エイズ解雇訴訟判決


平成7年3月30日判決言渡 裁判所書記官米沢彬夫
平成4年(ワ)第22646号雇用関係存在関係等請求事件
                                     判 決
                   当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり。
                                     主 文
一 原告が被告A社に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
二 被告A社は原告に対し、平成4年10月以降毎月末日限り30万円を支払え。
三 被告A社は原告に対し、300万円及びこれに対する平成4年10月28日から支払済
 みまで年5分の割合による金員を支払え。
四 被告B社及び被告Cは原告に対し、各自300万円及びこれに対する平成4年10月
 15日から支払済みまで年5分の割合により金員を支払え。
五 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
六 訴訟費用は、原告と被告A社との間においては、原告に生じた費用の5分の4
 を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告B社及び被告Cとの
 間においては、原告に生じた費用の3分の1を同被告らの負担とし、その余は各
 自の負担とする。
七 この判決は、二項ないし四項に限り仮に執行することができる。

                                  事実及び理由
第一 請求

 一 主文一、二項と同旨
 二 被告A社は原告に対し、1000万円及びこれに対する平成4年10月27日から支
  払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 三 被告B社及び被告Cは原告に対し、各自1000万円及びこれに対する平成4年
  10月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第二 事案の概要

  原告は、コンピューターシステムに関するソフトウェア業務等を営むA社に雇
 用され、同ソフトウエアの販売等を営む外国会社である被告B社に派遣された従
 業員であったところ、派遣先の健康診断でHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感
 染していることが判明し、被告B社の代表取締役である被告Cが被告Aの代表取
 締役(以下「A社社長」という。)に右感染していることを連絡し、A社社長は
 原告にこの事実を告知し、被告A社は、このご間もなく原告を解雇した。
  そこで、原告は、被告A社に対しては、右解雇は原告がHIVに感染している
 ことを理由としてなした無効な解雇であるとして雇用契約上の権利の存在確認と
 解雇後の賃金の支払を求めるとともに、A社社長の右告知行為及び被告A社の右
 解雇が違法であるとして民法44条1項及び709条に基づき慰謝料の支払を求め、被
 告B社と被告Cに対しても、右連絡行為等が違法であるとして同法709条(但し、
 被告B社に対する請求については更に同法44条1項)に基づき慰謝料の支払を求
 めた。

 一 争いのない事実

  1 当事者関係

    被告A社は、前記業務等を目的とする株式会社であり、被告B社も前記業
   務等を目的として平成3年8月30日にT国において設立された株式会社であり、
   被告Cは、前記のとおり被告B社の代表取締役で、日本国籍を有している。
    原告は、昭和〓年〓月〓日生まれの男性で、平成4年9月16日(但し、この
   日については争いがあり、被告A社は11日とするが甲19、原告の供述によれ
   ば16日であると認められる。)、被告A社との間で、同年10月1日から被告
   B社に派遣されて勤務する旨の雇用契約(但し、賃金は1か月30万円であり、
   支払日は毎月25日である。以下「本件雇用契約」という。)を締結し、3か
   月間の滞在ビザ(ノン・イミグラント・ビザ)を取得したうえで、同年10月
   1日、T国に入国し、同日から被告B社に出社して就労していた。
    なお、原告の被告B社への派遣は、同被告と被告A社との契約に基づいた
   ものであり、この契約内容は、被告B社は被告A社に対し、派遣労働者1名
   につき1か月65万円の技術指導料を支払うこととするが、この内から被告B
   社は派遣された労働者に対し1か月一定額の金額を給料として支払い、さら
   に住居手当、光熱費の実額を支払うというものであった(A社社長と被告C
   の各供述)。

  2 健康診断受診とHIV感染の判明

    ところが、原告は、同月13日(但し、この日については争いがあり、原告
   は9日とするが、13日であることは後記認定のとおりである。)、T国内に
   おける就労許可を取得するため、同国内の病院R病院において健康診断を受
   診した際、偶々同病院医師が依頼目的の趣旨に反し、右許可を取得するに必
   要な診断項目以外のHIV抗体検査を実施し、この検査結果、原告がHIV
   に感染していることが判明した。

  3 被告CのA社社長に対する原告のHIV感染の連絡行為

    被告Cは、同月13日(但し、この日については争いがあり、原告は15日と
   するが、13日であることは後記認定のとおりである。)、右R病院から原告
   がHIV抗体検査の結果が陽性である旨の報告を受け(但し、この報告を直
   接受けたのは被告B社の人事総務部長)、同日(但し、この日についても争
   いがあり、被告Cは15日とするが、13日であることは後記認定のとおりであ
   る。)、原告の承諾を得ることなく、この報告内容をA社社長に連絡した。

  4 A社社長の原告に対するHIV感染の告知行為

    A社社長は原告に対し、同月14日ころ、帰国命令を発出し、これに応じて
   原告が帰国した同月19日、HIVに感染している旨を告知し、国内において
   再度検査を受けるよう勧めた。

  5 被告A社の原告に対する本件雇用契約の解除

    ところが、被告A社は原告に対し、同月28日到達同月26日付内容証明郵便
   をもって、本件雇用契約を解除する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。
   )をなした。

