ステージ7   カウントダウン

 早樹・マルチ・悠子の三人が進む通路は、シュイ=フーのいたところで右へ折れてから、すぐに右に折れ、再びすぐに左へと急角度で折れ曲がっていた。この間、とりたてて三人の行く手を妨げるものはない。強いて言えば、このおよそ効率的とは思えない奇怪な通路の構造そのものが邪魔ではあった。
「──この施設って、内部での戦闘を前提に作られてるのか?」
 悠子が首をひねってそう言った。
「いえ……それはまぁ、テロリスト等の襲撃はもちろん、考慮してるはずですけど」
 マルチがきょとんとした様子でそう返す。
「じゃあなんだってこんな、人通りの邪魔になるほどぐねぐねしてるのか、か……」
 早樹が言った言葉に、同じ考えだったらしく悠子が頷いた。
「落っこちてきたところからたどると、こう……」
 と、悠子が空中に指で軌跡を描く。

「……こんな感じじゃなかったっけ?」
 一行、しばし残像を脳裏に浮かべて……マルチ、一言。
「……たこ、でしょうか?」
 こけ、と早樹と悠子は足を滑らせた。
「どーやったらタコに見えるのよ、あれが?!」
 早樹が呆れ顔で突っ込むと、マルチは心底困った様子で、
「横向きのたこさんに似てるなぁ、って思いまして……」
「いやまぁ、タコに見えなくもないけどさ」
 ため息と共に悠子が一応フォローを入れた。
「通路でタコの絵を描いて、ちゅうちゅうたこかいな、じゃないでしょ」
 早樹の冗談通りではあるまいが、この通路の構造が奇妙に過ぎるのは確かだ。
「なんか……つい最近見たことのある形のような気がするんだけどなぁ」
 悠子が頭を掻きながら、うー、と唸った。
「見たことって……どこで?」
「それが思い出せたら何の形かも思い出してるってさ」
 悠子はそう言ってため息を落とした。
「それにしても、通路がずうっと続いて、扉の一つもないわね」
 早樹はここまでの通路の様子を思い返してみた。地上から下りてきて以来、扉の類にはただの一つもお目に掛かっていない。
「そうだね……けど、何にもないってことだけはないね。そんなとこに無駄な要員割いてるほど、こちらさんも暇じゃないはずだし」
 悠子がそう応じた。
「……隠し扉、とか?」
「研究施設に、か?でもまんざらないとも言えないか、この様子じゃ」
「だとすると、あるるかんの探査能力では手に余りますねぇ……」
 はふ。
 3人のため息が重なった。
 と……
 後ろの方に僅かな空気の動きを感じて、悠子が振り返った。
「……開いてるぜ、その隠し扉」
「「えっ?!」」
 慌てて早樹とマルチがその視線を追う。丁度3人の真後ろ、さっきまで壁としか見えなかったところに切れ目が入り、僅かにこちら側に開いていた。
「どう見る……?」
「聞かれてる、としたら、完璧罠だね」
「CR……のいる様子はないですけど……」
「この先に進ませたくない──ってことかな」
 早樹の判断に悠子も頷く。
 開いた扉を無視することに3人の意見が決まりかけたところへ、
『……こっち』
 どこからともなく、微かな声が聞こえた。
「え……由香里ちゃん?」
「お嬢さまっ?!」
 再び聞こえた由香里らしい声に反応する早樹とマルチ。
『……そっちが階段。わたしも、そっちの方に行くから』
「ちょ、ちょっと待って!今いるとこが危なくないんだったらそこにいて!」
 思わず、声に応えるように早樹が叫んだ。
「ちょっと待て、は早樹、あんただよ」
 ぐい、と悠子が早樹の肩を引き寄せた。
「なに?」
「『これ』、本当に由香里ちゃんか?」
 言われて、はやっていた意識がはっ、と落ち着く。
「声は……由香里ちゃんの声だよ。口調とかも」
 とは言ったものの、つい先ほど幻覚を操るCRなぞというものに出くわしたばかりである。そいつには早樹や悠子はおろか、マルチにあるるかんまでが引っかかった。
 だが、マルチは声の主が由香里であることを疑っていない様子だった。
「この辺のスピーカーに活動反応はないですし、攪乱系のCRを近くに2機も置くなんてぜいたくです」
 と、いうのが彼女の論拠であった。
「それに、分かります。……その、……あの、……な、なんとなく、ですけど」
 だんだん尻つぼみになりながらもそう言われると、なんだか早樹にしても、悠子でさえ、疑う気力が失せてきた。
「よっしゃ、分かった。どのみちどこへ行ったって罠がないわきゃないんだ。やばくなったときに遅れずに逃げりゃいい、ってことにしとこうか」
 悠子がマルチの頭をわしわし、となで、それが出発の合図になった。
『う〜ん。じゃ、待ってるね、早樹お姉ちゃん』
 遅れて返ってきた返事らしい声を聞きながら、一行は隠し扉へと向かった。

