アダム神話は、ユダヤの民の創世神話である

アダムとイブの神話は、人類創造の話ではなく、ユダヤの民の創造神話ではなかろうか?

創世記のアダムとイブの神話は、キリスト教団において、人類創世の話とされてる。
しかし、人類創世にしては、不可解な言葉や納得できない事柄が多すぎる。
以下疑問に思う文章を検証してみます。

土を耕す人?
創世記2/5
地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
創世記2/15
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

果して始祖人が農耕(土を耕す)をしただろうか?
農耕とは、人類が共同体を営み、人工的に種を撒いて育て、その共同体の食料を安定的に確保する技術で、人類が発明した物である。
少なくとも始祖人が土を耕す事はあり得ない。

金や琥珀が何の役に立つのか?
創世記2/11〜12
第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。
その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。

金や琥珀が産出したとあるが、始祖人にとっては金や琥珀があっても何の役にも立たないと思われる。
そもそも金の鉱脈があっても、それを精錬したり、琥珀を磨いて宝石にするのは、相当な技術が必要であり、またその価値が評価されるのは古代文明が成り立ってからの話です。
始祖人アダムにとっては、金の鉱脈もや琥珀の原石も何の役にも立たない物である。

命の木や善悪の知識の木って何だ?
善悪の知識の木と言うのは、意図的な誤訳ではあるまいか?
  創世記2/9
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、「命の木」と「善悪の知識の木」を生えいでさせられた。
創世記2/17
ただし、「善悪の知識の木」からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。

「善悪の知識の木」の意味や、何故、主がそれを植えたのかは、又別の機会に考えて見たいが、少なくとも始祖人に「善悪」の価値観などあるのだろうか?
「命の木」と言っても、始祖人の周辺に存在する「命」は、始祖人自身と動植物の「命」だけですよ。

賢い蛇って何の事?
創世記3/1
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」

賢いとか愚かと言うのは、人類社会の価値観ではなかろうか?
少なくとも、始祖人(イブさんもいる)しかいないのに、賢いも愚かもあるまい。

なぜ2つの異なる人類創造の話があるんだ?
1章の人類創造神話と2章の人類創造神話がその創造の順番や、創造の理由が違う
事は多くの人達が指摘してる事であるので、ここで詳しく取り上げる事はしないが
キリスト教団が説明する様に、2章が1章の詳細説明では、つじつまが合わない

人類の歴史が6000年ではあまりにも短すぎる
アダムとイブを始祖人とした場合、創世記の年代積算で現代から約6000年前と計算されますが
ボチボチ古代文明が起こりつつある時代であり、有史以前の人類の歴史を考慮すると
全くつじつまが合わない

アダムとはユダヤの民の事ではなかろうか?
創世記の2〜4章の編者が、始祖人についてこれ程までに、無知であったとは考え難い。
創世記の編者は、始祖人アダムを描いたのではなく、周辺に多くの民が国や部族を形成している中で、ユダヤの民が自立した国を造り、善悪の知識の木(王政)を食べ、それが為に死に至った(アッシリアやバビロンによって倒された)経緯を神話として描いているのである。
イスラエルの歴史としては、BC15世紀〜BC6世紀を描いているのでしょう。
以下に、それぞれの言葉が何を象徴しているのか、個人的な見解を書きたい。

アダムとイブは?
アダムが南のユダとベニアミンの国の事でイブは北イスラエルの10国の事
賢い蛇とは?
賢い蛇とはアッシリアかエジプトの事
エデンの園とは?
エデンの園とはエルサレムかカァナン地方の事だと思います。
善悪の知識の木とは?
善悪の知識の木とは、ダビデ王朝が民の善悪を裁く権力を持ち、贅沢を極め、それが民の貧困を招き、民としての活力を失った事だと思います。
下記の列王記の記事は、ソロモン王(ダビデ王家)の祈りの一部で、神に民を裁く権力を請う祈りですが、それを創世記の編者グループ(ヤハウィスト)は、神の領域を犯す行為と考えたのでしょう
列王記上8/32
あなたは天にいましてこれに耳を傾け、あなたの僕たちを裁き、悪人は悪人として、その行いの報いを頭にもたらし、善人は善人として、その善い行いに応じて報いをもたらしてください。
命の木とは?
命の木とは、ユダヤの民にある命の活力の事だと思います。
創世記3/22
主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

は、周辺の何処かの国の様に、民衆を苦役に着かせ、活力を吸い取り、大国になってしまうと言う恐れだと思います。
パウロは?キリスト教は?
キリスト教(パウロ)は、アダムを始祖人とし、善悪の知識の木を食べた事を「人類の罪」として捉え、原罪論の根拠にしているが、このアダム神話はあまりにもつじつまが合わない。
キリスト教団の教理は、教団の都合で造った物だろうし、創世記や他の記事や歴史を検証したものではないでしょうから、参考にもならないと思います。


以上で終わりです

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