Q資料...バートン・L・マックによる



ここに示すのはQの教本のオリジナル版で、マック氏はオリジナル版の後(段階的に)の三段階の資料を示している
Q1...集成の中の最古層
Q2...構成上の目的をもつ第二層
Q3...テキストへの一番新しい付加
つまりイエスの追従者達は、これに近い教本を持っていた(諳んじていた)のであろう、伝承者たちによりQ1、Q2、Q3と付加されていき、福音書作者たちに引き継がれた物と思われる...




<これはイエスの教えである>

<群集を見ると、彼は弟子たちに言った>

何と幸運な者だ、貧しい者は。彼らには神の王国がある。
何と幸運な者だ、飢えている者は。彼らは腹いっぱいに満たされるだろう。
何と幸運な者だ、泣いている者は。彼らは笑うだろう。

おまえたちに言っておこう。敵を愛し、呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈ってやれ。
おまえの頬をピシャリと打つ者には、反対の頬も向けてやれ。上着を奪い取ろうとする者には、シャツもくれてやれ。
求める者には与えてやれ、おまえの持ち物を奪うものがいても、返してくれなどと言うな。人さまにしてもらいたいと思うことを、彼らにもしてやれ。おまえたちを愛してくれる者たちを愛したところで、それが何だというのだ。徴税人たちでさえ、彼らを愛する者たちを愛しているじゃないか。兄弟たちだけに挨拶したところで、ほかの者より何か善行でもしているというのか?誰でもそうするじゃないか。返してもらうことをあてにして貸すなら、それが何だというのだ。悪人どもでさえ、返してもらうことをあてにして、身内の者に貸している。
しかし、おまえたちは、敵を愛し、よいことを行い、何も期待しないで貸してやれ、そうすれば、おまえたちの受ける報酬は大きく、おまえたちは神の子らとなる。
なぜならその方(神)は、邪しまな人間の上にも善良な人間の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨をお降らせになるからだ。

おまえたちの父が憐れみ深いように、憐れみ深い者になれ。
裁くな、そうすれば、裁かれないですむ
おまえたちが「裁きに」使う物差しが、逆におまえたちを裁く物差しになるからだ。
盲人は盲人の手を引けるか?二人とも穴に落ちはしないか?
弟子は師にまさらない。師に似ていればそれで十分だ。

おまえは兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の中にある丸太に気づかないのだ?自分の目の中にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、「あなたの目にあるおが屑を取らせてください」と、どうして言うことができるのだ?偽善者よ、まずおまえの目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目の中にあるおが屑を取り除くことができる。

よい木は腐った実を結ばず、朽ちた木はよい実を結ばない。茨からイチジクが採れるか?アザミから葡萄が採れるか?どの木もその結ぶ実によってしられる。
善良な人間は倉から良い物をを取り出し、邪しまな人間はいかがわしい物を取り出す。
なぜなら口は、心から溢れ出るものを語るからだ。

わたしを「先生、先生」と呼びながら、なぜわたしの言うことを実践しないのだ?
わたしの言葉を聞き、それを実践する者はみな、岩の上に家を建てた者に似ている。雨が降り、激流が襲っても倒れなかった、岩が土台だったからだ。
しかし、わたしの言葉を聞いても実践しない者は、砂の上に家を建てた者に似ている。雨が降り、激流が襲うと、倒れてしまった。ぺしゃんこだった。

ある人が彼に向かって言った。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」するとイエスは答えた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
別の者が「まず、わたしの父を葬りに行かせてください」と言うと、イエスは彼に言った。「死んでいる者たちに自分たちの死者を葬らせるがよい。」
また、別の者も言った。「先生、わたしはあなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいをさせてください。」イエスは彼に言った。「鍬に手をかけてから振り返る者は、神の王国にふさわしくない。」

彼は言った。「収穫は多いが、人手が足りない。だから収穫の主に、刈入れのために働き手を送ってくれるよう願うのだ。
さあ、行け。わたしはおまえたちを遣わす。それは、小羊を狼の群れの中に送り出すようなものだ。
金も、バッグも、サンダルも、杖も携えてはならない。道中では誰にも挨拶をするな。
どこかの家に入ったら、開口一番、(この家に平安があるように!)と言ってやるのだ。もし平安の子がそこにいるのならば、おまえたちの挨拶は受け入れられる。もしいなければ、その平安はおまえたちに戻ってくる。
同じ家にとどまり、そこで出される物を食べ飲むがよい。働く者が報酬を受けるのは当然だ。家から家へと渡り歩くな。
町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べるのだ。病人の世話をし、そして彼らに、(神の王国はあなたがたに近づいた)と言ってやるのだ。
しかし町に入っても、迎え入れられなければ、出ていくときには、足についた埃を払い落として、「だが、これだけは確実だ。神の王国は近づいた」と言ってやれ。

祈るときは、こう言うのだ。
「父よ、あなたの名が崇められますように。
あなたの支配がありますように。
わたしたちに毎日、日々のパンを与えてください。
わたしたちの負債を赦してください。わたしたちもわたしたちに負債のある者をみな赦しますから。
わたしたちを誘惑(試される状況)に遭わせないでください。」

求めよ、そうすれば、与えられる。探せ、そうすれば見つかる。叩け、そうすれば、開かれる。求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者はには開かれるのだ。
おまえたちの中に、パンを欲しがるわが子に石を与え、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか?
おまえたちは、よい者でなくても、わが子にはよい物を与えることも知っている。もしそうなら天にいる父は、どんなに多くのよき物を、求める者に与えてくださることか!

