ステージ8 Time is over.〜一時閉幕

「ねぇ、姐さん、その噂……ほんとうなんでしょ?」
 雪田の問いは早樹にも悠子にもさっぱり分からないものだった。ただ、マルチ一人が凍り付いたように不動の姿勢のまま、その問いを受け止めている。
 ややあって──
 その首が、わずかに、縦に振れた。
「……いざ、肯定されちまうと、なんとも反応に困るってもんですな」
 雪田は真剣な表情を崩して苦笑いを浮かべた。
「まぁいいや。そういうことなら、姐さん──少なくともあたしとあたしの配下は、姐さんにつくとしましょう」
「「?!」」
 早樹とマルチはその言葉に絶句した。
「何いってんの?自分が何したか分かって──」
 まくし立てようとする早樹を、マルチがすっ、と手で制した。
「雪田さん……それがどういう意味か、本当に分かって言ってくださってるんですよね」
 普段のマルチからは想像できないような、どこか冷たい程の声音で、その問いは問われた。
「……あたしゃ、そんなに頭がいい方じゃねぇですがね……その位は、分かってるつもりでさ」
 尚も苦笑いを顔に張り付かせつつ、
「こっちの方が、面白そうだ──てぇことで。あれやこれやに付いちゃ、ひとまず腹の内にしまっておいて頂くしかありやせんがね」
「って、あんた来栖川の誰かさんに飼われてるんじゃなかったの?それをころっと手のひら返しちゃっていいわけ?」
 不信感を顔中で表しながら早樹が問いつめる。
「……黒子にも、黒子なりの意地があるってことで。なに、金と大声しか取り柄のない輩に、さっきの噂が本当だと耳打ちでもしようもんなら、ブルッちまって一言も言えなくなりまさぁ」
「コンロンがなんとか……って、あれ?」
 雪田は頷きのみを返した。
「ま、そうは言っても、今のあたしにゃ、壊れかけのシッペイっきゃ残っちゃいねえんですが」
 自嘲めいた笑みを浮かべてそう、ぼやく。
「──」
 無言で早樹と悠子はマルチを見据えた。市販品のHM-12と同じような、表情のない顔の、唇が微かに動いた。
「……分かりました。そういうことでしたら、よろしくお願いします」
 ぺこり。
 マルチが頭を下げる。早樹にとっては納得できる話ではなかったが、マルチが承諾した以上、文句を付ける余地はない。残る悠子は、
「マルチと早樹がいいってのなら、あたしは構わないよ」
 と、一応の肯定を示した。
「それじゃ早速……『ヴィシュヌ』に振り回されちまって、階下[した]はろくすっぽ見ちゃいねえんですが」
 壁を伝うようにして雪田が立ち上がる。時折顔をしかめる様子からは、先ほどの軽口程、怪我が軽いものではないことがうかがわれた。
「シッペイを階下に置いてきてやす。受動探査は多分済んでるはずでさ」
 半開きになっていた扉を引き開ける。中には狭苦しく下へと降りる階段があった。
「この階は……姐さん、どうだったんで?」
 雪田の問いにマルチが首を左右に振る。
「少なくとも、呼んだ限り返事はなかったよ」
 悠子がそう付け足した。
「晴明桔梗、前方後円、九字、七枝燭台[メノラー]……晴明桔梗でないとなると、やっぱ、お嬢さまには七枝燭台が似合いますかねぇ」
 雪田は中空に視線をやりながらそう呟いた。
「何よ、その桔梗だのメノなんとかって」
 早樹が苛々とそう問いかけると、
「ここは随分前からYing-Yang──来栖川総研超自然研究部門の管轄でやすからね。連中の縁起担ぎってことでしょ……地下一層は晴明桔梗、いわゆる五芒星形。地下二層は前方後円、大古墳の多くが取る形。ここ地下三層は臨兵闘者皆陳列在前の九字文形。で最下層のこの下は、ユダヤの七枝燭台を模して、階が構成されてるんで」
 多少足をひきずりながら、雪田は先に立って階段室へと入っていった。
「……なるほど、タコの正体は古墳か」
 納得しても特段得になるような話でもないが、一応疑問が解けた格好で悠子が頷く。
「……ねえ、マルチ。あれ……本当に信用できるの?」
 尚も納得しきれない様子の早樹がマルチに囁いた。
「……済みません。崑崙のことは、早樹さんたちには詳しく話せないんですが、でも、それであの人が本気だということは分かるんです。それに、お嬢さまにもしものことがあって困るのは、あの方達も同じですし」
 むしろ取って付けたような後者の理由で、早樹は仕方もなく己を納得させることにした。
「でも、もしものことって──そんなにやばい状況なわけ?」
「あと20分で、ここが爆薬で吹き飛んじゃいますから」
 さらっとそう言ったマルチの言葉に早樹と悠子の顔色が変わる。
「やばいなんてもんじゃないじゃない!ちょっとあんた、由香里ちゃんの居所の目星はついてんの?!」
 慌てて駆け寄った早樹にがくんがくん揺さぶられながら、
「……シッペイが全室走査完了を報告してきてる……怪しいのは、幸い一部屋でさ」
 雪田はそう答えた。
「七枝燭台の、一番右。この階段は燭台の真ん中の枝に続いてますから、まっすぐ行って最初の辻を左、後は突き当たりを左、てえ寸法で」
 一瞬の逡巡を無理矢理に断ち切り、早樹が叫ぶ。
「悠子、マルチ、急ぐよ!怪我人はあるるかんにでも背負わせて!」
「了解!じゃ、あたし先に行ってるよ!」
 答えるが早いが風のように駆け出す悠子。雪田はと見れば、早樹の言葉通りにあるるかんの背中に収まっている。
「じゃ、あたしも先に。マルチは出来るだけ急いで付いてきて!」
 そう言い残して早樹も悠子の後を追った。

