たかがブーイング、されどブーイング
(1998/7/6)

先日の秩父宮の日本対香港の試合。
普段はあまり見かけない光景に出くわしました。
後半、香港がペナルティキックを狙おうとする時に、ゴール裏に居座った 大きな日の丸(?)を振るサポーターと称する一団(この事は後で知りました)から、あろうことか大きな声でのブーイング。 少なくとも国内のラグビーの試合では滅多に見られない光景だけに 多くの観客が唖然としたのはいうまでもありません。

遠目から見ても若い人達ばかりで、ジャパンのラグビーのサポーターというよりはサッカーを真似て単に目立ちたいだけなのだろう、と思っていたのです(今でもそう思ってますけどね)が、 後で協会のホームページを見ると「今までの日本の応援の仕方が『熱い一つのうねり』になっていない」などと、まるであのサポーターと称する一団を擁護するかのように書いてあります。 もう驚くばかりです。

いったい協会は日本のラグビーの応援風景をどうしたいというのでしょう?
ジャパンが素晴らしいプレー、素晴らしい戦い振りを披露さえすれば、 観客が『熱い一つのうねり』となって一体化するのは、あのスコットランド撃破の秩父宮での戦いを思い起こせば解りそうなものだと思うのですが…。 それをまさか自分達の試合内容を棚に上げ、あたかも観客の応援が足りないというような立場を取るとは…。

ラグビー協会もあせっているのでしょうか? サッカーがWC人気でかつてない盛り上がりを見せているのに比べ、 ラグビー人気は凋落の一途。 何とか人気回復を図るためには、サッカーと同じようなサポーターと称する集団を作り、そこからファンを増やしていく、そんなことを目論んでいるのでは? と勘ぐりたくもなります。

もちろんファンが増えるのは良いことです。 かといってサッカーの悪しき観戦スタイルをそのまま持ってこられては閉口します。 他のスポーツではなかなか見られない、ラグビーの素晴らしい応援スタイルをスポイルするような方向に向かうのは納得できません。

たとえば携帯電話。
『電車内での使用禁止』をJRなどは一所懸命呼びかけていますが、一向に改善されません。 『自分さえ良ければ他はどうでもいい』というような認識を持った人たちには全然通じないようです。とりあえず、『小さな声で話をすればいい』というのが暗黙の了解になりつつあるようで、あちらこちらで、独特の呼び出し音が始終鳴り続けているのが現状です。

こんな状況では、正直にJRのアナウンス通りに、毎度毎度電源を切っている方が馬鹿を見てしまいます。結局マナーをキチンと守っていた人たちでさえ、同じような行為を犯すようになるのです。いとも簡単に『悪貨は良貨を駆逐する』のです。

ブーイングも同じように思えます。
「テストマッチだから特別なのだ」という声もあるようですが、たとえば初めて見たラグビーがもしテストマッチだったらどうでしょう? テストマッチはブーイングしても良いが普通のラグビーの試合はだめだ、とそんな線引きが理解できるはずがありません。、相手チームがPGを狙う瞬間にブーイングすることはラグビーの試合においては当然の行為だと思ってしまうのではないでしょうか?

その行為は他の試合に対してもあっという間に飛び火するはずです。 すでに学生達のマナーの悪さで問題になっている早明戦や、今でさえ目に余る企業動員によって、一般客の迷惑を省みない席取りや相手チームがPGを外したときに大きな拍手をする行為などが堂々と行われている社会人大会などで、 ブーイングという応援方法(!!)が、それこそ協会の言う『熱い一つのうねり』の悪いカタチとなって広まっていくのにそう時間はかからないでしょう。

そもそもテストマッチだけ特別視するかどうかということ自体、まったく個人の自由だと思います。 皆が皆ナショナリストというわけではないのですから。
日本代表よりも自分の会社のチームを熱烈に応援したい人も いるでしょうし、ジャパンなんかどうでもいい、母校の応援がイチバンだ という人もいるでしょう。
そういう人たちが、ジャパンだからブーイングOKという行為に 納得できるとは到底思えないのです。

