ステージ6    記憶との再会

 どがんっ!!
 かなり重い音が辺りを揺るがした。
 落下のはずみで早樹たちの体は倒れていたが、むしろそのためにゼリーの上に体が乗った状態で落下することになり、衝撃をほとんど受けずに済んでいた。
 自然見上げた格好の視界には、ぞろぞろと落ちてくるゼリーとその上を流れ落ちる粘水、そして上の階の天井とねじれた鉄筋をはみ出させる床の開口部。
「……ほんとに床が抜けたんだ……」
 いささか唖然としつつ早樹がつぶやく。
「ひえ、手が痛いや」
 悠子は手をぷらぷら振っている。
「あうぅ、目が回るですぅ」
 マルチの方は頭をふるふる振っていた。
「……さ、て……今度はどっちだ?」
 向かい合っていた格好の早樹と悠子が互いの背後に目を凝らす。どちらにも何かの気配は、とりあえずない。
「マルチ。その辺に何かいない?」
「えぇと……あるるかんは特に何も感知してないです」
 ふるふるとマルチは頭を振る。
「そうすると……」
「たぶん……すぐにここを離れた方がいいと思います」
「?」
 マルチの言葉に早樹は首をひねったが、
「上が抜けましたから、次はこの辺りを対爆隔壁で閉鎖すると思います」
 と聞いて納得した。納得すれば行動は早い。三人と一体はゼリーからどうやら抜け出すと、ひたすら通路を走り始めた。
 その数秒のち、一行の1メートルほど後ろで重い音が響いた。反射的に振り返ると、黄色と黒の縞がクロスして描かれた壁が、すぐ後ろにいつの間にか現れていた。
「とりあえず……間に合った?」
 息を整えながら、早樹がつぶやく。
「しかしマルチ、よくこう言うこと分かったな……」
 今度は一応感心した風で、悠子。
「はいっ、警備システムについてはがんばって覚えましたっ」
 マルチはなにやらむんっ、と得意げである。
「さて、いよいよ由香里ちゃんがどこにいるか、か」
「ここから下、には多分違いないんだろうけどね……」
「……地図までは覚えてないですので……」
「「「しらみつぶし」」」
 3人の意見は見事に一致した。
「って言っても、さっきみたいな荒事はちょっとまずいね」
「うん。扉をぶち抜いて、その扉が倒れた先に由香里ちゃんがいた、じゃな」
 うーん、とマルチも首をひねる。
「あるるかんがもう少し、力を抑えられればいいんですけど……」
 1分ほど考え込んでいた一行だったが、早樹がぽん、と手を打って、
「とりあえず扉を見つけよう。相手が黙ってなければ打ち合わせ通り相手すればいいんだし、黙ってたらその時に開ける算段を付ければいいんだし」
「だな」
 悠子は頷いて廊下の先に目をやった。
 純白の灯りが照らす廊下はゆったりと右へ湾曲して、先を見通すことが出来なかった。その見える範囲で、扉らしい扉はどこにも見あたらない。
「あるるかんの索敵情報ではしばらくCRのいる様子はありません」
 マルチの言葉で一行はゆっくりと前進を始めた。

