「同行二人(どうぎょうににん)」


※本文は特定の宗教・宗教団体を賞賛あるいは誹謗する意図を有しておりません。もしそのように受け取られる箇所があり、当該団体の関係者の方が不快感を覚えられるということであれば、謹んで謝罪させていただきます。なおその場合でも、著者の意図が変わらない限り公開の停止・内容の改変はいたしません。あしからずご了承下さいませ。


 気が付くと、私は奇妙な夕景の中にいた。
 体が軽い。よく見ると私は幼い子供の頃に戻っていた。
 ふと見ると、眼下へ広がる丘の斜面に、見知った人影の後ろ姿があった。
 たた、と駆け寄る拍子に、足元の空き缶をけ飛ばしてしまう。
 その音に、人影は振り向いた。
 やはり知った顔だ。
(あそこには帰れないんだろうか、ぼくは)
 人影はそう聞いてきた。
(わかってるんだね、あそこから来たってことが)
 私はそう答えて、傍らに立った。
(ああ、わかる。でも、ほんとうにあの街のどこかに住んでいたわけじゃない)
 人影はそう言って、遠く夕闇に沈む街に視線をやった。
(そう。すごいね)
 なんと言って良いのか分からずに、そんな答えを返す私。
(つまり、あっち側の一部だったってことがわかるんだ)
(でもね、旅立ったんだよ、遠い昔に)
 何故だろう、人影があっち側を気にする度に、私はいらだちを感じる。
 だめ押しのつもりで、私はそんなことを口にした。

……

「どしたのよ、瑞佳」
 見ると、佐織が目の前でぱたぱた手を振っている。
「えと、ちょっと考え事」
 えへへ、とごまかし笑いする。
「なになに。ひょっとして又折原の心配?」
「そうじゃないけど」
 とは言ったけれど、実際は浩平の心配なのかも知れない。
 最近時々見る、奇妙な夢のことだった。
 夢の中で私は、浩平と初めて会ったときくらいの、子供の頃に戻っている。
 夢には必ず浩平が出てきて、そして他には誰一人出てこない。
 夢の中の浩平はひどく寂しそうだ。
 だから、必死にかまってあげたくなる。
 でも、それは無意味なんだと、私はどこかで分かっている。
 今二人がいるのは、喜びがないが故に、悲しみもない世界だから。
 はじめから何もないから、何も失うことがない。だから、失う悲しみは、ない。
 永遠に。
 そんな夢を見た翌朝は、なんだか無性に焦りにとらわれて、起こしに行った浩平の幸せそうな寝顔を見ると、気が抜けてため息が出たりする。
 ただの夢だと思う。
 でも、最近気になることがあった。
 私が夢を見た翌朝はいつも、浩平が妙に寝汗をかいているのに気づいたのだ。
 この寒さのまっただ中に。
 ……本当に、ただの偶然……?

 風を感じられない浩平に、私は風を教えて上げた。

 雲の下は海ばかりだと、あんまり寂しいことを言う浩平に、私は懸命に羊を放し飼いにしようと提案した。

 ……それが、何になったんだろう。

 そこは、真っ暗な場所だった。
(また、ぼくはこんな場所にいる…。)
 浩平の声だけが聞こえる。
(悲しい場所だ…。
 ちがう
 もうぼくは知ってるんだ。
 だから悲しいんだ)
「悲しい…?」
 声だけの私は、浩平に尋ねた。
(今さら、キャラメルのおまけなんか、いらなかったんだ)
「たくさんあそべるのに?」
 浩平の言っていることの、意味が分からない。
(うん。
 いらなかったんだ、そんなもの)
「どうして?」
(おとなになるってことは、そういうことなんだよ)
「わからないよ」
(わからないさ。
 だってずっと子供のままだったんだから…)

 うわーん……
 泣き声が聞こえる。
 あれは……浩平だよ、きっと。

「うわーん、うわぁぁぁん!」
「瑞佳、もう泣かないの」
「ゆきが、ゆきが死んじゃったよぉ、うわーん!」
 ゆきはおととい拾ってきたばかりのこねこだ。
 まっしろでふわふわしてて、だからゆきって名前をつけた。
 でも、ゆきは家に来たときから、元気がなかった。
 でも、わたしはいっしょうけんめいお世話したんだよ。
 みるくもあっためて、ゆきは、少しだけど、ぺろぺろなめてた。
 ねる前には、さむくないようにもうふもかけてあげた。
 学校から帰ったら、いちばんにただいまを言った。
 でも。
 きょう帰ってきたら、ゆきはもう、死んでいた。

