ハンセン病について

ハンセン病とらい菌

 「らい(癩)」という病名には、古くからの偏見などが付きまとっていることから、らい菌の発見者(ノルウェーのハンセン氏、1873年に発見)の名にちなんで、今日では「ハンセン病」という呼び方が一般的になっています。
 ハンセン病はらい菌(Mycobacterium leprae)によって起こる慢性(症状は軽いが、長く続くこと)の細菌感染症です。ハンセン病では、主に末梢神経と皮膚が侵され、瘤(こぶ)や痼(しこ)りなどの結節を来たす皮膚病の特徴と、身体障害(知覚まひ、視覚障害など)を引き起こす神経病の特徴などに加えて、負傷の放置による2次的な障害が加わります。2次的な障害が起こるのは、痛みを感じる感覚が鈍くなっているために、手や足に傷を負ったり、火傷をした時に気が付くのが遅れ、怪我の状態が酷くなるまで治療せずに放置されたりしたためです。現代でも怪我を放置すると、ブドウ球菌等の細菌が感染して化膿し、皮膚表面だけでなく、骨まで変形してしまうことがあります。
 こうした2次的な障害は怪我をすることが多い手足の指によく起こりましたが、時にハンセン病患者の外見、特に顔貌を著しく損ねることがあったことから、古くから患者とその家族は多くの偏見と差別を受けてきました。しかし、現在では形成外科技術の進歩により、外見上の変化を修復することも可能となっています。

 らい菌は、結核菌と同じ抗酸菌の仲間に分類されていますが、らい菌の培養は難しく、人工培地での培養には未だに成功していません。また、人以外の動物にらい菌を感染させて、ハンセン病を起こさせることが長い間できなかったため、研究もあまり進展しませんでしたが、南米産のアルマジロが利用可能であることが分かってから、研究が進みました。しかし、自然界のどこにらい菌が存在するのか、土壌中に存在するという説もありますし、小動物が宿主となっているという説もあり、正確なことは今でも分かっていません。らい菌が人から人へ感染することは事実と考えられていますが、人以外の感染源については、そもそも存在するのか否かということも含めて、まだ明らかになっていません。
 このように、らい菌については、不明の点も多々ありますが、幸いなことに、今日では治療法が確立し、早期発見と早期治療により、比較的容易に完治することができる病気となっています。

感染と発病

 ハンセン病では、らい菌の感染とハンセン病の発病とを厳密に区別して考えることが重要です。らい菌の毒性は極めて弱く、ほとんどの人に対して病原性を持たないため、人の体内にらい菌が侵入し、感染が成立しても、発病することは極めてまれです。特に成人がらい菌に感染した場合には、らい菌に対する免疫機能が先天的に不十分な人がごくまれに発病する以外は、発病することはないと考えられています。
 感染経路としては最近では、未治療患者の鼻粘膜・鼻汁に存在する菌が排出され、気道を経て感染する経路を重視する考え方が主流となりつつあります。
 らい菌は感染しにくい菌の一つですが、感染の成立には、感染源(特に未治療の多菌型患者)との接触期間、体内に侵入したらい菌の量などが深く関係していると考えられています。
 発病するためには、ハンセン病にかかりやすい性質を有する人が、らい菌に感染することが必要です。ハンセン病にかかりやすい性質は、らい菌に対する免疫系の異常と深い関わりがあります。ただし、これは免疫力が高いか低いか、強いか弱いかといったこととは関係がありません。同じような健康状態で、同じような生活をしていた人でも、発病する人と、発病しない人がいるということです。
 このため、らい菌が発見されるまでは、ハンセン病(らい)は特定の家系の人が発病する病気、遺伝する病気という誤解があり、患者だけでなく、その家族・親族に対する根強い偏見や差別がありました。
 ハンセン病の発生率は社会経済状態の向上に伴って減少しつつあり、先進国においてハンセン病は既に終息しているか、終焉にむかっています。日本でも、ここ数年の新規患者登録数は年間でわずか10名程度であり、これらの人々も新たな感染者というよりは、過去に感染していた人が新たに発見されたものと思われます。
 しかし、現在でも、南アジア地域を中心とした発展途上国には多数のハンセン病患者がおり、医療、生活その他の援助を必要としています。

