[現時点で目標に特に異常は見られません]
 その日10回目の定時連絡をケツァルコアトルが返してきたのは午後3時きっかりのことだった。
「探査妨害の可能性は?」
 これも10回目の質問を総が投げかける。
[推論上は非常に低いものと考えられます]
 10回目の返答に、総は10回目の打ち切りの言葉で答えた。
「引き続き監視任務続行」
[了解]
 総はそれを聞き流しながらモニタ画面上のデータを改めて見返した。いくつかのウィンドウが開き、種々雑多なデータを表示している。そのうち一つはレリアの視覚情報と連動――早い話が、レリアが光学的に見ているものが映っている。
「こいつぁ……御頭会の第4クラスの組じゃないか。実質銀行は御頭会が仕切ってるな……問題はあのアンドロイドがどこの所属かってことだ。それに……」
 総は別のウインドウを呼び出した。問題のアンドロイドに関するデータをかすめ取ってきたものだが、
「配置から3年たってて、行動の異常が見つかりだしたのがここ数週間。がたが来たにしちゃ時間が短すぎる。かと言って導入後のアンドロイドを諜報用に改造するなんてことぁ誰もやらん。じゃぁ、何で今になってぼろを出したんだ、こいつは?」
ぱり。摘んでしみじみ思う――揚げたてのポテトチップはやはりうまい。
「所長。ちょっとは残しといてくださいよね」
 ジト目で総を見ながら亜記美は監視システムのチェッカを走らせた。こちらも異常なし、つまりデータを信用するならレリアは無事だということである。
「Cアタッチメントはやっぱり取り越し苦労だったんじゃないですか?」
 亜記美の言葉に総は首を傾げた。
「……しかし、この内情に絡んでるとすりゃCでも心許ないんだがな……」
 総の言葉がちょうど切れた時だった。レリアの視覚ウィンドウの中で、目標のアンドロイドが、見えない手に突き飛ばされたように、横様に吹っ飛んだ。
[目標の反応に乱れ発生。各種情報を総合して、狙撃されたものと断定します]
 間髪入れず入ったケツァルコアトルからの非常通信に、半分だれかけていた二人の意識はいっぺんで覚醒させられた。
「周囲確認、レリアに対する攻撃回避を最優先に!」
[狙撃可能エリア推定。探索終了。現在動作中の火器コントロールに不審点なし。通りを挟んで向かいのビル内に、高温度の拳銃と思われる物体を単独で確認。ビル内を移動中の物体で確認できたものの内、12体を灰色判定で認識]
 近辺にあるシステムを一瞬でまとめてクラックして、ケツァルコアトルが探索結果を返してくる。
「拳銃だ?大時代な。レリア、周囲警戒しつつ、目標に無線接続を試みろ。クラックの補助はケツァルコアトルから受けろ」
 亜記美の監視システムにOKサインが返った。
 あたりは騒然となっていた。遠巻きに目標のアンドロイドを群衆が見つめる。「傷口」から血が漏れず、スパークが散っているのを見て大抵の人間は安堵しているようではあるが、その原因にはこれもほとんどの人間が思い当たるまい。一般の人々にとって、拳銃などの非エネルギー武器は、骨董品か趣味の道具でしかないからだ。このアンドロイドが何によってこうなったのか、その不可解さがこの事態を招いているのだろう。そんな中で、まさに人間と寸分違わぬ外見のレリアが惚けたように突っ立っていても、それほど人目を引くことはない。
[……所長]
 ややあってそのレリアから、音声通信が入ってきた。細かいことを言えば本来スピーカーに流すデータを直に端末に流しているのだが。従って、レリア自身の口からは何ら音声が漏れていない。
「何か分かったか?」
[向こうはこちらに感づいていたようですよ。こちらが接続したと同時にデータを転送してきて、最後にお願いします、って言って来ました]
 かなり不審げな様子のレリアの声だったが、総はそれを聞いてぴくり、と眉を上げた。
「……感づいてた……待てよ。そういうことか。データはもうケツァルコアトルに回したか?」
[はい。私自身からは削除しますか?]
「実データと通信履歴はダミーデータを上書き。エントリも戻しとけよ」
[了解。帰還します]
「ケツァルコアトル、データを分析してその結果と一緒に事務所へ。レリアの支援も忘れるな」
 それだけ言って、総はいきなりうつむいて黙り込んだ。
「所長?」
 亜記美の言葉にも、総はしばらく何も言わなかったが、
「今夜出る。遅くなる」
 ぼそりと言って立ち上がると、コーヒーカップをひっつかんでぬるいコーヒーをあおった。
「できるなら全員に喧嘩売りたいが、あっちはまずいからな……せいぜい他の奴らで憂さを晴らさせてもらうさ」
 にやり、と笑った総の表情に、亜記美はなぜか、異様な寒気を覚えた。

