日本書紀


日本書紀の成立した経緯を研究し、旧約聖書の成立との比較から日本文化とユダヤ文化の違いや共通するものを考察してみた


いきさつ


最近日本の政府指導者が「日本は神の国である」と発言して、マスコミの物議をかもしたが、この言葉は自分に、日本の神神の物語や、古書の成立過程、古典宗教と古代政府の関わり合いに興味を抱かせた。
日本には神道と言う宗教団体があって、現在も重要な活動をしている事は重々承知ですが、ローマカトリックが急激に発達した聖書の歴史検証の成果にほとんど背を向けて、1900年来踏襲してきた伝統にのめり込んでいる様を見たり、ファンダメンタルな宗教指導者がほとんど聖書そのものも読まない姿を見るにつけ、残念ながら神道系の人達の説明を聞く気は全くありません。
先の政府指導者の発言も意味が捉えにくく、それほど深い考えの上での発言とも思えませんが、定義付けあいまいで、どの様な意味にも取れる発言で、ある種のマインドコントロールしようとする、護教的手法が平気でなされ、その後事もあろうに青少年の教育問題にかこつける指導者の思考能力も短絡的で困ったものですが、それをしかるべく非難できない宗教教団の能力も疑問を持ちますね
日本の古書も当然ではありますが、宗教団体とは関係なく学術的に研究が進んでいます。特に戦後は国の民主化により、皇室神道としてタブーであった古書の研究が発展し、研究技術も進歩したり、古代史ブームもあいまって、次々に素晴らしい研究成果が発表されるようになりました



成立の背景

古代の国家は自ら、その成立の正当性を主張するために歴史書を編纂しています。そして、初代王様は必ず神の末裔でなければなりません
旧約聖書では、モーセ五書(創世記や出エジプト記など)や列王記などでダビデ王家が始祖人アダムの末裔である事がしめされており、新約聖書マタイ福音書では、イエス・キリストがダビデ王の末裔である事が示されています。
日本書紀では、高天原と言う天界に八百万の神神がおり、その中の一人であるニニギノミコトが大八州(おおやしま=日本本土)に降りてきて、その孫が初代神武天皇となります。
日本書紀がいつ頃成立したかと言いますと、天武天皇の第五子である舎人親王が、編纂を命令し天武十年(682)3月17日に完成したとされています。
天武天皇の前には天武の兄天智天皇と大友皇子は先に近江朝を築いており、天武天皇王朝は壬申の乱と言う兄弟の権力戦争の結果成立した王朝(詳しくは歴史家に聞いてください)ですので、権力基盤が弱くその王朝の正当性をアピールする為に、史書の編纂が行われたのでしょう。
このように日本書紀は時の政府の正史ですので、いろんな原史料をもとに編纂されています。特に神話に関しては多くの伝承を取り入れていますが、それを恣意的に取捨選択するのではなく、本文とは別に一書として列記すると言う公正な態度です、日本各氏族の伝承もあり、百済記などの外国の史料も入っています。
この辺は創世記がいろいろな伝承から(J伝承・P伝承・E伝承等)ピックアップしたり、ペルシャの物語をアレンジ(ノアの箱船の大洪水の物語)していたりするのに似ていますが、日本書紀の方が客観的な書き方をしている様に思います。

日本書紀の謎

日本書紀には謎がいくつかあります

一番の謎は日本書紀に邪馬台国の記述が僅かしかない事ですが、第九巻の神功皇后摂政39年に「魏志」を率いて、「明帝の景初3年6月、倭の女王、大夫難斗米等を遣わして郡に詣で、天子に詣でて朝献せんことを求む」と示されているにすぎません。この後同40年、43年と続いて「魏志」の記事を引用しています。卑弥呼に相応するのは神功皇后ではないかとも考えますし、日本書紀の編者もその辺を意図したのかも知れませんが、邪馬台国の畿内説に疑問を投げかける一石でもあります

次の謎は、中国の栄書に示された讃・珍・済・興・武の五王について、それは日本名の仁徳・履中・反正・充恭・安康・雄略天皇に相当すると思われ、栄書では朝鮮半島の支配権を明確に主張しているが、日本書紀では、それらの天皇の朝鮮支配は全く言及していなく、百済の王朝との友好的関係を示している点です、そのためこの五人の王様は九州地方の地方諸王と考える学者もいて、興味の尽きないことですが、日本・朝鮮・中国の間の複雑な外交関係を示しているように思います。

次の謎は、実に「日本書記」と言う名前はまだ確定していないことです、現存する日本書紀は最古のものでも平安時代のの写本だそうです、それでその写本には「日本書紀」と書かれているのですが、「日本書紀」に続いて書かれた「続日本紀」には、「日本紀」と示されているそうです。

旧約聖書も同じですねぇ...詩編とかその前後にできた諸編は、ダビデ王朝の正当性を示すための史書と考えていいのでしょう
歴史的書物としても謎はたくさんあります、アブラハムがエジプトへ出かけていって、どのファラオにあったのか解ればエジプト歴史から、アブラハムの年代が確定できるのに、肝心の事が書いてないので、年代が特定できなかったり、モーセのエジプト脱出の記録が、エジプト側には全く存在しないので、出エジプト記そのものの信憑性が問われていたり(最近の研究ではどうも作り話との説が出始めている)


ほんのさわりだけですよ

日本書記そのものを読んだ分けではありませんよ、古典的書き物でまず持ってそのまま読めませんし、堪能な学者の約本を読んだ方がいいでしょう
だけど日本書紀と言うものが確かに当時の政府の成立の正当性をしめすための編纂だと言っても、それは旧約聖書も同じ事ですし、歴史古書として読むと実に日本民族のアイデンテティと言うべきか、歴史のロマンを思い巡らす事ができます。

日本書紀と旧約聖書では、書かれた時代背景が全く違うでしょうか
バビロンに制圧され強制移住し、バビロンで南北民族団結した後のペルシャ統治下で編集されたモーセ五書と、島国で中国や朝鮮との外交関係の中で国家を成立させた日本での日本書紀とでは、背景がだいぶ違うのでのしょう

何れにしても日本だけが「神の国」ではないでしょうし、教育の荒廃を歴史教育について言うならば、表向きの事件だけ並べて、年号ばっかり覚えさせて、単語ばっかり覚えさせて、生徒が歴史に全く興味を持てないような授業を何十年も繰り返し、現代の生徒達の意識の変化や時代の変化が全く理解できていない文部省やら先生達の能力の問題の様な気がしますが...



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とりあえず終わりです