 雪田の言った通りに道をたどると、長い廊下の先に扉がひとつ。悠子はその扉の前で振り向き、早樹たちを待っていた。
 早樹の姿を認めた悠子が、金属製の扉に一撃、蹴りを入れた。へこみが入り、その分かすかに開いた隙間に手を掛け、力任せに引く。神話の天の岩戸開きを思わせるような強力[ごうりき]で、通常とは違う動作に悲鳴を上げる扉を無理矢理に引き開けた。
 悠子、そして早樹が室内に飛び込む。──部屋の中央、作り損なったレスリング・リングのようなものの中に、眠そうな目をぱちくりと瞬く少女の姿があった。
「由香里ちゃん!」
 リングもどきの中に飛び込み、早樹は由香里を抱きしめた。ほどなくシッペイ、雪田を背負ったあるるかん、すこし遅れてマルチが同じように室内に駆け込んで来た。
「……さて、感動の再会はいいけど、さっさと脱出しなきゃね」
 そう言って早樹は改めて部屋の中を見回し……絶句した。
「なに、この集団居眠り?」
「えーと……わたしの呪詛返し」
 ぽつんとつぶやくように由香里がそう答えた。
 由香里が言った言葉の内容は理解できなかったが、この状況を作り出したのが自分だ、と言ったことは分かった。お嬢さまは魔女、というマルチの言葉を今更に思い出す。
 あるるかんからよろよろと降り立った雪田が険しい顔で部屋の隅の機械をにらみつけた。
「……おいおい……完全封鎖シーケンスは発令から完了まで30分かかるんじゃなかったのか?ならなんで残りが10分しかねえんだ?!」
 由香里を除いて、意識のある全員の目が雪田の見ているものに集中する。室内の一辺を占める大型の装置──その画面上のデジタルタイマーらしい数値は、その時既に「09:56」を示していた。
「出口は?」
「燭台の根本……さっきの階段から辻をまっすぐ行った先が非常ゲート。今一事情は分かりましねぇが、ゲートはぶっ壊れてて現在フリーパスでさ。後は山の麓に抜ける外部ゲートと、屋敷の裏手へ登る非常脱出孔と、ルートは2つ」
 早樹の問いに雪田が答える。
「こいつら全員たたき起こしてて間に合うか……?だからって置き去りってのはあんまり後味悪すぎるよな……」
 悠子が歯がみする。更に言えば、B2階に放り出してきた、シュイ=フーの操作主のこともある。
「……てんそーほうじん、作るよ。多分、このフィールドが使えると思う」
 出し抜けに由香里が言った言葉に、各人各様に「?」を示す。
「この部屋から、外に出るてんそーほうじんを作るの。そしたら、みんないっぺんに脱出できるよ」
「……ははぁ、『転送法陣』ですかい。いや、お世辞抜きで流石、来栖川随一の魔力の継承者ですな」
 最初に「てんそーほうじん」に漢字を当てることに成功したらしい雪田が感心した様子で言った。
「あ、何かを『転送』する『魔法陣』……ってこと?」
 続いて早樹が尋ねた推量を、由香里がこくこく、と肯定する。
「……なんか、その、……大丈夫なのか、それ?」
 少々不安げにつぶやく悠子にも、こくん、と大きくうなずいてみせる。
「じゃ、まずはほかに残ってるひとがいないかたしかめなくちゃ」
 由香里は目を閉じ、すっ……と両腕を上下に構えた。聞こえるか聞こえないかくらいの声で、何かをつぶやく。出し抜けにその腕が激しく動き、その軌跡が複雑な文様を描く。
 ややあって、由香里のそばに突然、小柄な男の姿が現れたかと思うと、どすん、とマットに落下した。紛れもなく、先刻CRシュイ=フーを操っていた男であった。
「このひとと、あとわたしたちで、全部だよ」
 かすかに荒い息をつき、額の汗をぬぐって、由香里はそう言った。
(──するってえと、ゲート前で居眠りこいてた連中やら、そのゲートをくず鉄にしちまった御仁はどこに行っちまったのかねぇ?)
 他の面々がまさに目前で起きた「魔術」に驚嘆している中、雪田はそう考えて微かに眉をひそめたが、だからと言って何がどうなるものでもなく、敢えて口をつぐんだ。
 「まるち、早樹お姉ちゃん、それとお姉ちゃんとおじさん、みんなをフィールドの中に運んで。わたし、その間にほうじんを作るから」
 由香里がちょいちょいとリングもどきの各所でなにやらまじないめいた動作を始め、一方各自は床に散らばった面々を、リングもどきの中へ運び入れ始めた。

