ダニエル書


はじめに

ダニエルという名前は、「神は裁かれる」という意味を持ちます。
ダニエル書は明らかに時代も社会背景も違う、2つの書物が書き足された物で、著者の思想としても訴えているものがまったく違います。それぞれのあらましとストーリーを整理してみましょう
歴史的検証
  新バビロンで検索してみたのですが、残念ながら歴史書としてはダニエルの存在を証拠立
  てる物は有りませんでした。
  ヨゼフスは古代誌において、「ダニエル物語」としてX/X−X/XIを示していますが、
  基本的にはダニエル書のストーリーに基づき、締めにヨゼフスのダニエル観を示している。
  ヨゼフスは新約と同時代の歴史家であり、新約と付き合わせる事は大きな意味があるが、
  旧約を扱う上においては一般的なユダヤ人としての歴史観であり、聖書の真偽については
  殆ど言及していない。それは彼みずからがX/X−218で述べているとおりである。
  第1ダニエル書は登場人物が、実際の歴史との食い違いから、少なくとも100年以上後
  に書かれた物だろう、、BC4−BC3世紀の編纂と思われる。
  第2ダニエルは11章の歴史の回顧が、アレキサンドロスにはじまり、エピファネスの暴
  虐無尽なイスラエル支配を描いているので、間違えなくBC2世紀の書き物でしょう。

第1ダニエル書(ダニエル書1/1−6/29)
1−プロローグ(1/1−1/21)
イスラエルからネブカドネザルの命令でバビロンに連れてこられたダニエル他3人の少年達が、バビロンで育ち立派な青年になった所から始まり、6/29のキュロスに使えるまでの概要を説明している。
2−巨大な像の夢(2/1−2/43)
文章のあらすじは
ネブカドネツァルが即位して2年目の時に、不可解な夢を見たのであるが、その内容が良く理解できず、バビロンの占い師、祈祷師、賢者等に尋ねたが、それらの者達もよく分からないでいたところ、王が癇癪をおこして、バビロン中の知識人を皆殺しにする命令を出して、側近達を悩ました。
侍従長のアルヨクは命令に従って、ダニエル達を探して処刑しようとしたのだが、ダニエルがその夢の謎解きをするので、バビロンの知者を殺さない様に王に願う事をアルヨクに説明して、アルヨクに受け入れられた。
2/27−30
ダニエルは王に答えた。「王様がお求めになっている秘密の説明は、知者、祈祷師、占い師、星占い師にはできません。だが、秘密を明かす天の神がおられ、この神が将来何事が起こるのかをネブカドネツァル王に知らせてくださったのです。王様の夢、お眠りになっていて頭に浮かんだ幻を申し上げましょう。お休みになって先々のことを思いめぐらしておられた王様に、神は秘密を明かし、将来起こるべきことを知らせようとなさったのです。その秘密がわたしに明かされたのは、命あるものすべてにまさる知恵がわたしにあるからではなく、ただ王様にその解釈を申し上げ、王様が心にある思いをよく理解なさるようお助けするためだったのです。
夢の内容は 2/33−35
それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました。 見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。
ダニエルの解釈は 2/36−45
その夢の頭の部分がネブカドネツァル王であり、この後幾つかの国が興るが、それらは何れも弱点を持ち、荒廃していくだろうとダニエルは説明した
ネブカドネツァル王はダニエルに感謝し、献げ物と香を土産として与え、後日ダニエルを王の側近とし、バビロンの知者達を高官として迎え、エルサレムから連れてきたダニエルの仲間を州の行政官に任じた。
と言うのがおおざっぱなストーリーです。就任2年目のネブカドネツァル体制は、まだ戦時体制のままで、行政機構が良く機能していなかったのでしょう、そこで人材募集が必要で、知恵者を高官にスカウトしたので、ダニエルもその中で出世した様です。日本では、秀吉が全国制覇していく中で、石田三成の様な文官をスカウトした様な物でしょう。ストーリーとしては、4章と類似するものがありますが、ダニエルが徴用されて側近に採用された時の物語です。
3−燃え盛る炉にに投げ込まれた3人(3/1−3/30)
物語としての面白さはあるが、宗教的価値は次元の低い、偶像崇拝を拒んだ人達が神のご加護で救済されただけの話です。ユダヤの神への信仰を貫いた人が、燃え上がる炉の中でもヤケド一つしなかった物語は、6章のライオンのいる洞窟に閉じこめられて、怪我一つしないで生きながらえた話と同じ発想でしょうが、こんな現実離れした物語は、当時の信者達にも教訓として通用したのでしょうか??
