神の言葉


神の言葉
昨年、「神の言葉についてシリーズで書き込んだ物のコピーを掲載します
神の言葉 始める前に

「聖書は神の言葉です。」...クリスチャンはこの言葉が好き
なんですかね...僕なんかは全部編者の言葉だと思いますが...
そんな水掛け論してても仕方ないので、少しずつ神の言葉の様に
表現されてる物を取り上げて、果たして
 1..聖書全部が神の言葉が語られてるかどうか
 2..本当に神の言葉かどうかの真偽
 3..言葉に思想の一貫性があるかどうか
 4..信者が言ってる事と矛盾しないかどうか
 5..誰に対して言ってるのか
 6..どういう神様なのか
あたりから、突っついてみたいと思います。

神の言葉−2
聖書で神の御言葉を探すのは大変ナンス、神で探すと五万と
出てくるし、その聖句を読むだけで大変な時間を要します。
神の言葉の時は「神は******と言った」と言うのが
聖書の翻訳の特徴ですので、これである程度絞れますね...
ですが、「神は」と言っても必ずしも発言とは限らない...
それで、とりあえずこれだけ絞って、後は聖句を読んでみま
しょう。ところで、「神は」で検索したものと「主は」で
検索してみたんですが、実はそのどちらも一言も書かれて
ない聖書がありました。聖書は神の言葉などと言いながら
実は神様の発言など一言も書かれてない聖書が幾つも含まれ
てる事が判りました。

神は
旧約
エステル 雅歌 エレミヤ哀歌 ナホム ハガイ
新約
フィレモン 2ヨハネ 3ヨハネ  ユダ

主は
ネヘミヤ  エステル 雅歌

ガラテア  コロサイ 1テモテ テトス フィレモン
1ヨハネ  2ヨハネ 3ヨハネ

神の言葉−3 創世記冒頭のP文書から(1/1〜2/3)
論評は次に行います。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実を
  つける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、
  日や年のしるしとなれ。
神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は
  地の上に増えよ。」
神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣を
  それぞれに産み出せ。」そのようになった。
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、
  空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
  海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、
  すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。

神の言葉−4 創世記冒頭のP文書から(1/1〜2/3)
創世記の冒頭の神の言葉は、言うまでもなく天地創造の言葉です。
これを読んでて疑問に思うのは、神(エロヒム)は一体誰に対して
言葉を発してるのでしょうか...読み並べると判ると思いますが
神が言葉を発すると天地がその通りに創造されるんですね...
キリスト教徒のある人は「神が神に命令してる」とも言いますし
(それじゃ独り言か?...声を発する必要もあるまい)
多神の神が存在するのか?などとも考える人もいます。
ここが、ギリシャ哲学的に言うと、神の命令により天地を創造する
理(ロゴス)があると言う事ですし。グノーシス的に言うと、デーミ
ウルゴスである神が、それを超越した至高神(理)iに頼んでると
言う考えになります。それで、実は現代人の多くはこの考え方を
持ってる人が多いと思います。これを書いた人にとっては天地創造の
偉大な神でしょうが、人によっては、ただ天地創造のデザイナー
に過ぎない、そのデザインにより天地が実際に創造される場が
あった、その方が大変な事であると考えるんですね...

神の言葉−5 創世記冒頭のJ資料から(2/3−4/26)
また書評は、次にします。
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。
        取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」
   女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、
   あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。
   お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
   お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた
   木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
   お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。
   今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。
   「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
   主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。

神の言葉−6 創世記冒頭のJ資料から(2/3−4/26)
J資料の神の発言は、P資料の発言と全く違うでしょ...
発言する相手が、具体的な個々の対象(アダムだったりイブ
だったり、蛇やカインだったり)で、誰が相手か判らないのは
最初の2つ位のものザンス。
それとP資料の様な高尚な言葉じゃなくて、「何々しろ」とか
「何々してはならぬ」とか「お前は***する」とか...
アダムに向かって「お前は何処にいるんだ」なんて、到底
天地創造の神様などとは言えませんなぁ...
これが、もともとのユダヤ民族にとっての神様だったんですよ
その民族がバビロン捕因によって、バビロンの神学(その他の
学問?)を吸収して高度に発展したのがP資料なんですね...