 その頃。
 由香里はすることもなくなって暇をもてあましていた。
 依然敵中にあることには違いないのだが、なにしろ周りの人間は全て昏倒している。
 モニターに映った姿で危地を知った早樹達を助けてから、余りうるさいので自分に向けて放たれている力を薄めて部屋中にばらまいたらあっという間に全員がぶっ倒れてしまったのだ。さすがに怖くなって慌てて脈を取ったり、まぶたをめくったりしては見たが、とりあえず死んではいないらしいことは分かったので、由香里は放っておくことにしたのだった。
 ふと思い出してモニターを見ると、早樹達が特殊ドアに気付かずに通り過ぎてしまったので、慌てて声を掛けたのである。由香里としてはとっとと合流したかったのだが、早樹の口調がかなり強かったので、言うとおり部屋にじっとしていることにした。
 結果、暇でしょうがなくなった、というわけである。
 ぼーっとしていると、なにとはなしに、今よりも小さかった頃……いわゆる物心ついたかどうか、という頃の記憶が蘇ってくる。
(たぶん……『これ』をくっつけてるからだろーな)
 『それ』は由香里の内にあって沈黙していた。先ほどのように精神破壊呪を正面から叩き込まれるようなことになれば自動的に守ってくれるが、由香里が自分で出来るようなことには一切手も口も出さない。『それ』はそういう『もの』で、だからこそ彼女の祖母が彼女に選んだのだった。
 に、しても、本来この世に相容れない存在と一体化する……それも互いに独立を保ちながら、というのは修練を積んだ魔術師にもそうそうできることではなく、最初に『それ』と接触できるまでは泣き叫ぶほど辛かったのを覚えている。
 しかし。
(なんでこんなことしたんだっけ?)
 なにか理由があったようには思う。それは、例の護符のことではなかったように思うのだ。
 思い出せないことを無理に思い出すでもない、と、由香里はそのことを横へ置いて、暇なときの癖で、ただぽけらっと座っていることにした。
 そのとき、由香里がもし、周囲に気を研ぎ巡らせていたなら──あるいはほんの少し、この後の事情は変わっていたかも知れない。