ネブカドネツァルがドラと言う平原に大きな金の像を建て、多くの行政官を集めて除幕式を行い、楽器の音が聞こえたらこの像を拝み、その命令に背いた者は燃えさかる炉の中放り込むとの命令を出したが、エルサレムから連れてきたダニエルを除く3人がこの命令に背き、炉の中に放り込まれたがヤケド一つ負わずに無事に出てきた為、この3人を讃え厚遇したと言う話、何故かダニエルは出てこない。
神への信仰があれば、燃え上がる炉の中へ入っても大丈夫だと過信した馬鹿信者が出なかっただろうか、あるいは信者の信心を確かめる為に炉の中へ放り込んだ馬鹿聖職者がいなかっただろうか
編者は偶像崇拝を拒む事をよびかける意図で書いたと思うが、現実離れの物語はかえって逆効果だったかもしれません。
本文の説明は省略します
4−大きな木の夢(3/31−4/34)
文章のあらすじは
ネブカドネツァルがある時に夢にうなされて、その夢の意味をダニエルに説明してもらう所からはじまる。その夢の内容は、ネブカドネツァルに見立てた大きな巨木が、天の力により切り株と根を残して切り倒され、一帯のを野原にして7つの時を過ごさせる物(4/20)
ダニエルはネブカドネツァルにその大木が王自身の事であり、王が何時か社会から追放され野原で7つの時を過ごすが、神が人間の王国を支配し、天こそが真の支配者である事を悟れば、王国は貴方に返されまする(王位に復帰する4/22−23)ので、罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みを与える事を要請した(4/24)
ネブカドネツァルは当初その予言を信じなかったが(4/28)、12ヶ月後に王は社会から追放され実際に7つの時を野原で過ごし、その毛は鷹の羽のようになり、爪が鳥の爪のようになった(4/30)
そこで、王には理性が戻り神を讃え、再び王位に復帰し貴族や側近達も戻り、再びネブカドネツァル王のバビロンが繁栄した。
と言うのが、おおざっぱなストーリーですが、新興勢力の国王にありがちな、奢り・高ぶりを自国の滅亡を見てきたダニエルが命がけの説教をしたのでしょうか。
ダニエルはダビデ・ソロモンの繁栄を聞かされていて、かつその王室の弱体化の経緯を知ってるでしょうから、民衆の心を離れた政権が弱体化し、周りの列強に食われてしまう事を説いたのでしょう。
ネブカドネツァルが、実際に貴族や側近から追放されたかどうか分かりませんが、それに近い事があったのでしょう、7つの時というのはネブカドネツァル在の時の事でしょうから、せいぜい数年の事でしょう、挫折の経験が先走りを戒め、大きな覇権を求める考えから、国の基礎を固め国力を充実させる方向に軌道修正したのでしょう。

 **何処をどう間違えたらここの章の物語から、1914年の第一次世界大戦の勃発の年の
 **予言が計算されるのか、未だに謎なんですが、幾つかの重大な取り違えは、

   七つの時はネブカドネツァル在位中に経過した時であり、せいぜい数年の事です。
   (ヨゼフスは7年としている)古代誌X/X−217
   ネブカドネツァル王が夢に見た巨木はダニエルが説明するように、ネブカドネツァル
   の政権の事であり、ユダ王家とは何の関わり合いもありません。
5−壁に字を書く指の幻(5/1−5/30)
まず、ベルシャツァルに対して貴方の父ネブカドネツァルと言ってるが(5/18)、これは歴史的には間違えです。ネブカドネツァルの後継者はエビル・メロダクであります(列王記下25/27)。ベルシャツァルはネブカドネツァルから4代目の最後の王ナボニドスの息子で、ダニエルの編者はネブカドネツァルとナボニドスを混同したのでしょうか。
聖書にはよくある人名違いなので、珍しくはありませんが、ダニエルがBC6世紀ではなく、そのかなり後世に書かれた物であろうと推測される事です。
物語のあらすじは
ネブカドネツァルの後継者とされるベルシャツァルが1000人の為に大きな宴会を催し、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から奪ってきた金や銀の器で酒を飲んでいる所から始まります。
宴たけなわの時に壁に人の指らしき物が解読不能な文字を書いて、騒然とします。
宴席の人達は、その文字の意味が理解できず、王妃が才能豊かなダニエルに解読して貰うように提案します。
