洗礼者ヨハネ



2004年1月03日追記部分
ヨハネ福音書を丹念に読んでいくと、洗礼者ヨハネの扱いが、共観福音書と全く違うことが解ります。
               共観福音書    ヨハネ福音書
エリアかどうか        エリアとしてる  自らエリアではないと言ってる
ヨハネが世紀末を唱えたか   唱えてる     唱えていない
ヨハネの処刑が書かれてるか  書かれてる    書かれてない
悔い改めの洗礼か       悔い改めの洗礼  悔い改めとは書いてない
イエスは洗礼を授けたか    書かれていない  洗礼を授けている(3/22)
                        但し(4/2)で否定してる

断定的な事は言えないが、共観福音書の編者は洗礼者ヨハネを自分達の主張に都合よくアレンジしたが、ヨハネ福音書の編者の中に、洗礼者ヨハネの弟子がいて、共観福音書の扱いを不当な物と主張したのではないだろうか。
2003年8月25日追記部分
ヨハネの洗礼は悔い改めの洗礼ではない!!!
2003年8月に何気なくヨゼフスの古代誌の洗者ヨアンナスに関する記述を読んで、どうしても書かざるを得ない記事を目にしました。
古代誌XVIII−v−2
「ヨアンナス(ヨハネ)によれば、洗礼は、犯した罪の赦しを得るためではなく、霊魂が正しい行いによってすでに清められていることを神に示す、身体の清めとして必要だったのである。」
この驚くべき記事にしばし言葉を失っていました。世界中のキリスト教会が「悔い改め」の洗礼を説いていると思いますが、「犯した罪の赦しを得る」=「悔い改め」ではなく、「すでに清められていることを神に示す」為の洗礼だとしているのです。
そう言えば使徒言行録に思い当たる記事があります。使徒18/24−19/10のルカの記事です。
「さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。」
特に「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と言う部分がなかなか理解できなかったのですが、ヨゼフスの記事はこれを明確にしてくれました。つまりここで言うヨハネの洗礼とは、一般的なキリスト教会の言う「悔い改め」の洗礼ではなく「すでに清められていることを神に示す」為の洗礼だったのです。
アポロはそれをエフェソスの街の人達に説いていたのです。それで「悔い改め」の洗礼を説いていたパウロはわざわざ洗礼を受け直しさせた様です。
使徒19/4−5
「そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、「悔い改めの洗礼」を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。」
悔い改めの洗礼は誰が主張したのか
はっきり断言はできませんが、「悔い改め」=「原罪論」とすれば、パウロが主張したことではないかと思います。
イエスはどう主張したのか
これも今は思考中ですが、イエス自身がヨハネの洗礼を受けていることは間違えないでしょうが、どうやらイエス自身は誰にも洗礼を授けなかったと言われてます。
ヨハネの洗礼が「すでに清められていることを神に示す」為の物であれば、イエスが宣教した、女性や貧者や病人や罪人は、受ける事ができません。
これらの人達は当時の社会から清められた人としては扱われていません。
イエスはヨハネの洗礼を受けていながら、実はその意味づけに納得できなかったのかもしれません。イエスとヨハネが袂を分けた理由はここにありそうな気もするのですが、ハッキリしたことは言えません。しかしながらイエスに「悔い改め」の主張があったとはとても考えられませんので、イエスは洗礼ではなく、宣教の業により神の国を説いていたのでしょうから、これを福音書編者は「その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」(マルコ1/8)と記述したのかも知れません。
アポロとパウロはどちらがイエスの継承者か
これも断言できませんが、私個人としてはアポロの方がイエスの主張を継承し、パウロは独自の主張をしたのではないかと思います。
このあたりのパウロの記事はコリント書簡から読むべきでしょうが、パウロの文章は一人合点の様に思いますし、アポロの主張を謙虚に聞いていたとも思えませんし。事実アポロの主張はその後グノーシスとして展開していきますので、グノーシスがイエスを継承し、パウロがイレギュラーであったのかもしれません。....
洗礼者ヨハネについては、イエス以上に謎が多いが、イエスの師匠であり
強烈な指導者と思われるヨハネと言う人間を追いかけた



洗礼者ヨハネについて

生まれは:エルサレムの西方3キロ程にあるエン・カレムとされている

両親は :父ザカリア・母エリザベート
     ザカリアはアビヤ組の司祭とあり、歴代誌上24/10では24組
     あった祭司組合の8番目の祭司組とされている
兄弟は :不明

妻子は :いないと思われる(ヨハネ教団は独身主義であったと思われる)

