第六章  もうひとつの結論
 あまりの感動的な結末が予想されたために、第五章の後半からわかっていな
がらどうしても書けなかったことをここで述べる。
 日米が「同調」の時代にはいった現在でも、解決されることなく今もなお残
る問題が存在している。それはあの真直ぐに伸びた沖縄住民の認識線である。
 現在の日米関係が三度目の「琉球処分」という沖縄住民の犠牲の上に成立し
ていることは、紛れもない真実である。これを認めることはたとえようもない
ほど辛く苦しい。しかし、このわだかまりを除去しない限り、完ァな日米関係
などとは口が裂けてもいうことはできない。
 いまや日米が共通にもつ認識線と沖縄住民のそれは永久に交わることのない
平行な状態にある。国家の自己保存の欲求と沖縄住民の生存権というそのお互
いの究極的な第一義性によってこれからもそれらが一致する可能性は非常に小
さい。
 だからといっていまや明白であるその真実から逃避してはならない。
 政府は今後将来にわたって沖縄を、南方の小さな島々をないがしろにするよ
うな政策を決してとってはならない。
 そして、われわれもこの幸せがどうやって築かれたのかを知った今となって
は、遠く南洋上の島々が日米関係の基盤を守り、われわれの幸福を支えてくれ
ているのだという真実をゆめゆめ忘れてはならない。

        今にして思えば、
        佐藤栄作の流した三度の涙は
        沖縄の未来に対してだったのかもしれない。

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 お わ り に  インタヴューにあたっては、大変お忙しい中を2時間半近くにわたってまる
で孫に接するおじいさんのような笑顔で終始暖かくお話をしてくださった末次
一郎先生、馴れない旅先でまごつく僕をわざわざ出迎えてくださり、含蓄のあ
るお話を聞かせてくださった小谷豪熙郎先生、この両先生にお会いする機会を
得たことは、卒論調査上の成果にとどまらず人間的なふれあいを感じ得たとい
う点で望外の収穫であった。また小谷先生の奥様に御馳走していただいた松茸
ごはんの味は忘れることができない。この調査旅行は同時に生れて初めての京
都旅行でもあった。生涯、あの松茸ごはんの味と共に大学生活の豊かな思い出
の一つとなるに違いない。また、回転が早くアクティヴな中川八洋先生の即断
のおかげで末次先生とのインタヴューが電撃的に敢行され、そのすぐ後に小谷
先生にお会いしに京都へ旅立つというタイミングをつかむことができたことも
感謝の念に堪えない。末筆になってしまったが、この卒論のテーマ作製からイ
ンタヴュー、構成まで多岐にわたって適確な示唆を与えてくださった花井等先
生なくしてはこの論文は完成をみることはなかった。先生の御指導は誠に簡潔
明瞭で、本来が天の邪鬼な僕にとって、煩わしさを感じることなく自力で卒論
に没頭できたことは非常に有益であり、先生の懐の広さを再確認した思いがし
た。何度かは御自宅にも伺わせていただき、温厚な奥様と、ゆったりと寛ぐ先
生の姿を拝見できたことは、小人数のゼミでなければ味わえない家庭的な雰囲
気ゆえになせることであった。思えば入学当初の教授挨拶で花井先生がおっし
ゃった「私のゼミには多くの人数はいらない。」という言葉と、独特の風貌が
僕の潜在意識に作用して、花井ゼミに学ばせたような気がする。人の出会いと
はかくも不可思議なものである。この不可思議な人間の働きが絡みあって政治
が動き、外交政策も決定される。もし、このような様々な先生とのふれあいが
なかったならば、卒論の味付けはおろか、論文としての完成もさだかではなか
ったに違いない。本当にありがとうございました。
 卒論の提出期限まであと僅か。もう名前を列挙する時間しか残っていない。
 樋口、福島、土久、山村。心から感謝している。ありがとう。
 君たちがいなければこの卒論は完成しなかった…
                          1988.1.11.AM11:11

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