の階段を踏み外し彼らと同じ世界の人間になった。平岡のように零落しつつある人間の利害に同情や友情という個人的な関わり合いを持つことは、兄の世界の常識では問題外である。

 代助は兄のこの無関心な態度を動かすことはできないと感じた。

兄を動かすのは、同じ仲間の実業家でなくつちや駄目だ。単に兄弟の好丈では何うする事も出来ない。(六二)

 代助はブルジョア活動家の立場から平岡との関係を判断し切り捨てる兄と自分の立場の違いを認め、兄の立場からすればこのような態度をとるのは当然であると兄の無関心を肯定した。

 

代助の社会観

 借金の依頼を通してあらわれた兄との考え方の違いを、代助は二人の立場の違いとしてあっさり認めることができた。しかし平岡との間に対立が生じるとき、代助は兄を相手にしている時のように単純に割り切ることができない。
 引っ越しの時以来改めて訪れた平岡の借家は代助にみじめな印象を与えた。代助はこの印象を「まだ落ち付かないだらう」(六九)というあたりさわりのない挨拶に包んで平岡に気付かれないように気を使っている。平岡には自分たちの暮らしぶりが代助に与える印象がよく分かっていた。そして「落ち付く所か、此分ぢや生涯落ち付きさうもない」(六九)と挑戦的に応える。「落ち付かない」という表現にあらわれているように、代助には平岡の生活がまともな生活だと思えない。一方平岡の言葉はこの不安定な生活を自分の運命として認め、受け入れようという覚悟が生まれつつあることを示している。
 代助は平岡の挑戦的な態度を「決して自分に中るのではない、つまり世間に中るんである、否己に中つてゐるんだ」(六九)と考え、寛大な態度を取ろうとした。しかし平岡の態度には代助の寛大さを撥ねつけようとする頑なさが感じられた。平岡の態度は代助と平岡の価値観の対立を代助に見せつけ、代助は不愉快を感じる。

 「真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である」(三十)と考える代助の消極性を平岡は

君は世の中を、有の儘で受け取る男だ。言葉を換へて云ふと、意志を発展させる事の出来ない男だ(七三)

 と指摘している。平岡は自らの「意志を発展させ」ようという気概を抱いて社会に出、支店長と対立し失職し不安定な生活に転落するという矛盾を引き起こした。平岡は知らず知らずのうちに社会の流れの中に身を投じることになり、その流れの中で日々悪戦苦闘している。その自覚が

現実社会が、僕の意志の為に、幾分でも、僕の思ひ通りになつたと云ふ確証を握らなくつちや、生きてゐられない。(七三) 

という平岡の意識を生み出している。

僕は失敗したさ。けれども失敗しても働いゐる。……君は僕の失敗したのを見て笑つてゐる。……笑つてゐるが、其君は何も為ないぢやないか。(七三)

 社会的な様々な関係やその中での悪戦苦闘を通して、平岡の社会観は学生時代から大きく変化した。平岡の言う「現実社会」は代助の想像する「処世上の経験」(一八)と比べものにならない具体的な内容を持っている。平岡は代助の現実認識と自分の現実認識の違いをはっきり指摘することは出来ないが、代助の認識を現実に即していないと感じ

君はたゞ考へてゐる。考へてる丈だから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きてゐる。此大不調和を忍んでゐる所が、既に無形の大失敗ぢやないか(七五)