ダニエルはその4文字が「メネ、メネ、テケル、パルシン」で、アラム語の計量する用語である事を説明し。ベルシャツァルが神に敬虔なネブカドネツァルの後を継ぎながら、神に逆らって神殿の祭具を持ち出し金や銀・青銅・木・石の神々を崇拝している事を糾弾し、ベルシャツァルが王としての品位も力量も不足であり、貴方の国はペルシャとメディアに分割されるであろうと説明した。
これを聞いたベルシャツァルは、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖をその首にかけるように命じ、王国を治める者のうち第三の位を彼に与えるという布告を出した。
果たしてベルシャツァルはこの夜、誰かの手によって殺害された。
以上があらすじですが、物語の不自然さはダニエルに王としての力量不足を宴会の席で言われて、ダニエルに高位を与えたと言うところです。
またその夜に暗殺されたとしている事から、次ぎに王位を継承したダイオレスとダニエルはクーデター計画を図っていたのでは無いかとも思いますが、それではこの4文字はクーデター宣告と言う事でしょうか、実際にそう言う形で失脚した王様がいたのかも知れません。
6−獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル(6/1−6/29)
ここは、3章と同じように、獅子の洞窟に投げ込まれても神のご加護で怪我一つしなかった現実離れした物語ですが、暗殺されたベルシャツァルに代わって、王位についたダイオレスは、ダニエルを厚遇し実質的に総理大臣格の扱いをした。
それが他の大臣や総督の妬みを買い、30日間王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする事を禁止し背いた者を獅子の洞窟に放り込む法律を発布した。
ダニエルはこの法律を知っていたが、神への信仰のためにエルサレムに向かって礼拝をしているところを 役人に見つかり、獅子の洞窟に放り込まれた。
翌朝ダニエルは無傷で洞窟から救出された。
ダイオレスはダニエルが潔白であることを悟り、ダニエルを陥れようとした役人達を捕まえ、家族共々洞窟に放り込んだ、獅子は直ちにこれらの者達を噛み殺した
こうして、ダニエルはダイオレスから厚遇をうけ、さらにペルシャのキュロス王にも仕えた
歴史検証としては、ダイオレスはキュロスの後のカンピュセスの後継者で、既に第2次帰還があり神殿建築を進めようとしていた時期です(ハガイ書)、編者はキュロスとダイオレスの順番を間違えています。
第1ダニエルのまとめ
以上でダニエル書の第1は終わりですが、通して読むとさして重要なメッセージがあるようにも思いません。幼少期にエルサレムから連れてこられて、バビロンで立派な青年に育ったダニエル達が、ヤハウェ神への信仰と言うより、ユダヤへの望郷を捨てずに、バビロンのなかで行政官として出世する様を描き、同じ様にエルサレムから連れてこられたユダヤ人達への励みとして描かれた巻物でしょう。
第1ダニエルもBC2世紀に書かれたとする学者が多い様ですが、エピファネスの軍隊に神殿を汚され、律法の破棄を突きつけられた説破詰まった時期とは考えにくく、キュロスによる第1次帰還か第2次帰還の時に、それなりにバビロンに馴染んでしまったユダヤ人に、ユダヤ人の血を思い起こす為に書いた巻物の様な気がしてなりません。

第2ダニエル書(ダニエル書7/1−12/13)
1−4頭の獣の幻(7/1−7/28)
彼ダニエルは夜、四頭の怪獣の幻をみます。時代は、エルサレム神殿の祭具を汚したバビロン王ベルシャツァル王の治世元年としていますが、7/23−28の獣の動向は、アレキサンドロスやエピファネスのものであり、日本で言えば時は安政三年徳川某が将軍の頃と言って、日清日露や日中戦争を描いている様な物で、三流の小説家でもやらないネタが見え見えの予言書です。
四頭の怪獣は、バビロン・ペルシャ・メディア・ヘレニズムを支配した王達でしょうか。
7/23の第四の怪獣はアレキサンドロスでしょう。
7/24の10人の王は、アレキサンドロス以降出てきた、王達でしょう。そして最後にエピファネスが現れます。
7/25のエピファネスによって殺された聖者は、祭司オニア三世かもしれない(マカバイ書下4/34)。
7/26−27がエピファネス滅亡の予言。
第2ダニエル書はこの7/23−27の夢物語が3回繰り返される、いわば第2ダニエルのプロローグの役割を持った文章です