 ドオォンッ!!
 鈍い爆発音が館の裏手を揺るがした。
「へへっ、『パラケルスス』能力全開の即席液体爆薬だ、これでケリがついたろうぜ……」
 若い男がニヤリと笑った、その目前の黒煙が異様な量感に膨れ上がる。
「……んだと?直撃したはずだろ?!」
 男は慌てて自機に後退指示を発したらしい。小山のような巨体が外見に反した敏捷さで後ろへ下がる──が、膨れ上がった煙の中から現れた巨大な刃が巨体の先端を捉えた。そのまま、刃は豆腐でも貫くように大型のCRへと潜り込む。
「やべぇ、逃げろ、浜岡ァ!」
 後ろから呼びかけられた若い男が、つい、振り向く。
 その隙が却って命取りとなった。
 すっと刃が引き、間を置かずに大型CRが爆発四散する。
「ったくバカヤロウがっ!!」
 ぎりり、と歯がみして、雪田青峰は潜んだ林の中から彼らの前に立ちふさがるCRを見た。パラケルススの最大の欠点はあるるかんと同じくらいに指示波の感度が低いこと──つまり、操縦者が側を離れられないことだったが、見事にそれが裏目に出たわけだ。
「あいにく、雪田のダンナの好みはこっちも承知でね……来ると思ったぜ」
 遠くから男の声がする。
「表はキヨヒメに任せて裏手はこのケルブが仕切る。本調子とはいかねぇが、なにせ雨月館だ、戦闘可能なとこまでの応急修理にゃ問題なし──ってわけよ」
 天使型CR、ケルブの禍々しい姿が月光を反射して浮かんでいた。
「浜岡のパラケルススじゃあ力不足ってぇですかい……」
 雪田はしかし、不敵な笑みを浮かべている。
「それならこいつはどうです?」
 雪田の声と同時に、青い巨体が藪から躍り出た。
「……後鬼?オズヌか!」
 青いCRの一撃をケルブは紙一重でかわす。それを追って鋼の巨体が跳躍する。しかし、やはり不完全とは言え飛行能力を持つCRに、ただでさえ図体のでかいそのCRの鉤爪は僅かに届かなかった。腕が空振りして一瞬バランスを崩した隙に、ケルブの凶刃が襲いかかった。
「なんだなんだ、しばらく見ない内に腕が落ちたんじゃねえのか?ダンナよぉ」
 嘲る男の声が響く。一呼吸置いて、鉄屑と化した青いCRの落下音がとどろいた。
「それじゃあ、念のために御大も片付けておこうかね?」
 ケルブがすっ……と宙を滑る。
 と、思った途端。
 そのケルブがいきなり急反転して、館に斬りつけた。
「なっ?!どうした、ケルブ!」
 先ほどまでの余裕をすっかり失ったように、怯えさえ感じ取れる男の声。
 どうした、といいながらも、理由が半ば分かっているが故の、それは怯えであった。
「まぁったく……シッペイがどこにいるかも考えねぇで、後鬼一つお釈迦にして悦に入ってるような若造に、心配されるほど耄碌しちゃいねぇんですよ、こっちは」
 ゆっくりと立ち上がり、雪田は一匹の犬……CRシッペイと共に林から歩み出た。
「ケルブには対干渉ユニットを増着したはずじゃ?!」
「読みの甘さが出てやがらぁ……こっちだって、干渉波ブースタを付けてねぇわきゃないでしょうに」
 雪田はくつくつと笑うと、
「読みの甘さがついでにもう一つ……オズヌが自律操演するサブCRは後鬼だけでしたっけ?」
「!しまった、前鬼!!」
 声とほぼ同時に、いつの間にか壁にへばりついていた真っ赤な小型CRが宙に舞い、館2Fの窓の一つにその腕を振るった。
「ぎゃあっっ?!」
 丁度その窓から、先程来の声で、悲鳴が響き渡った。
 赤いCRはそのまま、窓から館内に躍り込む。その時になって雪田の後ろから、小柄な老人の姿のCR、オズヌが杖状のコントロール装置を持って立ち現れた。
「しかし……ケルブ相手とは言え、パラケルススに浜岡、その上後鬼までやられちまったとなると……笑ってもいられねぇな」
 雪田の表情が歪む。
「お嬢さまは地下の研究施設の中、と……地下へ潜るにゃ、裏口ルートがこっちにあるはずなんだがな」
 呟いた雪田の耳に、オズヌが自律操演するサブCR・前鬼からの音声情報が出し抜けに飛び込んできた。
<研究施設部完全封鎖シーケンスが作動しました。残留している職員は総員待避して下さい。シーケンスは30分後に完了します>
「完全封鎖シーケンス──?正気かあいつらァ?!」
 来栖川セキュリティ・サービスの社員──もっとも、KSS本社ビルには足を踏み入れたこともなかったが──時代に命がけで知り覚えたKSSご自慢の防御システム群の中でも、最悪のシステムの名。完全封鎖シーケンス……即ち、
「G50系炸薬による、当該施設の完全無意味化──早い話が自決手順じゃねぇかよ……一体、下じゃ何がどうなったってんだ……?」
 それから数分後……
 昏倒する警備員達と、真っ二つになった鋼のゲートを見て、顎の関節が外れそうになる雪田であった。

