今さら(今だから)語る作品のあれこれ。ashの打ち明け話的な?
B6サイズのPDFにした理由は、「スマホでもこれなら読めるかな?」との判断です。よくある文庫本のサイズや体裁ではないのですが、そこまで文庫スタイルにこだわる気もありませんでした。二十年近く前の作品もありますし、「体裁だけこだわっても中身はそんなに……」というのが本音のところです。
◇2002年以降の創作について

『紅月夜』について(初出:1996/09/17)
この作品についてはあとがきでも割としっかり書いてるようですが、実はこれがリーフ系二次創作の最初の作品です。当時参加していたNiftyの創作系パティオで公開して、後に自分のHPでも公開しました。
最初は分岐A部分だけのシンプルな流れでしたが、何となくバッドエンドも書いてみたくなって追加したのが分岐Bでした。分岐Bでは語られてない部分が多く、「とにかく最後の流れだけを書きたかった」というのが見て取れますね。なお、こうした流れは未発表の梓(と長瀬)の創作にも出てました。
『ふたり』について(初出:1996/12/10)
これも創作系パティオにて公開した作品です。あとがきもちゃんと書いているので、細かい説明もいらないかと思いますが、『痕』というゲームに惚れ込んだゆえに書き上がった作品といえるでしょう。
公開当時からそれなりに好評はいただいた作品でした。書いていたときは「原作の会話シーンの合間の描写をどうするか」で悩んでいた記憶がありますが、原作の一シーンに合わせ込んだ作りだったので、書く方にも迷いがあまりなかったのでしょう。
『エルクゥ・キラー§1〜4』について(初出:1997/??/??)
原作のEDとか基本的に無視して、四姉妹とそれぞれ微妙な立ち位置にいる耕一視点のコメディです。1〜4の展開は常道というか王道というか、比較的まとまった作りになっていると思います。
「由美子さんの部屋から逃げるように出て行った耕一に、由美子さんが何を告げようとしたのか」が、実はこの作品の本当の落ちに繋がるのですが、結局それに該当する分岐部分を書いてませんね(苦笑)
4からの分岐部分は、本当に当初は自分で全部書くつもりでした(過去形)が、当時のHPで寄稿してくださった方が何人かいらっしゃったので、もう半ば公然とうやむやに。
『エルクゥ・キラー§5A』について(初出:1997/??/??)(書き直し版:1998/04/20)
千鶴編です。「年上だけどかわいい人っていいよね」みたいなノリで押し切った感があります。いやもう、あまり語ることがないというか、語るのも恥ずかしいですね。
『エルクゥ・キラー§5B』について(初出:1997/??/??)(書き直し版:1998/??/??)
梓編です。これは落ちの部分を書き直し(本当の落ちを梓編で脈絡もなく出してしまい、自分でもダメだと感じていたからです)ています。でも、この梓編も根底にあるのは「梓って意外とかわいいじゃん?」みたいなノリなので、やはり語ることがない感じです。
『エルクゥ・キラー§5のその他の分岐』について
四姉妹全員分に、本当の落ちを合わせて、分岐は本来なら五本ないし六本の予定だったのですがね?