 と言っている。

 代助は「何故働かない」と自分を批判する平岡に対して、働かないのは「世の中が悪い」(七五)からだと答える。代助は経済力も文化も貧弱な日本が西洋と対抗しようとしために莫大な借金を抱え込み破綻を来たしたと説明し、日本の現状を「牛と競争をする蛙」(七五)に譬える。社会の発展は父や兄のような実業家や平岡にとっては新たな活動の場を得る機会になる。社会の矛盾の中に入ることを恐れる代助は、社会の発展を「敗亡の発展」(六八)と呼び社会で起こっている様々な動きを全般的な退化の現象にすぎないと考える。西洋に追いつこうという身分不相応な望みが日本の不幸の始まりだという代助の考え方は、生活に不自由せず、今以上の生活を望んだり野心を持ったりしないことを精神的な価値と考える代助の立場にふさわしい消極的な社会観である。
 代助が現代日本の抱えるもっとも深刻な現象としてあげるのは、激しい「生存競争」や生活上の困難のために精神的な活動に携わる余裕が失われていることである。代助は平岡の粗末な借家を見てみじめだと感じる一方で、平岡がかつて野心の対象としていたような立派な家が一軒建つと「其陰に、どの位沢山な家が潰れてゐるか知れやしない」(七〇)と考える。代助の目には生きるためにあくせく働く労働者の生活も「沢山な家」を潰してまで金儲けをしようとするブルジョア的活動も同じように哀れな生存競争だと思える。「西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に餘裕がないから、碌な仕事は出来ない」(七六)と代助が言うとき、代助が比較の念頭に置いているのは自分自身の生活である。代助は働かないことによって得ている余裕を、激しい競争にさらされている実業家や一般の勤労者の中に見出すことができないと言って嘆いている。代助の言う「余裕」は平岡が言うように「此社会に用のない傍観者」(七七)だけが求める余裕である。「何所を見渡したつて、輝いてゐる断面は一寸四方も無」く「悉く暗黒だ」(七六)言う代助の悲観的な社会観は、余裕のある立場から高みにたって世の中を嘆いてみせる気楽な社会批評であり、平岡に何の感銘も与えない。
 代助は自分のとなえる社会論が平岡に対して説得力を持たないことを感じた。

是から先はもう云ふ必要がないと感じた。元来が平岡を自分の様に考へ直させる為の辯論でもない。(七七)

 今まで他人の厳しい評価に自分の考え方を試される機会がなかった代助にとって、平岡と交わした議論は自らの社会論の価値をはかる試金石となった。三千代のためにもう一度嫂に借金を頼んでみようという代助の熱意には、平岡との議論で味わった漠然とした不足感が影響している。しかし代助は自分のこの熱意に平岡との関係が影響しているとは思わなかった。

 

借金の依頼

能く煎じ詰めて見ると、平岡の事が気に掛るのではない、矢つ張り三千代の事が気にかゝるのである。代助は其所迄押して来ても、別段不徳義とは感じなかつた。寧ろ愉快な心持がした。(八一)

 友人としての厚意を平岡から撥ねつけられたことが三千代に近づくきっかけになったが、代助は次第に平岡よりも三千代のことを考える方が「愉快」だと感じるようになっている。三千代との間には平岡との関係で生じるわだかまりや気まずさはかけらほどもなく、三千代なら自分の気持ちを素直に受け取ってくれるだろうと感じるからである。

 平岡との関係においては借金の問題は複雑な要素を帯びる。代助は平岡のためにという義侠心が恩義の押しつけになることを理解しており、この援助を単純に三千代に対する好意の結果だと考えようとしている。しかしその一方で代助は平岡が再び金の融通を頼みにくることを確信しており、平岡にとって金の依頼が重大な問題であることを認めている。

平岡は世間的な色々の動機から、代助に見栄を張つてゐる。見栄の入らない所でも一種の考から沈黙を守つている

 だから平岡は決して自分には生活の内情を打ち明けないだろうと代助は考えているが、このわだかまりも金の問題が絡んだ場合は平岡にとって別問題になると思っている。平岡にとっては代助との確執や自尊心よりも金の方が重要だという意味である。あるいは平岡は代助に援助を受けざるを得ない立場にいるが、いらざる意地をはって依怙地になっているという意味である。いずれにせよ平岡は金銭にこだわる俗物であるか、あるいは代助を他人行儀に扱うことで負け惜しみを言っているかのどちらかということになる。代助に悪気がなくとも、このような誤解に基づいた関係においてはいかなる金のやりとりも平岡とって屈辱的なものになる。