生年月日:ルカ福音書によれば、イエスより半年前

聖書登場は

ルカ福音書の記述を信じるなら、アビヤ組の司祭をしていたザカリアと、その婦人のエリザベートの間にイエスの半年前に、天使の告知を受けて誕生したとされるが、ルカ以外はその出生を描いておらず。イエスとのバランスを考慮して創作した話かもしれない。
共観福音書に共通して、聖書に登場するのは

マルコ福音書1/3−1/6
荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。

『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』はイザヤ書40/3−40/5の引用です。マルコはヨハネをイエスの先駆者として描く為に、この文書を引用したのだろう。
しかしヨハネ福音書は「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」とは書いていない。
悔い改めの洗礼を宣へ伝えたとしたのは、共観福音書編者のフィクションかもしれない。
ユダヤ教にその様なセレモニーがあったかどうか不明で、民族信仰の儀式かもしれない。ヨハネは儀式と言うよりも、身の清めを考えていたのだろう、この辺は詳しい方がおられたら、教えて欲しい所です。
これらの状況説明で、ヨハネは明らかにユダヤ教の中でエッセネー派と呼ばれるセクトだろうが、その中でも特異な思想の持ち主だったように思われる

彼の主張は

共観福音書における彼の主張はむしろ、マタイ3/7−3/10だろう
ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれ

この部分がマルコの並行文書にないのが、不可解なのですが、それはさておき、共観福音書はヨハネを強烈なアジテータとして描いている。
2003年11月23日追記
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。」は、マルコにない事、ヨゼフスの記事にもない事から、マタイ原始教会の編者が書き加えた物と考えられる。
洗者ヨハネに、終末思想があったとは考えられない

イエスとの接触は

マルコ1/9
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。

ヨゼフスの古代史では、ヨハンナス(ヨハネ)とイエズス(イエス)の接触の記事がなく、しかもヨハネがAD37年頃まで生きていたらしいとしているので、このイエスとヨハネの接触はマルコのフィクションではないかと言う説もありますが、そこまで言うと、聖書の記録が全くのハチャメチャになりかねないので、怖い物には蓋をしておきましょう。
それで、多分AD28年頃には、彼の強烈な呼びかけは、ローマ帝国支配下のイスラエルで民衆の人気を得て、治世者にとっての不安要因として写ったのでしょう。
そして、30歳を少し回ったイエスもその噂を耳にして、ヨハネを探し出して洗礼を受けに行ったと考えるのが、聖書的な読み方だと思います。

弟子のイエスをどう思ったか

イエスはヨハネから洗礼を受けたのは、多分事実でしょう。なぜなら、イエスを神格化する上で、イエスの受礼は不都合な事ですが、それでも福音書編者が扱わなければならなかったのは、それが事実で、さらにヨハネを信望していた人が多かった為と思います。
ヨハネが弟子を通じて、イエスに尋ねた記事が記録されています。

マタイ11/2−11/6
ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」

これは、イエスがヨハネの弟子だった頃は、イエスをあまり意識していなかった事を示している。
イエスとヨハネは、袂を分けて活動するのであるが、それはイエスの事情にによるものだろう。

なぜイエスは出ていったのか

マタイ11/18−11/19
ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

ヨハネの共同体は、荒野を地盤として禁欲的で厳しい修行が行われ、また女人禁制だったようだが、イエスの共同体はおおらかで、徴税人や罪人や女性もいた事が示されいて、現実社会の中での信仰を説いている。

話は少しそれて、律法とは何か

ユダヤ教の特徴的な物に、律法と言う物がある。ユダヤ教においては、神との契約事とされ、神への信仰から日常の生活信条にいたるまで、今日で言う刑法・民法・商法の様な諸事の取り決めをし、民衆を律する物としている。
実はこの律法をどう扱うかが、キリスト教の成否のカギを握っていたのではないだろうか。
異邦人宣教をしたパウロやペテロやエルサレム教会のヤコブは、律法について、神への信仰の部分だけが重要で、それ以外の諸法については、より合理的な異邦人の法律なり習慣を尊重したのだろう。
ヨハネはどうか...差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。ヨハネは厳格な律法主義者だったのではないか、現実の社会にローマや異邦人の文化が入り込み、律法主義者から見ると、腐敗した社会に見えたのであろう。
イエスはどうか...

