侵攻攻撃システムとその背景



西暦1992年。国連軍のもとにHMRDF(高機動緊急展開軍)が設立された。その 当時のHMRDFは、それ以前に各国が個別に編成していた緊急展開軍と同じような 軽戦闘車両と空挺師団を亜音速輸送機によって展開するだけであった。しかし、 目的地の多様性や時間的な問題等からなる高速性と高い機動力が要求された。だ が、各々のFVの戦闘能力及び機動性にはおのずから限界があり、要求を満たす ためには従来のシステムでは対応しきれなかった。事実1980年代の終わりに開 発が激化したRDF/LTやMPGS、AGS,CCVLは既存の輸送機の能力を基準として考 えられた物がほとんどで、そのために機動能力の向上は得られたものの装甲はか なり薄くなり、攻撃能力も比較的低いものであった。米国の当時のRDFについて いえば、展開地域を当時の第三世界を中心として考えられていたため、自国の戦 闘車両よりやや能力の低いものが敵であり、それ故にその姿で良かったといえる。 しかし現在のように各国が独自にその国情に合わせた戦闘能力を持ち始めると、 その論理は通用しなくなってくる。現に1993年の中部アフリカにおける中ア紛 争では、同盟軍の2個混成師団を鎮圧するのに最新鋭の3個機甲師団が投入され た。地形・風土・気候を熟知した同盟軍は、能力的には低いがその環境で使用す るには一番適した各種の兵装をもって、最新鋭のHMRDFを苦戦させた。それは一 つの転換期であり、陸戦においての装軌・装輪の二大機動力は完全と言えないも のとなってきた。
そこで登場したのが俗に言う戦闘用人間型ロボットである。各種のタイプのロボ ットが試作されたが、高い汎用性と高い機動性を合わせ持つことの可能性が一番 高かったのが人間型であった。しかしその制御法等は余りにも未知な物が多く、 1970年代より細々と続けられてきた2足歩行の技術は余りにも貧弱であった。
特に第三次産業革命と言われた1980年代においてさえ、目先の技術を主体とし た物しか開発には力が注がれず、2足歩行の技術は「義足以外に応用性のない物」 として「制御理論の立証」程度の開発対称でしかなかった。そんな中でコンピュ ータ応用のプロセス制御技術の発展は、この人間型ロボットの開発に当たり大き な力となった。各種のテストが試験用試作機XAM51で繰り返され、1994年8月 に正式に開発が決定した。(このロボットを開発するに当たって、各国の合資会 社が設立された。その名をPAX−PROTECT−ARMS社と言う。)その要求された能 力は、市街地・密林以外の全ての環境下で高い作戦遂行能力を得られることを中 心とする極めて厳しい物であった。その要求を満たすために世界各国から「最先 端技術」と呼ばれる技術が結集された。このプロジェクトは知能ロボットの基本 的理念や概念を提唱した大作家の名前から「アイザック計画」と呼ばれ、全世界 で約12万人、合計15億7680万マンアワーを費やされ完成された。
作り上げられたプロトタイプは、全高25m、総重量25t、最大連続戦闘時間120 時間、戦車砲をアサルトライフルとして使用する高機動侵攻攻撃システム 「XCAM63」である。この兵器のに与えられたCAMとはCombatmachine-of- Armorment-Manformの略で、「装甲化人型戦闘兵器」という意味である。  CAM63はその後各種の改良を加えられ、本格的な配備を目指して「CAM64」と なった。CAM63とCAM64の大きな違いはエネルギーパックにあり、CAM63が比較 的不安定要素の多い原子力電池であったのに対して、CAM64は比較的安定した高 密度の燃料電池であることにある。CAM64は更に改良を加えられ、1998年8月、 CAM64Aとして配備が始められた。このCAM64Aと平行してCAM専用輸送機BC16 及びBC24が配備され、支援車両FV256シリーズも配備された。これによりCAM64A を中心とするHMRDFは1999年10月、第一次整備計画による配備が完了した。

CAM64Aそのものは、戦術兵器の新しい分野を開拓するに十分な機能を持っては いたがその能力は決して満足のゆくものではなく、HMRDFはCAM64Aの配備開始 と共にその改良型の開発をPPA.CO.に要請した。その主な改良点は