 代助は金をめぐるこの問題に別の側面から矛盾を感じる。嫂に無心した金によって三千代を援助すること、それ以外に自分の好意を示すことが出来ないことは余裕どころか代助の立場の無能力を明らかにする。代助は平岡との議論を通じて漠然と感じた自分の無力を、嫂とのやりとりを通じて改めて思い知らされる。

 代助は家族のうちで嫂ともっとも親しく付き合っている。しかし上流夫人らしい嫂の趣味が父とちがって代助の目に愛嬌と映るのは、直接ブルジョア的活動に関わるわけではない嫂と父の立場の違いによるものである。ブルジョア的な価値観が問題になる話題になると、嫂と代助の間にもまた対立が生じる。

 嫂は学問をつんで自分よりもずっと「偉い」はずの代助が、自分に頭を下げて金を頼まなければならない「無能力」な境遇に甘んじているのはおかしいと言う。嫂の指摘はつきつめると代助が普段から聞かされている父の説教とかわりがないものであった。しかし金の都合がつけられないことを自分の弱点と感じ始めた矢先に言われた「無能力」という批判は、代助には自分のもっとも痛いところを突いた批判に思えた。今まであらゆる面において有利だと思っていた高等遊民としての生活が実際は無能力な生活なのではないか、実生活における能力の点で父や兄のブルジョア的生活よりもはるかに劣っているのではないかという疑問が初めて代助の頭をかすめた。嫂の言うとおり自分も「世間並」にならなければならないと代助は感じる。
 しかし嫂の言う「世間並み」が具体的になるにつれて代助は冷静になった。嫂の言う「世間並み」とは父がすすめる縁談を受け入れることである。代助は父や兄の世話になっているのだからいずれは彼らの気にいるような結婚をするなり仕事に就くなりして彼らに報いるのが当然であると嫂は考えている。兄は「いづれ其内に何か遣るだらう」(六八)と代助を評価し、嫂は「貴方だつて、生涯一人でゐる気でもないんでせう」(九一)と代助に詰め寄る。兄も嫂も代助がいずれ奮起して彼らの世界で「何か遣る」ための準備期間として代助の現在の生活を受け入れている。
 「世間並み」になるというのは父や兄の世界の常識を受け入れることである。そして嫂のこの忠告は、ブルジョア的立場から見た平岡と代助の関係のひとつの解消の方向を示している。嫂は代助が「大いに働らいて」金を儲ければ、「御友達を救つて上げる事が出来」ると言う。しかし「大いに働ら」くことによって代助は父や兄の世界に身を投じることになり、そうなれば平岡との現在の関係は父や兄にとってそうであるように代助にとって大した意味を持たなくなるだろう。「御友達を救つて上げる事」は代助にとって現在のような煩わしい感情的なごたごた引き起こす問題ではなくなる。

代助は一人明るい中に腰を掛けて、どこ迄も電車に乗つて、終に下りる機会が来ない迄引つ張り廻される様な気がした。(九二)

 代助は自分が感じている矛盾が何なのか、何をどう解決してよいのか分からないままに、得体の知れない力に引きずられて後戻りの出来ないところまで押しやられるような気がした。代助は父や兄や嫂の期待にこたえることは出来ないことを

たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明らかな事実を握つて、それに応じて未来を自然に延ばして行く気でいた(九一)

 と説明している。代助には自分が結婚を受け入れる気になれない理由は分からなかった。だから嫂に対してはっきりした返答を返すことも出来なかった。嫂に詰め寄られた時「不意に三千代という名が心に浮かんだ」(九二)と代助は言う。三千代がいるために結婚する気になれないという三千代をめぐる代助の誤解が生じている。

 嫂との談判に失敗したのち、代助はアンニュイに苦しめられはじめた。翌日の新聞で大会社の大々的な不正事件が暴かれていたが、父や兄にとって他人ごとではないこの記事に対しても代助は興味を感じなかった。

父と兄の会社に就いても心配をする程正直ではなかつた。たゞ三千代の事丈が多少気に掛つた。(九四)