 二 争点

  1 本件解雇の有効性

   (一) 被告A社の主張

      本件解雇には、次のとおりその事由があり、原告がHIVに感染して
     いることをその事由としたものではないから、権利の濫用とはならない。
      すなわち、本件解雇事由は、(1)原告はT国において就労ビザの取得
     ができず、したがって、本件雇用契約をなした目的を達することができ
     なかったこと、(2)原告はT国において就労する意思がなく、したがっ
     て、右就労ビザの取得ができたとしても本件雇用契約をなした目的を達
     することができなかったこと、(3)国内コンピューターシステムのソフ
     トウエア業界は極めて不況下にあって、HIV抗体検査を何時受診する
     かをも連絡せず、被告B社での就労に難色を示し、全く出社してこない
     ような原告を賃金の支払をしながら雇用しておくことは経営上困難であ
     ったこと、(4)原告は、T国から帰国した後も被告A社に何らの連絡も
     せず、被告B社を批判する多くの言動のみをなし勤務態度に疑問があっ
     たことである。

   (二) 原告の答弁・主張

      本件解雇事由の存在は全部否認する。
      原告は、T国での就業を拒否したことはなかったし、就労能力もあっ
     たし、意思をも有していた。
      本件解雇の真の理由は原告がHIVに感染していることにある。
      HIVは、通常の接触では感染することはないし、感染しているだけ
     の状態なら、エイズ(後天性免疫不全症候群)を発症するか、免疫がか
     なり低下し体力が著しく消耗するような状態にならない限り普通に就労
     することが可能である。
      したがって、HIVに感染していることのみでは解雇の正当な事由に
     なり得ず、本件解雇は解雇権の濫用として無効である。

  2 被告A社の不法行為の成否

   (一) 原告の主張

      A社社長は原告に対し、前述したとおり原告がHIVに感染している
     ことを告知したが、そもそもこのような告知は許されないのであり、こ
     の感染を全く知らず心の準備ができていなかった原告は、右告知により
     多大な精神的苦痛を受けた。
      また、A社社長は原告に対し、HIV抗体検査を受けることを勧めて
     おきながら、その結果も出ないうちに原告がHIVに感染していること
     を理由として本件解雇という極めて非人道的な行為に出たのであり、原
     告は、このことによっても極めて甚大な精神的苦痛を受けた。
      原告の受けた右精神的苦痛を金銭に評価すれば少なくとも1000万円が
     相当である。

   (二) 被告A社の答弁

      A社社長の本件告知には次のような事情が存し、これらの事情を考慮
     すれば、A社社長が右告知をしたことは止むを得ない措置であった。
      すなわち、A社社長は、被告Cから原告がHIV抗体検査の結果が陽
     性である旨の連絡を受け、その対処方に苦慮したが、右の検査には数種
     類があって、一種類の検査のみで陽性であると断定できないこと等から、
     原告を一刻も早く日本に帰国させ、再度検査を受けさせるべきであると
     判断したものの、秘密に属する身体的条件を秘匿したまま急遽帰国させ
     る理由について悩み、帰国させたうえで検査を受けさせることが急務で
     あると考え、原告に対し、「国内に緊急の仕事があり、至急帰国された
     い」旨をファックスで指示して帰国させた。しかし、A社社長は、原告
     が帰国予定の同月16日を経過しても帰国しなかったので、同月19日に原
     告方に電話したところ、偶々帰国したばかりの原告が電話に出て、「な
     ぜ帰国させたのか。」「国内での仕事とは何か。」等と質問された。そ
     こで、A社社長は、国内での仕事というのは帰国させるための方便であ
     ったため、説明に窮し、遂に原告のHIV抗体検査の結果が陽性であっ
     た旨を告知せざるを得なくなった。そして、「検査には誤りもある。も
     う一度検査をして欲しい。」と述べ、検査の日時と検査結果を被告A社
     に連絡するよう指示していたのである。
      また、本件解雇には前述のとおりその事由が存したから、正当である。

  3 被告B社及び被告Cの不法行為の成否

   (一) 原告の主張

      原告は、被告B社及び被告Cの以下の行為によりプライバシーの権利
     を侵害され、これにより多大な精神的苦痛を受けた。これを金銭に評価
     すれば少なくとも1000万円が相当である。

     (1) 被告Cの連絡行為について

        HIV抗体検査の結果が陽性であるという情報は、極めて深刻な
       社会的差別を招く虞れがある情報であるから、これの保有者が本人
       に無断で利用ないし第三者に提供することはプライバシーの権利の
       侵害として許されない。
        労働者であるHIV感染者が最も恐れているのは、経営者にこの
       感染を知られて解雇されることであり、最も身近で親しい関係にあ
       るはずの企業内の同僚や上司にもこの疾病について容易に相談ので
       きないのもまさにこのような不安があるからである。被告B社及び
       被告Cがこの点について全く考えが及ばなかったとは到底考えられ
       ず、原告が被告A社から解雇されるといった雇用上の不利益を受け
       るであろうことを十分に予測しながらA社社長に原告がHIVに感
       染していることを連絡したのであり、これによって原告のプライバ
       シーの権利を侵害したのである。
        なお、本件の事情としては次の点も考慮されるべきである。
        すなわち、被告Cの右連絡行為は、結果として被告A社の本件解
       雇を手助けしたことにもなったのであるし、また、被告Cが原告を
       動揺させることは気の毒だと判断して感染していることを告げず、
       生命にかかわることであるので一刻も早く適切な医療処置を受けさ
       せるために帰国させることとしたというのであれば、原告が帰国し
       た後も原告がいつ現場に復帰できるのか等について被告A社なり原
       告なりに問い合わせをしてしかるべきところ、被告Cはそのような
       問い合わせをしなかったばかりか、被告A社から「すべて終わった
       」という連絡を受けただけで納得してしまっている。このことは明
       らかに被告Cに原告を職場から排除する意図があったことを示すも
       のであり、同被告は原告に対し何ら配慮することなく、解雇その他
       の不利益取扱いが問題になって事態が複雑になる以前に原告を日本
       に送り返して無関係を装うという意図で右連絡行為に出たことを示
       すものである。