2−お羊とお山羊の幻...11章のプロローグ(8/1−8/27)
お山羊(アレキサンドロス王)は、お羊(メディア・ペルシャ)を打ち破ります。アレキサンドロスは強大になったが、力の極みで角は折れ(内部崩壊)4本の際だった角が生えます。エジプトやシリア等を示しているのでしょう。
8/9の小さな角がエピファネスでしょう、やがて強力になり「麗しの地(エルサレム)」へ進軍し、聖所(神殿)を汚す。
日が暮れ夜が明ける事が2300回繰り返されると聖所はあるべき状態に戻る
以上がダニエルの見た夢としているが、ダニエルは意味が理解できず、天使ガブリエルに説明を求めた。 7/23−27と殆ど同じストーリーなので、ダニエルが意味を理解できなかったとするのは、この文学を脚本した人物の能力不足を示している
3−定めの70週...エレミヤの回顧(9/1−9/27)
私はこの9章が第2ダニエルの一番重要な所だと思います。エピファネスによって迫害され、神殿を荒らされ、仲間が殺され、明日をも知れぬ絶望の淵に陥っているときに、編者は9/4−19の様に神に懺悔しながら嘆願の祈りをします。
下手な解説などしたくありませんので、聖書そのものを読んでみましょう、この文章に私自身も少なからず胸を打たれました。
9/24−27のガブリエルの言葉を説明しましょう
ユダヤの習慣で1週は7年とされています。
9/25の7週は49年ですから、全く正確にユダヤ人のバビロン捕囚(BC587−BC538)を示しています。油注がれた君は,おそらくユダ家最後の王ゼルバベルでしょう(ハガイ1/1−14、ゼカリヤ6/9−7/4)。そして,62週は、ペルシアとヘレニズム時代の434年を示しているのだろうか。少し計算が合わないが、この時代の終わりに、7年という最後の一週が来る。
ダニエルの編者に、BC587やBC538の年号の知識があったとは思えない、これらの数字は現代の考古学者や歴史学者が出してきた数字である。
9/19「救いを遅らせないでください。」に対応する御言葉です、編者は70週のうち69週が既に経過して、その後の9/26「次ぎに来る指導者の民によって荒らされる。」が、編者の身の回りで起きてる出来事だと考えたのだろう。
最後の「油注がれた者」の廃位という出来事をもって、その週の始まりを告げる。これは,エピファネスが、BC175年に正当な大祭司オニア三世を廃位して、オニアの弟ヤソンを大祭司とした出来事(マカバイ下4/7)を指している。 9/27の荒廃をもたらす者は、確実にエピファネスである。彼は,ユダヤ人の目からすれば、「都と聖所を破壊して」それらを冒漬した者である。最後の3年半(半週)は、「荒廃をもたらす者」の支配が顕著である。 しかし、その最後の週の後半の終わりに、その者のうえに予定どおり破滅が来る。このことは,9章の著者が、BC164年キスレウの月の25日に行われた神殿の清め(マカバイ上4/52−58)を知っていたことを意味しているのであろう。その出来事は,BC167年のキスレウの月の15日に神殿が荒らされてから、ちょうど3年と少し後に起こったのである。著者は、エピファネスが,その清めの出来事の少し後に死ぬことを知っているのであろうか。
4−終わりの日の幻...12章のプロローグ(10/1−10/21)
10章から12章が7/23−28の夢の第3ラウンドです。言い訳がましく、ペルシャのキュロス王のもとにいたとして、ペルシャにいるが如く物語を作っているが、ネタが見え見えの者から見ると、「くだらない物語を作るな」と言いたくなる章です。あまり注釈もしたくないので、とばして11章に入りましょう。
5−歴史の回顧(11/1−11/45)
11章はアレキサンドロス大王以降シリア・エピファネスまでの、百数十年の歴史の回顧です。特に、パレスチナを交互に支配したシリヤ・セレウコス朝とエジプト・プトレマイオス朝の政治的関係を精しく顧みます。黙示文章ですので、それぞれの支配者の実名は伏せてありますが、それが誰を示すかは、当時の読者にとっては当たり前の人名でしょう。
11/2
ペルシャの三人の王の次の第四の王が隆盛を極めて、ギリシャ王国に挑戦する。
11/3−4
ギリシャの勇壮な王(アレキサンドロス)が現れて支配するが、死んだ後は子孫以外のものがこれを継承する
11/5
南の国(エジプト)の状況
