ソビエトでのカメラ製造はかなり古く、1930年代にはすでに バルナックライカタイプのフェドが製造されており 数本の交換レンズも存在しました。
また、乾板を使用したクラップカメラ・ハンドカメラなども製造していました。
ここに挙げるKIEVは第二次世界大戦で戦勝国となったソビエトが ドイツ領イエナにあったZEISSの工場を接収したことで始まります。

当時世界最大の光学産業であったZEISSの設備・人員を戦時賠償品として ソビエト領内に移動させたことがこのカメラの発端です。
この経緯にも諸説ありますが、その設備・人員を根こそぎ持っていったわけではなく
一部はそのままイエナに返還され、移動させた技術者も少数だったともいわれています。
その後も東独のツアイス・イエナとは密接な関係を保ち ロシアからの素材の供給・技術者の交換などが行われていたということです。
しかし、ZEISSで使われていた製造設備・工具・治具などは 同等のものが移送され、もしくはロシアで複製されたのは間違いが無いでしょう。
これにより、ソビエトでZEISSの当時のカメラを範とした一流のスペックを誇るカメラ・レンズが 多く製造されることになりました。
これらは現在では多く「コピー」と呼ばれていますが それは極く初期のことであり、その原形から ソビエト独自の発展を遂げていきました。
レンズにしてもその構成が変化するなど、「コピーとはいえない進化」が続いていたのです。
一概にロシアカメラ=コピーとは、余りに物を知らない言い方といわれても仕方がないでしょう。

KIEVの原形は当時ライカと並び称された。CONTAX II型・III型です

最初の製品はKIEV1947/KIEV1948/KIEV1949と呼ばれ ほとんどがドイツからのパーツで組み上げられたものでした

その後1950年になりCONTAX IIタイプのKIEV-2、CONTAX IIIタイプのKIEV-3が発表され ソビエトのカメラとしてのKIEVが誕生しました。
その後の発展系として、シンクロがついたKIEV-2a・KIEV-3aとなり 機構の見直しがはかられたKIEV-4A・KIEV-4
そのチューンダウン(?)としてKIEV-4A type2 ・KIEV-4 type2 最終形としてKIEV-4AM・KIEV-4Mとなりこのカメラの終焉を迎えました。
このほかには、一層のスペックアップを図ったKIEV-5や 特殊なバリエーションタイプが認められます。

   
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ドイツ製パーツのアッセンブリ

ロシア(ウクライナ)での量産化

シンクロ搭載

機構の見直し・ブラッシュアップ。露出計はCONTAX IIIaに準拠

最高速1/1000。グッタペルカは堅いものになる。各部仕上のトーンダウン

最終形、スプール固定。仕上げはさらに粗くなる。

CONTAX II
-→
KIEV 1947-1949
KIEV-2
KIEV-2A
KIEV-4a
type-1
KIEV-4a
type-2
KIEV-4AM
露出計なし

1936

1947-49

1950-55

1955-59

1958-74

1974-80

1980-87

CONTAX III
-→
--→
KIEV-3
KIEV-3A
KIEV-4
type-1
KIEV-4
type-2
KIEV-4M
露出計あり

1936

1950-55

1955-59

1957-74

1974-80

1977-87

KIEV-5

1967-73

ブライトフレーム・パララックス補正内臓ファインダー、巻戻しクランク、巻上げのレバー化などのCONTAXからの脱却を図った発展形