新約聖書における旧約聖句




新約聖書の書き手の何人かは、さかんに旧約聖書の聖句を引用している。特にマタイ福音書やルカ文書やパウロの自筆と思われる書簡には数多くの引用が見られる。
ここでは、マタイ・マルコ・ルカ福音書と使徒言行録のそれぞれの引用部をピックアップし、引用されたと思われる旧約の文書を探しだして併記してみた。
それぞれの聖句の発言者と思われる人を示しておく
それぞれの引用の仕方に特徴がある事が解り、旧約の引用があまり用いていないヨハネ福音書との差異を明確にした。
イエスの系図については、マタイ・ルカとも歴代誌や列王記をくまなく調べたと思われるが、複雑になるのでここでは取り扱わない。
また律法と思われる物については、何処の文章であるかは特定出来ないので割愛した。さらに20文字以下の引用も検索困難につき割愛する。
なおイエスが十字架上で発言した「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ...神よ・神よ・なぜ・お見捨てなされた」は詩編22/2に同じ言葉がある。


マタイ福音書において



(2/6)...作者
「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」
ミカ書(5/1)
「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」

(2/18)...作者
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」
エレミヤ(31/15)
「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる、苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから。」

(3/3)...作者
「これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
イザヤ書(40/3−40/5)
「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」

(4/15−4/16)...作者
「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
イザヤ書(8/23−9/1)
「今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

(12/18−12/21)...作者
「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。」
イザヤ書(42/1−42/4)
「 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない、この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。」

(13/14−13/15)...作者
「イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』」
イザヤ書(6/9−6/10)
「主は言われた。『行け、この民に言うがよい、よく聞け、しかし理解するな、よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために。』」

(15/8−15/9)...イエス
「『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしをあがめている。』」
イザヤ書(29/13)
「主は言われた。『この民は、口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ。』」

(21/5)...作者
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
ゼカリ書(9/9)
「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って。」

(21/42)...イエス
「 イエスは言われた。聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」
詩篇(118/22−118/23)
「 家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。」

(22/44)...イエス
「『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、わたしがあなたの敵を、あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』」
詩篇(110/1−110/2)
「【ダビデの詩。賛歌。】わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。」


マルコ福音書において



(1/2−1/3)...作者
預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、」
イザヤ書(40/3−40/5)
「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」

(7/6−7/7)...イエス
「イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』」
イザヤ書(29/13)
「主は言われた。「この民は、口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ。」

(12/10)...イエス
「聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」
詩篇(118/22−118/23)
「 家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。」


ルカ福音書において



(4/18−4/19)...作者(イエスが巻物を読む)
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
イザヤ書(61/4−61/2)
「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して、嘆いている人々を慰め」

(20/42−20/43)...イエス
「ダビデ自身が詩編の中で言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を、あなたの足台とするときまで」と。』」
詩篇(110/1−110/2)
「【ダビデの詩。賛歌。】わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。」


使徒言行録において



(2/17−2/21)...ペテロ
『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。』
ヨエル書(3/1−3/5)
「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは、奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。主の日、大いなる恐るべき日が来る前に、陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように、シオンの山、エルサレムには逃れ場があり、主が呼ばれる残りの者はそこにいる」

(2/25−2/28)...ペテロ
「ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。だから、わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を、朽ち果てるままにしておかれない。あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』」
詩篇(16/8−16/11)
「わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません。わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず、命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます。」

(4/25−4/26)...作者
「あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。』」
詩篇(2/1−2/2)
「 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して、主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか」

(7/42−7/43)...ステファノ
「そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ、お前たちは荒れ野にいた四十年の間、わたしにいけにえと供え物を、献げたことがあったか。お前たちは拝むために造った偶像、モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を、担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちを、バビロンのかなたへ移住させる。』」
アモス書(5/25−5/27)
「イスラエルの家よ、かつて四十年の間、荒れ野にいたとき、お前たちはわたしに、いけにえや献げ物をささげただろうか。今、お前たちは王として仰ぐ偶像の御輿や、神として仰ぐ星、偶像ケワンを担ぎ回っている。それはお前たちが勝手に造ったものだ。わたしは、お前たちを捕囚として、ダマスコのかなたの地に連れ去らせると、主は言われる。その御名は万軍の神。『主は言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしに、どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。」』


(7/49−7/50)...ステファノ
「主は言われる『天は私の王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか』」
イザヤ書(66/1−66/2)
「主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこに、わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。これらはすべて、わたしの手が造り、これらはすべて、それゆえに存在すると、主は言われる。わたしが顧みるのは、苦しむ人、霊の砕かれた人、わたしの言葉におののく人。」

(8/32−8/33)...作者(エチオピアの高官が朗読)
「彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」
イザヤ書(53/7−53/8)
「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか、わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。

(13/41)...パウロ
『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。』」
ハバク書(1/5)
「諸国を見渡し、目を留め、大いに驚くがよい。お前たちの時代に一つのことが行われる。それを告げられても、お前たちは信じまい。」

