駅家町新山(にいやま)には、今から約1200年前に建てられた、 大坊(だいぼう)(福盛寺)があります。平安時代の初め頃です。 開基者は日大上人で、天台宗のお寺で初めは服部大池に西、油田 (ゆだ)にありましたが、約850年前に真言宗に改められて現在地 に移動しました。この時には、末寺が12も建てられて、大坊、 松本坊、下大坊、金蔵坊、東円坊、中坊、日光坊などで、当時と しては珍しく大きなお寺でしたが、慶長5年福島正則が没収しました ので、次第に衰え、現在は大坊と松本坊のふたつの坊だけに なりました。 昭和27年には、準別格本山になり、現在に至っております。 この寺の本尊さんは、千手観世音菩薩です。この寺は、準西国、 第32番目の札所になっています。 本堂の西に牛王(ごおう)神社があり、大坊を守り、その近くの 熊野権現さんが、松本坊(松雲寺)を守っています。 この近くには、八畳岩や、赤子岩などがあります。 大坊の寺宝のうち、弘法大師御請来の宝鈴(ほうれい)は重要文化財 に指定されております。
駅家町は昔の郷が中心となって栄えたところが、合併に次ぐ合併で 現在の駅家町になったものですが、各郷はそれぞれに歴史のある所です。 なかでも服部は駅家町の中でも最も歴史のある所でございます。 しばらくは約3〜4000年前にさかのぼりましょう。 この地方では縄文式土器の破片(石斧や石槍や石包丁)が雨木や永谷 からたくさん見つかっております。もちろんそれ以降の弥生式土器や 青銅器も多く発見されております。この頃から集落が出来て、 共同生活をするようになりました。大和朝廷ができたのが、この頃と 言われております。即ち、1600年前で、ちょうど、大陸の進んだ 文化が我が国に輸入されて、古墳がたくさん作られました。 服部では200個以上の古墳が有ると言われております。金環塚は 駅家町では最も大きな古墳です。 この頃から「はたおり」が服部で始まりましたので、ここらを 織部の県(おりべのあがた)と呼ばれておりました。織部とは 「はたをおるもの」という意味です。ちょうどこの頃、大陸から渡って きました秦氏の一族がこの服部に来て新しい「はたおり」を始めたのでは ないでしょうか。県(あがた)は天皇、皇后などの直轄の土地の名前です。 できあがった織物は門前市場で商いされたため、服部の人はみんな大金 持ちになりました。