 その日の夜。
 ロックされた某銀行の本店の扉を、あっさりと引き開ける手があった。
(お粗末だね……ってより、ばればれか?)
 心の中で相手と自分を一緒くたに嘲笑する器用な芸をこなしつつ、総は屋内にするりと忍び込んだ。
(地下1.5階、入口はわずか2カ所。そこまで調べ上げたってのにな)
 ケツァルコアトルに遺された、アンドロイドの情報を総は反芻していた。
 データの中心は銀行と御頭会の癒着状況で占められ、おまけのように関係ない社外秘データがちりばめられていた。そのアンドロイドがもともと諜報用だった、それも相当な高機能を持ったものだったことは、そのデータの量と精度からして疑うべくもなかった。
 毎夜のごとく関係者が開く会合。その情報を知りたいのが誰かといえば、会合に出られない人間というのが一番穏当なところだろう。
 途中のトラップの類はケツァルコアトルの援護で難なく突破する。……と言っても、銀行の防犯システムとしてはあまりに手ぬるい。難なく突破できるのはどうやら、向こうがレベルを下げているからのようだ、と、総は改めて思った。つまり、
(連中はお待ちかねってわけか)
 そう思いつつ、総は不敵に笑みを浮かべていた。
 それなりにいいセンスをした隠し階段をつたい、降りていった先にはどこぞのバーか何かと勘違いしたようなしゃれたドアが待ちかまえていた。総はドアの前に立つと、ドアノッカーを無造作に鳴らして、言った。
「お客様、そろそろ閉店のお時間ですが?」
 かちゃ……とラッチの外れる音がして、開いた扉からは、予想通りの銃口が総を出迎えた。
「悪いんだが、今夜は貸し切りですよ、探偵さん」
 ドアの奥から聞こえた声は――総の予想通り、馬淵謙作の声だった。
「あなたが丸腰なことは分かってます。この人は今時珍しい質量銃のプロですよ。その距離からなら、あなたをとことん苦しませる殺し方も難しくはない」
「そいつぁ願い下げだ。とりあえず、こんな大時代な殺しの道具にゃどうするんでしたっけ?」
 緊張した様子もなく軽口を叩く総に、銃を持った男とおぼしい声が、
「Hold Up and Freeze!」
 へたくそな英語でそう格好を付けた。
 言われたとおり――苦笑しながらも――両手を上げた総は、ドアがゆっくりと開かれるままに、室内へと入った。
「ほぅ」
 室内にいた、馬淵と銃男を含めた数人の面を見渡して、総は感心したようなため息を付いた。薄く笑った馬淵の顔を総はおもしろくもなさげに見やって、
「馬淵さん、あんた御頭だろ?」
 馬淵はかすかに頷いた。
「このメンツのヘッドというわけではありませんがね。いかにも御頭会元会員ですよ」
 総はいかにも面倒くさげに話し始めた。
「一応、仕事はすましとくか。例のアンドロイドだがあんたのにらんだ通り警察のだよ。この会合も含めて御頭会とこの銀行の関係をそりゃもうきっちり調べ尽くしてた。入行当初から、な」
「ほほう、じゃなぜ今になってぼろを出したんですかね?」
 おもしろそうに馬淵が聞く。
「あんたも読みが鋭いのか鈍いのか分からんね。あんたはあれが何者かとっくに感づいてたはずだ。俺を雇ったのは多分つじつま合わせか、何かに使うつもりだったんだろうが、どっこい奴の狙いはそれだったってことだ」
「あれの狙いが、私にあなたを雇わせること?」
 馬淵の顔がかすかに不審の色を帯びる。
「データはそろった。しかしあのアンドロイド、慎重すぎて連絡頻度が恐ろしく少なかったのさ。もっと小出しにデータを流してりゃよかったのに、奴は大量のデータを抱えたまま、それを渡すに渡せなくなっちまった。ネットワークに流すのはまずい。かといって記憶媒体そのものを誰かに渡すのもうまくない。その上いつ破壊されるか分からんという極限状況になって、あれは賭に出た。自分を調べる者がいれば、かなりの確率で自分のデータはそいつに盗まれる……
 馬淵は呆気にとられた顔をした。
「誰か、第三者に自分が調べられることを期待して、わざと怪しまれるような行動に出た、だと?」
「そしてあんたは俺を選んでしまった。よりによってアンドロイドがらみの事件を他よりはよく引き受け、ってことはアンドロイドの扱いにもそこそこ慣れていて、しかも第7世代アンドロイドを使う、この俺をだ」
 両手は上げたまま、総はにたり、と笑った。馬淵もまた笑みを……あからさまな嘲笑を返す。
「アンドロイドらしい……愚かな選択だ。人間ならばもっと賢い選択もあろうに、奴らは所詮プログラムされた範疇でしか動けん。人に作られたモノなど、所詮そんなものか」
 不意に、総の顔から笑みが消えた。
「仕事は終わりだ。報酬を頂きたいね。当初提示額通り、必要経費プラス三倍増の額。領収書はちゃんと切ってあるから勘定してくれ、銀行屋」
「もっといいものを上げよう。灼熱の鉛玉なぞ、今時戦場でも味わえない甘美な死だが?」
 総の後ろで撃鉄を起こす音がする。
「じゃあ俺は一時ばかり強盗にでも転業するかね……」
 総はつぶやくと、それまで馬淵を見据えていた目を、すっと閉じた。
「おや、見えてもいない銃口でも、怖いのかな、探偵?」
 馬淵の嘲笑に、総は一言、

