イエスの系図


マタイ福音書・ルカ福音書にはアブラハム(ルカはアダム)からイエスに至る家系図がある、福音書編者はなぜ系図を書いたのか、考察してみました。


それぞれの系図


マタイとルカの系図は、それぞれあまり符合していない。と言うより2つの系図で符合するのは
1...アブラハムからダビデまで
      一部分 アラム(マタイ)がアルニ・アドミン(ルカ)になって
    いるが、重大な食い違いではなかろう
2...シャルティエルとゼルバベル
3...ヨゼフ(イエスの父)
だけです。アブラハムからダビデは、歴代誌か列王記からの引用だろう、一部違っているのはどちらか(多分間違えの天才ルカ)が読み間違えたのでしょう。
ヨゼフは言うまでもなくイエスの父のヨゼフなので、イエスの親族からの情報だと思います。
問題はシャルティエルとゼルバベルの親子です。この2人については、イザヤ書・ハガイ書・エズラ記に示されていますので、その歴史的経緯を調べて見ましょう。
    

シャルティエルとゼルバベル


シャルティエルとゼルバベル親子については、両者とも重要な人物として認識していたのだろう
シャルティエルとゼルバベル親子に至る系図についても、マタイとルカでは違っているが、マタイはできるかぎり正統王朝に近い系図からの分系として、描いているが、ルカは早々に真実らしく作る事を断念したのだろう、ダビデの子のナタンの名前を出し、それ以降の信憑性を無視したのだと思います。 BC587とも586年とも言われる、ユダヤ人のバビロン移住の時、ユダヤの王ゼデキアは殺され、正統ユダ家は滅びます。
マタイ福音書と歴代誌を辿っていくと、ヨシアで符合します。正統王朝は
ヨシア−ヨハアズ−ヨヤキム−ヨヤキン−ゼデキア−なのですが、マタイでは
ヨシア−エコンヤ−シャルティエル−ゼルバベル−となり、
ヨハアズとエコンヤは兄弟だったのでしょうか?...何れにしてもこれに近い血筋だったのでしょう、BC538年にバビロンを滅ぼしたペルシャのキュロス王は、ユダヤ人達がユダヤに帰還して、バビロンによって滅ぼされた神殿の再建を許可し、資金援助を約束します。(エズラ1章)
この時、バビロンから帰還したユダ家のグループにシャルティエル・ゼルバベル親子がいました。(エズラ2章)
このBC538年と言う年は、ユダヤ人にとって画期的な出来事であり、イザヤにもエズラにも描かれていますし、ダニエルの70週の開始年(ダニエル9/25)でもあります。
ユダヤ人はキュロス王を一時はメシアとしていました(イザヤ45/1)
神殿再建工事は、ユダ家に敵対する部族の告発でダイオレス王の時まで中断するが、ハガイやゼカリアの粘り強い交渉により、キュロス王の公布文書が発見され(エズラ6/1−)、工事再開となりBC515年に第2神殿が完成します。
神殿が完成すると、ハガイやゼカリアの様な、ユダ家擁護派はゼルバベルをユダヤの王にして独立しようとしますが(ハガイ2/20−)、ペルシャは軍隊を出して独立を阻止しようとエルサレムを包囲します。
ペルシャの包囲により、ユダヤは再び廃墟になる危機をむかえますが、ゼルバベルの自己犠牲的な処刑により、ペルシャの包囲は解かれ、エルサレムは解放されますが、ハガイやゼカリアの主張したユダ家の王による独立の希望は断念せざるを得なくなりました。

タルムード派


ユダ家の王を主張した(タルムード派ともシオニズムとも言う)聖職者達は、密かに解放のメシアを求める様になり(イザヤ56/1−)ます。
このタルムード派の主張は、ユダヤの政治情勢が変わる事に出てくるのですが、その都度新たな支配勢力により弾圧されます。

