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姦淫してはならぬ


マタイ福音書5章28節のイエスの言葉は、何でしょうか。
みだらな思いで他人の妻を見る者は、心でその女を犯しているとしたら
世の中の多くの男子が処罰の対象になるのでは...




マタイ福音書5/27−5/30

あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」

健康な男子である自分は、このイエスの言葉の意味が長年掴めないでいました。
町を歩いてセクシーな女性を見かけると、神に誓ってみだらな思いを描きます(笑)。
それに対して、イエスは過酷な処罰を主張しています、右目がそうさせるなら大事な目をえぐり出せと言ってます。
イエスの主張に従えば、自分なんかはとっくに光を失い、コンピュータを動かすことも、町を歩くことにも仕事をしたり食事をする事にも不自由しなければなりません。
イエスはなぜこの様な過酷な主張をしたのか、長年謎でした。

この主張を解くヒント

みだらな思いでみる対象が、単に女性ではなく「他人の妻」となっている事に着目してください。なぜ「他人の妻」なのでしょうか。
ユダヤの律法には、姦淫を犯した女は「石打ちの刑」によって殺される事になっていました(申命記22/22...申命記は男女とも処罰されることになっているが、実際は男は鞭打ち程度で助命された様です)、イエスが姦淫を犯した女を助命した話は有名ですね(ヨハネ福音書8/1−8/11)
部族毎の共同体が多かった当時のユダヤでは、他人の妻と言っても兄弟だったり、親戚の妻である場合が多く、何処かの部族から嫁いできた奥さんを男達がよってたかって好色の対象にしたら、それこそ部族の内部崩壊になるのでしょうが、モラルの低い人たちは他人の妻でも平気で軟派したのでしょう。
それで男社会で、殆ど発言力のない女性は、その軟派を受け入れざるを得なかったのかも知れません。
好色の男達はどうしていたのでしょう、実は奴隷の女に手を出すのは自由だった様ですし、神殿娼婦もいた様です。
資力のある人間は性的欲求があっても、「他人の妻」を軟派する必要はなく、さらに資力のある御仁は、妾を何人でも囲えたのですから(ソロモンは1000人の愛人がいたらしい)、尚更他人の妻に手を出す事情はないはずです。
この頃の妻の立場は、はなはだ危うい立場だった様です。

マタイ福音書(5/31−8/32)

「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。
離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』は申命記24章を見てください。この頃の妻の立場は、甚だ危うくて、飯の炊き方が下手だったり、言葉がどもっていたり、足がびっこを引く程度で離縁状一枚で実家に追い返されたそうです。
それと、そもそも処女ではない女性が偽って、処女の様にして入籍して、後で嘘がばれたときは、それも処刑されました。
さらに近親者の亭主ではない男に言い寄られた時は、あまり強く主張もできないで、受け入れざるを得ない立場だったのかもしれまん、それでそれがもし見つかったら、沢山の男から石を投げつけられて殺されます。
不幸にして女性が嫁いだ家の亭主が死んで、実家の両親もいなかったらどうなるのでしょう、これが福音書にある「罪の女」だったり、ヨハネ福音書4章の5人の主人を失ってやもめに戻ってしまったサマリアの女性なんでしょうね
これだけ説明すれば分かるでしょうか

しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。

現代では少し良識を持った人ならば、自分の兄弟とか親戚とか大事な友達とか会社の同僚とかの奥さんに接したときに、その女性が美人でセクシーな女性であっても、情欲を持つことはないでしょうね、それよりもその立場を尊重して接していると思います。
今では当たり前の事でしょうが、男のモラルが低くて女性の立場が弱かった時期に、このイエスの言葉があるんですよ
当時の女性のあまりに過酷な立場を、イエスは見るに見かねて発した言葉です。
決して、セクシーな女性を見て「わぁー色っぽい女だなぁ」と考えてはいけないと言う聖句ではありません。それがなくなったら男が男でなくなってしまいますよ...


とりあえず終わりです