Coming Mars 2001 (06)

2001年の火星 (6)


南極冠の生成と北半球の夏

南 政 次



 ★今回の衝は北半球のほぼ秋分(180゚Ls)に當たる譯であるから、シーズンの前半は北極冠の溶解と共に様々な現象が見られる。1997年や1999年に觀測された現象を點検出來るだけでなく、その意味に關して再考出來る好い機會でもある。
★所謂極冠交替説によれば南極冠は北半球の秋分(南半球の春分)前に急に(135゚Lsから165゚Lsで)成長し、180゚Ls以降縮小を始める譯で、いま問題の北半球の夏には南極冠は存在しない筈であるから、南極冠は北半球の現象に關わりのないことになる。
★然し、果たしてそうであろうか。

 ★ピッカリングの極冠交替説は、火星には水が寡少ということで、兩方の極冠を賄えるだけの量がないからには、交替で消費するほかあるまいというのが主な眼目であろう。
★然し、地球からは餘程のことがない限り、火星の北半球が見えるときにその南極を見ることは出來ないのであり、その逆も成り立つのである。從って、この交替説は觀測に依るものというよりも上の水極冠説を勘案した思辯的なものであると言ってよい。
★この説を日本の宮本大先生や佐伯先生も採用されていた譯であるが、極冠が水の雪や氷からなるという考えに立てばそういうことになるのであろう。
★然し、可成り舊くから極冠はドライアイスであろうという考えもあった譯で(REIGHTON-MURRAYの説は1966年である)、炭酸ガスが大氣の大勢を占める事が判明すれば、事情はがらりと変わる。
★宮本先生は1973年の火星の觀測を最後に退官されているので、幾らか免れるが、1978年になるとヴァイキングが結果を出す譯であるから、宮本先生も佐伯先生も何れにしても頬被りして済ませるのでなければ新しい觀點からの検討も可能であったと思う。
★ヴァイキングの顕著な結果は特に南極では地面温度が150K(火星氣壓の下でのCO2の昇華温度)を上廻ることが無いという點であるが、これは交替説に致命的であった筈である。

 ★極冠が150K以下に閉じ込められていると、それはCO2の氷と水の氷であろう。そしてもしCO2が主體であれば、その成因は水の極冠の場合に豫想される構造と違って來てしまう。先ず僅少な水に比して、CO2は材料としては困らない。
★嘗てのY H MINTZの炭酸ガス大氣モデルの自慢は南極冠の最大雪線が50゚S邊りに落ちるという點であったが、同時に豊富な炭酸ガスでは南極冠の消長曲線は對稱的になっている。CMO#142p1354で紹介した田中浩-阿部豊氏の論攷(炭酸ガスモデル、1991年)での結果でも、當然、南極冠は南半球の冬至(090゚Ls)で最大に至って、春分まで持續していて消長曲線は對稱に近い。
★材料が豊富であれば理想的には極冠の形成は冬至後でなく秋分直後から始まるであろう。實はヴァイキングによってCO2霜が秋分以後觀測されていることは當時既に報告されていた。例えば、68゚Sの地點は、023゚Lsには未だ霜が見られないが、039゚Ls (27 Jan 1978)では成長した極冠の内部に入っているのである(例えばP Thomas et al, Frost Streaks in the South Polar Cap of Mars, JGR 84 (1979) 4621)。半値幅20度といえば極冠は可成り大きく、縮小期の230゚Ls邊りに相當する。
★勿論上の論文で注目されている點はクレーターの壁にCO2の霜が附着している様な例であるが、實は極冠というのは滑らかな雪原などではなく、内部のクレーター剥き出しの荒々しい風景であることもヴァイキングは示したのである。その中で風下の壁に附着氷結したCO2は極冠の輝度に貢獻する。
★ヴァイキングの結果の中でもっと巷間流布・話題にされた結果は、當時着陸船(VL-1とVL-2)の地點で觀測された氣壓の變化曲線で、兩地點とも北半球の夏至以降も平均氣壓の降下を示し、149゚Ls邊り(±5゚)で「底」になり、その後上昇に轉じ、北半球の冬至で「山」になっていることであった(例えばS L HESS et al, JGR 82 (1977) 4559のFig 16やJ E TILLMAN et al, JGR 84 (1979)2947のFig 1にある)。着陸地點は北半球であるが、この氣壓降下は炭酸ガスのヘッラスも含む南極地方への氷結によって大氣中のCO2が大幅に缺損したことに據ることは明白であった(他にregolithによる吸着もあるかもしれないが)。このカーヴを見ると冬至以降もCO2は落ち込んで、南極冠が完成するのは150゚Ls邊りであることが判る。南極冠の溶解が始まると北極冠の成長が最大になるころ迄は再び氣壓は回復してゆく。
★從って、もう一度力説すると1980年代には交替説の再検討は可能であった譯である。これは草鞋を脱いだご當人達が行うのが適當だった、のは當たり前だのクラッカーである(とぼけた自己顕示塗れの繪描き藝人みたいなのがいて、1986年頃だったか1988年だったか、火星觀測の時代は終わった、もはや意味が無く、宮本博士や佐伯大先生が賢くも火星觀測を止めたではないか、と玄関天文誌に書いていたが、話は逆で、御大が畢生の主張を守る爲には觀測で反證が必要な時勢になっていたのであって、外野が言うように頬被りして黙りを決め込む時代ではなかったのである)。