 無論のこと──
 その放送はマルチ・早樹・悠子の一行にも聞こえていた。早樹と悠子には詳しい意味は理解できなかったものの、
「あ、あわわわわ、ど、どぉしましょぉ〜〜」
 真っ青になってあわてふためいているマルチを見れば緊急事態であることは理解できた。
「ほい、ストップ」
 じたばたしているマルチの顔面に手の平をぺしっと当てて、
「とりあえず、あと30分で由香里ちゃん見つけて、ここから出なきゃいけない、とそういうわけよね」
 状況を端的に早樹がまとめる。顔面を手の平でつぶされたままのマルチがこくこく、と頷いた。
「この、下の階に由香里ちゃんがいてくれれば……って、早樹」
 そう言って、不意に悠子が表情を強張らせる。
「何?」
「上は……ふさがってる、んだよな」
 聞いて、早樹もはっ、とする。
「出口……ないはずは、ないよね……」
 先ほどの放送で、職員に向けて待避を勧告していたからには、どこかに出口はあるはずだ。
「べぐぢでじだら、ぶーぼーばいばほうにびびょうだっびゅぶぼうば」
 もがもがと声がするのに慌てて早樹はマルチの顔から手をのけた。
「すみません、あの、出口でしたら、通常最下層に非常脱出口があるはずかと……」
「最下層……ここ、地下何階まであったんだっけ?」
 早樹の問いに悠子が片眉をひそめて、
「例の消防設備図が当てになるとすりゃ、地下4階まであったはずだけどね」
「ここが地下2階……あと、手つかずのフロアが2階層あるってことか」
 残り30分という時間は、お世辞にも充分とは言えない。なればこそ、
「さっきの由香里ちゃんの声からすると、そのドアの先に階段があるんだよね。……急ごう」
 早樹が言い、悠子とマルチが無言で頷き返す。
 微かに開いていた隠し扉をぐい、と引き開ける。特に人の気配の類はない。
 無言のまま一行は扉をくぐった。
 扉の先は多少広い空間になっていた。左手前に大きな曲面の壁があり、その両サイドへと連なるらしい通路が壁に沿った形で湾曲して回り込んでいる。向こうは分からないが、円柱をぐるりと通路が囲む構造が基本になっているであろうことは想像が付く。
「これが、さっきの曲がってた道……マルチ流に言うなら『タコの頭』の中身らしいな」
 悠子がぐるりを見回しながら言う。
「ほんとに妙な作りだよね……それはそうと、階段は……」
 すぐ右手に、非常口のライトが上に点るドアが見えた。念のため見回すと、反対側にも同様のドアが見える。
 が、その反対側が目的のものでないことはすぐに分かった。透明なゼリーのようなものが、扉の隙間からにじみ出ている。
「……パッキンの隙間から漏れてるな。例の高分子なんとか……あっちが、上り階段で間違いないだろうね」
 悠子の言葉が消去法で正解を示す。
 その正解に早樹が体当たりした。鍵も掛かっていなかったと見えて、あっさりと開いた向こうに、蛍光灯に照らされて地の底へと続く階段があった。
 無言の内に顔を見合わせ、頷く3人。
 一行はその階段を駆け下りた。

 ぐるる……
 シッペイの低い「唸り声」が雪田の耳に届いた。
 実際には雪田が耳に付けている、コントロールバンダナに接続されたイヤホンから発された音であり、シッペイ自身は全くのポーカーフェイスではある。
 既にほとんどの職員は脱出したと見えて、通路には人の姿はない。感覚攪乱系のCRの存在は考慮していないわけではないが、2階で例の放送をキャッチした以上、放送か現状の一方は「その」作用ではないという推論は成り立ちうる。地下最下層側の入り口で昏倒している連中以外を見なかったから、こちらの状況が偽だとすると影響範囲が広すぎる。おそらく、無人のこの現状は幻覚ではあるまい。
 と、その無人の地下4層でシッペイが何者かを検知した、ということは。
(上からの連中か……でなきゃぁ……)
 念のためにオズヌに命じ、前鬼を進ませる。
(いずれ人が近くにいなくても動かせるCRってぇ寸法、か)
 そうなると、雪田の持つ情報では該当する機体は一つ。
(厄介な奴に出あっちまったねぇ……まぁだケルブの方がなんぼかマシだぜ)
 悪態をつきながら、おそらく数秒後には我が身に降りかかるであろう「衝撃」に備えて防御態勢を取る。
 ぎゅん!
 いきなり前鬼が彼方へと吹き飛ばされた。
 風圧が刃となって襲いかかる。すんでの所で特殊コートが体そのものへのダメージを防いではくれたが、そこらの壁にはうっすらとながら幾筋もの傷が走っている。見れば、シッペイの外装にもかなりの傷がつき、装甲面が金属色を露呈している部分もある。
「自立行動モードなら乗っ取りやすいっつっても、このスピードじゃな……!!」
 一応シッペイに干渉作用波の強化を指示しながらも、見えるはずのない相手に雪田は当てずっぽうで向き合った。