神の言葉−7 ノアの箱舟その前後 6〜9章
例によって書評は次の...
6/13〜21
神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。
彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。
−−−以下はは箱舟の作り方と洪水避難の仕方を事細かく説明しているが省略−−−
8/15〜17
神はノアに仰せになった。
「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。
すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を
這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」
9/1〜17
神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、
あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。
わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
−−−−以下箱船から出てきたノア一族との再契約ですが一部を除いて省略します−−−−−−

*ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
*わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく
   滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」

神の言葉−8 ノアの箱舟その前後 6〜9章
ノアの箱舟の物語そのものは、ギルガメシュ叙事詩のパクリですよ
物語のソースが何であるかと言うのは、それほど重要な問題ではないと
思います。(余程のアホ信者でもなければ、聖書の主張や物語が
何処かのパクリである事が示されても、その権威が崩れるとは考えない)
創世記の編者の一派であるヤハウィストは、この物語の中で
ユダヤ人の伝承的な掟、風習を神話化してるんですね...
これから先(バビロンから帰還して)のユダヤ人(ユダヤ教)の公儀
として律法にする為の布石なんですね...
ヤハウィストにとっての神は、P派の天地創造の神ではなくて、ユダヤ民族の
守護神です。だから「何々をしてはならぬ」「何々をしなさい」「お前は
何々である」と言う、まるでユダヤ民族の統治者の様な言葉を発するんですw
ノアの箱舟の物語には、民族浄化の論理があります。バビロンから帰還する
時に、純粋なユダヤ人の社会を再構築する為に、この物語を選んだのでは
ないかと思います。

神の言葉−9 バベルの塔では (11/1−9)
11/5−7
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、
このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、
妨げることはできない。
「我々は」降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの
言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

この文章は、どの編者かよく判りません。物語そのものは、
BC7−6世紀のバビロン捕因時代に、実際にあった話だと
言われてます。JでもPでもなさそうですので、もしかしたら
エロヒムニストの文章かも知れません。
バベルはカルディア語で「神の入る門」の事だそうです。
バビロンの名前もバベルが派生したものです。ユダヤ人は
ヘブライ語のバレル(混乱する)と取り違えた様です。
それで、こんな理屈に合わない神話ができたんでしょうか?
東から移動してきた民がシンアル(バビロン)の平野に
レンガとアスファルトで巨大な建築物を建てようとしていたが
(技術的な未熟さ幼稚さ無知を揶揄してるんでしょうか?)
到底できそうもない事を大枚の労力や資金をはたいてしようとする
事の愚かさを言ってる様にも思います。それでその愚かさの
要因が、単一民族の単一言語によるとするのが、少し理解
できない部分ですが。外界の研究を全く吸収しようとしない
アホな教団の信者が平気で愚かな事を言ってる様子は散々
目にしてますので、それを言ってるのかもしれません。

神の言葉12〜13章 アブラハムに対してその1
アブラハムに対しての神の言葉は膨大ですので、2〜3編に分けて考えて見ます
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、
   あなたによって祝福に入る。」
主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に
   現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から
   東西南北を見渡しなさい。
見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。
あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの
   子孫も数えきれないであろう。
さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」

*空手形かどうかは各位のご判断に任せますが、主はこの手形を2〜3回切ってますね
 果たして、この手形はチャント期日に引き出せたのでしょうか(不渡りの様な気が
 しないでもないんですが)
 「見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」
*これも天地創造のPの神様とは全く違う、Jの神様です。アブラハム伝承です。
 アブラハム伝承は、カァナン地方がユダヤ人の土地である事の正当性を主張してるのだと
 思います。

神の言葉−11
創世記で神の言葉をピックアップしてると、多すぎる割に内容が貧弱
なんだけど、新約で調べると実は殆ど無くて困るんすね...新約では
神様はこの様に言いましたなんて言っても通用しない時代になってる
と言う事だろうと思います。新約で辛うじて見つけ出した神の言葉です。
これだけ読んだら、またアホがどうしようもない事を言い出しかねない
んだけど、とりあえず紹介だけしておきます。
ルカ福音書12/20
しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。
お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。

神の言葉−12
クリスチャンが聖書は神の言葉とはよく言いますが、それじゃ何で
実際に聖句を引っ張り出して、「神様はこの様におっしゃいました」
と言わないのでしょう?
答えは簡単です、聖書に書かれてる神の言葉は(神は***と言った)
クリスチャンの期待とは全く合わない発言が多いからです。
とりわけ神様の発言が多いモーセ五書は、創世記の冒頭のPの神様以外
は殆どがユダヤ人の守護神としての発言であり、ユダヤ人を律する為の発言
だからです。
クリスチャンはこの様な神様の発言を読むと、おそらく殆どの信者は
当惑して、大体はいい加減なその場凌ぎの注釈にとどまるのですが
民数記25/4−8
主はモーセに言われた。「民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で
彼らを処刑し、白日の下にさらしなさい。そうすれば、主の憤りは
イスラエルから去るであろう。」
これとて、ユダヤ人の守護神であれば、致し方ない話で、切った張った
で国(民)を守っていた時代では、民を守護する為に戦争命令を出す
守護神が必要です。それを天地創造の神様と切り分けできない、クリスチャン
のオツムが問題なんだと思います。


以上で終わりです