ちなみに、公開当時のHPで寄稿してくださった方の名前(当時のHNで記載)は、宮本信一郎さん、小栗秀順さん、kuropaさん、kita3さん、おとうとねこさんでした。掲示板での公開時には、「作者と登場人物の対話形式によるあとがき」があったのですが、これもおおむね踏襲していただいて、当時は結構盛り上がってたと思います。さすがにここで勝手にash以外の作品を出すわけには行かないので、それら寄稿作品については、「そういうものもありました」だけにしておきます。
『鬼哭』について(初出:1997/07/05)
あとがきであれこれ説明してる感がありますが、作者としては割と気に入ってる作品の一つで、書いたときの気合いも相応に入れ込んでたと思います。エルクゥやヨークの設定などはもちろん自分の中で決めたことがらがありますが、どんなもんでしょうかね。
この作品には気合いのこもった感想メールもいただいたりしましたね。
『TENDER HEART』について(初出:1997/05/31)
「マルチがどうして浩之の元に戻ることが出来たのか」という説明がゲームにはなく、当時の二次創作ではこの辺を書いてる作品が皆無で、ひたすらマルチとの甘い生活を描いたものが多かったです。
私自身はマルチのシナリオに感動したのものの、「単なる幻想でもどってこれるわけもないだろう」とそうした流れに乗らず、自分なりの答えを厳格に求めた結果の作品です。(NiftyServeFCGAMEX特設会議室のやり取りから始まっていたようです)
設定の詰めや展開は、今見直すとかなり強引で無理矢理な(というか、最初と最後で設定に齟齬が生じている)印象もありますが、この作品で初登場する「山本」は、その後の私の『ToHeart』二次創作におけるメインキャラと相成りました。
『TOO HOT』について(初出:1997/06/03)
『TENDER HEART』から引き継いでの浩之とマルチのらぶらぶものです。 浩之の一人称で書かれたためか、これは本当に「夜書いたラブレター」状態で、今見ると何とも恥ずかしい限りですね。というか、いまなら絶対に書けないと思います(笑)
物語の流れはそのまま、後の『ロボ耳』にも受け継がれます。
ちなみに、タイトルの略が前作ともに『TH』になるのは、意図していたことです。この後に、友人I氏が『AH』と『TH』を執筆されましたが、彼の作品の流れを受けて自分でももう一つの『TH』を書こうとしたのですが、それは完全に日の目を見ない状態になりました。
『おねーさんの耳はロボの耳』第一話について(初出:1997/06/16)
「セリオに感情があるかないか」という論争は初期から出ていましたが、セリオがマルチを励ます(ような所作を見せる)場面があることを論拠に「感情はあるが表現は出来ない」という解釈を踏まえて、コメディ展開にしたのがこの作品です。これを書いた頃は、作者と読者の間にあまり隔たりがなく、書く方も読む方も「祭り状態」で、感想なども自分のHPで公開した作品の中で(シリーズ通して)一番多かった作品でした。自分のHPが一番盛り上がってた頃だと思います。
公開してる内容にはつけていませんが、最初に公開した時にはちゃんとあとがきはありました。当時のファンノベルの実情そのままというか、いかにも特定読者向けの内容だったのでHPをリニューアルした際にあとがきを消したと記憶しています。(あとがきに関しては、以下『ロボ耳』シリーズ全般に該当します)
『おねーさんの耳はロボの耳』第二話について(初出:1997/06/21)
第一話からあまり間を置かずに公開した第二話ですが、公開当時のあとがきを見ると、コメディ展開にまったく自信がない状態だったようです。書き方もまだ定まっていないのが分かりますしね。
なお、科学的考証は結構デタラメでした。当時はイリジウム計画が始まった頃でしたっけかね?
『おねーさんの耳はロボの耳』第三話について(初出:1997/08/08)
この頃になると、だんだん調子に乗って書いてる感じが出てますね。
当時のあとがきでは「これは浩之とセリオのラブコメではない」と明言してました。ですが、ゲームが年齢制限つきのものだったので、読者(作者もですが)は当然それらを踏まえたものとして意識的に書いている部分はありました。
『おねーさんの耳はロボの耳』第四話について(初出:1997/09/16)