ブーイングというものは、選手であれ、レフェリーであれ、納得のいかない、或いは不正な行為をしたときにそれに対して浴びせるものだと私は思います。
(ちなみに自戒を込めていえば、私も第二回WC予選の秩父宮での対韓国戦で 韓国の選手にブーイングした経験があります。 怪我をした彼がなかなかグラウンドの外に出なかった行為が不当な遅延プレーだと思えたからです。 それでも今ではあのブーイングは間違っていたのではないか? と思います。その後のプレーを見た限りでは、彼の怪我は相当ひどいもののようでしたから……)

自分の応援するチームを勝たせたいがために相手チームにブーイングをする。
いったいこれほど醜い行為がどこにあるでしょう。 ただ自分の好きなものを贔屓するために相手の行為の邪魔をする。こんな行為のどこが正当化されるのでしょう?  いじめや差別とどう違うのでしょう?
私には全く分かりません。
『正義』とか『良心』とか『公平』とかいう言葉はどこへ行ってしまったのでしょう?
極端なことをいえば、幼稚園や小学校の運動会で、我が子を勝たせたいがために、他の子に対して嫌がらせをする、こんな親が出てくるのも近いのかもしれません。 そんなことまで思いました。

このホームページで観戦記を書くようになってから一年以上経ちました。
そのなかでひとつ、私の心に残った印象的な出来事があります。

ある大学の試合を見に行った時のこと。
その試合は、初めて二部から一部リーグに昇格した大学と優勝候補の筆頭に挙げられた大学との対戦でした。試合は大方の予想を裏切り、昇格したばかりのチームが優勝候補からあわや大金星を奪うか?という白熱した試合になりました。

観客席で応援する新興チーム側の控えの選手達も気合が入ったのでしょう。 相手チームがPGを外す度に、いっせいに大きな拍手と歓声を上げました。 わたしにとって、それはあまり見たことの無かった応援のカタチであり、 驚きと同時に非常に不快感を覚えました。 気になったのでその行為を観戦記の中で非難したのです。

すると数日後に一通のメールが届きました。
「差出人は?」と見るとそのチームの関係者の方でした。 「クレームだろうか?」と思いながら、私はそのメールを読み始めました。 ところがそれはクレームどころか、『言われるような行為を犯したことを非常に反省しています。それを戒められなかった私たちにも責任があります。部員達にも通達し、今後は気をつけるよう努力します』という内容のメールだったのです。

たかだかどこの馬の骨が書いたのか解らない、勝手に言いたいことだけを書き連ねているHPでの観戦記でのことなのに、非常に真摯で誠実な態度で書かれてありました。 私は恐縮すると同時に、そのチームの関係者のラグビーに取り組む姿勢に大きな感動を覚えました。

勝ちたいのは誰だって同じ。勝たせたいのも誰だって同じです。
観客席にいる選手達が自分のチームの勝利を願う気持ちには、私たち観客やファンとは比較にならないほどの思いがあるかもしれません。その気持ちは痛いほどよくわかります。 だからといってブーイングが許されるのでしょうか?

互いにペナルティキックの度に観客席から大きなブーイングが飛び交うような、そんな殺伐とした試合を私は見たくありません。 非常にハードな接触プレーのあるスポーツで、ややもすると喧嘩と見まがうばかりのラフプレーが簡単に起こりやすいスポーツだからこそ、応援風景ぐらいはお互いに奇麗なスタイルでやりたいと思うのです。

日本におけるラグビーの応援風景の素晴らしさ。グローバルスタンダードであろうとなかろうと、観客におけるノーサイドの精神はかくあるべき、といったような旧き良き応援スタイルの伝統をなくしたくはありません。

昭和46年9月28日。
秩父宮でのジャパン対イングランド戦。続々と訪れる観客を収容しきれずにメインスタンド側のグラウンドにロープを張り、そこに観客を入れて行われた壮絶なテストマッチ。 相手チームのペナルティキックに対してブーイングを浴びせるような観客ばかりだったら絶対にできなかったことです。 イングランドチームが断固として拒否したに違いありません。
旧き良き時代のヒトコマですませたくないような事実だと思います。

ラグビーの実力では世界一になれなくても、「観客のマナーは世界一だ」と言われるように。 そして、その『ニホンにおけるラグビー観戦風景』こそが『熱いうねり』となって世界中のラグビーファンに広まっていくような。 甘っちょろいと言われるかもしれませんが、そんなことを思うのです。
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