「うっ……えぐ……ひっく」
 ゆきのお墓をつくってあげなさい。
 ままがそう言ったので、わたしはゆきを布にくるんで、だいてあるいた。
 近くにはうめたくない。
 近くにうめたりしたら、そこのちかくをとおるたびに、きっと泣いちゃうもん。
 てくてくてくてく、歩いていたら、おっきなかいだんが見えた。
 ようちえんのえんそくで来たこうえんだ。
「……そーだ」
 こうえんの上に、木がいっぱいはえてるところがあった。
 あそこなら、ゆきをうめても、ふだんは見えないから、かなしくない。
 わたしは、がんばってかいだんをのぼった。

 木がいっぱいはえてる中にはいって、わたしはじめんをほった。
 ほりながらぼたぼたなみだをこぼした。
 ひろってきたねこが死んだのは、はじめてだった。
 死ぬ、っていうことがどんなことなのか、わたしははじめて知った。
 そしてこわくなった。
 ほかの、みけことか、ぶちまるとかのねこも、きっといつか死ぬ。
 そのたびに、こんなかなしいおもいをしなくちゃいけないのだろうか。
 こんなかなしみがあるなんて、わたしはずっとしらなかった。
 こんなかなしみがくりかえすなんて、わたしはずっとしらなかった。
 これじゃまるで、かなしみのためにまいにちがあるみたいだよ。
 もういやだ。
 こんなかなしみをかんじつづけなくちゃいけないのなら、わたしはここにずっといたい。
 これいじょう、うしなうかなしみなんて、かんじたくない。

 ふと、くらくなって、わたしは上をみた。
 知らないおじさんが、わたしをみていた。
「友達を、なくしたのかい……?」
 おじさんは聞いた。
 わたしは、こくん、とうなづいた。
「それじゃ、手伝ってあげよう」
 おじさんは、わたしのほっていたあなを、てつだってくれた。
「おじさんは、だれ?」
「禅魔に魅入られて数十年……未だに小悟もならぬ似非坊主さ……」
「?」
 よく、わからなかった。
 やがてあながほれて、わたしはゆきをそっとあなのそこにおいた。
「どれ、格好だけでも引導を渡してあげよう。手を合わせて静かにしておいで」
 おじさんはズボンのポケットからビーズのネックレスみたいのをだした。
「如是我聞、一時佛在舎衛國祇樹給孤獨園、與大比丘衆……」
 おじさんはお経みたいのをつぶやきはじめた。わたしはいわれたとおり、だまって手をあわせていたけれど、おじさんの声をきいているうちに、だんだんまたかなしくなってきた。そして、とうとうまたなきだしてしまった。
「菩薩亦如是、若作是言、我當滅度無量衆生即不名菩薩……」
 おじさんのこえはあいかわらずお経をよんでいる。
「うわーんっ、わぁぁぁぁぁんっ!!」
 ……そしてしばらくして。
「信受奉行金剛般若波羅蜜経……」
 おじさんはお経をやめて、わたしのあたまにてをおいた。
「つらいか?」
「うっ、えぐぅ……」
「つらいよなぁ……わしには、こんな悲しみを済度できるなど、どうしても信じきれん」
「もう、こんなかなしいの、やだよぉ……」
 わたしはぐしぐしなきながら、おじさんをぽかぽか叩いた。
「そう思ったのさ。おじさんも、釈迦牟尼もな……」
「……」
「こんなんだったら、はじめからゆきなんてひろわなきゃよかったよぉ……」
 おじさんが、いきなりかくん、とひざをおって、そこにすわった。
「……そうか。ちがうのだ。なんと……いう……」
 おじさんはかたかた震えていた。
「おじさん、どしたの?」
「大悟。ただいま大悟致した」
 おじさんはゆっくりとまた立ち上がった。
「いいかい、お嬢ちゃん。はじめから何もなければたしかに失う悲しみはない。そうだと思っていたのだ、私は。牛のある者は牛について憂う、ならば牛など持たぬがよい──そうではないのだ。そんなところに寂静はなかったのだ」
「おじさん、それ、なに?」
「ただ全てを拒むことも、ただ全ての価値を否定することも、寂静へは至らない。なればこそ不立文字、教外別伝。お嬢ちゃん、悲しいからと言って、はじめからなきゃよかったとか、もうなにもないほうがいいとか、なにもほしくないだとか、それでは悲しみはなくならない。その考えで至ることが出来るのは、せいぜい魔境──虚無に満たされた永遠だ」
「きょむにみたされたえいえん」
 わけもわからずに、わたしはそのことばをくりかえした。
 そのとき。
 おじさんのすがたが、きゅうにうすくなった。
「おじさん?うすくなってくよ……」
「この世界から旅立つ前に、一度だけでも大悟に至れたことを、感謝するよ、お嬢ちゃん」
 てをふりながら、おじさんのすがたがどんどんうすくなっていく。
「私が今から行くのは、虚無の永遠の世界だ……だが、いずれは寂静の涅槃へも行けるだろう。お嬢ちゃん、悲しみに負けて、永遠の世界を開いてはいけないよ……」
 そして、おじさんはそのばできえうせた。
 ぼうぜんとしていたわたしは、ぼうぜんとしたままゆきをうめて、うえにいしをおいて、もういちど手をあわせて、うちにかえった。
 かなしみは、どこかへいっていた。
 かわりに、「えいえん」ということばが、わたしのあたまをうめつくしていた。

