ソロモンの雅歌


聖書では異彩を放っている、男女の自由な性愛を歌った雅歌を読んでみた。




キリスト教会がめったに読まない書物

キリスト教会がめったに触れない、書物は少なくとも2つある。1つはヨシュア記で、もう1つがこのソロモン雅歌です。

ヨシュア記は、モーセの後継者とされるヨシュアが、カナの土地をヤハヴェの神が自分達に約束した物であるとして、各地域に攻め込みそこで住民を皆殺にし、財産を奪い取った残虐な話で、教義として平和主義を訴えるキリスト教団としては、はなはだ研究し難く、信者に説話しにくい物であろう。

ソロモン雅歌はどうだろう、男女間の自由な恋歌や性的描写が描かれています
内容の淫靡さにおいて少なくとも青少年信者には説話できないだろうし、一夫一婦制を大原則としているキリスト教会では、60人の王妃と80人の側室の話を是認する事はできないのでしょう

雅歌の概要

雅歌につきましては、「聖書の呼ぶ声」の大槻さんに、いろいろと教えて頂きました、御礼かたがたご紹介いたします、雅歌(禁断の書)
雅歌は、幾つかの恋歌(これらの幾つかは女性の作品ではないか?)や結婚式などで歌われる賛歌が集められた歌集で、BC400−BC300頃にフェミニストの編者がまとめた物と思われる。

ちょっとだけ覗いてみましょう

(1/2−1/5)
どうかあの方が、その口のくちづけをもって、わたしにくちづけしてくださるように。
ぶどう酒にもましてあなたの愛は快く、あなたの香油、流れるその香油のように、あなたの名はかぐわしい。
おとめたちはあなたを慕っています。
お誘いください、わたしを。
急ぎましょう、王様、わたしをお部屋に伴ってください。
わたしたちもあなたと共に喜び祝います。
ぶどう酒にもまさるあなたの愛をたたえます。
人は皆、ひたすらあなたをお慕いします。

まるで官能ポルノ小説で、おそらく未成年者は読んではいけない事になるのでしょう
「わたしをお部屋に伴ってください」...はっきりベッドへ伴ってSEXする事を願ってるのでしょう。

(1/9−1/16)
恋人よ、あなたをたとえよう、ファラオの車をひく馬に。
房飾りのゆれる頬も、玉飾りをかけた首も愛らしい。
あなたに作ってあげよう、銀を散らした金の飾りを。
王様を宴の座にいざなうほど、わたしのナルドは香りました。
恋しい方はミルラの匂い袋、わたしの乳房のあいだで夜を過ごします。
恋しい方は香り高いコフェルの花房、エン・ゲディのぶどう畑に咲いています。
恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう。
恋しい人、美しいのはあなた、わたしの喜び。わたしたちの寝床は緑の茂み。

ノーコメント。

(4/8−4/13)
花嫁よ、レバノンからおいでおいで、レバノンから出ておいで。アマナの頂から、セニル、ヘルモンの頂から、獅子の隠れが、豹の住む山から下りておいで。
わたしの妹、花嫁よ、あなたはわたしの心をときめかす。
あなたのひと目も、首飾りのひとつの玉も、それだけで、わたしの心をときめかす。
わたしの妹、花嫁よ、あなたの愛は美しく、ぶどう酒よりもあなたの愛は快い。
あなたの香油は、どんな香り草よりもかぐわしい。
花嫁よ、あなたの唇は蜜を滴らせ、舌には蜂蜜と乳がひそむ。あなたの衣はレバノンの香り。
わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。閉ざされた園、封じられた泉。
ほとりには、みごとな実を結ぶざくろの森、ナルドやコフェルの花房

ノーコメント。

(6/8−6/10)
王妃が六十人、側女が八十人、若い娘の数は知れないが、わたしの鳩、清らかなおとめはひとり。その母のただひとりの娘/産みの親のかけがえのない娘。彼女を見ておとめたちは祝福し、王妃も側女も彼女をたたえる。
曙のように姿を現すおとめは誰か。満月のように美しく、太陽のように輝き、旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。

