混乱しているバベルの搭の物語


はじめに

−−−2004/5/30 追記−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
創世記は基本的にはヤハウィストによるJ伝承がメインでP(祭司派)が再編集した物と思いますが「D(申命記派)も一部あると言われてる...自分には理解できないが」、このバベルの塔の神話はBC6世紀のバビロン補因時期に、実際にバビロンであった話をモデルにした物と思われる。
その根拠は
 1...ネブカドネツァル2世が実際に作った巨大なバベル(神を迎入れる門?)の
     塔のモデル(遺跡)があって、アレキサンドロスが瓦礫の掃除をするのに、
     1万人の人足で2ヶ月掛かったとされる。
 2...シンアルとは、バビロンに実際にあった土地の名前と思われる
 3...バベルをユダヤ人はヘブライ語のバレル(混乱)ともじったようですが、む
     しろ、バビロン−−バベルではないかと思われる
となると、11/6の「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話してる...」は、バビロンが支配した地域から集められた捕因達に、強制的にカルデアの言葉を使わせたのかも知れない
11/7の「我々は降っていって、直ちに彼らの言葉を混乱させ...」は、PかE派の文章でしょうが、強制労働で高層建築物を造らせる新興大国の批判とも取れますし、大国としての綻びを呈し始め、求心力を失い、労働者達がそれぞれの民族の言葉を使いだし、建築に必要な技術ドキュメントのやりとりができなくなったとも取れます。
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バベルの搭の物語は、創世記11/1−11/9にあり、護教的な教会では「神の尊厳を乱す様な大きな建築物を建てる事を戒めている」と説話している。しかしよく読んでみると、塔を作ってる人達にはそのような野心は感じられない、神の無能さや、そう言う工事をする技術も資力もないユダヤ人の僻みが露呈した物語と考えた方えたい。


創世記11/1−11/9

世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。
主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。


神の無能さ

まず、町を有名にして通商や観光で町を繁栄させ、自分達が全地に散らないようすると言う、ちゃんとした目的の建築事業を、けしからん事としているのが理解に苦しみます。
レンガをアスファルトで積み上げていくのは、よほど構造力学を考えないと大きな建築物は無理でしょう。
黙っていても、途中で挫折する行為をわざわざちょっかいを掛ける必要はないだろうに。
彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。
その目的が全く理解できず、その行為が一民族一言語の為だと言う全く関係ない事を持ち出して、言語をバレル(混乱)させたのだから、無能としか言いようの無い短絡的な発想です。
これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
全知全能と言われている神が、何と無力で無能なのだろうか。
我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう
我々???...創世記の1/26にも出てきます。P伝承の特徴です。


感想

案の定の事でした、創世記を丹念に読むと神の無能さが露呈するのは、この物語だけではないのですが、これほどひどいとは思っていませんでした。
この辺の史料はP史料(祭司史料)と思われますが、エジプトやバビロンの様な大きな建築をする技術もなく、たくさんの奴隷をまかなう様な資金もないユダヤ民族の僻みではないかと思います。
「天まで届く塔」だけ読むと、護神者は神の威厳を侵略するかのごとく読むだろうが、神の創造した大地は大した事のない山でも1000m越えるのに、人類は現代の高度技術を屈指しても精々数100mの建築物しか出来ません。その程度の山はイスラエル周辺にもゴロゴロしていて、彼らも登っているでしょうから、そんなところに天があるとは考えないでしょうし、この言葉は彼らの意気込みであって真面目に天まで届かそうと考えたのではありません。
彼らの意図は「有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」の方じゃないでしょうか。
つまり大きな建築物をたてる目的は、名物を作って多くの人を招き寄せ町を繁栄させて、通商や産業を興して自分達の生計を成り立たせ、どこそこへ出稼ぎにいく必要がなくなる様にと考えたのだろう。

ユダヤ人達にはそのような事業振興の概念が希薄だったのかもしれない。

言葉を混乱させたのは、彼らを全地に散らして建設工事を中断させる為としているが、工事を中断させる方法はいくらでもあるだろう。
現実にたくさんの民族と言語が存在する世界で、世界のたくさんの民族の祖が自分達であるとした無理な考えが、この様に何の脈絡もない物語を作ってしまったのか。

エジプトのピラミッドはファラオが行った公共事業ではないかと言われています。
毎年ナイル川が氾濫(それが由にナイル川流域は土地が肥沃で農産物が良く採れた)する前に、収穫しストックする場所として、氾濫の時に避難する場所として、荒れ地で農産物がロクに生産できない人達を奴隷として雇い、労働をさせてストックの食料を分け与え最低限生きていける様にして(ヤコブも飢饉の為にエジプトへ行った)、公共施設として建設したものがピラミッドだと言う説がある。
またエジプト農民も不幸にして農産物が被害で収穫できなかった場合、奴隷としてピラミッド建設に加わりストックの農産物を貰って生計を維持した様です。

キリスト教はこのバベルの塔の話やエジプト奴隷・バビロン奴隷の話などから、奴隷を使ったエジプトやバビロンの大型建築物を批判する場合が多いですが、それでは何故ヤコブは自ら進んでエジプトへ行ったのか、そしてユダヤ人が400年もエジプトに居座ったのか説明できません。
モーセの脱出(集団脱走)の時も、飢饉で死ぬより奴隷で最低限生きていける方がいいと言う人達がいたことが出エジプト記14/11−12に示されています。
出エジプト14/11
また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。
我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」
−−−2007/4/30 追記−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
特にエジプト奴隷については、昨今の発掘によりその実態がだんだん判ってきた様ですが、二日酔いで欠勤したり、仕事が終わった後の家族団欒や仲間との飲食の様子が判り、今日のサラリーマンとそれ程違いがなく、到底過酷なものとは言い難い。
これは出エジプト記にも示されている。出エジプト16/3
イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
エジプト奴隷が過酷だとしたのは、キリスト教会のプロバカンダの影響が大きいだろうと 思われる。
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キリスト教ではモーセの偉業を唱えるあまりこういう文章を引用しないが、奴隷をしていたユダヤ人が100%モーセを支持していたわけではなく、むしろモーセに煽られて不本意に駆り出された人達も多くいたのかもしれない。

この様に、バベルの塔の物語は一般に言われる様に、「神が威厳を損なうような巨大な建築物を建てる人達を怒って言葉を乱した」物語ではなく、「大きな町を作って、町を繁栄させようとした人達を、その技術も資力も無い人達が僻んで、言葉を乱して工事を中断させた」物語だと思います。
キリスト教は、教会の近くに立派な建物ができたら、権威が失墜するとでも考えたのでしょうか?、民衆が教会に来なくなると考えたのかもしれません。

以上で終わりです