当時のあとがきを見ると、実際にはあり得ない馬鹿馬鹿しい機能(口移しとか)にもそれっぽい理屈をつけていたようですが、第四話は「内容的には一度没にしたネタ」だったのでした。
物語の繋がりが綺麗に行ってない印象もありますし、どちらかといえば妥協の結果というところでしょうか。受けもイマイチでしたし。
『おねーさんの耳はロボの耳』第五話について(初出:1997/09/18)
当時のあとがきによると、第五話は「会話文先行で物語を構築して、情景描写を付け足す形で書き上げた」とありました。それまでよりも会話文多用な傾向があるのはそのせいだとも。
この時点ではどうも「会話文だけが続く展開に自分が抵抗を感じていた」ようですね。後々ではそれほど気にしなくなっていますが。
『おねーさんの耳はロボの耳』完結編第一話について(初出:1997/10/07)
完結編と銘打っていますが、仕切り直しをしたいがための長い前振りですね。浩之たちの日常と、当初から絡んでいた VIP の思惑と、そこに絡んでくる事件の兆しを詰め込んだ構成は常套手段といえるものです。
当時のあとがきでは、シリアス系な雰囲気を出したいようなことをいってました。書き出した時点では作者なりの終着点は見えてたのですが、第一話のボリュームはそれほどなかったので最終的な長さは完全に見誤ってましたね。
『おねーさんの耳はロボの耳』完結編第二話について(初出:1997/10/12)
完結編の中では緩やかに事が展開する、そんな段階です。
この回のポイントは、セリオの猫かぶりモードへの移行です。PDFだとフォントを替えているので、より分かりやすいかと思いますが、しゃべり方が変わっても中身は変わってないことを意識して書いたつもりでした。
『おねーさんの耳はロボの耳』完結編第三話について(初出:1997/10/16)
第三話に続いて、動きは少なめの展開です。後半の展開のための記述もあるので、欠かせない部分ではありますが、長さの配分としてはここまでを二話くらいにまとめてもよかったかも知れないですね。
『おねーさんの耳はロボの耳』完結編第四話について(初出:1997/11/08)
一気にさまざまな事が動き出す回ですが、ここで一気に長さが増します。
見直してみると、セリオやマルチのメカ的な機能の設定など穴だらけな印象はありますね。あと、ロボット三原則やらセリオの涙やら、突っ込みどころは多々あるかも知れないですが、書いた当時はそんなに深く考えてなかったような気がします。
『おねーさんの耳はロボの耳』完結編第五話について(初出:1997/11/13)
完結編の終わりですが、それまでの二話分以上の長さになっています。こうした配分が上手ではなかったのは、書くときの気持ちの乗り具合による部分に大きかった記憶があります。つまりは、第五話はノリノリで書いてたのですね(笑)
敵役となった連中の扱いがこれ一作限りになっていますが、設定自体もそれほど深く掘り下げてなかったと思います。彼らの扱いはもう少し考えてもよかったですね。
作中でいくつかテーマともいえるものを提示してましたが、これらは新シリーズにも繋がってるもので、『新ロボ耳』での完結編でも似たようなことをしています。
ちなみに、新型セリオのモデルナンバーHM-17が後の『ToHeart2』と重なってますが、これについてはどうしようもないです。ハイ。本作の設定としては「当時すでにテストナンバーになっていたのは17くらいと想定して、一番後のテストナンバーを抹消・昇格させた」ということに(自分的には)してたようです。といいますか、『ToHeart2』は完全にノータッチ(原作未プレイ&二次創作にも触れてない)でした。
『新おねーさんの耳はロボの耳』について(初出:1998/04/22)
完結編からかなり間が空いてるように見えますが、実は『新ロボ耳』には一度公開した後に没にしたものがあり、さらに仕切り直したためです。没ネタは誰からもいい反応がなくて、これはアカンなと。ともあれ、紆余曲折を経ての本作公開でしたが、こちらの新作も結局は「新ロボ耳になってコメディともシリアスともつかないつまらない作品になった」とはいわれてしまったですね。
この時点ではシリーズ化するかどうかも完全に未知数だったので、第何話とも付けておらず、節番号もありません。最初から「逃げ」の構図が見え隠れしますね。
「セリオパワー、ふたたび」と「DIYしましょ!」は間にかなり時間を置いて公開されています(HP公開当初の『新ロボ耳』は前節だけでした)が、内容はそのまま続きだったので、まとめて公開したように記憶しています。
