般若心経


摩訶般若波羅蜜多心経


観自在菩薩 行深般若羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄      

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中    
無色無受想業識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界

無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 

以無所得故 菩提薩た 依般若波羅蜜多故 心無けい礙 無けい礙故  
無有恐怖                             

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故      
得阿耨多羅三藐三菩提

故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒    
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多咒             


即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆呵 般若心経  


はじめに

イエスはどんな人に何で「般若心経」があるのか、不可解に思われた人も多いでしょう。
自分が純粋に興味を持っただけの事なんですが、もともとムスリムである自分が、聖書を何回も読み返している事(その割にはクルアーンをあまり読んでいない)も、人によっては理解できないと思いますので、あまり詳しく説明しませんが、大乗仏教の経典のエキスが276文字に凝縮されている「般若心経」を読んで (ただ読むだけでは、意味が良くわからないでしょうが)、解説書を読んで、できたら何回も読み直して、仏教と言う物の片鱗だけでも考えてみようと思っただけです。

自分なりきの解釈

偉大な人間の真理を見い出す境地に至る福音書
仏様は、人間の真理を見い出す修行を続け、人間は身も心も空であることを悟り、一切の苦しみから救済される方法を示した。

舎利子君よ、姿形のある物は空であり、空が姿形を作っているんだ、だから姿形はすべて空であり、空がいろいろな姿形となって、感覚も、思いも、理性も、認識も同様です。

舎利子君よ、この世の一切の物の本当の姿は、みんな空であって、そこから何かが発生する物でもなく、消えて無くなる事もなく、汚れる物でもなく、美しくなる物でもなく、減りもせず、増えもしないのだ。

だから、空が形つくっているこの世では、形あるものはなにもなく、感覚も、思いも、理性も、認識も何もない。そこには、眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もなく、また、姿形も、声も、香りも、味わいも、感覚も、心の影響もない。眼に見える世界から意識の世界までもない。

無明(?)もなく、無明(?)の尽きることもなく、老いる事もなく、老死する事もない。また、苦しむ事も、苦しみの原因も、苦しみが無くなる事も、苦しみをなくす方法もない。さらに教えを知る事もなく、悟りを得る事もない。

この様に、何も得ることがないと言う境地を、仏様は修行によってあるがままに知っているので、心に障がなく、障がないから何も恐れることがなく、一切の迷いを離れて心の安らぎに至ったのである。三世の仏様達も、同様にその境地に至り、完全な悟りを得た。

だから、この境地に至る「般若波羅蜜多」の福音書は、大変な魂のこもった言葉であり、明快な言葉であり、これ以上ない言葉であり、比較できる様な言葉は見あたらない。したがって一切の苦しみを覗き、真実にして虚しさもない。

そこで、人間の真理に目覚める咒文を説明しましょう、その咒文とは。
「行こう、行こう、真実の世界へ行こう、みんなで共に行き、仏様の悟りを成就しましょう。」
知恵と心髄の説明を終わります。

難しいですね

すべて漢字であるうえに、漢和辞典にも載ってない文字もあって、解釈はかなり困難を極めました(解説書をかなりカンニングしましたが)、これを以て仏教がどうの、キリスト教やイスラム教とどう違うかなどと 言う事は、とても恥ずかしくて言えませんが、だいぶ違う物がある事は判りました。


とりあえず終わりです