11/6−20
北の王(シリヤ、セレウコス朝)と南の王(エジプト、プトレマイオス朝)とは、和睦したり婚姻関係を結んだりするが、互いに抗争を繰り返す、詳細は省略
11/21−24
北の王が倒れた後、甘言を用いて王権を得た王(シリア・エピファネス)が、契約の君(大祭司オニア3世)を殺し、悪計で勢力を増し強大になってゆく
11/25−30
やがて、北の王(エピファネス)は南エジプトに攻め入るが、決定的勝利は収められない
11/31
彼は出兵してエルサレム神殿を汚し(マカバイ上1/54)、ゼウス像を建てる
11/32−35
その王は、ユダの律法違反者を棄教させる。ユダヤ教の信者は、確固とした行動をとるが、迫害されて何人かは倒される。この人々を応援するものは多いが、実は不誠実で、本当に助ける者は少ないのだ。そして人々の指導者は殉教するが、終末はまだ来ない
11/36−45
王エピファネスはいよいよ驕り高ぶり、偶像を崇め、侵略して領土を拡張する。終わりの時がきて、南のエジプト王が、その北のシリヤ王に挑戦する。北の王は大軍をもって、南の王のエジプトを征服し、略奪する。「麗しの地」エルサレムも侵略される
それで、11/45はエピファネス王がエルサレムを宿営地とするが、彼の最期を予言して12章の予言の章へ導きます。
6−終末の予言(12/1−12/13)
ここの文章が後のキリスト教にどれだけ、影響を与えたかは計り知れない。しかし11章から続けて読めば、さほど預言めいた内容でもなく、単にエピファネスの暴虐無尽な行為を憤って、その圧制に犠牲になったユダヤ教徒達を弔い、やがて大天使ミカエルが権現してエピファネスを打ち破ってくれる事を予言しただけである。
12/11の「日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられて...」は、11/31のエピファネスの軍隊の行為をさしている。
12/2−3の多くの者の蘇りは、11/33−34で律法を捨てずにエピファネスの軍隊によって殺された人々である。
12/11にエピファネスの軍隊がゼウス像を建ててから1290日目に、エピファネスがうち倒され、1335日まで生き延びた者は栄光を見るだろうと、と言う所で終わっている。
第2ダニエルのまとめ
第2ダニエルは7章から始まるが、7−10章は11章・12章のプロローグの役割を果たしている、マカバイによる独立運動を知らない様子で、それを1290日(約3年)と予言しているので、エピファネス軍がエルサレムの神殿入城から3年以内の限られた時期に書かれた事が推測される。歴史書では、エピファネスがゼウス像を建てたのがBC167としているので、第2ダニエル書はBC167−164の間に書かれたとしていいだろう。

第3ダニエル書(終末論と予言と現実との検証、マカバイ書を踏まえて)
1−何を予言したのか
第1ダニエル書(1/1−6/29)は、文章そのものが歴史の回顧として描かれているので、明らかに予言書ではない。
問題は第2ダニエル書(7/1−12/13)であるが、ここで編者は4つの時期を記述している。
 1..ベルシャツァルの治世元年(7/1)
編者は第1ダニエルを見て、この時期を書いたのだろうが、ベルシャツァルは第1ダニエルでも触れたように、ネブカドネザルの息子ではなく、しかも王にはならずに、その父ナボニドスがペルシャに滅ぼされたので、第2ダニエルの編者はその歴史検証をしないで、そのまま記述したものだろう。
 2..ベルシャツァルの治世三年(8/1)
7/1と同じなので、説明は省略します
 3..ダイオレスの治世元年(9/1)
ダイオレスはダニエル書の説明では、クセルクセスの子としているが、歴史的にはダイオレスはキュロスの後継者であり、クセルクセスはダイオレスの後継者である(エズラ記4/5−4/6)。
 4..キュロスの治世三年(10/1)
バビロンを滅ぼしたペルシャの王キュロスですが、これが正しければBC535頃になるのでしょうが
1−4が順番にダニエルが見た夢(啓示)として描かれているわけですが、歴史検証して分かる様に、固有名詞も順番もデタラメです。それにそれぞれの王は20−30年の在位期間がありながら、在元年と在三年しか無いのも不自然ですし、ベルシャツァル(バビロン)の崩壊から、ダイオレスまで30年位経過していますので、一人の夢の連続としては期間が長すぎます。明らかにこれらの時期から遙かに後世の人間が、イザヤ書やエズラ記・ゼカリア書あたりから、人名をピックアップしたものでしょう