『新おねーさんの耳はロボの耳2』について(初出:1998/08/21)
夏っぽい物を書きたかっただけだと思いますが、第何話とかいわずに2と付けたのは、やはり「逃げ」みたいなものですね。中身に関しては、それなりに書けていると思うのですけどね。
物語の中の山本が暴れるシーンですが、一応ここで「ガタイはよくて実はそこそこケンカ慣れしてる」と表現したつもりでした。まあ、そこに至るまではお約束にしてもやや強引さは否めませんが(苦笑)
あとがきで触れているセリオのサイズなどはある程度リサーチした上で弾きだした数値でしたが、原作による公式設定にはこの時点は触れていませんでした。
『新おねーさんの耳はロボの耳3』について(初出:1998/10/20)
季節物を書こうと決めて書いたつもりだったのかどうかは、すでに分かりません。続き物だけど数字を追加していくだけの作品タイトルは、TVの季節ごとのスペシャル番組みたいな感じだったのかも知れません。(通年シリーズがあってこそのスペシャル番組なんですが、それはそれですね)
基本的にセリオの見せ場を作る流れで、かといってマルチを一方的にスポイルしないように気を配ってたと思いますが、その辺はどうだったでしょうかね? このシリーズではマルチが脇役になってしまうので、色々と苦労してた記憶があります。
なお、あとがきで触れた件については、掲示板やメールでいくつか意見を寄せられました。結局のところ、二次創作は(特にこのシリーズに関しては特別に)読者と一緒に書き上げるものだということを再認識するに至りましたね。これはいまでも、同じことがいえるでしょうけども。
『新おねーさんの耳はロボの耳4』について(初出:1998/12/26)
あとがきでも書いてますが、四作目で『新ロボ耳』は完結という扱いになってます。ドタバタコメディを書いてたつもりでも、私はどうしても「作品の中の現実」にいうものにこだわってたというか、引っかかってましたね。その傾向は旧作でもこの後に書いた『Kanon』の真琴シリーズでも変わってない部分で、コメディという割に笑いに徹し切れてないことは自覚しています。それがいいことなのか悪いことなのかは、正直分かりません。ロボットがすでに普及している世界観で、こうしたことを書くのがそもそも本末転倒なんじゃないかと思わなくもないですが、その辺は人それぞれということで。
なお、本作セリオの名前がCelioなのは、旧作の中で少し触れたセリオの思い出の件(19997年のHPの掲示板に公開した内容)に由来するのですが、経緯を知ってる人ももういないでしょうね。
『クロスフェード』について(初出:1999/06/30)
真琴が帰ってきてないのに原作が(はっきりとは提示せずに)おわってしまったことに対する自分の結論を導き出した作品です。原作をプレイして、真琴EDを見て、その直後には何らかの創作の構想を描いてた(このシリーズに繋がる小編を一つ自分の掲示板に書いたりしてました)くらいだったので、よほど琴線に触れたのでしょう。
真琴の話ではありますが、ヒロインが実は天野だったり秋子さんだったりする傾向のあるシリーズの始まりでもありました。いやいや、真琴メインですよ?
『風の約束』について(初出:1999/07/14)
前作とセットになる流れの物語です。「真琴がなぜ戻ってきたか、そしていつまでいられるのか」という前提部分の消化と設定の補強がメインですといってしまうと身も蓋もないのですが、こじつけみたいな「狐たちのもう一つの力」はうまくいってるのかどうかは正直自信ありませんでした。「美汐はダメだったけど、祐一はクリアした」という違いをどう結論に結びつけるか、そこに注力した作品でした。
『雪解け』について(初出:2000/02/04)
この作品は書き上げる途中で父の他界など個人的な事情が色々重なりまして、かなりの難産になったものでした。本作の祐一がともすれば余計なことで悩んでウジウジしてる傾向があるのは、ひとえに作者の心情の反映でした。読まれた方も(そこまで思い詰めなくてもいいんでは?などの)中々に微妙な感想を抱いたことと思います。とはいえ、この作品の中身は「案ずるより産むが易し」の一語ですんでしまったりするのも事実ですね。
なお、真琴が天野美汐をどう呼ぶかでかなり悩んだ記憶がありますが、結局「呼び捨てにするよりは、ちゃんづけの方が真琴らしいかな?」との結論で「美汐ちゃん」になりました。