     (2) 原告のHIV抗体検査結果通知書の管理不行届き

        被告B社の秘書Tは、原告のHIV抗体検査結果の通知書を被告
       Cの部屋の前の廊下にある机の上に広げたままにしておき、付近を
       通る不特定多数人(例えば、被告B社の従業員であったPTは右通
       知書を閲覧した。)に閲覧可能な状態においた。
        HIV感染情報がもたらす社会的差別の虞れを考えると、たとえ
       偶然もたらされたものであってもその管理は特に厳格になされなけ
       ればならず、これが杜撰であったために容易に他人に知られるよう
       な状況を生じたとすれば、それは本人に無断で第三者に知らせたの
       と同じであり、プライバシーの権利の侵害となる。
        秘書の右行為は、被告B社ないし被告Cの原告についてのプライ
       バシー保護に関する指導の欠如によるものであり、同被告らは原告
       のプライバシーの権利の侵害について責任を免れない。

     (3) 被告Cの従業員等に対して原告のHIV感染を知らせた行為

        被告Cは、A社社長に右連絡をしたところ、被告B社のコンピュ
       ーター部門の責任者H、被告B社のコンサルタントをしていたMN、
       被告A社と提携関係にあったHTに対しても原告がHIVに感染し
       ていることを知らせた。
        しかし、右の者らに対しても知らせる必要はなかったのであり、
       これにより原告のプライバシーの権利は侵害された。

   (二) 被告B社及び被告Cの答弁

     (1) 被告Cの連絡行為について

        原告のHIV抗体検査結果を偶然の契機から知った被告Cがこの
       ことをA社社長に連絡したことを直ちに違法なプライバシーの権利
       の侵害であるとする原告の主張は余りに短絡的である。
        使用者は、労働契約上の付随的義務として、業務に起因すると否
       とを問わず、労働者の健康保持に十分配慮すべき義務もしくは職責
       を負担している。使用者は、この義務を履行するために必要な限度
       で、労働者の疾病事実を最終判断権者に伝達することは当然許され
       るとされなければ、労働者の健康保持を全うすることができない。
       このような意味における疾病情報の連絡は、そもそもプライバシー
       の権利の侵害とは言えず、違法と評価されるいわれはない。このこ
       とはHIV感染についても何ら異なるところはない。
        原告は、被告A社に雇用されていた者であって、同被告と被告B
       社の契約によりT国に派遣されて被告B社の指揮命令を受けていた
       者である。したがって、原告の健康保持については、被告B社が当
       面の責任を負うとしても、最終判断権者は被告A社にある。
        被告Cは、病院の無断検査により原告のHIV感染結果を偶々知
       るに至ったが、被告Cは、当然のことながらこの事実を原告の健康
       保持上重大な事態として受け止めた。被告Cとしては、右検査結果
       が正確であるならば、T国より高度の医療水準にある日本において
       一刻も早く治療を受けさせなければならないと考えたが、T国の医
       療に誤診が多いことを見聞きしていたこともあって、その正確性に
       疑問を持ち、場合によっては検査結果が間違いであるかもしれない
       とも思った。したがって、いずれにしてもまず何よりも原告が日本
       において再検査を受けられるような態勢を整えることこそが肝要で
       あると考えたのである。そのために、被告Cは、原告の雇用主であ
       りその処遇についての最終判断権者であるA社社長に病院の検査結
       果を連絡して善処を求めることとしたのである。
        すなわち、被告CのA社社長に対する連絡行為は、労務の現場に
       おいて労働者のHIV感染事実を職務上知り得た者が、当該労働者
       の健康保持のために最終責任者にこの事実を連絡して判断を仰ごう
       としたものであって、労働者の健康保持と無関係な第三者に情報を
       漏洩したのではない。派遣社員を受け入れている被告B社の代表者
       としてはその職責上当然なすべきことをしたに過ぎず、これを違法
       と評価されるべき理由はない。
        原告は、原告が被告A社に解雇されるなど雇用上不利益を受ける
       であろうことを十分に予測していたと主張するが、かかる事実はな
       い。被告Cは、HIV感染を理由として労働者を解雇することは許
       されないとの認識を有しており、原告のHIV抗体検査結果をA社
       社長に連絡することにより原告が解雇されるとは全く考えていなか
       った。前記のとおり、被告Cはあくまで原告の健康保持のためにA
       社社長に右事実を伝えたに過ぎない。
        原告の主張によれば、労働者の処遇に関する最終判断権者にかか
       る情報を伝達することすらできず、労働者の健康保持は何らなし得
       ないことになる。
        さらに、原告は、原告の帰国後の被告B社及び被告Cの対応を非
       難するが、原告の雇用者は被告A社であるから、被告B社及び被告
       Cとしては、事後の対応を被告A社に委ねるのが当然であり、何ら
       異とするに足りない。原告は、被告CのA社社長に対する連絡行為
       をもって、原告に対する不当解雇を手助けしたものであると主張す
       るが、余りにも荒唐無稽である。
        また、以下のような事情に照らせば、被告Cが原告を派遣した被
       告A社の以降から全く独立して原告の健康保持上の処遇について独
       自に判断を下してこれを処理することは到底期待できないことが明
       らかである。
        すなわち、被告Cは医療専門家ではなく、HIV感染について十
       分な医学的知識を有しているとは言いがたいが、T国における自己
       の見聞から、本件検査結果の正確性には疑問を抱いていたため、被
       告Cとしては、原告に、早期に日本において治療を受けさせる必要
       があると考えるに至った。他方、原告は、被告Cが代表者を務める
       被告B社の従業員ではなく、同被告に派遣されてから2週間程度し
       か経過しておらず、被告Cとしては、未だ原告の性格、生活歴等に
       ついて知悉しているとは言えない状況にあった。
        以上のとおりであるから、仮に被告CのA社社長に対する連絡行
       為が、違法と評価される場合にも、被告B社及び被告Cには、他の
       行為をとることについての期待可能性がないため、その責任を問う
       べきでない。