  1 メンテナンスがしやすく寿命の長いパワーパック。   2 エレクトロニクスシステムの見直しと最新のソフトウエアの導入。   3 FCS及び通信関係の改良。   4 MMIの高効率化。   5 そのほか不具合い点の修正。 であった。PPA.CO.はそれらの諸条件を満たすために、その基本となる制御大 系の完全な見直しに踏み切った。もともとCAM64Aのシステムを開発する段階で、 ファジイ理論とニューラルネットワークを取り入れたシステムの開発が進めら れていたが、結局CAM64Aには間に合わず、やや遅れて(CAM64Aをテストベット とした)プロトタイプが完成していたため、この改良型の開発は比較的早く進ん だ。
このCAM64Aをテストベットとした改良型はCAM64Sと呼ばれ、量産ラインにある CAM64Aのうちシステムを組み込まれていない物に対して改良が施された。そし て構成材料及びメカトロニクス系以外のシステムを交換した物がCAM65である。 CAM64Aは各種の派生型が試作検討され、実際に配備された物も幾つかあったが、 CAM64S/65は基本的に派生型を持たずに基本タイプのみで編成される予定だった。 しかし、HMRDF全体で見た場合の総合火力は未だ低くそれをカバーする事から全 体の編成の見直しが計られ、CAM64S/65を母体とする火力強化型とそれに随伴す るシステム化された歩兵部隊を総合的に集約するSYSTEM30構想が施行された。 これによって戦術的に見た部隊の機動性は格段に飛躍した。

そしてCAM64A/64S/65と続いたCAMシリーズは、その培われてきた過去の膨大な データやさらなる技術の向上から、量産がしやすく、メンテナンス性が高く、コ ストパフォーマンスに優れた次世代のCAMであるCAM66の開発を可能にした。開 発に当たっては過去の資産を充分に生かすために共通の部分をできるだけ多く し、開発コストの削減と信頼性の向上が計られた。MMI等は極力CAM64S/65と同 等の物とし、機種転換訓練に必要となる時間数を大幅に減らし、実戦化を素早く 行うための各種の対応がなされた。

元来、CAMは対戦闘車両戦闘を中心とした点制圧兵器として開発が続けられてき た。高度に政治的な思惑が交錯する紛争地域への投入は、おおむね成功を納めて きたといえる。特に対機械化師団戦闘および拠点制圧には絶対的な優位性を保持 し続け、その高い抑止力を持ったHMRDFは各国から絶大な支持を得るにまで至っ た。
この時点でHMRDFはその機能を発揮するに十分な装備を保持するに至った。
CAM64Aの開発が終了した段階で、基幹技術の民需への転用を行っていたPPA.CO はCAM66の開発終了と量産開始と同時に軍需部門の独立を行い、民需部門の完全 な民営化に着手した。

しかし2001年、中南米のメーカNRC(New Request Corporations)と南部アフリ カのメーカAS(Arms Service)によって共同開発された二足歩行兵器TF(Twin Foots)が、南米の新興国家に輸送途中に発見されたことをきっかけに、CAMは大 きな方向転換を強いられることとなった。捕獲されたTFは、CAMと比較して性 能的には稚拙ともいえるシステムではあるが、コスト及び単価がCAMに比べて安 いことと堅牢であることなどが判明した。TFは本来の開発主眼がCAMと大幅に 違い、対軽装甲車両および対人戦闘を主眼に置いた物であるが、対CAM戦闘に十 分な強靭性を備えていた。通常の戦闘の範囲ではCAMの優位性は崩れることはな いが、近接戦闘時、特に各種の兵装を使用しない直接戦闘においては、CAMの強 靭性は優位を保つことが困難であることが推測された。そのうえ、TFは動力源 に核電池(原子力電池)を使用していることから戦闘には細心の注意が払われな ければならなかった。捕獲されたTFは訓練用の複座タイプと治安用軽装タイプ であったが、TF本体の性能から重火器を扱うに十分な能力を有していることが わかった。当時このTFが輸送されるはずだった新興国は、右派ゲリラに手を焼 いていたためにTFを入手しようとしていたことは容易に想像できた訳だが、内 戦になった場合にHMRDFが投入されることを恐れていたといわれる。結局TFの 大量導入の前に惨事を呼ばずして政権が交代したことは記憶に新しい。

