最終更新日:1997年3月31日

ジャパニーズラグビー

これが日本ラグビーの生きる道

※これが私がHPとして、一番最初に書いたものです。
1997年4月1日にアップするため、前日に書いた文章です。
今読むと、素人丸出しの的を得ていない考えで、穴があったら入りたいぐらいですが、
この日からこれまでの約20年間で、生観戦した試合だけでも400試合以上、
テレビ観戦を入れれば1000試合は優に見ることで、少しずつ目が肥え、
なんとかまともな観戦記になり、「ラグビー傍目八目」は
多くのラグビーファンの方々に愛されるようになっていきました。

そして20年近くの時を経て、昨年の歓喜の南ア戦勝利を観ることが出来ました。
ここから私の本格的な”ラグビー愛”が始まったので、いちおう記念に残しておきます。
”日本のラグビーが世界に伍して戦える日を夢見て”18年以上。長かったなあ、と思います。
故北島先生、無礼な発言申し訳ありません。お許しください。<(_ _)>(2016/2/12)


日本ラグビーは七人制ラグビーの15人バージョンを目指すべきではないか、と思います。
言い換えれば、

前へ、なんて言ってたら、大きいものには絶対にかないません。
だいたい日本人は、背が低いわ、手足が短いわで、

もともとラグビーというスポーツには向いてない人種なのです。
にも関わらず、世界に対抗していこう、という所に無理があるんですから。
当たり前のことをやって、ぶつかり合いの勝負をしていたら、勝てるわけがありません。
それなのに、『ボールを持ったらとにかく前へ進め、それがゴールへの最短距離だ。』
などという理論が(これは一体理論なのでしょうか?)
つい最近までまかり通っていたのですから恐ろしい国です。

たしかに、国内だけでやれば、そういう体のでかい選手を見つけ、敵にぶち当たり、
相手を倒していく練習だけで日本一のチームを作れるかも知れません。
しかし、一応ワールドカップが始まり、世界と戦わなければいけないのですから。
まあ、そんなことやめて、日本にはラグビーと良く似たらぐびいという球技があるんですよ、
と開き直って、

外国とは一切試合をせず鎖国状態に入る、というのも一理あるかも知れません。(これは悲しい・・・・)
まず国内で各々のチームがいろいろな戦術を考案し、模索しながら、ああでもない、こうでもないと、
より実験的な戦法を試してみるのがもっと必要なのじゃないでしょうか。

ラグビーにはまだまだ戦術的に未開発の部分がたくさんある、と思います。
ただ、それを試すには国内の試合数が少なすぎますが・・・・。
とにかく試合数を増やし、同じレベルのチームとどんどん戦えるような形にするのが
日本ラグビーのレベルアップにつながるのだと思います。

そういう意味では関東の大学の対抗戦グループとリーグ戦グループのいがみ合いは
どうにかならないのでしょうか。
早く一つにしてもっと多くの白熱した試合が見たい、と思っているのは私だけではないでしょう。
明治対大東大のフォワードごり押し試合や、早稲田対法政のランニングラグビー合戦が、
年に一度必ず見られるなんて、ラグビーファンじゃなくても (ラグビーファンだけですが・・・・) ワクワクします。

対抗戦は一部と二部に別れて試合数も各校同じくするらしいですが、(ほんのわずかの進歩です・・・・)
それさえも相当反対があった、と聞いています。
まったくラグビー界は役所なんかよりよっぽど旧態依然としているところのようです。
伝統、伝統などと言って反対する御仁もいるそうですが、
『弱い日本の伝統なんかいらんわい!』と言いたいくらいです。

それにしても協会は一体何をやってるのでしょうか?
平尾ジャパンの船出ともいうべき3月29日のセレクションマッチは、
当初は観客を入れた公開マッチになる予定だったはずですが、
協会が秩父宮のスタンドの使用許可を取っていなかったために、入場不可となってしまったんだそうです。
秩父宮競技場が、実は国立競技場の管轄で、ラグビー協会の持ち物じゃなかった!ことにも驚きましたが。
結構みんな楽しみにしていたはずです。(たぶん競技場まで行った方も相当いるんじゃないでしょうか)
平尾監督も肩を落としていた(サンケイスポーツによる)そうです。
ラグビー協会の方々、もっとしっかりしてください!
最初からこれじゃあ、お先真っ暗じゃありませんか!

1997 年3月30日:記


そういうわけで協会やラグビー界への不平・不満をどしどし書いていこう、と思っています。
もちろん感動したプレイなども書きたい、と思っていますが。
とにかく日本のラグビーが世界に伍して戦える日を夢見て・・・・。

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