(15/16−15/18)...ヤコブ
『「その後、わたしは戻って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、元どおりにする。それは、人々のうちの残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、こう言われる。』
アモス書(9/11−9/12)
「その日には、わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し、その破れを修復し、廃虚を復興して、昔の日のように建て直す。こうして、エドムの生き残りの者と、わが名をもって呼ばれるすべての国を、彼らに所有させよう、と主は言われる。主はこのことを行われる。」

(28/26−28−27)...パウロ
「語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』
イザヤ書(6/9−6/10)
「主は言われた。『行け、この民に言うがよい、よく聞け、しかし理解するな、よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために。』」


ローマ人への書簡


発言者はすべてパウロである

(3/10−3/18)
次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない。」
イザヤ書(59/4−59/8)
正しい訴えをする者はなく、真実をもって弁護する者もない。むなしいことを頼みとし、偽って語り、労苦をはらみ、災いを産む。彼らは蝮の卵をかえし、くもの糸を織る。その卵を食べる者は死に、卵をつぶせば、毒蛇が飛び出す。くもの糸は着物にならず、その織物で身を覆うことはできない。彼らの織物は災いの織物、その手には不法の業がある。彼らの足は悪に走り、罪のない者の血を流そうと急ぐ。彼らの計画は災いの計画。破壊と崩壊がその道にある。彼らは平和の道を知らず、その歩む道には裁きがない。彼らは自分の道を曲げ、その道を歩む者はだれも平和を知らない。

(4/7−4/8)
「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。主から罪があると見なされない人は、幸いである。」
詩篇(32/1−32/2)
【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう、背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう、主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。

(8/36)
「わたしたちは、あなたのために、一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
詩篇(44/23)
我らはあなたゆえに、絶えることなく、殺される者となり、屠るための羊と見なされています。

(9/15)
神はモーセに、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。
出エジプト(33/19)
主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」

(9/25−9/26)
ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。『あなたたちは、わたしの民ではない』と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」
ホセア書(2/25)
わたしは彼女を地に蒔き、ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)を憐れみ、ロ・アンミ(わが民でない者)に向かって、「あなたはアンミ(わが民)」と言う。彼は、「わが神よ」とこたえる。

(9/27−9/28)
また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」
イザヤ書(10/22−10/23)
あなたの民イスラエルが海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。滅びは定められ、正義がみなぎる。万軍の主なる神が、定められた滅びを全世界のただ中で行われるからだ。

(9/29)
それはまた、イザヤがあらかじめこう告げていたとおりです。「万軍の主がわたしたちに子孫を残されなかったら、わたしたちはソドムのようになり、ゴモラのようにされたであろう。」
イザヤ書(1/9)
1:9 もし、万軍の主がわたしたちのために、わずかでも生存者を残されなかったなら、わたしたちはソドムのようになり/ゴモラに似たものとなっていたであろう。

(9/33)
「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」と書いてあるとおりです。
イザヤ書(28/16)
それゆえ、主なる神はこう言われる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。

(10/19)
それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、「わたしは、わたしの民でない者のことで、あなたがたにねたみを起こさせ、愚かな民のことであなたがたを怒らせよう」と言っています。
申命記(32/21)
彼らは神ならぬものをもって、わたしのねたみを引き起こし、むなしいものをもって、わたしの怒りを燃えたたせた。それゆえ、わたしは民ならぬ者をもって、彼らのねたみを引き起こし、愚かな国をもって、彼らの怒りを燃えたたせる。

(10/20)
イザヤも大胆に、「わたしは、わたしを探さなかった者たちに見いだされ、わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」と言っています。
イザヤ書(65/1)
わたしに尋ねようとしない者にも、わたしは、尋ね出される者となり、わたしを求めようとしない者にも、見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも、わたしはここにいる、ここにいると言った。

(11/3)
「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています。」
列王記上(19/14)
エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」

(11/4)
しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。
列王記上(19/18)
しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」

(11/9−11/10)
ダビデもまた言っています。「彼らの食卓は、自分たちの罠となり、網となるように。つまずきとなり、罰となるように。彼らの目はくらんで見えなくなるように。彼らの背をいつも曲げておいてください。」
詩篇(69/23−69/24)
どうか、彼らの食卓が彼ら自身に罠となり、仲間には落とし穴となりますように。彼らの目を暗くして、見ることができないようにし、腰は絶えず震えるようにしてください。

(11/26−11/27)
こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける。これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、彼らと結ぶわたしの契約である。」
イザヤ書(59/20−59/21)
主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると、主は言われる。これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると、主は言われる。あなたの上にあるわたしの霊、あなたの口においたわたしの言葉は、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、あなたの子孫の子孫の口からも、今も、そしてとこしえに、離れることはない、と主は言われる。

(12/20)
「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
箴言(25/21−25/22)
あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。

(14/11)
こう書いてあります。「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる』と。」
イザヤ書(45/23−45/24)
わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば、その言葉は決して取り消されない。わたしの前に、すべての膝はかがみ、すべての舌は誓いを立て、恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。主に対して怒りを燃やした者はことごとく、主に服し、恥を受ける。

(15/12)
また、イザヤはこう言っています。「エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。」
イザヤ書(11/10)
その日が来れば、エッサイの根は、すべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。


とりあえず終わりますが、パウロ書簡やヨハネ黙示録においても旧約の引用があり、整理出来次第追加していきます。

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