このため、CAM66の完成によって計画の一時凍結が決定されていたCAM関連プロ ジェクトは、次世代の人型二足歩行兵器であるCAM−Aの開発に向って再び動き 出すことになった。しかし、基本的な設計思想が違うことなどからCAM−A(発 展型CAM)の開発には膨大な時間が必要とされるため、従来型のCAMと新世代型 のCAMの橋渡しをする、両方の特性を兼ね備えた「CAM70」 の開発が行われることに なった。
CAM70に求められた仕様は、以下の項目が骨子となった。

 1 主だったシステムはCAM66のシステムを改良し、CAM66と同等以上の運 動性能を発揮できるようにすること。  2 兵装運用能力はCAM66同等以上とする。  3 標準装備でのサイズはCAM66と同等とする。  4 直接戦闘に必要な強靭性とソフトウエアを有すること。  5 現存の機動能力の向上、または新システムの導入。  6 目標識別能力の向上。目標予測判別能力の付加。  7 通信システムの向上。
そして2003年、CAM70はCAM66に大幅な改良を加える形で完成した。その能力 はCAMシリーズのなかでもぬきんでた能力を備え、CAM66がSYSTEM32仕様改造 を受けるなかで、HMRDFの主力装備としての地位を確立した。これによって SYSTEM32仕様CAM66(火力強化型CAM66)は完全に主力部隊に随伴する支援火器 の役目を担うことになり、CAM64Aは予備役として、またCAM64S/65は全てに SYSTEM30仕様の改造が施され、HMRDF主力機甲部隊内部に配備された。また、い ままでシュミレータによってのみ行われていたCAMオペレータ養成訓練用に CAM70tが開発された。

CAMの配備完了によって、緊急展開に関しては随一の装備を持つことになった HMRDFは、発足当時からの形態、即ち国連加盟国の派遣軍による混成部隊のまま になっている通常部隊の近代化に着手した。現代戦および近未来戦において重要 なことは、「機動力」「戦闘力」「連係能力」「情報収集能力」「継戦能力」で ある。これらの能力は限られた兵装や装備および特定の部隊などに於ける問題で はなく、運用されるすべての部隊および装備に於ける問題である。これらの条件 のどれが欠けても、高い効果を求めることはできず、最終目的の達成から遠ざか るのである。そのため、今回の近代化計画では、装備だけでなく組織や編成、ネ ットワークに至るまでの、総合的な近代化が求められた。
この総合的な近代化計画は、GEI(General Equipment Initiachive:総合装備構想) と呼ばれ、カテゴリー別に数種類に別れて実行された。

GEI構想の運用開始によって配備の改変を開始したHMRDFは、CAMの次の段階と して、通常部隊に随伴し、火力支援および常駐監視のための新装備の配備を模索 していた。当初HMRDFは旧式化したCAM64S/65-SYSTEM30をこの任務に充足する 予定であったが、定位置での守備・監視任務に使用するには不都合な点が多く、 特に機動重火力としての能力および防空火力としての能力は決して高いもので はなかった。また長期間の駐留能力においても満足する結果が得られるものでは なかった。現時点ではHMRDF参加国の通常兵力によって一時的に充当されている が、輸送能力や展開効率が満足できるものではなく、専用の機動重火器の配備が 急務となっていた。
西暦2003年。HMRDFはCAM70の配備開始と共に新しいカテゴリーに属する機動 重火器の開発をPPAに依頼した。しかし、PPA.CO.は次期CAM-Aの開発にその能 力のほとんどを注ぎ込んでいたために、完全な形での開発を行うことができない 状態であった。そのため、PPA.CO.は各国の企業と共同で開発を行う方針を決定 した。当時、主要先進国は西暦2002年の国際通常兵力制限条約によってその通 常兵力の新規発注の削減を行っており、結果としてそれら国家に属する企業は大 幅な受注の減少を受けていた。将来的に持続する大量受注を獲得していなかった 企業は民需産業への転換を計り、また軍需によってのみ経営を維持してきた企業 は、次々と他の企業に吸収合併されていた。軍需産業その物が完全に低迷し、 PPA.CO.の軍需部門だけがCAMおよび2002年に初められたGEIシステムの受注で 好調を維持していた。しかしPPA.CO.自体も民需と軍需の明確な分割を行い、こ の時点で、民需部門の完全な民営化と各国に存在するPPA.CO.の現地法人の独立 採算制度化がほぼ完了していた。このような情勢のなかでPPA.CO.の本部軍需部 門は、国際連合の直属の元にHMRDFとの直結企業としての存在が確立され、企業 存続のための各種の特権が与えられていた。そのためPPA.CO.以外の企業にとっ て、PPA.CO.の軍需部門の下請けとなること、および提携契約を結ぶということ は、その特権の一部を利用できることに他ならなかった。