     (2) 原告のHIV抗体検査結果通知書の管理不行届きについて

        原告の健康診断に関する書類は、秘書ではなく、人事総務部長が
       一括して管理することとなっており、この書類が秘書の机の上に放
       置されていたということはあり得ない。
        仮に原告の主張するとおりPTが秘書の机の上に放置されていた
       文書から原告の感染事実を知るに至ったとしても、PTはすでに右
       事実を知っていたのであるから、原告のプライバシーの権利が侵害
       されたとは言えない。

     (3) 被告Cの従業員等に対して原告のHIV感染を知らせたことにつ
       いて

        被告CがHに対し、同被告がA社社長に前記連絡をしたところ、
       原告がHIVに感染していることを知らせたことは認める。
        被告B社において、原告を含む2名の派遣を必要としたのはHを
       責任者とするコンピューター部門であった。その2名のうちの原告
       が早々と帰国することとなったのであるから、被告CがHに右のこ
       とを知らせたのは事業の遂行上必要にして止むを得ない措置であっ
       た。
        被告Cは、H以外の者に原告がHIVに感染していることを知ら
       せたことはない。

第三 争点に対する判断

 一 本件解雇の効力について

   本件解雇は、次に述べるとおりその事由なくしてなされたのであるから、権
  利の濫用としてその効力を有せず、したがって、原告は被告A社に対し雇用契
  約上の地位を有するから、この効力を否認し、原告の労務提供を拒否している
  同被告は原告に対し、右雇用契約に従った賃金を支払う義務がある。

  1 本件事由(1)の就労ビザ取得の不可能について

    証拠によると、次の事実を認めることができる。
    原告は、平成4年9月30日、被告B社で就労するため日本を出国し、同日T
   国に到着し、同年10月1日から同被告のコンピューター部門に配置されて営
   業等に従事していた。そして、原告は、同月13日、T国での就労ビザ取得た
   めに必要となる就労許可証(ワーキング・パーミット)を得るために必要と
   される健康診断をR病院で受けた。右許可証取得のために必要とされる健康
   診断項目は、癩病、結核、薬物中毒、アルコール中毒及び象皮病の5つであ
   るが、原告は、同日、同病院医師から右各項目について異常がない旨の証明
   書の発行を受けた。このことにより原告は、右許可証取得のための健康上の
   障害事由はなくなった。
    右認定事実によると、原告のT国における就労許可証取得のために必要と
   される健康上の障害事由はなかったのであり、そして、他に原告が右証明書
   を取得するために障害となった事由は認められない。
    したがって、本件解雇事由(1)は理由がない。

  2 本件解雇事由(2)の就労意思の欠如について

    証拠によると、次の事実を認めることができる。
    被告Cから原告がHIV感染者であることを知らされたA社社長は、非常
   に驚き、被告Cから帰国させて再検査を受けさせた方が良いと勧められたこ
   とや、健康問題であることから放置できないと考え、平成4年10月14日、原
   告に対しすべき仕事があるので至急帰国すべき旨をファックスで指示した。
   これに対し原告は、T国において引き続き就労する意思を有し、通常の就労
   をしていたのに、右突然の帰国指示がなされたことに強い不満を述べ、その
   理由を問い質したが、A社社長からは明確な回答がなかった。しかし、A社
   社長は、仕事の都合であるから荷物を置いたままとにかく帰国するように説
   得し、原告もこの説得に応じて取り敢えず帰国することとした。
    原告は、同月16日まで被告B社で就労し、同月18日T国を出国し、翌19日
   帰国し、昼過ぎに帰宅したところ、偶々A社社長から電話があった。A社社
   長が電話をしたのは、原告は既に帰国しておりながら何らの連絡もしてこな
   いでいると考えたことからであった。原告はA社社長に対し、突然帰国させ
   られたことに強い不満を述べた。これに対しA社社長は、健康診断の結果就
   労許可証取得に必要な証明書の発行が得られなかった旨答えたところ、原告
   は、前記認定のとおり既に就労許可証取得のために必要な証明書の発行を受
   けていたので、不審に思いさらにその理由を問い質したところ、A社社長は、
   R病院医師が無断で原告のHIV抗体検査を実施し、この検査の結果、原告
   はHIVに感染していることが判明した旨を述べた。これに対し原告は、思
   いもよらない突然のことであったので、強い衝撃を受け、今後の身の処し方
   をいかにすべきか迷い、被告B社における労働条件に不満を述べたりしたと
   ころ、A社社長は原告に対し、日本において再検査を受けるように勧めた。
   これに対し原告は、再検査の結果陽性反応が出たときの就労について尋ねた
   ところ、A社社長は、就労は困難である旨答えた。
    原告は、翌20日、横須賀市北部行政センターでHIV抗体検査を同月23日
   受けることの予約をし、翌21日、A社社長から右検査結果の問い合わせがあ
   ったので、これに対し右の予定となっていることを伝えた。そして、原告は、
   同月23日、同センターに赴いたが、担当医師から横浜市立大学医学部付属病
   院を紹介され、そこで、原告はA社社長に対し、同日、このことを連絡する
   とともに、保険証の発行を要求したところ、A社社長は、被告A社で負担す
   るので取り敢えず支払っておくように答えた。このようなことから原告は、
   同月26日、同病院でHIV抗体検査を受けたところ、同月28日、陽性である
   ことが判明した。この結果に強い衝撃を受けた原告は帰宅したところ、被告
   A社から原告宛に同月26日付の「採用取消通知書」と題する内容証明郵便が
   配達されており、この書面には、諸般の情勢及び原告からのT国での就労を
   望まない旨の申出があったことから、T国での就労が不可能となったので、
   採用を取り消す旨記載されていた。被告A社が原告に対しこのような採用取
   消通知書を差し出したのは、同被告は当時経営上厳しい状況下にあり原告を
   このまま雇用し続け賃金を支払っていくことは経営上困難な状況にあったか
   らであった。なお、原告は被告B社に対し、T国での就労を望まない旨述べ
   たことはなかった。
    右認定事実によると、原告は、A社社長からHIVの感染者であることを
   知らされ強い衝撃を受け、日本においての再検査でも陽性反応が出たことか
   ら同様に衝撃を受け、今後のT国での就労については気掛かりであったもの
   の、その対処方の結論が出ないうちに本件解雇の意思表示を受けたというの
   である。
    したがって、本件解雇事由(2)も理由がない。