王妃60人、側室80人とは、すごいハーレムだ、そんなにたくさんの女性を愛する事ができるなんて羨ましい限りだけど(笑)、身が持たんだろうなぁ
もっともソロモンは、700人の王妃と300人の側室がいた(列王記上11/3)と書いてあるが、権力者のハーレムについて数だけ沢山書けば良いものではないですよ...
いいですか1000人の愛人がいたんであれば、1日2人とSexできたとして、某年の2月にSexした「ちょっと太めのみきちゃん21歳」と「スレンダーな恵子ちゃん19歳」がすごく気に入ってもね、その子と次にSexできるのは、つぎの年の夏なんですよ。その間に1000人と相手するので、とっくに忘れてしまうんですよ
本当に女が好きな権力者は、気に入った子とは次の日もSexしたいし、しばらくは連続して寝室を共にするもので、一生の中で相手にするのはせいぜい2桁でしょうね。
だからどれだけあちらが強力な権力者であっても、1000人と言う数字は嘘で、本当のハーレムを知らない編者が、ただ単にソロモンの栄華を誇張するが為に書いた、はなはだ女性軽視(宮殿の飾り物程度の認識)の数字です。
日本で言えば好色の権力者と言えば豊臣秀吉ですが、それこそ部下の奥さんともSexしたみたいですし、織田信長の美人の親戚を囲ったのは有名(淀君、お万の方など)ですが、農民あがりの秀吉が高貴とされた名家の姫を囲ったのは、ただの性的な要求とともに征服感とか上り詰めた満足感の様な物が彼の行為をエスカレートさせたんだろう。最終的にハーレムとして面倒見れたのは数人だと思います。

(8/1−8/4)
あなたが、わたしの母の乳房を吸った本当の兄だと思う人なら
わたしをとがめたりしないでしょう。
外であなたにお会いしてくちづけするわたしをみても。
わたしを育ててくれた母の家にあなたをお連れして
香り高いぶどう酒をざくろの飲み物を差し上げます。
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ
右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。
エルサレムのおとめたちよ、誓ってください
愛がそれを望むまでは、愛を呼びさまさないと。

もしかしたら、兄妹の近親相姦だろうか???

(8/8−8/10)
わたしたちの妹は幼くて、乳房はまだない。この妹が求愛されたら、どうすればよいのか。
この子が城壁ならば、その上に銀の柵をめぐらし、この子が扉ならば、レバノン杉の板で覆うことにしよう。
わたしは城壁、わたしの乳房は二つの塔。あの人の目には、もう満足を与えるものと見えています。

もしかしたら、ロリコン(少女趣味)があったのでしょうか。???

感想....ふぅ

さすがに、この様な文章を聖書に加える事には、相当な論議があったと思われますが、自由恋愛(5/2−5/8)あり、性的描写あり、権力者のハーレム(6/8−6/9)もあり、少女への求愛(8/8−8/9)あり、兄妹愛(8/1−8/4)らしき物もあり、キリスト教の厳粛な教義からは考えられない様な、まさにSex賛歌と呼ぶべき歌や詩のオンパレードです。
キリスト教団がSexに厳粛になったのはいつ頃か不明ですが、グノーシス派の書物にはイエスとマリアのSexを彷彿させる文章があり(フィリポ福音書55−56)、グノーシス派には女性聖職者もいたらしいので、正当派教会とグノーシスの対立の中で、男性本位で女性従属の正当派(初期カトリック教会)は、Sexその物にも厳粛になったと思われる。
子孫を作る為の一夫一婦制のSexだけを認め、Sexその物を賛美する事は、ひたすら快楽を追い求めたり、不道徳な性関係を招く物と考えたのだろう。
しかしながら、以後のキリスト教団は、いつの時代にもいた売春婦の存在を非難した形跡はなく、また権力者のハーレムにも抗議した形跡もない。
権力や社会にベッタリのキリスト教団は、一般信者に表向き厳粛なSexを説いていながら、これらの物を暗黙のうちに認めていたのだろう。
現代においてもキリスト教団では、この雅歌をまずもって説話できる分けないでしょうね。
しかしながらこの「ソロモンの雅歌」もまぎれもなく聖書なんですよね。
教団によっては神の霊感を得て書かれた崇高な書物なんですよ。
もし機会があれば、その教団の集会で声高々と朗読してみたいものですね。


とりあえず終わりです