マタイ5/17−5/18
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。

この文章はじっくり読み直す必要がある。「律法を廃止するのではなく、完成させる為に自分はある」と言ってるのである。ところが別の場所では

マタイ12/29−12/31
イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

つまり律法の中で重要性に段階を付けていて、「律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」と言った言葉と矛盾が生じている。
イエスはそれ以外にも描かれている、数々の律法違反の記録を考えると、マタイ12/30・31の方が本意だろう、とするとイエスがヨハネと袂を分けた理由を、律法に対する考え方の違いに求めるのなら、
ヨハネ...律法は神の掟であり、一点一画も疎かにすることは、許されない。律法を
      ないがしろにする者は、神の怒りをかい滅ぼされる
イエス...律法で最重要な事は、神を愛し隣人を愛する事であり、他の律法を犯しても
      これを優先させるべきである
の違いがあり、袂を分ける十分な理由になる。

ヨハネの死

洗礼者ヨハネ以降、イエス・ヤコブ(ゼベタイの子)・ステファノ・ヤコブ(イエスの弟)の処刑があるし、パウロ・ペテロも何回か投獄された事が記録されている。

**パウロとペテロはローマで処刑されたとの伝承があるが、聖書に記録がなく、ネロの惨さを
誇張したり、殉教物語を作ってクリスチャンに信仰を求める為のプロバカンダだろう

何れの受難もキリスト教では、殉教として扱っているが

ユダヤ教会を冒涜したり、権威を失墜させたりしたとして、ユダヤ教の最高法院が処刑した者と、民衆を焚きつけて暴動を引き起こし、社会を乱す危険分子として、公権力が処刑したものとでは、罪状が違う。
実際パウロは律法をないがしろにした罪で最高法院で処刑されようとしている所を、ローマ軍が身柄確保し、ローマ軍の取り調べでは、社会を乱す様な罪はないとして、アグリッパ王からも無罪を支持された
イエスは限りなく前者に近い後者だろう、ヤコブ(ゼベタイの子)とヨハネは後者だろう、ステファノとヤコブ(イエスの弟)は罪状を見る限り前者である。

聖書での、ヨハネの拘束理由は

マルコ6/17−6/18
実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。

律法に兄弟の重婚(同じ妻を持つ)禁止条項があったかどうか不明ですが、律法によらずとも、重婚は戒められる事が多いだろう、ここの文章はマルコの創作と思える。
治世者が法に反した行為を表向きにするのは、治世を乱す事になり、この様なスキャンダラスな事は、内々にするのが常である。
内々に人の妻に手を出す治世者は、古今東西無数の例があり、ヘロデもヘロディアに好意を持ったら、内々にするはずである。
ヨゼフスの古代誌では、ヘロデの求婚に対しヘロディアはヘロデの政略結婚による奥方と離縁する事を条件に受け入れたとしている。
ヘロデはその条件を履行するために、奥方の実家と戦争するハメに陥り、その戦争で大敗する。
そこで民衆が先にヘロデが処刑したヨハネの亡霊があったのではないかとの噂が広まった。
と書かれており、このスキャンダルとヨハネの処刑の順序が逆です。ヨハネがヘロデのスキャンダルを咎めたとするマルコの記事はハッキリ言って嘘っぱちだと思います。

聖書での、ヨハネの処刑理由は

マルコ6/19−6/20
そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。

この後、ヘロデの誕生日に娘の舞に喜んで、娘に何でも希望の物を与える約束をしたところ、娘が母親と相談して、「洗礼者ヨハネの首」を所望し、躊躇いながらもヨハネを打ち首にして処刑したとなっている−6/28
ヨゼフスの古代史の記録は全く違う。
ヨハネとヘロデのスキャンダルは全く関係なく、ヨハネが人々に大きな影響力を持っていた事を、ヘロデが脅威に思い、反乱に先手を打って彼を殺害する方が上策であると考えて、マカイルスの城塞に拘束し、そこで処刑したとある。
私は歴史家の記録の方に信憑性あると思っている。
マルコはどうしてこんな馬鹿げた創作をしたのだろうか、一宗教家のヨハネが領主のスキャンダルを咎めるなどと言う事は、彼の活動にとって何のメリットもない事であるし、領主に道徳的主張をすると言う発想は、明らかにキリスト教的発想である...

イエスは彼をどう受け止めたか

マタイ11/11−11/13
はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。
彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。
すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。

これが共観福音書におけるヨハネの位置づけなのだろう...
共観福音書の教会には、洗礼者ヨハネの有力な弟子がいなかったのではないでしょうか..
ヨハネ福音書にはこの様な文章がありません..

感想

共観福音書のヨハネ像は、大部分が福音書編者のフィクションだと思います。ヨハネ福音書のヨハネは、ヨゼフスの記事とも矛盾するところが少なく、信憑性があると思います。特に洗礼者ヨハネを民間伝承で人気のあったエリアと重ねてる共観福音書にたいし、ヨハネ福音書は洗礼者ヨハネがエリア如き人物ではないとしている様に思えて、ヨハネの実像をしっかり伝えてる様に思います。


とりあえず以上で終わりです

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