見えてるよ、よっく

 言った瞬間だった。
 バン!
 普通ではない音を立てて、銃がはじけた。
「ぐあああっ!」
 銃を持っていた男が激痛にのたうち回る。そいつの両手は銃と一緒に砕け散り、肘から下10センチほどのところからなくなっていた。そして、銃の破片はその場にいた他の男達をも襲っていた。
「ぐあっ!」
 かろうじて致命的なダメージを免れた馬淵は、無傷で薄笑いを浮かべている総を見た。
「な、なんのマネだ?」
「マネじゃあない。こいつは俺のオリジナルだよ……」
 目を閉じたまま総が静かに、どこまでも静かに言う。
「ぐぶっ!」
 部屋の隅の方でこもったうめきが上がる。その方向を見た馬淵は、思わずえずきを覚えた。「客」の一人が、腹の中身をごっそりとなくして、断末魔にもだえている。若い頃の出入りでも、そこまですさまじい死体は見たことがなかった。
「探偵……貴様一体……」
 馬淵がつぶやく間にも、どうと何かが倒れる音がした。別の「客」の一人が倒れている……今度は外傷は見えないが、そいつが死んでいることは、馬淵はなぜか分かった。
「このことを知られた以上、生かしておくわけにはいかない……言ってみたい台詞だったろうが、あいにく俺が頂くよ」
 総は唇の端に薄笑いを浮かべたまま答えた。次々と……誰が手を触れているわけでもないのに、「客」たちは次々と命を絶たれていった。
「よ……よせ」
 総がゆっくりと自分の方に歩いてくるのを見た馬淵は突然、すさまじい恐怖に駆られた。慌てて後ずさろうとする……が、できなかった。
「あんたの脊髄は腰のところで切れてるよ。痛みを感じさせずにやろうと思ったら結構骨なんだぜ。ちったあほめて欲しいね」
「な、なんなんだ……おまえは一体、なんなんだぁっ!」
 絶叫する馬淵を、総はふっと鼻で笑って、ゆっくりと目を開いて見せた。
「な……」
 絶句する馬淵。次の瞬間、その頭蓋の中の神経細胞の塊は、後も残さず消滅した。
「スプラッタの被害者になって死ぬなんて、それこそ滅多と味わえない甘美な死じゃないか?銀行ヤクザよ」
 どこにも焦点の合っていない瞳のままで、総は崩れ落ちた馬淵の体に、そうささやきかけた。

