エホバの素性


エホバはユダヤ教・キリスト教において唯一の神とされる。その生い立ちを調査してみた


◆なぜエホバと呼ばれるのか


ヘブライ語にはもともと母音がなく、神の御名はYHWHと標記されます。

出エジプト記 3/14に
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イス
ラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに
遣わされたのだと。」

とあるように「ある」がヘブライ語でハーヤーで、YHWHと書かれているものです。
しかし、ユダヤ人はモーセの十戒の為に、この言葉をみだりに口にすることが許されず

出エジプト記 20/7
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は
罰せずにはおかれない。

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それで、この4文字を読んで、「アドナイ」と口にしていました。
ユダヤの民は、各地に少数に散り散りに分かれて居住していた為に、この4文字の正確な表現が
出来なくなり、ヘブライ語の文字の間にアルファベットの母音を入れたマソナ聖書を10世紀に作製します。
それで、このYHWHの間には、アドナイの母音である「e.o.a」をいれ「アドナイ」と読んで いました。これが「YeHoWaH」です。
これを見た、キリスト教関係者は神の御名と勘違いして、そのまま読んだ為に、「エホバ」が一般的な呼び名になった様です。
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「私はある」の意味を考えたら「ヤハウェ」か「ヤーヴェ」の方が、ユダヤ人の表現
に近いかもしれません

◆もともと唯一の神だったのか


申命記 32/8−9
いと高き神が国々に嗣業の土地を分け、人の子らを割りふられたとき、神の子らの数に従い
国々の境を設けられた。
主に割り当てられたのはその民、ヤコブが主に定められた嗣業。
詩篇 82/1−
神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。
「いつまであなたたちは不正に裁き、神に逆らう者の味方をするのか。
................................

などクリスチャンにとっては、奇異な文章が見受けられるでしょう、旧約聖書が編纂される前のユダヤ人達は、オリエント世界に広く普及していた神々への信仰、すなわち多神教の思想を持っていた、これは否定できない事実であります。
旧約聖書で「神」を意味する、ヘブライ語の「エル」は、ユダヤ神話ではカナンの天上の大会議において神々を裁く「至高神」の名前です。

聖書の中で邪神として忌み嫌われたカナンの地方神バアルは、エルの行政官であり、エルの息子たちの中で最も力強い神々の主だった。かつてのユダヤ人たちはヤ−ヴェを唯一神としてではなく、こうした神々の宮廷、神々の家族の中で大きな力を持った「エルの息子の一人」として捉えていた様です。
先の申命記や詩篇は、その残存であり、詩篇ではその後神々の会議を非難し、ヤーヴェ以外の神々が人間に成り下がって死ぬと書いてあるが、かえってその神々が存在を示した事になります。

創世記のPやE伝承による文章では、神を「エロヒーム」と書いてあるが、「エロヒーム」は「エル」の複数形で「神々」と訳すべきなのでしょうか、先の出エジプト記の「わたしはある」についても、モーセがエジプトから帰還するときに、それぞれの部族で神の名前が違うので、モーセが神に尋ねた事になっています。
キリスト教神学者は単数形では畏れ多いゆえ、畏敬の念を込めて、複数形で表現するのだと説明しますが、複数形にすれば畏敬の念を込めたことになるという代物ではないし、旧約聖書には次のような記述がある
創世記1/26
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう」
神が自分に畏敬の念を込めて、「我々」と言うはずがなく、この神学者の説明は複数の神をどうしても認めたくない為の苦し紛れの説明です。P資料を編纂した人は明らかに天上の神々の大会議を意識していたと思われます
出エジプト記 3/13
モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。
彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と
言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。
彼らに何と答えるべきでしょうか。」

創世記に「アブラハムの神」・「イサクの神」・「ナホルの神」と殊更、誰々の神と人の名前を入れるのは、部族毎に違う神がいたことを示しています。
実は出エジプト記 3/14は、ユダヤ教の成立過程を示している。
つまり、それまで部族毎に違う神だったのが、それはすべてYHWHの神と同質の物で、みんな同じ物だと言う教義でYHWHに一神化したのでしょう。

こういう教義のまとめ方は、キリスト教の三位一体論(イエス・キリストと神と聖霊とが同質の物とする教義)と似てますが、キリスト教の神学者はこの辺を参考にしたのでしょうか


◆キリスト教の功罪


キリスト教では、ヤーヴェを唯一なる絶対神としている。キリスト教会はさかんに聖書を書き換えているが、先の申命記についても、新共同訳だけが「神の子らの数に従い」であり、他の訳本では「イスラエルの子らの数に従い」になっている。最初のギリシャ語への訳本の時、書き換えたらしいのですが、何らかの教義を打ち立てた時、不都合な場所を書き換えたり表現を変えたり、一般信者に説法しない業は、古今東西のキリスト教会がやってきた事なので、あらためて文句も言う気はしませんが



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とりあえず終わりです