 ドォン……!!
 遠からぬところからとおぼしき爆音が、階段を下りきろうかというところの早樹たちの耳に届いた。
「今の音……」
「この階か……いや、まだ下か?」
 足を急かし、一行は下階へと降り立った。
「──なんだこりゃ?」
 悠子が思わず呟いたのも無理はない。
 彼女たちを出迎えたのは真正面と左右に走る通路。その通路のいずれも、10メートルほどのところで辻を成している。その通路によって区切られた区画の通路に面した目に見える限りの全ての壁に、扉があった。
「これ……施設として機能すると思えないんだけどな」
 早樹のぼやきが続く。
 悠子は目の前の扉を軽くノックした。応答は、ない。音からして扉にはそれほど厚みがないようだったが、それを開くためのノブも取っ手もない。おそらく何らかのセンサーによる認証の類が必要なのだろう。
「何はともあれ時間がない……か、マルチ、なんかいるか?」
 悠子の問いにマルチはかぶりを振る。
「となりゃ、……」
 悠子はすぅ、と息を吸うと、
「おーい、由香里ちゃーん!」
 そこら中にとどろき渡る声で叫んだ。
 一瞬悠子の行動にあっけにとられた二人であったが、意図を理解してしまえば行動は同じだった。
 由香里が彼女たちに「話しかけられる」ということは、意識もしっかりしていて、それなりに自由もあると言うことだ。ならば、声も聞こえそうなものである。
「由香里ちゃーん!!」
「お嬢さまぁーーー!!」
 一時、反応を待つ。……応えの声は、ない。
「て、ことは……下か」
 早樹が呟いて見やった、その3区画先。
 突然扉が開き、彼女たちの眼前にぼろ屑──のような男が、まろび出てきた。
 それとほぼ同時に、マルチの叫び。
「みなさんっ、横に隠れてくださいっ!!」
 反射的に飛び退いた早樹、悠子とそれに続いたマルチ、あるるかんのいた空間を……
 『疾風』が、通り過ぎた。
「なんて……速さだ?あたしにも、はっきりとは見えなかったぜ……」
 悠子が気の抜けたような声で呟く。
「これだけのスピードが出せるCRなんて……私も聞いたことないです……」
 マルチの声は微かに震えていた。
「え?今の……CRだったの?」
 二人の狼狽ぶりにむしろ戸惑って、早樹は尋ねた。
「早樹には……見えなかったか。まぁ、今のあたしでも、何かいた位のことしか分からなかったし、ね」
 と、再びマルチの表情が強張る。
「間に合わない……いちかばちかっ!」
 呟くと、マルチは叫んだ。
「お二人とも伏せてください!あるるかん、レザァ・マシオウ!」
 床面に伏せた早樹と悠子の前で、あるるかんの右腕から走り出た刃がきらめく。
「ラ・ダンス・ドゥ・レペ(剣の舞)!!」
 空間そのものをなます切りにするようにあるるかんの右腕が激しく動いた。
 ギイン……!!
 金属音に続いて、あるるかんの巨体がかすかに左へ流れる。
 一時の間をおいて、それは突然、そこに現れたように見えた。
 シュイ=フーよりもまだ小柄な、人型のそれの胴はぎざぎざに切り裂かれていた。
 小人のようなそれ──CRはまだ一行の方に振り返ろうとかすかにひくついていたが、間もなく重い音を立てて床面に倒れ込んだ。
「──やったか?」
 悠子が呟いた。マルチが一刻間を置いて頷く。
「……さすが姐さん。……『ヴィシュヌ』を一撃、ですかい」
 背中から投げかけられたか細い声に振り返ると、先ほどのぼろ屑のようになっていた男が、上半身を壁にもたせかけ、一行の方を見ていた。
「雪田……?!」
 最初に男の正体に気付いたのは、早樹だった。
「え?」
 マルチが目を丸くし、悠子が怪訝な顔をする。
「えーと、最初に由香里ちゃんをさらいに来た……奴なんだけど」
 一行は慌てて男──雪田青峰に駆け寄った。
「あわわわわ、ひどい傷ですぅ……」
 おろおろするマルチ。
「なあに、傷の数が多いだけで、血糊の割に大した傷じゃねぇんで……ところで、姐さん」
「は、はい?」
 突然呼びかけられて身をすくませるマルチに、雪田は射抜くような目を向けた。
「こんな時になんなんですが、こんな時だからこそ聞いておきたいんで……」
 雪田の口調に、彼を問いつめようと身構えていた早樹も一瞬、気圧される。
「噂にはなってたんでさ。随分前から、『崑崙の悪夢はまだ終わってねぇ』ってね」
 マルチの体が、ほんの少し、ぴくりと動いた。
「姐さんがアルルカンを連れて動き出した。どうもこの屋敷も一筋縄じゃいかねぇ。ねぇ、姐さん、その噂……ほんとうなんでしょ?」

ステージ7 幕


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