この手法は黙示文学の特徴で
「今日のこの受難は何百年も前に神が予言したもので、神の命令により封印(12/4)してあった物で、今その封印を解くと、もうすぐその受難は神の業により解放されると予言している」
と言うストーリーにしないと、ただ単に神のお告げで今の受難がもうすぐ解放されると書いても、全く説得力も持たない為になされた物です。
11章の歴史の回顧の正確さは、歴史を知ってる後世の人間にしか描けません、例えば11/6
「何年か後、二国は和睦し、南の王の娘は北の王に嫁ぎ、両国の友好を図る。だが、彼女は十分な支持を得ず、その子孫も力を持たない。...」
と言う事を預言者は絶対予言しません、ユダヤ人には何の利害関係もなさそうな出来事は、予言する意味が全くなく、そんな事を預言書に書く理由が見あたりません。
少し思考能力のある人であれば、その出来事が起こった事を知ってる人が後から書いた物であると考えるでしょう。
ヨゼフスも分かっていたと思いますが、ダニエル書がユダヤ人に与えた影響の大きさから、敢えて聖書その物の真偽を問わなかったのでしょう。(古代誌X/X−218)
「わたしは、今私たちの古い文書中に見られるこのような事件を一々摘録しているが、そのことで私を非難しないでください....私の仕事はただヘブル人の文書をギリシャ語に置き換えているにすぎず、...恣意的な解釈を加えたり不都合なことを省略するような事は一切しないで、書かれているとおりに伝えると約束している」
歴史家としては、当然の判断でしょう...
第2ダニエルにおいても、予言と言える部分は、12章だけでしょう(その前に見たお告げで小出しにはしているが)、それでそれは11/7あたりから出現し、やがてエルサレムを占領して暴虐無尽にふるまうエピファネスとその軍隊が、大天使ミカエルが権現してエピファネスを打ち破り、神殿が清められ、殺された人達が蘇る事を予言した物です。
2−現実はどうなったのか...マカベアは
第2ダニエルの編者は、この予言の結末を待たずに他界したと思われます。
ユダヤでは、この頃モダイス(エルサレムの西方約50km)と言う村の祭司マッティアスの5人の息子の中にマッカバイオス・ユダス(ギリシャ読み)と言う人物がいた。(古代誌]U/X)
この人が当時は解放のメシアとも言われたマカベアです。
この人の記録については、旧約聖書のカトリック系の外典であるマカバイ記1・2か、ヨゼフスの古代誌(]U/X−]V/X)から読めますが、ダニエル書が編かれている時期に父マテアスより引き継いだ(BC168−7)マカベアが独立闘争を戦っていた事が描かれています。
マカベアはBC164頃シリア・エピファネスの軍隊を打ち破り、エルサレムを解放し、神殿を改装しエピファネスによって禁止されていた、ユダヤ教の儀式を復活し、礼拝の復活を毎年8日間にわたって祝う規則を作った。
この祭りはハヌカ(光)の祭りと呼ばれ、今日まで引き継がれています。
一方エピファネスはエリュマイスを略奪しようとしたが、町の自衛軍におい払われ、身一つでバビロンへ帰還したのですが、この頃ユダヤ各地で敗北してきた将軍たちから、ユダヤ人の軍事力が増大している報告を受け、自分の最後を悟り、BC164頃力尽きて死んだと書かれています。
この後ユダヤ各地での戦闘が続くのですが、マカベアはエルサレムの大祭司職に就き、当時力を増大しつつあったローマ帝国との間に友好同盟条約を結びます。
マカベアはBC160頃ベルゼトの会戦で戦死しますが、後を弟ヨナテス等が引き継いで、ハスモン王朝に至ります、この事はバビロンに滅ぼされて以来約450年振りに、ユダヤ人は自前の王朝による独立を勝ち取った事を示しています。
この王朝も周辺大国の干渉により、10年も持たずに実質崩壊するのですが、歴史としてダニエル書を読むならばダニエルの預言はその多くが成就したと考えるべきではないでしょうか。
マカベアが大天使ミカエルの権現と考えれば、エピファネスは早々に死に、軍隊はエルサレムから退却し、神殿は清められ、ヤハウェへの信仰(礼拝)の自由は回復しました。
ダニエルの編者は其処まで知ってて、わざと予言の様に作文したのかも知れませんが、それは想像の域を脱しませんので、検討しません。

以上で終わりです