 しばらく進むと通路は急に左に折れていた。曲がり角はV字に深く切れ込み、やはり先を伺うことは出来ない。
 曲がり角にさしかかり加減で、マルチがしゅ、と手を伸ばした。
(います)
 唇だけ動かして、そう告げる。
 三人と一体は左手の壁に身を寄せた。
「……で、どうする?」
 早樹が囁く。マルチはあるるかんを見上げて、
「あるるかんを出します。相手がそれで仕掛けてくれば対処もできますし、こちらの手を待つと言うことなら、あるるかんの視覚情報を私がもらってこちらから仕掛けられます」
 小声でそう答えた。悠子はとりあえず頷く。
「では……あるるかん、聖ジョルジュの剣っ」
 のそり、と歩み出たあるるかんの右腕に光芒が走り、巨大な刃が現れる。
「次の角を曲がって最初に出会ったCRとエンゲージして下さい。でわっ」
 マルチが囁くと同時にあるるかんの巨体が風のように動いた。
 ほどなく、戦闘の激しい音が──
「聞こえないね、なんにも……」
 早樹は首をひねった。
「何かいたのは、確かなんだろ?」
 悠子の問いにマルチは頷いて、
「さっきまではそうだったんですけど……あるるかんと同じくらいのスピードで遠ざかって、全然追いつかないんですよ。もうそろそろ、わたしからの指示が届かなくなっちゃいます」
「相手の姿とか、見えないの?」
「それがさっぱりなんです」
 うにゅ、とマルチはうなだれた。
「とにかく、そういうことならあたしらも出よう。今アルルカンが通り過ぎた後には、取り立てて何もないんだろ?」
 マルチが頷くのに合わせて、3人は曲がり角の向こうへ飛び出した。
「……なにこれ?」
 呆然と呟く、早樹。
「すごいね……向こうの方なんか暗くなって見えないじゃんか」
 これも呆気にとられた様子の悠子。
「はやや……大広間ですね……」
 マルチが言ったとおり──
 三人の目の前には、果てすら見えないほどの巨大な空間が広がっていた。
 天井の高さはこれまでの通路と変わらない。床の様子も同じだ。
 ただ、その広がりが、ただのものでは、ない。
 マルチがそろそろ、と通路を「空間」の入り口まで進んで、ひょこっと横を覗いてみた。
「うわぁ……ずうっと壁です……」
 ひょこっと首を戻して、マルチはそう言った。
「まいったわね。これじゃ、下手に踏み込んだら、ここへ戻ってくることもできなくなりそうじゃない」
 早樹が嘆息した。
「かと言って進まないわけにもいかない、か。……ん……」
 悠子が微かに眉をひそめたのを早樹が見とがめた。
「どしたの?」
「うーん……正直言葉では表しようがないんだけど……なんか、妙だ。ここは」
「妙、って?」
「だからなんとも言いようがないんだけどさ。こう、変に体中がざわざわするような……イヤな感じ」
 悠子の言葉は本当に早樹とマルチにはよく分からなかった。呆けた顔の二人を見て、悠子は苦笑いを浮かべた。
「ま、ンなこと気にしてたら切りがないや。とりあえず、壁づたいに行ってみよう」
「で、マルチ、あるるかんは今どこ?」
 早樹の問いにマルチはふるふると首を振った。
「もう、こちらからの探知ができなくなってしまってます。あるるかんの方からはわたしが分かるので、500メートル離れた時点で能動識別信号を送って来るんですけど……ですから、まだ500メートルは離れていないはずだ、としか」
「……ちょっと不安だわね」
「すみません、わたし、旧式なもので」
 うなだれるマルチの頭をぐりぐりとなでて、
「じゃ、行ってみようか」
 そう言った早樹を先頭に、三人はおそるおそる、壁づたいに再び歩き始めた。

 その頃。
「出力45……状況に変化なし」
 由香里に対する正体不明の実験らしきものはなおも続いていた。
「ぅ……ぅぅっ……」
 マットの上でもぞもぞと体をよじらせながら、時折うめき声を上げる由香里。そんな由香里を数対の目が冷ややかに見つめる。
「出力50まで漸次増加」
 リーダーとおぼしい看護婦姿の女性が冷静に──いや、微かに苛立ちのこもったような口調でそう言った。
「50……ですか」
 一方、命令された装置の操作手は冷静とはいいながら言葉に躊躇をにじませた。
「そう。50まで出力を上げなさい」
「しかし……50超の出力下では、オブジェクトの自我防壁が……」
「そのためのペンタグラフでしょう。……そうね。デリーターを準備しておきなさい」
「……分かりました。デリーター、テストシュート。出力増加続行」
「ぅぐっ!!……ぅ……」
 びくり、と由香里の体が跳ねた。
(うぅ……やだぁ……)
 何か、がぴったりと自分に被さり、しみ込んでくるような不快感。
 それが、長時間続く内、由香里は奇妙な感覚にとらわれた。
(こういうこと……だいぶ前に……あったような……)
 その感覚と共に──由香里の内側で、何かが湧きだしてくるような感覚。

(……頑張って、由香里)

(おばあちゃん……?)

(由香里は大丈夫だ。俺達はハードウェアを……)

(じい、ちゃん?)

(いくらプロジェクトの為だからって、親父は……自分の孫娘を!)

(お父さん……)

(我ハ……汝ト契約ヲ以テ結バレタリ)