実は一度独立したのだが


ペルシャが崩壊し、アレキサンドロス(ギリシャ)、プトレマイオス(エジプト)、アンティオコス(シリア)と目まぐるしくユダヤの支配者は変わります。
BC175年にイスラエルはアンティオコス・エピファネスが支配します。
エピファネスはイスラエル各地にゼウス像を建て、ユダヤ人にユダヤの律法の破棄とゼウス崇拝を強要します。
タルムード派の流れを汲む、ヤハウェ礼拝を死守した多くの敬虔な者たち(ハシディームと呼ばれた)は、エピファネスに抵抗し、殉教します。
この様子を描いているのがダニエル書の7章から後半です。
BC164年ユダ・マカバイと言う聖職者の家系の人間が独立運動を起こし、ハシディームの人達も民衆にも強い支持があって、エルサレムを支配していたアンティオコス・エピファネスの軍隊を打ち破ってエルサレムを解放し、その後兄弟達がイスラエルから外国勢力を追い出し、ゼデキア以来約450年振りに自前の王朝を築きます(ハスモン王朝)。

人気のないハスモン王朝


独立の英雄マカバイ−ハスモン王朝−ヘロデ王朝は、形だけはイエスの時代まで存続しますが、実質はローマ帝国の傘下での支配で、しかもこの王朝はユダ家の血筋を引いていません。
ハスモン王朝の権力者達も、権力の座に付くと執着し、民衆を顧みなくなりました。
ハシディーム派は権力擁護派のサドカイ派と、ハスモン王朝に失望したファリサイ派に分裂します。
さらにファリサイよりも、厳格な戒律で独自の集団社会を形成したエッセネーが現れます。
ハスモン王朝内の権力争いやユダヤ教各派の分裂は、ローマ帝国の内政干渉につけ込まれ、BC63年ローマのポンペイウス将軍の軍隊によってエルサレムは制圧され、ハスモン王朝は崩壊します。
ユダヤはこれ以降ローマ帝国の直轄領になり、ユダヤ以外はハスモン王朝の有力な家系であるヘロデ家が支配し、ヘロデ王朝が成立します。
この政治的情勢が、イエスの時代まで続きキリスト教が始まる(つまり福音書が書かれた)時期の背景であります。

ユダヤ人にとってのユダ家とは


マタイとルカが、ダビデ王からの家系図を残し、図らずも両者がシャルティエル・ゼルバベル親子の名前を入れた理由が理解できるでしょうか。
ユダヤ人にとってのユダ家とは、日本の天皇家の様なものでしょうか。
独立の英雄マカバイの兄弟も、タルムード派の聖職者と相談して、ユダ家の血筋の人間を形だけでも王様に据えて、自分達は大臣として実際の政治に携わっていれば、イスラエルの独立は続いたのでしょう。
マカバイもモーセやダビデと並ぶユダヤの聖人として捉えられたかもしれません。

イエスはユダ家か


ゼルバベル以降の系図はマタイとルカで全く違っており、どちらもほとんど信憑性がない。歴代誌の様な系図を残す時代ではなかったのだろう
ペルシャ・ギリシャ・エジプト・シリア・ローマと入れ替わり立ち替わり支配者が変わる事に、ユダ家の扱いは二転三転したのだろう、ユダヤ教も各支配者の宗教政策により翻弄されたのでしょう。
イエスもこの経緯を知ってたハズです、イエス自身がユダ家の末裔であると自覚していたかどうか疑問です。
福音書記者はイザヤ書53章の主の苦難の僕が、ユダ家のゼルバベルであると思ったのではないでしょうか、ハスモン王朝の崩壊も知ってるハズですし、ヘロデ王家やユダヤ教の聖職者が民衆を顧みず、権威に執着していると考えたのでしょう。
時代が混沌とした時期に、多くの民衆を結束できる象徴的存在は、ユダヤ人においてはユダ家に他ならないと考えたのではないでしょうか。

日本ではどうか




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とりあえず終わりです