  3 本件解雇事由(3)の就労に難色を示したこと等について

    A社社長は、その陳述書において、本件解雇事由(3)が存在している旨を
   記載し、当法廷においてもこれに沿った供述をしている。
    まず、国内コンピューターシステムのソフトウエア業界が極めて不況であ
   ったことについてであるが、なるほど、同業界は、本件解雇当時極めて不況
   であったことは認められるが、被告A社は、このような業況下にあっても被
   告B社との前記契約の履行のために原告を雇用したのであるから、本件解雇
   の事由として主張することには理由がない。
    次に、原告がHIV抗体検査を何時受診するかを連絡してこなかったこと
   についてであるが、原告は、A社社長の帰国指示に従って帰国した当日、A
   社社長からHIV感染を告知され、強い衝撃を受けながらも再検査の勧めに
   従いこの手配をして再検査を受け、この間、A社社長には2回に亘り再検査
   についての状況報告をしていたことは前記認定のとおりであるから、これに
   反するA社社長の前記記載及び供述部分は信用できず、他に右の点を認める
   に足りる証拠はない。
    したがって、この点に関する解雇事由も理由がない。
    さらに、原告が被告B社での就業に難色を示したことについてであるが、
   原告は、被告B社での就労の意思を有していたにもかかわらず無理矢理に帰
   国させられ、この当日、A社社長からHIVに感染していることを告知され
   強い衝撃を受けた際、被告B社においての労働条件について不満を述べたこ
   とは前記認定のとおりであるが、これを捉えて被告B社においての就業に難
   色を示したとは到底いうことができない。そして、右の解雇事由に関する前
   記A社社長の陳述書の記載及び供述部分は原告の供述と対比して信用できな
   い。
    したがって、この点に関する解雇事由も理由がない。
    最後に、原告が出社しなかったことについてであるが、なるほど、原告が
   帰国後出社しなかったことは原告も認めるところであるが、原告が帰国して
   以降本件解雇がなされるまでの経緯については前記認定のとおりであり、こ
   れによればA社社長は原告に対し、原告が帰国した日からHIV抗体検査を
   再度受けるよう勧めており、原告はこれ従ってそのための手配をしていたの
   であるから、原告はA社社長の指示どおりに行動していたといえるし、原告
   の現実の労務提供は被告B社においてなすことであって、これが被告A社に
   対する労務提供の内容となっていたことは前記認定のとおりであり、原告が
   帰国以降被告A社に労務提供のために出社しなければならなかった理由はな
   かった(A社社長及び原告の各供述並びに弁論の全趣旨)のであるから、被
   告A社が原告の不出社を本件解雇事由とすることには根拠がない。
    したがって、この点に関する解雇事由も理由がない。

  4 本件解雇事由(4)の勤務態度等について

    A社社長は、その陳述書において、原告は被告A社に対し、帰国した以降
   状況報告を全くしなかったし、原告に平成4年10月21日に電話したところ、
   再検査の手配もしておらず、「検査の結果がどうであろうとも、もうT国で
   は仕事をしたくない」、「日本人スタッフはT国で仕事をさせてもらってい
   るのにT国人を馬鹿にしている」、「会社の方針や内容が悪い」、「仕事の
   進め方が場当たり的である」等と被告B社の批判に終始しており、同月23日
   に電話をした際も同様であった旨記載し、当法廷においても同旨の供述をし
   ている。
    しかし、原告がA社社長の指示により帰国し、その後本件解雇がなされる
   に至るまでの経緯については前記認定のとおりであり、原告とA社社長との
   電話での遣り取り及び同月23日の電話はA社社長から原告に対してではなく、
   原告からA社社長に対してなしたことも前記認定のとおりである。
    右認定事実からも明らかなとおり、原告は被告B社においての就労意思を
   有しながら帰国したところ、A社社長から突然HIV感染の告知を受けて強
   い衝撃を受けながらも、R病院における検査結果と異なる検査結果の出るこ
   とを期待して再検査の手配をしていたのであって、以上に反するA社社長の
   右供述及び記載部分は信用できないし、原告が被告B社においての就労意思
   がない旨述べたとの右供述及び記載部分も原告の供述と対比してにわかには
   信用することができない。
    もっとも、原告がA社社長に同月19日の電話での会話の中で被告B社にお
   ける労働条件について不満を述べたことは前記認定のとおりであるが、この
   ことは、被告B社から在宅手当の支給を受けることとなっていたにもかかわ
   らず、これの支給がないこと等に不満を抱いていたところに、A社社長の突
   然のHIV感染の告知に驚愕した原告が遣り場のない気持ちから発した言葉
   であって(原告の供述)、原告の置かれた当時の心理的状況等を考慮すると、
   この発現自体には格別責められるところはない。
    以上のとおりであるから、本件解雇事由(4)も理由がない。