 学校騒動と同じようにこの事件を「痛快」だと言う門野の感想は、代助の父や兄と掛け離れた世界に生きている門野の生活感覚に基づいて生じている。代助は門野とは遠い立場におり、門野の感じる「痛快」に共感できない。しかし父や兄の利害とも一致していない。双方の中間的な位置にあって現実の大きな矛盾や対立に入ってゆくことができないでいる。このような立場にあって代助が自分の生活に風穴をあけてくれる存在として唯一接点を持つことができるのが三千代であり、代助は三千代の境遇を案じる。三千代は代助の父や兄の世界の人間と違う。しかし彼らの世界からはじき出された平岡とも一致することができず、不安定で中途半端な立場に立たされて苦しんでいる。

 代助は自己の無能力な立場に気付いて感じはじめたアンニュイを、金を都合することが出来なくて三千代に会いに行きづらいためだと解釈した。しかし嫂の好意から金の都合がつくと、再び代助にとって思いがけない問題が生じた。三千代に金を渡しに行った時、代助は「難有う。平岡が喜びますわ」(九九)という三千代の言葉を聞いた。一方、数日後に代助を訪れた平岡は「本当の御礼には、いづれ当人が出るだろうから」と「丸で三千代と自分を別物にした」(一〇二)冷やかな挨拶をした。三千代が代助から金を受け取った以上、平岡は代助に礼を言わざるを得ない立場に置かれていた。代助を訪ねてはみたものの金の話を切り出すことに抵抗を感じている平岡の様子は、代助の金が平岡の心に生じさせた葛藤をあらわしている。
 平岡は金策に困り、三千代を代助のもとへ寄越して借金を依頼した。しかし結局平岡は代助の金に手をつける気になれず、三千代が後に告白するように代助の金を借金の返済に使わなかった。東京での再就職に差し支えるからと平岡は借金の返済を焦っていたが、借金を返しても返さなくても有利な就職口を見つけることは不可能であることが次第に明らかになってきた。代助の金は三千代が言うように「一層の事無ければ無いなりに、何うにか斯うにか工面を付いたかも知れない」(一二八)ものであり、平岡と代助の間にわだかまりを残すだけの結果に終わる。
 代助の金は同時に平岡と三千代の間にある感情的な亀裂をも深めたであろう。二人のすれ違いを見た代助は三千代と平岡の結婚がもともと失敗であったと解釈し、その解釈に依拠する形でさらに三千代に近づいてゆくという循環が始まっている。

 ちょうどこの循環が始まった頃に、循環に油を注ぐ事情が生じた。門野が「痛快」だと喜んだ汚職事件の発覚は実業界に波紋を及ぼし、父と兄の会社も大きな岐路に立たされた。父は景気の変動に左右されない地方の財産家と縁故を作っておきたいと考え、代助の結婚問題がこれまで以上に重要な意味を持つことになった。

 

代助の縁談

 平岡はとう々々自分と離れて仕舞つた。逢ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする。実を云ふと、平岡ばかりではない。誰に逢つても左んな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかつた。大地は自然に続いてゐるけれども、其上に家を建てたら、忽ち切れぎれになつて仕舞つた。(一〇三)

 代助が現代人の一般的傾向として捉えているこの孤立感は、代助の立場をよくあらわしている。代助は父と話すときも、「叮寧な言葉を使つて応対してゐるにも拘らず、腹の中では、父を侮辱してゐる様な気がして」(一〇五)ならないと感じる。人間同士の「侮辱」や「不信仰」は激しい生存競争が引き起こした「二十世紀の堕落」(同右)であると代助は考えている。その一例が平岡と平岡を見捨てた支店長との関係であり、父や兄も実業家として活動する以上人との衝突は避けられないはずだと思う。代助はこの社会で積極的に何かをなそうと思えば必ず誰かを侮辱することになると考え、自分の消極的な生活を肯定してきた。
 しかし代助が味わう孤立感や人を侮辱しているという感覚は、実際は切実な関心や必要に基づいた積極的な人間関係を結ぶことができない代助の生活と深く関わって生じている。代助は現在の消極的な生活を守るために、家族に対してさえ自分を誤魔化して応対せざるを得ない立場にいる。
 父や兄に余裕があり家族が代助の無為に寛大な態度を取っている間は、代助も自分の態度を格別不徳義だとは思わなかった。しかし父が必要に迫られて真面目に縁談の話を持ちかけたとき、縁談に対する自分のいい加減な態度は父を侮辱するものではないかと代助は感じる。