『薫風の丘』について(初出:2000/08/20)
あとがきでは当初番外編の予定だったものを真琴に絡めて練り直したとありますが、狐たちの昔話は書きたいと思っていた部分だったのは本当です。ただ、力の由来まで展開させる構想があったのかどうかは分かりません。(力の由来については、別の話でも少しだけ触れています)
人柱については昔話にはそうした残酷で切実なもの(こうしなければ、村が全滅する等)があったりするので、それらを意識したと思います。この昔語りの部分をどう本編に絡めていくかは、かなり悩んだ記憶があり、この形に落ち着いたのですが、効果としてはどうなのでしょうかね。
なお、黒耳は後の話(真琴シリーズながら、美汐中心の話)にも登場する予定でした。(こういうキャラは便利に使えるのが落とし穴ですね)
『肉まん大作戦』について(初出:2001/02/15)
真琴のシリーズですが、コメディを意識して書いた作品です。ネタ的には大層なものではなく、どちらといえば小品な作りになっていますが、こういう展開もありかなと。どちらかといえば、作者のコメディ系の正統な流れでしょうか。
『雪国の夏』について(初出:2001/04/04)
前作同様にコメディ展開の作品です。こちらは普通に夏のイベント的な流れになっていると思いますが、いかがでしょうか。
作者も割と楽しんで書いていた記憶がありますが、ここらが美汐への傾倒疑惑が濃くなった頃です。言い訳をしますと、ここで「美汐と祐一がお互いにちょっと意識する感じ」を出しておいて、その後の話で美汐の部分のケリを付ける目論見もあったんです。ぶっちゃけると「最終的にはフラれちゃうよねぇ」ということなんですが、美汐の立ち位置が微妙に変化していくのを描きたかったんです。ええ。
物語の中の時系列的には『午睡の窓に、夏の歌』の前くらいの感じです。
『げろぴーといっしょ』について(初出:1999/09/16)
タイトルがなんともアレですが、中身はちょっと染みるコメディのようなもののつもりでした。系列は名雪になりますが、三白眼のヤツの存在が大きいので、自分としてもこれは名雪SSといっていいのか悩まないでもありません。
なお、名雪は夢の中でしかヤツの名前をちゃんとは呼んでいませんが、誤植やタイプミスではありません。それと、ヤツが名雪に語っていた「あの人の涙も見てるから」とは、秋子さんのことです。作中ではもちろん出てきませんが、作者の頭の中には旦那を失った後にヤツを抱きしめて声を潜めて泣く秋子さんの姿がありました。それを直接書いたら野暮だなと思ったので、こうした表現にとどめたのですね。
『メロン・タイム』について(初出:2001/07/11)
作品自体は短編コメディ(のつもり)です。かのんSS-Linksの感想掲示板にも出したことがあり、「祐一のキャラが違う」とか「ネタが分かっているとそれほど面白くはない」など(その辺は書いた時点で分かってたことでした)の評価もいただきました。
あまり気負いせずに自分自身が創作を楽しむ形で書いたと思うので、それまでの作品とはちょっと雰囲気が違うのかも知れませんね。
『れんげ草の少女』について(初出:2002/04/12)
PDFの方の後付けに書いた通りの、第一回かのんSSコンペの応募作品でした。
このSSコンペは当時としても(投稿作品は匿名で公開するなど)画期的かつ挑戦的な試みでしたが、171本の作品はまさに当時のkanonSSの勢いを如実に表すものだったと言えるでしょう。私はこの作品の投稿後、応募作品をすべて読んで採点(コメントは多く付けなかったです)しましたが、それだけでもかなり苦労した記憶があります。
作品自体は真琴シリーズの設定を大体受け継ぎつつ単独の作品に仕上げていますが、「祐一の一人称」と「真琴と美汐の関係」などで自分の癖は出ていたと思います。本作への感想コメントには作者特定みたいなものはなかったですが。
『空の記憶』について(初出:2000/10/23)
あとがきであれこれ書いていますが、これは『AIR』と言うゲームの終わり方に対する不満を開始点とした作品です。
この作品は書くのにかなり苦労して、自分のHPで「こういうのを書こうと思ってますが、ヘタレてます」と弱音を吐いて、実際に応援メールをいただくまでに至って、ようやく書き上げた経緯がありました。書いてる最中に(友人以外からの)応援をいただいたのは後にも先にもこれだけでした。
