イエスの洗礼

イエスは一説には人々に洗礼を施さなかったとされる、その謎を考えてみる


2009年5月10日追記部分
ヨハネの預言はユダヤ戦争の預言ではないか

マタイ福音書3/11

わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」

この「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」と言うその方とは、始めはYHWHの神を示していたのであろう
「聖霊」は何を示しているのか不明ですが、「火」は明らかに「戦火」の火、つまりユダヤ戦争を示しています。
この考え方は、ユダヤ人独自の物ですが、エレミヤ記においては、バビロンのネブカドネツァルを「神の御使い」とし、ネブカドネツァルが、エルサレムの街を焼打ちする事を応援している聖句があります。
キリスト教徒においては、腐敗したエルサレムの神殿を「火」で焼き尽くす事が、ユダヤ人にとっての「神の洗礼」と考えたのでしょう。
その文章が、2〜3世紀にイエス・キリストの神格化の過程で、洗礼者ヨハネの後から来る方(つまりイエス)の文章が付け加えられて、今のマタイ福音書の内容になったのではないだろうか?
2003年8月25日追記部分
ヨハネの洗礼は悔い改めの洗礼ではない!!!
2003年8月に何気なくヨゼフスの古代誌の洗者ヨアンナスに関する記述を読んで、どうしても書かざるを得ない記事を目にしました。
古代誌XVIII−v−2
「ヨアンナス(ヨハネ)によれば、洗礼は、犯した罪の赦しを得るためではなく、霊魂が正しい行いによってすでに清められていることを神に示す、身体の清めとして必要だったのである。」
この驚くべき記事にしばし言葉を失っていました。世界中のキリスト教会が「悔い改め」の洗礼を説いていると思いますが、「犯した罪の赦しを得る」=「悔い改め」ではなく、「すでに清められていることを神に示す」為の洗礼だとしているのです。
そう言えば使徒言行録に思い当たる記事があります。使徒18/24−19/10のルカの記事です。
「さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。」
特に「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と言う部分がなかなか理解できなかったのですが、ヨゼフスの記事はこれを明確にしてくれました。つまりここで言うヨハネの洗礼とは、一般的なキリスト教会の言う「悔い改め」の洗礼ではなく「すでに清められていることを神に示す」為の洗礼だったのです。
アポロはそれをエフェソスの街の人達に説いていたのです。それで「悔い改め」の洗礼を説いていたパウロはわざわざ洗礼を受け直しさせた様です。
使徒19/4−5
「そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、「悔い改めの洗礼」を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。」
悔い改めの洗礼は誰が主張したのか
はっきり断言はできませんが、「悔い改め」=「原罪論」とすれば、パウロが主張したことではないかと思います。
イエスはどう主張したのか
これも今は思考中ですが、イエス自身がヨハネの洗礼を受けていることは間違えないでしょうが、どうやらイエス自身は誰にも洗礼を授けなかったと言われてます。
ヨハネの洗礼が「すでに清められていることを神に示す」為の物であれば、イエスが宣教した、女性や貧者や病人や罪人は、受ける事ができません。
これらの人達は当時の社会から清められた人としては扱われていません。
イエスはヨハネの洗礼を受けていながら、実はその意味づけに納得できなかったのかもしれません。イエスとヨハネが袂を分けた理由はここにありそうな気もするのですが、ハッキリしたことは言えません。しかしながらイエスに「悔い改め」の主張があったとはとても考えられませんので、イエスは洗礼ではなく、宣教の業により神の国を説いていたのでしょうから、これを福音書編者は「その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」(マルコ1/8)と記述したのかも知れません。
アポロとパウロはどちらがイエスの継承者か
これも断言できませんが、私個人としてはアポロの方がイエスの主張を継承し、パウロは独自の主張をしたのではないかと思います。
このあたりのパウロの記事はコリント書簡から読むべきでしょうが、パウロの文章は一人合点の様に思いますし、アポロの主張を謙虚に聞いていたとも思えませんし。事実アポロの主張はその後グノーシスとして展開していきますので、グノーシスがイエスを継承し、パウロがイレギュラーであったのかもしれません。....
洗礼の由来

聖書では洗礼者ヨハネが先に洗礼を施している様子が描かれている、この洗礼は一回だけの物で、悔い改めの洗礼であり、言わばヨハネ教団への入門の儀式だろう。

マルコ福音書1/3−1/9

荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。

イエスと洗礼

かようにイエスはヨハネから洗礼をうけているのだが、イエスは人々に洗礼を施さなかったのでないか、と言う話があります。確かに聖書の何処にもその様な記事はなく、ペテロやヨハネを弟子にしたときも洗礼を施してはおらず、「私に付いてきなさい」と言ってるだけである。
聖書中を探せばヨハネ福音書4/1だが、4/2でわざわざ弟子達が洗礼を施したと注釈されている

ヨハネ福音書4/1−4/2

さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――

私は一時イエスは洗礼に対して批判的なのではないかと考えていました。
そして、イエスがヨハネ教団から独立した原因の1つではないかとさえ考えたのですが、そうすると当然イエスの弟子達にも洗礼を施す事を禁止するハズだし、この事情は暫く謎だったのですが。
先のヨハネ福音書4/2の注釈が謎解きをしてくれました。

マルコ1/8のヨハネの言葉(後に私より優れた人「イエス」が出現する)の中で「その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」の部分があり、イエスは水の洗礼ではなく、聖霊で洗礼する事を予言しています(その様にマルコは編集している)。そのためにそう予言されたイエスが何処かで水の洗礼をした事を書くと、このヨハネの予言が嘘になり、実際は洗礼を施していても記事として残せなかったのでしょう、ヨハネ4/2の注釈もそれを意識して、わざわざイエス自身は洗礼をせず、弟子達がしたと言うことにしたのでしょう。
イエスは実際には、盛んに洗礼を施し、ペテロやヨハネを弟子にするときも洗礼をしたのでしょう。

ただそうすると、ヨハネの予言「聖霊の洗礼」は何でしょうか、これは多分実際のヨハネの言葉ではなく、ヨハネに信望していた人達に、イエスの優位性を説明する為に、ヨハネがこの様に予言したと言う形に編集したものでしょうが、その時点(編集時点)でも盛んに水の洗礼をしているのだから、これはマルコのミス表現で「聖水の洗礼」とか、「聖霊と水による洗礼」と言う言葉を使うか、1/8は残しておくべきではなかったのかもしれません。
あるいはもしかしたら、福音書編者は洗礼を批判していたのかもしれませんが、このヨハネとの絡み以外に洗礼の言葉は少なく強いて言えば各福音書の終わりの方に例えば、マルコの後に付け加えられた16/16に

信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。

とあるが、洗礼そのものを批判したのではなく、信心のない形だけの洗礼を批判したのだろう


まとめ???

イエスは意図的に洗礼をしなかったのではなく、ヨハネの予言が成立するようにするために福音書編者が、洗礼をした様子を描けなかっただけの事だろう
福音書編者が主張したかったのは、洗礼に限らず、祈りや修行についても形ではなく、本当の信心がなければ何の意味もないどころか、弊害になると言う事ではないだろうか


とりあえず終わりです