新しいカテゴリーに属するシステムはFSE(Fire-Support-Equipment)と呼ばれ、 PWS部隊に随伴し、火力支援を行なうためのシステムで、装甲戦闘車両FVとは 別のカテゴリーに属していた。当時のFSEの基本仕様は、全長8m、全高5m、総 重量32t、乗員3名で、燃料電池を動力源とする大型地上機動兵器であった。し かし、一言でFSEといっても、大型火力支援型から、小型の偵察型までさまざま なタイプが開発されていた。基本的には、3名または4名によって運用され(1 名での運用も可能)、合計7箇所の兵装ステーションに作戦内容に応じた武装を 装着し、地対地および地対空に使用することができる。またステーションユニッ トを使用することによって、工兵部隊での運用も可能となる。基本的に標準形態 というものを持たず、ベーシックユニットFSE-1に必要な装備を取付ける。FSE の中にはCAMと異なり、その動力を燃料電池に依存せず、高容量二次電池および ガスタービンエンジンによる発電によって動力を得るシステム構成のものもあ った。

GEI構想の具現化によって、HMRDFは侵攻攻撃を担当するCAM部隊と、それ以外 の活動を行なう通常部隊の統合整備を開始した。HMRDFの中で一番重要となる侵 攻攻撃部隊は、GEI構想の中でも極めて重要な存在である。しかし侵攻攻撃部隊 の主力となるCAM(および新世代装備)は、1機当たりのコストが非常に高く、 全てを予定どうりの期間に充当することは不可能であった。HMRDFは新規開発を 行なわずに支援装備の開発を行なうようPAX-PROTECT-ARMS社に要請した。その ためPPAは、本来通常部隊の主力として開発が行なわれていたFSEの計画を変更 し、CAMの支援任務をこなすためのFSE-L(FSE-LIGHT)を開発することを決定した。
そもそもFSE-Lは、このFSE開発中に派生したコマンドスカウター(以下、FSE-CS) が元となっている。FSE-CSは、FSEをそのままスケールダウンしたような外観で、 高い機動性と高い運動性を持ち、静粛性が高く、偵察/監視任務に十分な能力を 持っていた。
このFSE-CSのパワーパックおよびベトロニクスを強化し、侵攻攻撃任務に適し た改造を行なったのがFSE-Lである。FSE-Lは各種のテストを経て、FSL48とな り、2012年侵攻攻撃部隊に配備が開始された。FSE-CSの開発はFSL48の開発と 平行して行なわれたが、FSEをFSE-LとFSE-H(本来のFSE)の2つのカテゴリ ーに分割することが決定され、名称がFSL49に変更された。
FSL48は、CAM70を主力とする高機動侵攻攻撃部隊において、その主力に随伴し、 主装備(この場合はCAM70)の戦力を補佐/補完する目的で開発されたシステム である。強襲侵攻攻撃を行なうCAM部隊に随伴し、進路啓開・掃討・戦闘援護等 を行なう。また、拠点制圧後の警戒・拠点防御も重要な任務である。
高い機動性と運動性を確保するため、CAMおよび初期のFSEで既に確立されてい る二足動歩行型の機動方式を採用している。乗員は1名または2名である。
全長4m、全高3m程度のFSL48には十数カ所にもおよぶハードポイントが設置 され、それらハードポイントには、各種の対戦車/対空火器が装備される。
100Km/hの地上走行能力と、420Km/hの飛行能力を持つ。最大連続作戦行動時間 は70時間におよび、強襲侵攻作戦終了後の拠点防衛にも十分な能力を発揮する ことができる。CAM2機とその支援機材を輸送するボリュームで、5機のFSL48 と支援機材を輸送することができる。(支援機材を最小限に止める場合は7機)  輸送機に限らず、戦略爆撃機の爆弾倉に搭載して輸送することも可能である。当 然、空中投下も可能である。浮行能力は持たないが、専用のパッケージを装備す ることによって、潜水航行(深度10mで15ノット)が可能である。
FSL48は、基本ユニットとしてのFSL48に、規格化されたコンバージョンユニッ トを取り付けることによって、4つのタイプに分けられている。主力となる単座 型のFSL48Aと複座型のFSL48B、重戦闘タイプのFSL48C、情報収集/早期警戒型 のFSL48Dがそれである。
通常5機で1小隊を形成し、4小隊で1中隊となる。中隊以上の編成は行なわれ ず、通常はCAM部隊に中隊単位で編成される。1小隊を編成する5機の構成は、 FSL48Aが3機、FSL48Bが1機、FSL48Dが1機となっている。7機編成の場合は、 FSL48AおよびFSL48Bがそれぞれ1機づつ加えられる。1中隊には、5機編成小 隊が3小隊と、7機編成小隊が1小隊、中隊直属のFSL48Cが4機で、合計26 機となる。