 二 被告A社の不法行為の成否について

  1 A社社長の原告に対するHIV感染の告知について

    使用者は被用者に対し、雇用契約上の付随義務として被用者の職場におけ
   る健康に配慮すべき義務を負っているから、使用者が疾病に罹患した被用者
   にこの疾病を告知することは、特段の事情のない限り、許されるし、場合に
   よってはすべき義務があるが、右特段の事情の存する場合には、使用者の右
   告知は許されないし、この告知をすることが著しく社会的相当性の範囲を逸
   脱するような場合には、この告知は違法となり、これをした使用者は当該被
   用者に対し人格権侵害の不法行為責任を負うべきものと解する。
    これを本件について検討する。
    A社社長が原告にT国から帰国させ、原告に対しHIVに感染しているこ
   とを告知した経緯及びこれにより原告が強い衝撃を受けたことは前記認定の
   とおりであり、原告は、当時、HIV感染ないしエイズ疾患に関しては殆ど
   知識を有していなかったこともあって、右告知を受けたことで間もなく死亡
   するのではないかとの悩みに苛まされた(原告の供述)。
    ところで、HIVはエイズを引き起こす病原体であり、HIVの感染によ
   り細胞性免疫機能が障害されて免疫不全状態となり、その結果、各種の日和
   見感染症や日和見腫瘍の発生あるいは神経障害等を発症し、このような病態
   をエイズといい、HIV感染後エイズ発症までの期間は約6か月から10年と
   され、約10パーセントは3年内に、20ないし30パーセントは5年内に発症す
   るとされており、そして、成人の潜伏期間は8ないし10年と推定され、15年
   以内に殆ど全員発症するとされている。そして、HIVは、血液、精液、膣
   分泌液、唾液、母乳、尿、涙などに含まれ、日常の主要な感染源としては血
   液、精液、膣分泌液であり、したがって、血液媒介、性的接触が感染機会と
   して重視される。
    ところが、エイズに対する特効薬は現在のところなく、治療法もいまだ確
   立されていないから、エイズの予後は全く不良であるばかりか、エイズ発症
   後は1年以内に約50パーセント、2年以内に約80パーセント、そして、3年
   以内に殆どが死亡するとされている。
    右のようなことから、HIVに感染しているというのみでは日常生活のう
   えで格別困難を伴うことなく生活することができるとはいっても、HIV感
   染者ないしエイズ患者に対しての社会的偏見と差別意識は強いのが現状であ
   り、HIV感染者やエイズ患者のみならず、その家族の者までもが社会的偏
   見と差別の中で生きていかなければならない状況下にあり、そして、このよ
   うなことから、HIV感染者やエイズ患者化自身もこの疾病に罹患している
   ことが世間に知れると社会的に葬られるのではないかとの恐怖心に駆られて
   いる状況にある。
    HIVは、伝染性のある疾患であるばかりか、潜伏期間が長いのでHIV
   感染者が感染していることを知らないと他の第三者に感染させるおそれがあ
   り、また、HIV感染者にも早期にこの疾病に対する治療や生活態勢を確立
   させることが必要であるから、HIVに感染していることを告知することが
   望ましいと言える。
    しかし、HIV感染者に感染の事実を告知するに際しては、前述したこの
   疾病の難治性、この疾病に対する社会的偏見と差別意識の存在等による被告
   知者の受ける衝撃の大きさ等に十分配慮しなければならず、具体的には、非
   告知者にHIVに感染していることを受け入れる用意と能力があるか否か、
   告知者に告知をするに必要な知識と告知後の指導力があるか否かといった慎
   重な配慮のうえでなされるべきであって、告知後の被告知者の混乱とパニッ
   クに対処するだけの手段を予め用意しておくことが肝要であると言える。
    このようにみてくると、HIV感染者にHIVに感染していることを告知
   するに相応しいのは、その者の治療に携わった医療者に限られるべきであり、
   したがって、右告知については、前述した使用者が被用者に対し告知しては
   ならない特段の事情がある場合に該当すると言える。
    そうすると、A社社長が原告に対して原告がHIVに感染していることを
   告知したこと自体許されなかったのであり、前記認定のこの告知及びこの後
   の経緯に鑑みると、この告知の方法・態様も著しく社会的相当性の範囲を逸
   脱していると言うべきである。
    被告A社は、A社社長が原告に対し、HIVに感染していることを告知し
   たことには止むを得なかった事情があった旨弁明するが、被告A社の右弁明
   は独自の見解によるものであって、右に述べた判断を左右することにはなら
   ない。
    したがって、被告A社は原告に対し、民法44条1項及び709条により、A社
   社長の右告知行為によって被った後記損害を賠償すべき義務がある。

  2 本件解雇について

    本件解雇は、その事由なくしてなされた無効なものであることは前述のと
   おりである。
    A社社長が原告に対して原告がHIVに感染していることを告知し、本件
   解雇をなすに至った経緯については前記認定のとおりであり、これによると、
   本件解雇は、原告がHIVに感染していることを被告Cから連絡されたA社
   社長は、原告を急遽無理矢理に帰国させ、原告がHIVに感染していること
   を告知するとともに再検査を受けることを勧め、原告も再検査を受けるため
   の手配をし、このことをA社社長に報告していたにもかかわらず、この検査
   結果の判明した日に到達した内容証明郵便をもって本件解雇をなしたという
   のであって、以上の諸点に前述のとおり本件解雇事由が薄弱であることを総
   合考慮すると、本件解雇の真の事由は、A社社長の否定供述はあるものの、
   原告がHIVに感染していることにあったと推認できる。
    そうすると、使用者が被用者のHIV感染を理由に解雇するなどというこ
   とは到底許されることではなく、著しく社会的相当性の範囲を逸脱した違法
   行為と言うべきであるから、本件解雇は、被告A社の原告に対する不法行為
   となり、同被告は原告に対し、民法709条により原告の被った後記損害を賠
   償すべき責任がある。

