「古き者達」

[Da capo]

 季節は移り、木々の緑がむせ返るような匂いを放つ。初夏という言葉の方が近くなってきていた。
 あの後、ビルから助け出された人たちがどうなったのか、俺は知らない。
 ビル自体は老朽化と管理上の問題で、取り壊されることになったようだ。
 俺の周りの関係者は、少なくとも肉体的には全て回復した。
 流石に俺と真琴は有無を言わせず病院に放り込まれたが、どちらも一月ほどで退院できた。俺の方は結局「力」が効いていたらしく、真琴の方は深刻な体のダメージと言えば、ほとんど栄養失調くらいの物だったからだ。
 名雪の額の傷は軽く、ほとんど跡も残らないらしい。
 舞は2日ほど寝込んだようだが、どうということもなかったようだ。
 佐祐理さんはあの後、けろっと治ってしまった。どうやら、あの時点ではまだ完全に蜘蛛になりきっていなかったらしい。後から考えてみれば、確かに糸の使い方などが妙にぎこちなかった。もっとも、やはり一週間は寝込んでしまったそうだが。ちなみに、前後の経緯はさっぱり覚えていないらしい。
 そして──
「んー……」
 真琴が気持ちよさそうにのびをする。
「いい天気ー」
 ぽてん、と草の上に寝転がる。
「そうだな」
 俺もその横に寝転がった。
 俺達は二人だけで、ものみの丘に来ていた。
 真琴が外出するのはあの事件以来だ。
 退院してからしばらく、真琴はかたくなに人と会おうとしなかった。
 蜘蛛の仕打ちを考えれば、無理もない。
 俺と名雪と秋子さん、それに(細かいところは省いて)事情を説明して来てもらった天野が根気よくドアの外から話しかけ続けて、やっとドアの鍵が開くまでに半月掛かった。
「あ」
 ぐに、と頭のてっぺんを地面に付けて後ろを覗いた真琴がばたばたと手をばたつかせた。
「ん?」
 俺が素直に腹這いになってそちらを見ると、一匹の狐がひょこっと前足を上げて座っていた。
「こんにちはっ」
 真琴は無茶な姿勢のまま狐に挨拶しているらしい。
 狐は黙って俺達を見ていたが、ぷい、と林の奥に姿を消した。
「あうー……」
 くき、と首を戻した真琴はなんだか情けない顔をしていた。
「真琴のこと見ても、分からないのかなぁ……」
「ま、たまたま忙しいとか、案外全然知らない奴だったとかな」
 ふと──
 そこら中でがさがさと音がした。
 姿は見えないが、これは……
「ほら、来たぞ」
 おれは立ち上がりながら、真琴を促す。
「うん」
 真琴も立ち上がって、そして、俺の手を握る。
「……んと、あの……助けてくれて、ありがとっ」
 真琴は林に向かってぶん、と頭を振った。
「真琴、だいじょぶだからねっ。ちゃんと祐一がついててくれるって言ったからっ。だから、その、あの、えと、」
 言葉を選ぼうとして目を白黒させている(だろう)真琴の頭に、ぽふ、と手を置く。
「あうーっ」
 じたじたしている真琴に苦笑しながら、俺は、
「とにかく──俺達は、ちゃんとやっていくから。ありがとな、みんな」
 ぴこっ、と……
 くたびれた耳が、林の中に見えた気がした。
 澄んだ空が、俺達の頭上に広がる。
 結局、あの蜘蛛は何だったのか、分かっていない。
 又いつ、あんな奴が来るのかも分からない。
 けれど──
 そんなことでくじけてはいられない。
 ようやく、俺達はここへ戻ってこれた。
 この丘から、思い出はまた新しいメロディを奏でだす。
「今日は狐の披露宴……だな」
「ん」
 とん、と首を肩に預けてくる真琴。
 えらい嫁さんをもらっちまったかな──
 俺は苦笑しながら、真琴の顔をそっと引き寄せた。
 遠くで──鐘の音が響いた、ような気がした。

(了)


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