こうして配備が開始されたFSL48だったが、能力的には決して満足できるもので はなかった。その原因としては、FSE-CSからの改良の段階で増加した重量に、 パワーパックの能力が不十分であったことにある。この懸案事項は、FSL48の開 発段階で既に表面化しており、各種の対策がとられていたが、結局必要とされる 出力を得るためにパワーパックの大きさを主体とした本体設計を行なわざるを 得なかった。
FSL50」は、このようなFSL48の欠点を改善したもの である。パワーパックには、 CAMで技術的にはこなれていた燃料電池と新開発のスターリングエンジンを使用 したハイブリッドパワーパックを搭載した。FSL50は、このパワーパックの装換 に加えて、システム周りの効率改善などがおこなわれた。生産ライン上にある FSL48は全てFSL50に変更され、実戦に派遣されているもの以外のFSL48は全て FSL50に改造された。以後、FSL48は保存用の機体を残して、全てがFSL50に変 更された。FSL48の派生型であるFSL48B(複座型)、FSL48C(重戦闘型)、FSL48D (情報収集・早期警戒型)も、それぞれFSL50B、FSL50C、FSL50Dに改造された。 これにともなって、FSL49にも改造が行なわれ、FSL51となった。

FSL50は、その高い基本性能と運用思想に合致した機能によって、配備が急速に 行われた。
そのころ、PPA-COではCAM-Aの開発が急ピッチで進められていたが、HMRDFのCAM-A に対する要望は次第に大きくなり、PPA-COだけで開発することが困難な状況が発生 していた。PPA-COでは、異例の措置として、「FSL52」 の開発を決定した。これは、FSL開発によって分散している資産(人的・物的)を、 早急にCAM-A開発に投入するための措置である。開発といっても、基本となるFSL50 をベースとした寿命延期改造で、この開発が完了することで、FSL開発要員の70%は CAM-Aの開発に投入できることになり、FSL開発に参加した企業も生産部門と保守 部門以外のほとんどの部門をCAM-A開発に投入できることになる。
FSL52の開発は、FSL50をベースとして行われ、FSL50開発の段階で切り捨てられた 項目を中心に、特に外装関連の再開発が行われた。また、将来の新兵装に対応が 可能なように、パワーパックの出力向上もはかられた。SCU関連ハードウエアは最新 のものに更新され、ソフトウエアもリファインされた。
CAM-Aの開発完了を待ち望んでいるHMRDFは、この計画を承認し、開発終了とともに、 生産ライン上のFSL50はFSL52へと変更が行われた。すでに配備されているFSL50に ついては、年間100機程度のペースでFSL52への改造が行なわれた。

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