 父は代助に実業家としての活動は期待しない、親子の縁で代助の面倒は見てやろう、そのかわり代助も家族の利益を考えてほしいと要求している。代助が今まで通り父や兄の援助を望むのならば、家族のために父が要求する結婚を受け入れる義務が代助の側にも生じる。代助は父や兄が毎日直面している露骨な利害関係と無縁であることを中立的な立場であると考えているが、実際は目に見えない狭い利害関係で家族と結びついている。父の会社が大きく動く時には代助もその余波を被らざるを得ない立場にいる。そして代助が中立的と考えるのとは反対に、家族との関係以外に利害関係を持たない代助の生活は、父や兄の利害に決定的に左右される。
 このような立場にいる代助が家族全体の利益がかかっている縁談を承諾しないのは、父には「自分の事ばかり思つて」(一一三)いる、「親や兄弟が迷惑」(一一四)する態度だと思える。父は代助の不決断を現在の気ままな生活に対する執着だと解釈し、留学や経済的独立といった代助の意にそうような条件を持ち出す。

もし自分が結婚する気なら、……自ら人巧的に、御目出度喜劇を作り上げて、生涯自分を嘲つて満足する事も出来た。(一四五)

 地方の令嬢との縁談を代助はこのように自嘲的に捉えている。実業家としての生き残りをかけた厳しい競争に晒された父は、いつまでものらくらして埒があかない代助に業を煮やし、地方の財産家との結びつきという消耗的で無能な役回りを要求した。結婚後も今まで通りの生活ができるように財産を与えるという父の提案を、代助はごく自然な提案として受け取っている。しかし同時に、この縁談によって自分が置かれることになる立場の虚しさを漠然と感じている。「いづれ其内何か遣る」ための準備期と見なされ、何もしなくても家族からそれなりに能力を認められていたこれまでの生活と違い、財産家の娘やその家族との新しい人間関係が生じれば代助は一家の主として当然何らかの実質的な活動を求められるだろう。代助にはその期待に応えることはできないだろうし、結婚後もなお父の財産に頼って無為の生活を続けることは、代助自身が次第に感じ始めた無能力を周囲の人間の目にも明らかにすることになる。

 代助は結婚を受け入れた場合のことを具体的に考えたわけではなく、ただどうしても結婚を承諾する気になれないという漠然とした意志を自覚しているだけである。しかし今回の結婚を断ったとしても、いずれ別の結婚問題が早急に持ち上がることは目に見えていた。代助は結婚を断り続けて父や兄との関係がこじれることを望んでいない。父の満足だけが問題ならば、なるべく父の意向に従いたい。そうすることが家族との円満な関係を保つという代助にとっての一方の利害と一致するからである。

もし嫂が此方面に向つて代助に肉薄すればする程、代助は漸々家族のものと疎遠にならなければならぬと云ふ恐れが、代助の頭の何処かに潜んでゐた。(一四五)

 結婚を受け入れるか家族と対立するかという選択を代助は迫られた。代助はこの時初めて、家族と自分をつないでいるもっとも重要な関係が金の関係であることに気づく。父との感情的な対立に対しては「其苦痛は堪え得られない程度のものではなかつた」(一六七)。縁談を断ることで生じるもっとも深刻な結果は「財源の杜絶」である。この結果が現実的なものとして頭に浮かんだ時、代助はこれだけの犠牲に値する代償はないと感じた。しかし何も行動しないでいることは結婚を受け入れることを意味していた。そのことが代助を不安に陥れ、代助はこの解決を三千代に求めた。

