まだ東京のそこかしこに敗戦の傷跡が残る1951年、当時中学校の音楽教員であった長谷川新一は当時の音楽教育の硬直性に疑問を抱き、ヨーロッパの音楽的伝統に基づく理想的音楽教育の実践のために児童合唱団の創立を企図しました。
  ヨーロッパ古典宗教曲に造詣が深く、都内でグレゴリオ聖歌の講習会を行なっていた故ポーロ・アヌイ神父の協力も得て、東京都内の小学校から募集した少年たちによって、東京少年合唱隊を結成しました。これが東京少年少女合唱隊のルーツとなります。1954年には大人の合唱団でも当時は珍しかった専用練習スタジオを新大久保に建設しました。これは現在も使用されています。(写真上:新大久保スタジオにおいて長谷川新一と初期の隊員達の練習風景、1958年頃)
  東京少女合唱隊がその後1960年に結成され、1964年の第1回北米親善旅行の際に東京少年合唱隊と東京少女合唱隊が合併し、東京少年少女合唱隊〜the Little singers of Tokyo〜として現在のような形での活動をするようになりました。

 発足後まもなく、1955年にプエリ・カントレス(世界児童合唱連盟)に日本支部として加盟しました。(写真左:第6回プエリカントレス世界大会に参加した長谷川新一、中央の白いスーツの男性が長谷川。1956年)
 国際的な児童合唱団体への加盟によって得られた、世界各国の歴史と伝統をもつ実力ある児童合唱団との交流を通じて、当時最新の指導理論や技術を吸収し、その実力を伸ばしていきました。
 その一方で、
国内の各地へ赴いて活発な演奏活動を行う他、ラジオ、テレビへの出演、様々なレコードの出版を通じて、ヨーロッパ音楽の伝統にのっとった頭声発声による本格的な歌唱法や楽曲、そして合唱音楽そのものの普及と啓蒙に力を注ぎ続けました。

 1964年、当時完成したばかりのカーネギーホールでのこけら落し公演のために東京少年少女合唱隊は栄えある招聘をうけることとなりました。アメリカではエド・サリバンショー(写真左)に出演するなど小さな親善大使として好意的に迎えられ、日本の児童合唱団としてはじめてアメリカで行なった公演も大変な好評を得るなど、大きな成果をおさめる事ができました

 1964年の第一回海外演奏旅行以降、2000年までに26回の海外演奏旅行を行いました。訪問した国はフランス6回、アメリカ4回などをはじめとしてイタリア、ドイツ、韓国、イギリス、スイス、香港、カナダ、オーストリア、フィンランド、モナコ、ベルギー、スペイン、ハンガリー、オーストラリア、ニュージーランド、中国、本土復帰前の沖縄も含めると世界19カ国・地域にのぼります。(写真右はヒューストンを訪れた合唱隊)

  1971年に長谷川冴子が二代目常任指揮者に就任した後も活発な活動は変わりませんでした。海外の教会での演奏を通じて、ヨーロッパの音楽を育んだ場所の実際の響きを経験し、本場で活動している団体と共演することによって歴史と伝統に磨かれた音楽の高みを知ることで、その実力をさらに磨きあげていきました。 
(写真左 バチカン市国、サンピエトロ寺院前広場での演奏のあとローマ法皇ヨハネパウロ二世との記念写真撮影風景)

  そしてついに、1990年にはEBU(European Broadcasting Union;ヨーロッパ放送網)主催国際合唱コンクール児童合唱部門で第一位 を受賞する栄誉に輝き、世界水準の演奏を行なう児童合唱団としてその実力を認められるようになりました。(写真下左はパリ・ノートルダム寺院での演奏風景1987年、下右はブルージュの教会での演奏風景1990年)

 