 ★180゚Ls以後の南極冠が矢張りドライアイスであることも地面温度だけでなく、水蒸氣の測定でも判っていた筈である。185゚Lsから194゚Ls迄の南半球の水蒸氣を輝度と共にVO-2が經度30゚~50゚毎に測定しているが(D W DAVIES and L A WAINIO, Measurement of Water Vapor in Mars' Antarctic, Icarus 45 (1981) 216)、これによっても水蒸氣は南極冠内部には殆ど存在せず、極冠の縁から、例えば70゚Sから北で急激に増えている事が分かる。勿論、水が閉じ込められているとも考えられるが、その様にして最終局面に到って、殘留する南極冠はドライアイスであることが別に判っているから、閉じ込められては居なかったと考えるのが自然であるし、閉じ込められたままでも問題はない。
★南極冠が内部で輝度を落とすこと、縁が輝くことは地上からの觀測にも掛かっており(2001年に觀測可能)、この周邊部分は水の氷からなっていると見做すのは上の結果からこれも自然であった。
★尚、1976年の場合、205゚Lsで最初の黄雲が發生し、(先の期間の後に)塵埃が南極へ水分を運んだことが知られている。南極域の温度は上昇するのである。

 ★多分、極冠の消長と水の「渡り」とは區別しなければならないであろう。交替するのは「水」であって、極冠ではないということである。ここが大切で、そう考えれば、新しい描像は自ずから決まるであろうし、舊世代にも納得が得られるであろう。ただ、南半球と北半球ではやや水蒸氣の働きが違うようである。ミグレーションは對照的でない。軌道の離心率が大きい爲に、南半球は近日點近くで夏を迎えるにも拘わらず、冬が長く平均して日射量は低く、年平均氣温も北半球に比べて低くなる。その爲に水蒸氣の活動は北半球に比べて比較的鈍化する。更に逆説的だが、南極冠周邊の水の結晶(氷)の輝きは南極地での熱の吸收率を落とすから、地面温度を上げない。斯くして北極冠より低くなる。殘留南極冠に反して殘留北極冠はH2O、など、水分に關しては單純に南北對稱的ではないであろう。

 ★漫然と觀測するなら、季節は關係ないであろうし、特に北半球の「夏」と言っても然程興が湧かないであろうが、然し、北半球の氣象が反對側に進行して居るであろう南極冠の成長とそれに伴うCO2の落ち込みによる大氣壓の減少に、或る程度支配されているという意識があればそれに伴うであろう現象に心が動くであろうと思う。また、移動の非對稱にも心を碎くべきであろう。少なくとも從來の極冠交替説とは違う見方をすることによって新しい季節感が得られるであろう。また、この稿の目的は090゚Ls〜180゚Lsにおいてこの視點に合った現象の検出を促すことにある。
★更に言えば、火星觀測には火星の「現實」という頸木は附いて廻る。火星表面の「現實」が緑豊かだと考えた時代の觀測はそれらしい結果を得、それは新しい「現實」に負けたし、極冠が豊かな雪原か氷原が「現實」となれば、riftとかfissureというのが、まことしやかに觀測に引っ掛かる、が、これも現實の「現實」とは違うであろう。天文學にはその繰り返しがよく見られるが、だからと言って、舊い觀念にしがみつくことはない。

 ★最後に、南極冠が最終的に消失するか殘留するかどうかの問題は、交替説に關係するが、然し殘留南極冠がドライアイスであるとすれば、水のミグレーションと直接關係がない。これに就いては、「年によって異なる」というような事でどうにでも言い逃れが出來るし、モデルもパラメータの選擇によってどうにでもなる、というようなことで、餘り決定的な力がない。多分微視的には消えない。 


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