隠されているもので知られずに済むものはなく、明るみに出ない秘密はない。
わたしが暗闇で言うことを、光の中で言うのだ。耳にささやかれたことは、屋根の上で言い広めるのだ。
体を殺すことができても、魂を殺すことができない者たちを恐れるな。
五羽の雀は二セントで買えないか?だがその一羽でさえ、おまえたちの父が知ることなしに、地に落ちたりはしない。おまえたちの頭髪までも、一本残らず数えられている。だから、恐れるな。おまえたちはたくさんの雀よりもまさっている。

群集の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟にいってやってください。」
イエスは彼に言った。「なあ、誰がわたしを、おまえさんたちの裁判官や調停人に立てたのだ?」
彼はたとえで彼らに語った。「ある金持ちの土地が豊作だった。金持ちは、(どうしよう、作物を蓄えておく場所がない)と思いをめぐらし、やがてこう言った。(よし、こうしよう。倉を壊してもっと大きなやつをつくり、そこに穀物や財産をみなしまい、わが命の君にこういってやる。(命の君よ、おまえさんには何年分もの蓄えが十分にできたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして陽気にやれ。))しかし、神は彼に言った。(大ばか者!今夜おまえの命の君は取り上げられる。おまえが生産したものは、いったい誰のものになるのか?)
自分のために富を積んでも、神の目に豊かでない者は、これこのとおりだ。」

おまえたちに言っておく。何を食べようかと、命のことで心配などするな。何を着ようかと、体のことで思い悩んだりするな。命は食べ物よりも大切じゃないか。体は衣服よりも大切じゃないか。
烏のことを考えてみるのだ。種蒔きもせず、刈入れもせず、納屋に穀物をためもしない。それなのに、神は烏を養っておいでだ。おまえたちは烏よりも価値がないのか?おまえたちのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命を一日ひき伸ばすことができようか。
なぜ、服のことで思い悩んだりするのだ?百合がどのようにして育つのか考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。だが、栄華をきわめたソロモンでさえ、これほどには着飾っていなかった。もし神が、今日は野にあっても、明日は炉に投げ込まれる草でさえこのように美しく装われるなら、信仰心の薄いおまえたちにはなおさらのことじゃないか。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかなどと考えて、思い悩んだりするな。それは世の誰もが切に求めているものだ。おまえたちの父は、おまえたちがこれらの物を必要としていることを知っている。
ただ、おまえたちへの神の支配を確信するのだ。そうすれば、これらの物はすべておまえたちのものになる。
自分の持ち物を売り払って、施しをしてやれ。自分自身のために、富を天の口座に積み立てるのだ。そこでは虫が食うことも、錆つくこともなく、盗人が忍び込んで盗むこともない。
おまえたちの富のある所に、おまえたちの心もある。

彼は言った。「神の王国は何に似ているか。それを何にたとえよう。それは一粒のからし種に似ている。これを取って庭に蒔くと、成長して木になり、空の烏がその枝に巣をつくる。」
彼はこうも言った。「神の王国は、パン種に似ている。女がこれを取って三升の粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

偉そうにふんぞり返っている者は赤恥をかくが、へりくだる者は褒められる。

ある人が盛大な宴会を催そうとして、大ぜいの人を招いた。宴会の時刻になったので、彼は僕を客人のもとに遣わして言わせた。「さあ、もう用意が整いましたので、お越しください。」するとみな、言い訳を口にしはじめた。最初の者は彼に言った。「畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください。」別の者はいった。「牛を二頭ずつ五組買ったので、しらべねばなりません。どうか、失礼させてください。」また別の者は言った。「新婚ホヤホヤなので、行けません。」僕は帰ると、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒りを爆発させて僕に言いつけた。「さあ、すぐに町の通りに出て行き、見かけた者は手当たり次第連れて来るのだ。」そこで、僕は通りに出て行き、見かけた者を集めて連れてきた。こうして、その家は客人でいっぱいになった。

父や母を憎まない者は、わたしから学ぶことは出来ない。娘や息子を憎まない者は、わたしの弟子になれない。
十字架を受け入れて(非難に耐えて)わたしに従わなければ、わたしの弟子の一人になれない。
自分の命を守ろうとする者は、それを失う。しかし、わたしのために命を失う者はそれを保つ。
塩はよいものだ。だが、塩味を失えば、どのようにしてもとの味にもどるのだ?土地のためにも肥料のためにもならず、外に投げ捨てられるだけだ。



これで終わりです


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