 

代助と三千代

彼は小供を亡くした三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は生活難に苦しみつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。但し、代助は此夫婦の間を、正面から永久に引き放さうと試みる程大胆ではなかつた。彼の愛はさう逆上してはゐなかつた。(一七三)

 代助が縁談を受け入れられないのは、三千代への愛情があるためではない。代助が送ってきた高等遊民としての生活と父の会社をめぐる新たな事情が、三年前の代助が抱きえなかったような愛情を新たに生じさせている。

必竟は三千代が平岡に嫁ぐ前、既に自分に嫁いでゐたのも同じ事だと考へ詰めた時、彼は堪えがたき重いものを、胸の中に投げ込まれた。(一七五)

 三千代への愛情が深まるにつれ、代助は現在の二人の関係を過去の因果の結果と考えるようになっている。「財源の杜絶」という危険を冒してでも縁談を断る意志を貫くために、代助は三千代への愛情の力を必要としている。代助にはいまさら父や兄の世界で活動する能力はなく、縁談を受け入れ父の援助を受け続けることは代助の無能力を確定することであった。このような生活から抜け出すことが代助が獲得すべき成果であり、代助自身「財源の杜絶」を恐れつつ同時にこの破綻を自らの上に招くことを望んでいる。しかし代助にはこのことは意識されていない。家族と決裂し「金剛石を放り出」(一六七)すのは三千代への愛情のためであり、その結果得るものも三千代への愛情だけだと代助には思えた。父や兄の世界における自らの無能力と向き合うよりも、純粋に愛情のためにすべてを投げ出すことを選ぶ方が代助にははるかに受け入れやすい選択肢であった。かつて自分の感情を偽って三千代を平岡に周旋したときとは反対に、三千代への愛情に正直になることが自分が現在取り得るもっとも誠実な態度であると代助は考える。

 三千代には今になって自分への愛情を訴える代助の真意が分からなかった。しかし平岡との距離が大きくなるにつれ三千代の心にも平岡との結婚が誤りだったのではないかという気持ちが生じ始めただろう。三千代は病弱な自分が平岡の足手まといになっていると感じていたが、三千代には平岡以外に頼れる人間がいなかった。代助にとって現在の三千代への愛情が過去の因果によって生じているわけではないのと同じように、三千代もまた代助との過去を断ち切って平岡との新たな人生を受け入れていた。その三千代が代助の愛情の告白を聞いて即座に「覚悟を極め」ることができたのは、代助のもとへ行くことが平岡にとっても自分にとっても現在の行き詰まった状況を解決する唯一の方法だと感じられたからである。

 代助は三千代への愛情に寄り掛かることで父や兄の世界を飛び出そうとし、三千代は平岡との対立の解決を代助の愛情に求めた。二人はお互いの生活の必然から三年前にはなかった情熱をもって結びついた。しかし二人が送ってきた三年間の生活は二人の間に大きな感覚の違いを生じさせていた。
 代助は三千代を幸福にすることが自分の義務だと考えた。そのとき再び「財産の途絶」が代助にとって三千代との愛情に影を落とす最大の困難になった。無為の生活に慣れた代助には「如何なる職業を想ひ浮べて見ても、只其上を上滑りに滑つて行く丈で」(二二三)三千代との生活を切り開くため具体的に何をすればよいか分からなかった。代助は「平生から物質的状況に重きを置くの結果」(二二八)物質的な「余裕」のない生活に幸福はあり得ないと考えており、父と兄の経済的援助を失った自分に三千代を幸福にする能力はないと感じる。
 三千代は将来の生活を危ぶむ代助の危惧を理解しない。気苦労の多い平岡との生活に慣れすでに困難な状況にある三千代にとって、平岡との生活も代助との生活も厳しいことにかわりなかった。三千代は自分には幸福な未来はあり得ないから破滅を覚悟することもできるが、恵まれた身分にいる代助には自分のような覚悟を決めることはできないと考える。