 作業完了には6分ほどを要した。タイマーの示す残り時間は、あと4分を切っている。最後の最後で、転送先をどこにするかを決めるのに手間取ったのが、大きいタイムロスとなった。由香里曰く、自分の力量と運ぶものの総量から、あまり遠くへは飛べない、ということがあり、そしてここまで眠らされてきた由香里には当然土地勘の類もない。結局早樹や悠子の記憶するイメージをたぐって、なんとか転送先を屋敷地上の正門前に設定できたのはむしろ幸運と言うべきだったかもしれない。
「……じゃ、始めるよ」
 由香里はそう言ってリングもどきの中央に立ち、両腕を胸の前で互い違いに水平に構えた。小さな口から呪文がこぼれ始めると、リングもどきの各所から、ぽう……と燐光のような淡い光が放たれ、それが図形や面妖な文字らしきものをかたどってゆく。やがてリングを囲うロープを、同じ色の光が包み始める。ほどなくぶん、という鈍い音とともに、ロープに沿った平面の形の、薄い色の光の板が現れる。
 と、遠く近くから、重い音が断続的に響いた。
「各セクション対爆隔壁閉鎖……いよいよシーケンス発動準備開始か」
 雪田のつぶやきにも緊張が隠せない。タイマーは……02:28。
 と、その時。
 それまでぴくりともしなかった、看護婦姿の女が、むくりと起きあがった。
「?!」
 一同がぎょっとする中、女は一心不乱に呪文を唱える由香里の──首に手を伸ばした。当の由香里自身は儀式に集中しているためか、何も分かっていない様子だ。
「!このっ!!」
 悠子が女に飛びかかる。が、女は悠子の方を見ようともせず……それでいて鋭いひと突きを悠子めがけて放った。
「ぐえっ……?!」
 反撃の可能性を甘く見つもりすぎていた悠子は拳をもろに鳩尾にくらい、体をくの字に折ってマットに沈む。
「てぇぇぇぇいっっ!!」
 間髪入れず早樹が女の側頭部めがけて回し蹴りを放つ。──女は、避けようとも受けようともしなかった。そのままキックを食らい、
「?!っっ!!」
 痛みに悶絶したのは早樹の方だった。
「!あるるかん、強制判定執行!!」
 マルチが叫ぶ。その言葉に雪田がぎょっとした顔をする。
「……こんなとこまで……ですかい?」
 ほんの数刹那、時間が止まったように、由香里を除く全員が凍り付く。その静寂は、あるるかんの右腕から走り出た刃の音で破られた。
「あるるかん、レザァ……」
「いいのか?私が避ければその攻撃は藤田由香里に当たるぞ?」
 振り向きもしないまま、女がぞっとするような嗤いを込めてそう言った。マルチの表情がひくっ、とこわばる。
「藤田由香里はここで殺す。お前達は己の無力さを噛みしめながら見ているがいい」
 改めて女は由香里の首めがけ手を伸ばした。そこへ、
「てりゃぁぁぁぁっっ!!」
 かけ声と同時に女がのけぞった。その下には、身伸倒立の要領で女の顎を蹴り上げた、早樹の姿。