 うわーん……
 泣き声が聞こえる。
 あれは……浩平だよ、きっと。

 はじめ怒っていたその子は、次に会ってから、泣いてばかりいた。
 ほっとけなくて構うと、私を叩いたり蹴ったりぱんつ下ろしたりして、また泣くのだった。
「いつになったら、あそべるのかな」
 となりのその子に聞くと、
「…きみは何を待っているの」
 ある日、ようやくその子が答えてくれたのが、その問いだった。
「キミが泣きやむの。いっしょにあそびたいから」
 すると、その子はふるふるかぶりを振って、
「ぼくは泣きやまない。ずっと泣き続けて、生きるんだ」
 と言った。
「どうして…?」
「悲しいことがあったんだ…」
「…ずっと続くと思ってたんだ。楽しい日々が」
「でも、永遠なんてなかったんだ」
 私ははっとした。
 ゆきのお葬式以来、ずっとわたしの頭の隅に引っかかっていた言葉。
「永遠はあるよ」
 思わず、その言葉が口をついて出ていた。
 だって、あのおじさんは言ったもん。
『私が今から行くのは、虚無の永遠の世界だ』って。
 そして私の手の中にその子の両頬はあった。
「ずっと、わたしがいっしょに居てあげるよ、これからは」
 言って、わたしは口を、ちょんとその子の口にあてた。

……それは、永遠の盟約。

 おじさんは、言ったはずだ。
『悲しみに負けて、永遠の世界を開いてはいけないよ……』
 けれど、私は、その子に向かって、永遠の世界を開いてしまった。
……こうへいに。

 数週間後、私は最愛の人を見送った。
 あの夢は、きっと浩平も見ていた。
 そんな気がする。
 周囲の誰もが浩平を忘れる中で、私は今度こそあのおじさんの言葉を守ろうと懸命だった。
 浩平の居なくなった悲しみを、周りに合わせて、はじめから居なかったことにしてなくすことはしたくない。
 それでは、私も永遠の世界を開いてしまうことになる。
 浩平には、きっと必要なのだ。
 私のような、こっち側で彼と共に歩める人間が。
「……お母さん、何これ?」
 台所のテーブルの上に置いてあったパンフレットを見て、私は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「友達が、四国八十八ヶ所参りしてきたんだって……」
 そこに書いてあった言葉に、私は釘付けになっていた。
 八十八ヶ所を巡る者は、たとえ一人であっても、お大師さまが共に歩んで下さっている……
「同行二人、っていうんだね」
 浩平。
 一人じゃないよ。
 こっちで、私も、一緒に歩いてるんだよ。
 だから、私も……寂しくなんか、ないもん。
 はやく……もどってきてよね……

(結)


 えー。
 妖しいのは承知の助です。
 仏教で言う悟り、涅槃寂静と、「えいえんのせかい」とが、私の中でどうにも収まりがつかなくて、それを収まり付けようとしたらこんなんなりました。うむむ。相当誤解だらけだよなぁ。
 文中の坊さんはかなり「鉄鼠の檻」入ってます。京極夏彦先生、どうもすみません。
 あと、文中の「金剛般若経」は岩波文庫版から引用しました。それから、坊さんの台詞は一部、岩波文庫「ブッダの言葉 スッタニパータ」を参考にしました。中村元先生、紀野一義先生、勝手ご寛恕賜りますようお願い申し上げます。


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