もし、夫が気になるなら、私の方は何うでも宜う御座んすから、御父様と仲直りをなすつて、今迄通り御交際になつたら好いぢやありませんか。(二二九)

 「御父様と仲直り」をすることは代助にはできないこと、父の世界からの乖離が三千代への情熱を生じさせたことは三千代には理解できなかった。三千代は代助の決意を「私が源因で左様なつた」(二二九)と考え、これまで何不自由なく生活してきた代助を破滅に巻き込むことをすまないと感じる。平岡と離れ代助に頼ることもできず「何うせ間違へば死ぬ積」(二三一)と考えた三千代は神経衰弱になり病の床につく。
 「さう死ぬの殺されるの安つぽく云ふものぢやない」(二三〇)と言っているように代助には三千代のように破滅を覚悟することはできなかった。自分は何があっても後戻りするつもりはなかったが、三千代を破滅させることはできなかった。それでも代助が三千代に働き掛けることを躊躇しなかったのは、平岡と暮らすことに三千代の幸福の可能性はないという確信があったからである。

 代助のこの確信は正しかったのか、平岡との生活を捨て代助のもとへ行くという選択は本当に唯一の解決だったのか、三千代自身が疑問に感じざるを得ない状況がのちに描かれている。平岡は三千代の身を案じ、仕事を休んで病床の三千代に付き添った。「夫程三千代を愛して居なかつたかも知れない。けれども悪んぢやゐなかつた」(二四四)と代助に告白するように、平岡には病弱の三千代を見捨てることはできなかった。妻帯者の不便をしきりに訴える平岡の不満も、三千代を見捨てるわけにはいかないという感情を前提にして生じる愚痴である。平岡の看護を受けながら、三千代は代助のもとへゆくという平岡にとって屈辱的な選択をした自分を責め平岡にすまないと感じる。

 代助が平岡と対等の地位に立つ人間であれば三人の関係は愛情の問題として解決することができた。しかし平岡とって代助の行為は余裕のある立場の強みで平岡を愚弄するものであった。代助には平岡を納得させる説明はできなかった。平岡が困難な生活の中から得た感覚や感情を代助が理解できないように、代助が高等遊民の生活の中で三千代に愛情を抱くにいたった過程はたとえどれだけ説明されても平岡には理解できなかった。平岡は代助の三千代への愛情が現在の地位や財産を捨てさせるほど強いものだとは思わなかっただろうし、お坊ちゃんの一時的な気まぐれとしか考えられなかっただろう。平岡は二人の関係を許すことができず、代助の父宛に二人の関係を告発する手紙を書く。

 代助は父や兄と対立し、これから自分が身を投じようとする世界の人間である平岡とも対立しなければならなかった。初めて自力で社会に出てゆこうとする代助には社会のすべての人間がことごとく自分と敵対するように思えた。

三千代以外には、父や兄も社会も悉く敵であつた。……代助は無言の儘、三千代と抱き合つて、此火焔の風に早く己れを焼き尽すのを、此上もない本望とした。(二一五)

 三千代以外の人間がことごとく敵であるなどということは現実には有り得ない。しかし三千代への愛情に寄りかかることで家族と訣別ようとし、三千代以外に親密な人間関係を持たない代助には、社会をこのように漠然とした一括りとして捉えることしかできなかった。職さがしに飛び出す代助の「それから」は描かれていない。代助には自力で生計を立てるあてはなく、病の床についた三千代との関係がこれから先どうなるかも分からなかった。しかし今後どのような事態が生じるにしても、代助は父や兄の世界と訣別することに満足を感じている。この刹那的な満足と三千代への愛情に身を任せ、先のことを一切省みずに家を飛び出すことが、代助にとって家族と訣別するための唯一可能な方法であった。
 代助が父の経済的な支えを失ったことの現実的な意味は、この熱狂が終わったあと長い時間をかけて代助にも理解されるだろう。それからの後の世界は、『門』で描かれる。(終わり)

文責 荒木 淳子

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