治療

 1943(昭和18)年にプロミン(スルフォン剤の一種)の有効性が報告され、ハンセン病の本格的な薬物療法が始まりました。昭和20〜30年代は主にプロミンの改良型のダプソン(DDS)による単剤療法が行われました。昭和40年代の後半にはリファンピシン(結核の治療薬)がらい菌にも強い殺菌作用があることが明らかになりました。
 1981(昭和56)年にWHOが多剤併用療法(リファンピシン、ダプソン、クロファジミン)を提唱してからは、多剤併用療法が主流となっています。多剤併用療法は卓越した治療効果を持ち、再発率も低く、経過中の急性症状(らい反応と呼ばれ、患者に多大な苦痛と後遺症をもたらすもの)の少なさ、治療期間の短縮などの点で画期的な療法です。また、数日間の服用で、らい菌は感染力を失います。
 現在では、ハンセン病は早期発見と早期治療により、障害を残すことなく短期間で完治する病気です。また、不幸にして発見が遅れ、障害を残した場合でも、形成手術を含む現在のリハビリテーション医学の進歩により、その障害は最小限に食い止めることができます。

「らい予防法」の廃止

 以上のようにハンセン病は、現在の我が国においては、感染しても発病することは極めて希であり、また仮に発病したとしても、早期発見と早期治療により完治する病気であることから、「らい予防法」に定められていたような隔離、消毒等の予防処置の必要性は存在しません。
 国際的には1950年代には既に誤りと指摘されていた隔離政策を含む「らい予防法」ですが、1987年に全国ハンセン病患者協議会(全患協。現在は全国ハンセン病療養所入所者協議会[全療協])支部長会議がらい予防法改正に取り組む方針を決定してからは、らい予防法廃止の動きが活発化しました。1994年に全国国立ハンセン病療養所長連盟が「入所者の処遇を保障した代替立法の制定と引換えにらい予防法の廃止」を求める見解を発表し、1995年に日本らい学会が「現行法はその立法根拠をまったく失っているから、医学的には当然廃止されなくてはならない」旨の声明を発表するなどしたことから、ようやく1996年3月27日に「らい予防法廃止法」が成立するに至りました。
 2000年5月現在、13の国立ハンセン病療養所と2つの私立療養所に計4595人が入所しています。

ハンセン病国家賠償請求訴訟

 熊本、東京、岡山の3ヶ所の地方裁判所において、「らい予防法(1996年廃止)」の違憲性を主張し、国に対して、賠償と謝罪を求める訴訟がハンセン病の元患者らにより提起されています。(2001年6月12日現在、原告総数2112人)
 1998年7月、熊本地裁に13人が1人一律1億1500万円の賠償を国に求めて提訴し、16次までで原告数は元患者や遺族ら計1195人(西日本訴訟)。 1999年3月、東京地裁に21人が提訴し、9次までで計568人(東日本訴訟)。1999年9月、岡山地裁に11人が提訴し、7次までで計349人(瀬戸内訴訟)。
 2001年5月11日、熊本地裁において、概ね原告(4次まで127人)の主張どおり、「らい予防法」の違憲性と、「らい予防法」を廃止しなかった国会の不作為責任(為すべきことを為さなかった過失)を認め、国に対して原告1人平均約1400万円、総額18億2380万円を支払うよう命じる判決が下されました。この判決は、国の控訴断念により、控訴期限の5月25日に確定しました。
 また、7月19日には 同じく熊本地裁において、5次〜7次原告117人のうち療養所入所歴などが確認できた94人と国との間で、国が「多大な苦痛と苦慮を与えてきたことに真摯(しんし)に反省し、衷心より謝罪する」とし、一時金として総額約11億4200万円を支払う和解が成立しました。
 一時金は6月に施行されたハンセン病療養所入所者等への補償法の支給基準と同様に入所歴に応じて1人1400万〜800万円とし、補償法による支給と同額になるよう弁護士費用などは国の負担とされました。また、国は名誉回復措置として謝罪広告を出すことを約束しました。
 東京、岡山両地裁でもすでに和解に向けた基本方針の合意ができており、近日中に和解が成立する見通しです。熊本地裁の5〜7次の残りの原告と18次までの原告計1057人についても、今後、和解が進む見通しですが、補償法の対象外となっている本人死亡後に提訴した遺族や未入所者については、さらに協議が続けられます。


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2005年11月28日