  3 損害について

    原告がA社社長から突然HIVに感染していることの告知を受けて大きな
   衝撃を受けながらも、A社社長の再検査の勧めに従い再検査を受け、この検
   査結果が陽性であることが判明し、さらに強い衝撃を受けたその日に、不当
   な本件解雇がなされたことは前述したとおりであり、これらのことにより原
   告は極めて甚大な精神的苦痛を被ったものと認められる。
    以上の諸点に、本件雇用契約上の権利の存在と本件解雇以降の賃金の支払
   が認められたことにより、この点に関する限りでの経済的不利益は補填され
   たこと等の諸事情を総合考慮すると、原告の被った精神的苦痛を慰謝する額
   としては300万円が相当である。
    したがって、被告A社は原告に対し、慰謝料300万円とこれに対する本件
   解雇の通知がなされた日である平成4年10月28日(本件告知行為と本件解雇
   とによる損害額は特定できないから、この日を遅延損害金発生の起算日とす
   る。)から支払済みまで民法所定年5分の割合により遅延損害金の支払義務
   がある。

 三 被告B社及び被告Cの不法行為の成否について

   使用者が被用者に対し、雇用契約上の付随義務として被用者の職場における
  健康に配慮すべき義務を負っていることは前述のとおりであるが、被用者との
  間に直接の雇用契約関係にない場合であっても、右被用者に対し、現実に労務
  指揮・命令している場合にあっては、使用者の立場に立ち同様の義務を負うも
  のと解される。
   しかし、使用者といえども被用者のプライバシーに属する事柄ついてはこれ
  を侵すことは許されず、同様に、被用者のプライバシーに属する情報を得た場
  合にあっても、これを保持する義務を負い、これをみだりに第三者に漏洩する
  ことはプライバシーの権利の侵害として違法となると言うべきである。このこ
  とは、使用者・被用者の関係にない第三者の場合であっても同様であると解さ
  れる。
   そこで、本件についてみれば、被告B社は、原告を被告A社との前記契約に
  基づき派遣という労務形態で受け入れ、原告に対し現実に労務指揮・命令をし
  ていたことは前記認定のとおりであるから、使用者の立場にあったということ
  ができ、したがって、原告の職場における健康に配慮すべき義務を負っていた
  と言うことができる。しかし、被告B社のみならず、被告Cも、原告のプライ
  バシーに属する情報は、これをみだりに第三者に漏洩してはならない義務を負
  っていたのである。
   ところで、個人の病状に関する情報は、プライバシーに属する事柄であって、
  とりわけ本件で争点となっているHIV感染に関する情報は、前述したHIV
  感染者に対する社会的偏見と差別の存在することを考慮すると、極めて秘密性
  の高い情報に属すると言うべきであり、この情報の取得者は、何人といえども
  これを第三者にみだりに漏洩することは許されず、これをみだりに第三者に漏
  洩した場合にはプライバシーの権利を侵害したことになると言うべきである。
   これを以下、本件について検討する。

  1 被告Cの連絡行為について

    原告がT国に入国し、R病院で就労証明証取得のために必要とされる健康
   診断を受けるに至った経緯については前記認定のとおりであり、また、証拠
   によると、被告CがA社社長に対し原告がHIVに感染していることを連絡
   するに至った経緯については、次のとおりであると認められる。
    R病院医師は、原告に対する健康診断実施に際し、就労許可取得のために
   必要とされる5項目の検査以外に、依頼目的外のHIV抗体検査を原告の承
   諾を得ることなく実施した。そして、被告B社のビザ関係担当従業員は、同
   日、同病院長から電話で、原告がHIVに感染している旨の報告を受け、被
   告Cは、同日、人事総務部長から同旨の報告を受けて驚いた。
    被告Cは、HIV感染に関しての当時の知識としては、この疾病は、疾病
   に対する抗体を失わせることから治療が困難であり、血液を媒介として感染
   し、感染から発病までにはある程度の期間があり、この間の就労は可能であ
   ること、従業員に対する関係では秘密保持に努めるべきこと等を有していた。
   このようなことから原告に対する対処方に苦慮し、T国における医療機関の
   水準は過去の経験から然程高度ではないと考えており、誤診の可能性もある
   ので、原告が真実HIVに感染していると断定することはできないが、原告
   の健康上からも一刻も早い再検査を受けさせることが必要であると考えた。
   しかし、原告は被告A社から派遣された従業員であることから、取り敢えず
   A社社長に原告に対する対処方を委ねるのが相当であると考えた。そこで、
   被告CはA社社長に対し、同月13日の夜間に電話で、原告を就労許可取得の
   ために健康診断を受けさせたところ、HIVに感染していることが判明し、
   就労許可が得られないかも知れない旨とT国における検査結果は信頼できな
   いので、日本で再検査を受けさせた方が良いので至急帰国するよう業務命令
   を発して欲しい旨を要請した。
    右要請を受けたA社社長は原告に対し、前記認定の経緯で帰国命令を発出
   し、これによって原告は帰国することとなった。
    そして、A社社長が原告に対しHIV感染の事実を告知し、被告A社が本
   件解雇をなすに至った経緯については前記認定のとおりである。
    右認定事実によると、被告Cは、R病院から全く予期しなかった原告がH
   IVに感染しているという情報を取得したのであるが、この情報は、原告に
   関しての極めて秘密性の高い情報であることは前述のとおりであるから、被
   告Cは、これをみだりに第三者に漏洩してはならない義務を負っていたこと
   となる。
    それにもかかわらず被告Cは、右情報をA社社長に原告の今後の対応方を
   委ねる趣旨で連絡したというのであるが、被告Cに当時右連絡の必要性ない
   し正当の理由があったとは到底認められない。
    被告B社及び被告Cは、被告Cの右連絡行為は、被告B社が原告に対する
   当面の健康配慮義務者ではあっても、最終的な判断権者は被告A社であった
   ので、職責上当然のことをなしたにすぎず、何ら違法と評価される理由はな
   い旨反論するが、この反論は右に述べたところから明らかなとおり理由がな
   い。
    また、被告C及び被告B社は、被告CのA社社長に対する連絡行為は、他
   に執るべき期待可能性がなかった旨主張するが、例えばこの連絡行為をしな
   いというのも執るべき方法の一つと言うことができるから、他に執るべき方
   法は容易にあったのであり、したがって、同被告らのこの点に関する主張は
   採用できない。
    なお、原告は、被告CのA社社長に対する右連絡行為は、被告A社の本件
   解雇を手助けしたことになったとか、原告を職場から排除する趣旨でなした
   旨を主張するが、被告Cに右のような認識ないし意図のあったことを認める
   に足りる証拠はない。
    よって、被告Cは原告に対する直接の不法行為者として民法709条により、
   被告B社は、代表取締役である被告Cの右行為につき同法44条1項により原
   告の被った後記損害を賠償すべき義務がある。