 1978年には東京少年少女合唱隊OBの女声アンサンブルとしてシニア・コアが結成され、1985年に「宝塚国際室内コンクール」女声部門で銀賞、総合第三位 を受賞、続いて 86 〜88年には朝日新聞主催、「全日本合唱コンクール全国大会」において3年連続金賞の快挙を成し遂げるまで成長しました。1988年にはシニア・コアによるはじめてのシニア・コンサートも行われ、現在の基礎を築きました。また、シニア・コアと平行して1982年には男声アンサンブルとしてユース・コアが結成され、小学校低学年から高校、大学に至るまでの合唱・声楽教育の態勢が整えられました。
 さらに東京少年少女合唱隊は定期演奏会、コンクール参加ばかりでなく、多くの一流指揮者、音楽家との共演を果 たしてきました。抜粋ではありますが、次のような演奏を行い、いずれも好評を博しています。
1981年
○ミラノ・スカラ座公演「ラ・ボエーム」

1989年
○ボリショイ・オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」
1990年
○G.ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団来日公演
 マーラー「交響曲第三番」

1991年
○G.クーン 指揮サントリーホール5周年記念オペラ「オテロ」

1992年
○佐渡裕指揮マーラー「交響曲第三番」
○G.クーン指揮「カルミナ・ブラーナ 」

1993年
○G.クーン指揮サントリーホール・オペラ
  「ラ・ボエーム」
○キーロフ・オペラ
  「スペードの女王」、「ボリス・ゴドゥノフ」
 (写真右;楽屋でのV.Gergiev氏と隊員)

1994年
○C.アバド指揮ウイーン国立歌劇場
 オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」

1995年
○大野和士指揮
 
ブリテン「春の交響曲」、「戦争レクイエム」

1996年
○C.デュトワ指揮「火刑台のジャンヌ・ダルク」
 (写真右、C.デュトワ氏と隊員達)

1997年
○小澤征爾指揮モーツアルト「魔笛」
 (写真右 バーバラ・ボニー氏と)
○〈東京の夏〉音楽祭 中世音楽劇
 「預言者ダニエル物語」

○"Festival d'Automne a Paris"
 
細川俊夫個展コンサート
○M.ロストロポーヴィッチ指揮
 ブリテン「戦争レクイエム」
 (写真下 ロストロポーヴィッチ氏と隊員達)

 

1998年
○C.アバド指揮ベルリン・フィルハーモニ−管弦楽団来日公演
 マーラー「交響曲第三番」(写真右 ハイティンク氏と隊員)
○ J.フルネ指揮フォーレ「レクイエム」CD録音
  (カメラータ/25CM-563)
○ G.クーン指揮 「カルメン」
 (写真下、BPOマーラー交響曲第三番演奏風景)


© K.Miura

1999年
○ A.プレヴィン指揮ブリテン「春の交響曲」
 (写真右 A.プレヴィン氏と)
○坂本龍一作曲、指揮オペラ「LIFE」

2000年
○ 大野和士指揮ヴェルディ「オテロ」
 P.ヘレヴェッヘ指揮J.S.バッハ 「マタイ受難曲」
 (写真下、マタイ受難曲演奏風景)


© 林喜代種

2001年
○ 坂本龍一作曲、「ZERO LANDMINE」CD録音参加
○NHK交響楽団75周年記念演奏会
 C.デュトワ指揮 オルフ「カルミナブラーナ」
○NHK交響楽団75周年、サントリーホール開場15周年記念演奏会
 W.サヴァリッシュ指揮 メンデルスゾーン「エリア」
     

 そして2001年 東京少年少女合唱隊は50周年を迎えました。アドルフ・フレドリクス少女合唱団を迎えてサントリーホールにおいて開かれたPart1、シニアコンサートとしてカザルスホールで開かれたPart2、そして2002年、新作を含む細川俊夫氏の三作品と受難節にふさわしい宗教曲とを演奏するPart3と三つの50周年記念演奏会を行いました。
 50年前に小さいけれども大きな理想を持って結成された合唱隊は50年後の今日、大きな実りをつけつつ21世紀へ、次の50年へと一歩を踏み出しました。これからも多くの方々に支えられ、代々の子供たちにその伝統と精神を受け継がれながら、一歩一歩その領域を拡げつつ未来へと進んで行くことでしょう。(写真右は1997年頃のスナップ)