全知全能の神

エホバの神は本当に全知全能か??


全知全能とはなんでしょうか


「全知全能の神」と言う言葉はどういう事でしょうか
読んで字の如く、全知の知はまさに知識の事であり、全能は能は能力の事なので、あらゆる事を知っていて、どんな事でもできると言う意味でしょうか、ところが聖書には「全知」と言う言葉がありません(民数記やサムエル・ヨブ記等にそれに近い言葉はあるが)。聖書に書かれている言葉は「全能者」とか「全能の神」で以下に示すように、書物によって30回も使う書物(ヨブ記)もあれば、全く使っていない書物(例えばヨハネ福音書・使徒言行禄・ローマ人への書簡・列王記・歴代記等)も多いし、使っている書物でも一部を除いて数回留まりです


全知とは?


あらゆる事を知っているハズの神は、アダム達が「善悪の知識の木」を食べる事を知らなかったのかと言う低俗な謎にぶつかるので、良識のあるキリスト教団は使わないのだろう、無節操に「全知全能の神」と言ってる教団もあるが、自ら墓穴を掘ってる様な物だ。

      民24/16神の仰せを聞き、いと高き神の知識を持ち
            全能者のお与えになる幻を見る者/倒れ伏
            し、目を開かれている者の言葉。
     サムエル2/3あなたがたは重ねて高慢に語ってはならな
            い、たかぶりの言葉を口にすることをやめ
            よ。主はすべてを知る神であって、もろも
            ろのおこないは主によって量られる。
      ヨブ36/5まことに神は力強く、たゆむことなく力強
            く、知恵に満ちておられる。


全能の(なる)神(主)


創世記......17/1・28/3・35/11・43/14・48/3
出エジプト記...6/3
詩編.......91/1
エゼキエル....1/24・10/5
マタイ福音書...26/64
マルコ福音書...14/62
ルカ福音書....22/69
コリント2書簡..6/18


全能者


創世記......49/25
民数記......24/4/24/16
ルツ記......1/20・1/21
ヨブ記......*30カ所ある
詩編.......68/15
イザヤ書.....13/6
ヨエル書.....1/15
ヨハネ黙示録...*9カ所ある


意外と少ない


全能な神と全能者とで別々に検索して気が付いたのですが、創世記と詩編以外は書物によって呼び方が違うんですねぇ、それぞれの書物のルーツを探ることができるかも知れません
創世記は近いところで、両方使っているのでピックアップしてみました

        48/3ヤコブはヨセフに言った。「全能の神がカナン地方の
            ルズでわたしに現れて、わたしを祝福してくださった
            とき、
        48/4こう言われた。『あなたの子孫を繁栄させ、数を増や
            しあなたを諸国民の群れとしよう。この土地をあなた
            に続く子孫に/永遠の所有地として与えよう。』

       49/25どうか、あなたの父の神があなたを助け全能者によっ
            てあなたは祝福を受けるように。上は天の祝福下は横
            たわる淵の祝福乳房と母の胎の祝福をもって。

49/25はその前に神がでてきて、神とは違う客体なのかもしれません
詩編はどうでしょうか

       68/15全能者が王たちを散らされるときツァルモン山に雪が
            降るであろう。
       68/16神々しい山、バシャンの山峰を連ねた山、バシャンの
            山峰を連ねた山よ、なぜ、うかがうのか神が愛して御
            自分の座と定められた山を主が永遠にお住みになる所
            を。
       68/18神の戦車は幾千、幾万主はそのただ中にいます。シナ
            イの神は聖所にいます。
       68/19主よ、神よあなたは高い天に上り、人々をとりことし
            人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる。彼らは
            そこに住み着かせられる。

        91/1いと高き神のもとに身を寄せて隠れ全能の神の陰に宿
            る人よ
        91/2主に申し上げよ「わたしの避けどころ、砦わたしの神
            、依り頼む方」と。

これはおそらく書かれた時期も地域も編者も違うのだろう、6/15−の方は多神教を想起するので全能者も神とは別の客体の様な気がします
ヨブ記も読んでみたが、必ず神と併記して書かれているので、明らかに神とは別の客体です
ヨハネ黙示録は、「全能者である神」とかかれていて、むしろ「全能の神」に近い、となると新約聖書は全部「全能の神」になる


全能者とは


全能者と言う表現はどうも神と別の客体に描かれる事が多く、天使か預言者の事を描いている様に思いますが、それぞれの編者においてもそれほどはっきりした区別は無かったのかもしれない、新約も含めて比較的近時代に書かれた書物が「全能の神」が多いので、時代の経緯の中で「全能者」はなくなり、神の修飾語としての「全能の神」が残ったのだろう


本当に「全能の神」か?


創世記を丹念に読まれた方は、とてもその様な印象は持たないだろうが、「崇高な神」とか「偉大なる神」と同じで、ただ単に神の修飾語なのでそんなに深い意味はないのだろう、ただ単に「神」とすれば良いのだろうし、聖書にあまた出てくるのはほとんどが「神」・「主なる神」・「ヤーヴェ」なので、あらためて「全能の神」と言うのは、この程度の修飾語でマインドコントロールされる信者の能力の問題か、その様な修飾語で人をマインドコントロールできると思っている教団の無能さの問題でしょう。


とりあえず終わりです