  2 原告のHIV抗体検査結果通知書の管理不行届きについて

    PT作成の甲18号証中には、被告B社の従業員であった同人は、平成4年
   11月10日ころ、秘書の机上にある電話で米国在住の友人に国際電話をなそう
   と電話交換の待合中、同机上のメイルボックスの中の雑誌でも読もうとその
   中を見たところ、原告がHIVに感染している旨の検査結果の記載された現
   地の病院名と医師の署名ある手紙が封筒の中から出され開いた状態で封筒の
   上に置かれており、手紙の内容が個人のプライバシーに関わるものであった
   ので非常に驚いた旨の記載部分があり、当法廷においても同旨の証言をして
   いる。
    しかし、他方、被告Cは、被告B社における文書の取扱い方については、
   被告C宛の文書は秘書が開封してブック形式のレター挟み様のものに挟んで
   同被告の机上の箱に入れ、同被告が閲覧した後は秘書が必要に応じて保管、
   回覧又は破棄することとしていた旨を、また、R病院から原告がHIVに感
   染している旨の報告を受けてからは原告に関する書類については人事総務部
   長が秘密扱いで管理することとしていた旨を供述しており、この供述と右証
   言(右記載部分を含む。)を対比すると、右証言(右記載部分を含む。)の
   原告のHIV感染の記載された手紙を見たという日時、場所、態様等はいか
   にも不自然であって、にわかには信用することができない。
    そして、他に原告のこの点に関する主張事実を認めるに足りる証拠はない。
    したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。

  3 被告Cが従業員に対して原告のHIV感染を知らせたことについて

    被告CがHに対し、同被告がA社社長に前記連絡をしたころ、原告がHI
   Vに感染していることを知らせたことについては同被告及び被告B社の認め
   るところであり、被告Cがこのように知らせたのは、Hは原告の所属してい
   たコンピューター部門の最高責任者であるので、営業活動上必要であると考
   えたことによる(被告Cの供述)。
    原告は、被告CがH以外のMN、HTにも原告がHIVに感染しているこ
   とを知らせた旨主張するところ、証人PTの証言中には一応右主張に沿う部
   分もあるが、同証人は単なる推測を証言しているに過ぎないから、右証言部
   分はにわかには信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
    そこで、被告CがHに原告がHIVに感染していることを知らせたのは、
   前述したところから明らかなとおり、原告のプライバシーの権利を侵害した
   こととなる。
    被告B社及び被告Cは、被告CのHに対する右行為は事業の遂行上必要に
   して止むを得ない措置であった旨弁明するが、原告のHIV感染を知らせな
   ければならなかった業務上の必要があったとは到底考えられず、他に執るべ
   き手段がなかったなどとは言えない。
    したがって、右弁明は同被告らの独自の見解によるものであって、理由が
   ない。
    以上のとおりであるから、被告Cは民法709条により、被告B社は同法44
   条1項及び709条により原告の被った後記損害を賠償すべき責任がある。

  4 損害について

    原告は、被告B社及び被告Cの前記不法行為により甚大な精神的苦痛を受
   けたことは容易に認められる。
    そして、被告CのA社社長に対する原告がHIVに感染している旨の連絡
   行為は、不必要な行為であり、これによって被告A社の前記不法行為を誘発
   したのであるから、被告Cの責任は極めて重いものといわざるを得ない。
    このようにしてみてくると、被告B社及び被告Cの原告に対しての慰謝す
   べき金額は300万円が相当である。
    よって、被告B社及び被告Cは原告に対し、各自慰謝料300万円とこれに
   対する本件不法行為の後である平成4年10月15日から支払済みまで民法所定
   年5分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

                            東京地方裁判所民事第19部
                                                  裁判長裁判官 林   豊
                                                     裁判官 小佐田 潔
                                                     裁判官 蓮井 俊治

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NOV. 14, 1996