(あ……)
 湧きだしてきたもの……が、由香里を包む。
 そして……
(なんだ。あんただったんだ)
 さっきまでただ、不快だった「それ」が、今の由香里には何なのか、分かっていた。
(我ハ汝ト契約セリ……契約ニ基ヅキ、我ハ冥府ヨリ出デキタリ)
(……ありがと。じゃ……力を、貸してね)
 由香里の中に、「それ」がとけ込み……
 由香里は目を見開いた。
「ブースターデーモン、オブジェクトに同化!自我固定状況不明!」
 装置の操作手の声を聞きながら、由香里はすくっ、と体を起こした。
「……わたし、帰る」
 看護婦姿の女をきっ、と睨みながら、由香里は言い放った。
「何をしているの!デリーター起動しなさい!」
 女の叫びに、操作手はびくり、と体を震わせながら、
「し、しかし、オブジェクトの自我状況が……」
「こちらの意志に従わない以上、消去するほかないでしょう!……っ、どきなさい!私がやります!」
 女は操作手を押しのけ、キーボードに何やらタイプした。同時に、その目の前の、サインカーブを描く画面が一転して照準とパワーゲージを表示する。照準は狂いなく由香里を捉えていた。
「デリーター起動!」
 女が叫んでたん、とキーを叩いた。すると、由香里の回りを取り囲む光が、急激に強まった。
「……」
 由香里は微かに顔をしかめた。
「……デリーター、ボルテージMAX……馬鹿な!これだけの破壊呪を受けて無事な精神など……!」
 一方、女や操作手の方は、呆然としているようだった。
(……ほっとこ)
 由香里はふぅ、とため息など落として、部屋の出口の方へ向き直った。その過程で集中情報管理装置、らしい機械のモニタの一つが目に入る。
「……!」
 その映像を見て、由香里ははっと体を強張らせた。
「まるち……それに、早樹お姉ちゃん!」

「……もう、さっきの通路も見えなくなったね……」
 相当にげんなりした口調で早樹がぼやいた。
「どこまで行ったら端にたどりつくんだ、この部屋」
 やはり疲れたような口調で呟く悠子。
「うぅ、膝のオイルが切れちゃいますぅ……」
 これは多少湿っぽい声で、マルチ。
 あまりに何一つ変わらない風景に、もはや時間の感覚すら定かでない。
 まるで何時間も歩き続けているような錯覚に、三人はとらわれていた。
「ほんとにこんなことしてて、どこかにたどり着けるのかな……」
「って言ったって……あの時まっすぐ踏み出したりしようもんなら、間違いなく前後左右なにもない空間で立ち往生だったろうな……」
「あぅぅ、あるるかぁん、そろそろ返事してくださぁい……」
 やがて、誰からともなく、足を止め、へたり込む。
「そんなに距離歩いてないはずなんだけど……なんか、一生分の気力を使い果たしたような気分」
 早樹が言って、背後の壁に体をもたせかけた。
「目的地が分からない道程ほどしんどいもんはないからね……」
 悠子は言いながら、ごしごしと目をこすった。
「?なにしてんの、悠子」
「ん……どうもやっぱ、妙な気分がさ……そう……まるで空気が空気じゃないような……うーっ、自分で言ってて分かんなくなってきたじゃんか」
 ぺし、と自分の頬を張る。
「まいったね……いい加減、さっきみたく床抜いた方がいいような気がしてきた」
 悠子がそう言った途端、その語尾にかぶせるように、出し抜けに声が響いた。
『おやおや、もうギブアップですか』
「誰っ!!」
 流石に疲労もなにも吹き飛ばして、三人共に立ち上がる。
『まったく、なんとも手応えのないCRでしたが……操縦者のほうも根性のないお方のようだ』
「!……そんな、あるるかんが……?」
 マルチがぎくりと顔色を変える。
『仕方ありませんな。こちらからお出迎えしましょう』
 その声と同時に──
 だしぬけにそれの姿は現れた。
 背丈は悠子とほとんど同じ。正直言って量感もない。小男、と言ってもいいほどの外形を、それはしていた。口髭と頬髭を濃く生やした、どこか大陸系の顔立ちの男の姿の、それ。
 瞳のない、光る目が、それが人間ではないことを示していた。
『このシュイ=フーの術の前に、およそ敵などありえんのですよ』
 シュイ=フー、と「名乗った」CRは三人から5メートルほど離れた位置に立ったまま、ゆっくりとその両手を上げ、胸の前で組み合わせた。
『臨兵闘者皆陳列前行、来臨縛鬼、急急如律令!』
 シュイ=フーから発せられた声と同時に、いきなり三人は壁に向かって吹き飛ばされた。
「ぐっ!」
「な……身動きが……とれないっ……」
「ううっ、動けない……ですぅ……」
『ふふ、とりあえず事が済むまでは、御三方にはそこで磔になっていていただきましょう』
 シュイ=フーの含み笑いが辺りに広がった。
「う……ゆ、由香里お嬢さまぁっ……!」
 マルチが絶叫する。と……