あとがきで触れた「ある意見」とは「十年間も実際に子供を放置出来る人が、親になれるはずがない」というもので、本作の晴子を真っ向から否定する内容でした。 実際に十年間に何もなかったのかどうかはさておき、よく考えてみれば確かに無理があるよなぁと自分でも感じてしまったのでした。
この作品は「観鈴と晴子の二人でハッピーエンド」を目指したものでしたが、往人はラストで登場しません。そもそも往人がカラスに転生した後の物語ですし、カラスになって役目をまっとうすることが大前提になっていたので、往人復活は叶いませんでした。初期案ではラストで海に行った二人が海辺で寝ている往人を見つけて終わりというものでしたが、蛇足ぽく感じたので没にしました。
2000年の公開当時の感想メールへの返事には、「全編通して辛い展開が多いが、特に三章は妥協をせずに書いたつもり」等と書いていました。また、その中で各章へ当てる音楽のイメージも書いてましたね。(序章は『羽根』 第一章は『此処』『ふたり』『夜想』 第二章は『跳ね水』もしくは『てんとう虫』 第三章は『理』 一部『神薙』 第四章は『絵空事』 終章は『銀色』または『青空』といった具合でした)
『エルルゥの下に』について(初出:2002/05/23)
本作のあとがきでも書いていますが、基本的に「改心したヌワンギのその後(特に死に様)を書きたい」という欲求による作品です。 ヤマユラの場面も書きたい場面ではありましたが、主眼はあくまでも「ヌワンギをかっこよく書きたい」というものでした。
理由は「ヌワンギがあまりにも不憫だったから」です。 原作での退場の仕方はあっさりと流してしまっていたし、当時のSSでも掲示板でもあまりいい扱いではなかったので。
原作の雰囲気を壊さないように意識して書いて、自分としては意気込んで書いた作品でしたが、公開当時の反応はほとんどない寂しい状態でした。
なお、これがHPで公開した最後の作品になりました。この頃には他のSS書きさんとの交流もほぼなくなり、作品についてのやり取りもなくなっていったのも一因といえるかも知れません。
その後の創作について(2002以降)
『エルルゥの下に』の後、創作をやめたわけではなくて、2007年に2ch葉鍵板SSコンペスレに作品を二回投稿したことはあります。比較的しっかり書いたつもりでしたが期待したほどの評価は得られず、コンペ自体もすでにスレが末期の状態だったためか、盛り上がりませんでした。(投稿した前後を含め、自作を投稿した時もコンペスレでは感想も書いてたのですが、自作を優秀に推すことはなかったです)
以下、作品名と当時のあとがき(未公開)、および解説(いいわけ)です。
これらの作品もPDFにて公開する予定でいます。そのままではなくて、若干の改訂をしようかと思ってますが。
◆『午睡の窓に、夏の歌』(初出:2007/08/25) 2ch葉鍵板SSコンペスレ18投稿用に執筆(テーマ:昼寝)
 しかし、どう見ても一連の真琴シリーズの中の作品にしかなってないような。これでコンペスレに投稿してもええんじゃろか?とやや疑問。なお、この次のテーマが「秘密」であり、それをも絡めた展開をしたのは、結果としての産物。と言うよりも、長さが微妙でどうにも展開が……。
・これへのコンペの感想(評価)は三件で、一つは自分が書いた感想という寂しい状態でしたが、「流れが掴みにくい」との評をいただいたのは自分でも頷くところでした。
◆『イジワル21』(初出:2007/11/22) 2ch葉鍵板SSコンペスレ18投稿用に執筆(テーマ:意地悪)
 これも『午睡の窓に、夏の歌』同様、真琴シリーズの流れに沿ってる傾向あり。と言うか、背景となる部分を精密に書いてないので、「よくわからん」と評される可能性大。
・これへのコンペの感想(評価)は二件。このときは自分は感想書かずにいたのですが、私の創作全般にいえそうな「SSとしてはまとまってると思うが、盛り上がりに欠ける」との評をいただき、これまた納得。
なお、2chのコンペスレでは、これら二作の前に『花談義』(テーマ:花にコンペ対象外として投稿)と、『イチゴ味』(テーマ:キス)を出しています。ネタ振り的に書いたものでしたが、『花談義』は(コンペ対象外と明言してたので当然ですが)完全スルー、『イチゴ味』の評価はボロボロでした。確かに面白い作品ではなかったですから、当然の結果と思います(笑)