「マルチっ!!」
「はいっ!!あるるかんっ!!」
 女がバランスを崩しているその隙に、あるるかんの刃が煌めいた。
 ギシィ!!
 どう聞いても金属同士がぶつかり合った音を立てて、女はリングもどきの外へとはね飛ばされた。そのまま壁に激突し、重い音を立てて床へと落下する。
「あれも……CR?それとも、メイドロボの類……?」
 顔をしかめ、うずくまりながら、早樹が尋ねる。マルチはただ、黙したまま瞳を閉じた。
「……ふぅ」
 ほどなく、由香里がため息とともにへたり込む。どうやら、魔術の仕込みは済んだらしかった。タイマーは既に1分を切り、00:34。
「よーし、お疲れ様、由香里ちゃん」
 わしわし、と早樹は由香里の頭をなでてやった。
「……おーい。胃が飛び出そうな友達には一言もないのかぁ??」
 未だ腹を抱えて涙ぐむ悠子が情けない声を上げる。早樹は苦笑して悠子の方へ歩み寄った。
「……悠子?」
 悠子の表情が、凍り付いている。
「早樹、うしろっ!!」
 その叫びを聞いて動くにはコンマ1秒遅かった。早樹はいきなり足をすくわれ、そのままリングもどきの外へと引きずられた。
「……命を果たせぬならば……せめて人間の一人でも道連れにっ!」
 あるるかんの刃に裂かれた「傷口」から火花を散らしながら、「女」が叫ぶ。
「くっ!!」
 左手でどうにかロープを掴み、早樹はもがいた。
「くそ、早樹っ……!」
 悠子は早樹の手を引こうとして……未だ残る激痛に倒れ伏した。
「あるるかん!」
 マルチも慌ててあるるかんを動かし、早樹の左腕を掴んで引いた。しかし、
「……ぐぅっ……」
 あるるかんが早樹の腕を肩口まで引き込んだところで状況は膠着してしまった。どうしてもそれ以上、早樹の体を引き戻すことが出来ない。タイマーは……残り、9秒。
 きゅっと唇を噛みしめていた由香里が、突然構えを取った。そして、ものすごい早口で呪文を唱え始める。倍回しのようなスピードで腕を動かし、最後に早樹を指さして、短くひとの言葉ではない言葉を発した。
「……!!」
 ほぼ同時にタイマーが00:01を指した。
 光の壁の輝きが突然強まり、壁の外への視界が閉ざされる。
 そして、
 ぐん……
 乗り心地の悪いエレベーターに乗り合わせたときのような軽い不快感とともに、一同は雨月館正門前に移動していた。
 一時遅れて地面が揺れ、地の底から轟音がとどろく。
 ぼた。
 その音を合図にするように、あるるかんは掴んでいたものを手放した。

 ──主を失った、一本の人間の左腕を。

ステージ8 幕

からくりマジック・序の幕 閉幕


序の幕が下り、
物語は幕開けを迎える。
とおく、時と所とを経巡る、これは或るひとつの旅の物語。


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