「探偵。いるか?」
 Ω−SURFACEを中西刑事が尋ねたのはその翌日のことだった。
「所長なら二日酔いです」
 無愛想に亜記美が答える。
「ふーん……あいつ、昨日の晩どこにいた?」
 勝手知った様子で上がり込んでくると勧められてもいないのに客用ソファに腰掛ける。亜記美はため息なぞこれ見よがしについてみせると、それでもコーヒーを入れて中西に出してやった。
「捜査です。それ以上のことは令状無しでは守秘義務違反ですので」
「ま、いいや。俺だってここで何か分かると思った訳じゃない」
 中西はコーヒーをずず、と音を立ててすすった。……やはり熱いようだ。
「じゃどうして?」
「銀行で妙な事件があってな。UFOマニアあたりが聞いたら遺留品全部持ってかれるような……殺し、だな、うん」
「殺人事件?依頼ならちゃんと所長通してくださいね」
「バカこけ。んなことで探偵頼ってるほど警察は無能じゃねえ。とにかく妙なんだが……まあそりゃいい。探偵だが、どっかの銀行のアンドロイド探ってたろ?」
「さあ」
 亜記美は空とぼけた。中西は苦笑すると、
「お嬢のボケは天然だか演技だか見分けがつかねえからな。探偵起きられねえのか?」
「なんか引っかかる言い方ですけど……無理ですね。そりゃもうよく帰ってこれたなってくらいの酔い方でしたから。時々なんですけどね、所長があんなに飲むのって……」
「しょうがねえか……」
 寝室を疑わしげにちらちら見ながら、
「じゃ、帰るわ。一言伝言頼まれてくれ」
 中西はそういって残りのコーヒーを少し苦しそうに干すと、立ち上がった。
「何ですか?」
「データはよこせ。泥棒は良くないぞ」
 亜記美の顔に何も浮かんでこないのを確かめて、中西は部屋を出ていった。
「なんだ、中西の奴帰ったのか」
 突然の声に亜記美が振り向くと、総が疲れたような顔で寝室のドアの前に突っ立っていた。
「いいんですか?例のデータ、消しちゃって」
 亜記美が不安げに言うのに、総はうるさそうにぱたぱた手を振った。
「いいんだよ。情報がほしけりゃ自分で調べろってんだ。あいつはレリアに、俺達に『命がけ』で集めた情報を委ねたんだ。あいつらに渡すかどうかなんてのはこっちの勝手だよ」
「……そんなものなんですか?」
「そんなもんさ。……おっと」
 そう言って、総は思わず苦笑いした。
「そう言ってる俺も、レリアに頼ってたっけか……ま、尾行ったって楽じゃないってことで」
 亜記美はくすくすと笑うと、
「とりあえず、お疲れさま」
 言いながら、とっておきの紅茶を差し出した。

<続く>

Attention
EMMT
Detected 2678/05/20 23:10
Level 6

「また……か」


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