ユダの死因

ユダは本当に自殺したのでしょうか


マタイ福音書だけなんですが

ユダは熱心党シモンと同様に、一番後の方で12人使徒になった人物で、イスカリオテと言う言葉も熱心党の流れを汲むグループとされているが実体はあまりよく解らない
キリスト教ではイスカリオテ・ユダを裏切り者として扱っており、後悔して自殺したとしているが、実は自殺の記事はマタイ福音書だけで、他の福音書は一切触れていない。ルカは使徒言行録でユダの死を記録しているが、自殺と言うよりも事故死か他殺と思える記録で、事の真相は定かではない

マタイ福音書(27/3−23/10)
そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。
このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。
こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。
主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。

使徒言行録(1/16−1/20)
「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。
ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。
ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。
このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。
詩編にはこう書いてあります。『その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ。』また、『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』

とにかく、同じ事件で全く記録が違うことが不思議です。どこかのキリスト教会みたいに、何とか辻褄合わせの話を作るのも情けないことですし、マタイの記録は何かを意図して創作したフィクションと考えるべきでしょう。
このユダの後悔の念もまさにそのためで、気持ちの確かな人物でも金を積まれると心が揺らいでしまうと言う、ややもすれば説教じみたキリスト教独自の心理分析をして、信者の引き締めをしたにすぎない。
本当にユダがその様な心理になったのかどうかは、全く関係なく信者の引き締めと大口パトロンから資金提供をとる為に、ユダの死に幼稚なフィクションを盛り込んだだけのことでしょう
ルカの記録は、ユダの心理的な(後悔の念)面を何も描いてなく、何かの目的で土地を購入しているのだから、後悔の念を持っていたとはおよそ考えられない。
内臓破裂するほどなので相当高い所からの転落の様だ、当時の罪人処刑の方法として高い建物や崖から突き落としたらしいし、イエスも突き落とされそうになった事が描かれている。
   ルカ福音書4/29−4/30
      総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで
      連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜け
      て立ち去られた。
他の福音書ではどうだろうか、マルコ福音書やヨハネ福音書では、ユダが裏切った事だけ記録されており、実は死んだとも書かれていない。

真相は謎ですが

マタイ福音書にだけある、ユダの後悔の念はマタイ教会の創作だろう。ユダがとてもそんな心理状態になるとは考えられないのだが、キリスト教会は説法に都合の良い物語なのでさかんに用いられるが、ルカの記録には全く触れず、ユダの素性も調べようとしない、そんな事は信者への説法では何の役にも立たないどころか、そんな事で疑義が生じたら作り話である事がばれて説明に窮するのだろう
ルカの記録に信憑性があるとしたら、イエスとユダの関係は単なる師弟関係というより、何らかの対立的関係だったのかもしれない、あるいはユダは官憲側のスパイだったと言う可能性も出てくるし、熱心党シモン との関係も微妙な物だったのかもしれないし、イエスの宣教についても何だったのか考え直しが必要である。


とりあえず終わりです