『……そんなの、術なんていわないよ』

 やはり唐突に、幼い声が響いた。
「由香里……ちゃん?」
「なんだって?」
「お、お嬢さまっ!」
 顔色を変えたのは三人だけではなかった。
『馬鹿な!一体どこから……』
 シュイ=フーがかなり慌てた様子でそこらを見回す。が、茫漠たる空間と壁が広がるばかりの、どこにも声の主は見あたらない。
『まるち、早樹お姉ちゃん、とりあえず、まやかしを解くね』
 由香里のものに間違いない声がそう言うと、突然あたりがまばゆく光った。
「!!」
 瞬間的に目を閉じて、ゆっくりと目を開いた早樹は──呆然とした。
「なに、これ」
 そこは広い空間などではなかった。
 先ほどまで歩いていた通路と何ら変わりはない。
 それどころかすぐ目の前で、通路はまた右に折れている。
 天井のライトで明るさにも問題はない。
 そして、ちっとも広くないその通路に……
 シュイ=フーと、それと変わらないほどの背丈の小男と、そして……あさっての方を向いて静止しているあるるかん。
 気が付けば、自分を縛めるものなど何もなかった。
「なんか変だと思ったら……幻覚を見せられてたってわけか」
 隣で悠子の声が聞こえる。
「生体/非生体感覚攪乱能力を持つCRが作られたとは聞きましたけど……そういうことだったんですね」
 マルチの声に呼応して、あるるかんがうっそりと早樹達の方へ向き直る。
「う……催幻空間が、外部から解除されるなど……シッペイですら、この催幻空間は認識できんというのに……」
 小男が顔色を蒼白にしながら呟いた。
「とりあえず……」
 た、と床を蹴って──早樹は小男の水月に無造作に正拳をひと突き、打ち込んだ。あっさりと小男が昏倒する。
「……」
 ちら、とCRシュイ=フーに目をやり、マルチを見る。マルチはふるふる、と首を振った。
「その人の頭に、インターフェースバンダナが巻いてあるはずです。それを壊せば、もうこの子は動かせませんから……」
 男をひっくり返すと、額に金属の帯のようなものがあった。指をかけて引っ張ると、バンダナ、と言うよりは、カチューシャのような形状をした薄い金属板が持ち上がり、その端から細いケーブルが延びてきた。ケーブルは男の服の中にのびていっている。早樹はそのケーブルをぷち、と引きちぎった。
「これでいいの?」
 早樹の問いにマルチが頷く。
「あと、念のため駆動ロックをかけときますね」
 マルチはぱたぱたとシュイ=フーに近寄り、数秒間何かの作業をしていたようだった。。ややあって、早樹と悠子の方を見て、こくり、と頷く。
「しかし……今の、いったい何だったんだ?」
 悠子は怪訝な表情でしきりと首をひねっていた。
「今の、って……」
 不可解な事と言えばてんこ盛りに過ぎて、どのこととも特定できずに早樹がオウム返しに聞き返す。
「さっきの女の子の声、早樹とマルチ、由香里ちゃんだ、って言ったよな」
 早樹とマルチは首を縦に振った。それが由香里の声であったことは確かだったからだ。
「一体どこから声がしたんだ?」
 それは早樹にしても分からないことだったので、自然マルチに視線が向く。
「ですから、お嬢さまは魔女なんですよ。まだ、駆け出しなんだそうですけど」
 マルチはさらり、とそう言って微笑んだ。悠子はもちろん、早樹もそう言われては返す言葉もない。
「とりあえず、由香里ちゃんは無事……なんだよね、これって」
 早樹の言葉にマルチは力一杯頷いた。
「それだけ分かれば充分。じゃあ、さっさと進もうぜ」
 再び、一行は通路を進み始めた。

 ところ、変わって──
 雨月館最下層、非常脱出ゲート。
「……」
 数人の、硬い表情の男達が、銃を片手に守りについていた。
 あと数分で通常勤務の交代時間を迎えるはずの所を、突然の第二種警備態勢発令のために休憩をチャラにされたのである。表情の硬さには、どうもその辺も混じっているようで、どちらかと言えばうんざり気味の者もいる。
 が、場所が場所……こちらからの侵入を許してはもはや打つ手がない、という関門だけに、さすがにだれている訳にはいかない。
 緊張で体が固まりきるのを防ごうと、男の一人が僅かに身じろぎした、その時。
 不意に──男の後ろに、「影」が現れた。
 「影」は音もなく男の口を手でふさぎ、そのまま地面へと引き倒した。口を塞がれたときに薬物でもかがされたのか、男は何の抵抗もなくぐにゃりと座り込む。
「?おい、どうした!?」
 その気配を察したらしい別の男がばっと振り向く。……が、「影」はいつの間にか今度はその男の背後に回り、やはり男をやすやすと引き倒す。
 あっという間に、ゲートを守るガードは全員が行動不能に陥った。
 それを確かめるように、「影」はゆっくりと辺りを見渡す。
 「影」……漆黒の、長身の人型が、す……と滑るようにゲートの一つに近づいた。
 そして、
「──切」
 微かなつぶやきと共に、10数センチの厚みのある鋼のゲートを、手刀で豆腐のようにすっぱりと切り裂き、ゲート内に侵入する。
 ゲートの非常警報が鳴り響く頃には、人型はとうにその姿を消していた。

ステージ6 幕


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