緊急に取り組むべき結核対策について(提言)


平成10年7月3日

公衆衛生審議会結核予防部会


1.はじめに

 今世紀に入ってからの医学・医療の進歩、公衆衛生水準の向上等によって、かつて「人類は感染症の脅威を克服した。」といった認識が一般国民はもちろんのこと、医療関係者の間にも拡がったが、近年、新興・再興感染症が世界的に問題となっている。この問題への包括的な対応としては、国会で審議が続けられている「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律案」での対応が期待されているところであるが、再興感染症の代表と言われる結核については、昨年12月に公衆衛生審議会から出された「新しい時代の感染症対策について(意見)」においても、結核対策については現行の結核予防法の法体系のもとに、引き続き的確に推進すべきであるとの方向性が示されている。
 結核対策を所掌する当部会としても、再興感染症としての結核対策の充実・強化を図るため、「21世紀に向けての結核対策(仮称)」の意見を取りまとめるべく現在検討を進めているところであるが、特に、多剤耐性結核問題、結核の院内感染問題、結核の罹患率減少速度の鈍化と地域間格差の大きな要因となっている高齢者の問題や治療困難者の問題等、緊急に対応を図るべき項目について、以下にとりまとめたところである。
 当部会として、厚生省において本報告を踏まえ、結核対策の緊急的な強化に取り組んで行かれることを強く要請する。

2.結核を取り巻く近年の状況
 世界保健機関(WHO)は、1993年に「結核の非常事態宣言」を発表して、結核対策の軽視、HIV感染症の流行、多剤耐性結核菌の出現等により、結核による健康被害が世界各地で拡大していることについての警告を行った。そのような状況のもと、「短期化学療法による直接監視下治療(Directly Observed Treatment, Short-course:DOTS)」と呼ばれる対結核戦略が世界保健機関の指導の下で全世界的に展開され、その成果が報告されている。
 一方、我が国では平成3年9月に公衆衛生審議会から出された「結核対策推進計画について(中間報告)」において、西暦2030年代の結核根絶を最終目標として定めるとともに、西暦2000年までに、(1)結核罹患率を人口10万対20以下(平成元年の2分の1)とすること、(2)小児結核を根絶することという具体的目標が示され、これまで所要の対策を実施してきた。また、平成6年8月に同審議会から出された「当面の結核対策について(意見)」に基づいて、結核罹患率減少速度の鈍化への対応等を進めてきたところである。
 しかし、罹患率減少速度の鈍化は改善の兆しが見られず(図1)、また結核のまん延状況には大きな地域間格差が生じている(図2)。この主な理由としては、高齢者の増加等による易発病(再発)者の増加、都市部における住所不定者等の社会経済的弱者での結核発生とともに、対策の地域間格差(表1)等が挙げられている。このような状況が今後も続くと、西暦2000年までに「結核罹患率の半減と小児結核の根絶」という目標の達成は極めて困難と言わざるを得ない。さらに、今や全世界共通の問題となり、結核対策を抗結核薬開発前の時代に逆戻りさせる危険性のある多剤耐性結核の脅威、あるいは最近4年間で14件の発生が報告され、若年者の死亡例まで出した院内集団感染の多発等の緊急課題の出現は、我が国の結核問題が新たな局面、すなわち「再興感染症としての結核」の時代を迎えたことを示すものである。
 

3.緊急に対応すべき課題について

(1)多剤耐性結核対策

 多剤耐性結核とは、現在の化学療法の中心であるヒドラジド(INH)、リファンピシン(RFP)への2剤同時耐性結核と定義される。その患者数は、現在、1500人から2000人程度と言われており、さらに新たに1年間に80人程度が発病していると考えられている。これらの患者は、通常の結核治療では治癒が期待されにくく、死亡することや持続排菌患者となることも多いことから、従来の結核対策を超えた新しい多剤耐性結核対策の全体像を構築していく必要がある。
 まず第一に、治療が困難な患者の治癒率向上や死亡率低下等の治療成績の改善を図るため、多剤耐性結核患者に対する医療体制の整備が急務である。具体的には、まず全国を東北、近畿など都道府県域を超えた広域圏(以下「広域圏」という。)に分け、難治性多剤耐性結核への集学的医療を担う広域圏の拠点施設として「多剤耐性結核専門医療機関」を、また国立療養所を中心に都道府県ごとの拠点施設を整備するとともに、広域圏の拠点施設、都道府県の拠点施設及び一般医療機関の診療ネットワークを構築することが求められる。特に全国の広域圏ごとに設ける拠点施設には、先進的検査技術や新薬による化学療法の実施、治験の実施体制の整備、外科療法の充実等が期待される。
 第二に、結核治療を担当する医療機関からの診療に関する助言を行う「結核医療機関等向け相談窓口」を東京及び大阪に整備し、多剤耐性結核、合併症を有する難治性結核等に関する診療情報(最新の治療・薬剤情報等)を提供していくことが必要である。
 第三に、多剤耐性結核に対する治療方針等の確立とその普及が考えられる。そのため、具体的な治療方針、前述した広域圏の拠点施設や都道府県の拠点施設の紹介、搬送する際の基準や患者への対応等をまとめた「多剤耐性結核に対する診療の手引き」を作成することが求められる。
 その他、広域圏の拠点施設及び都道府県の拠点施設の整備と並行して、これらの施設における専門家の養成、迅速かつ精度管理された薬剤耐性検査の推進や各種新薬の積極的使用、治験の積極的な実施、医師等を対象とした研修事業の推進についても取り組んでいくことが必要である。
 

(2)結核発症の高危険群等に対する積極的な対応

 抗結核薬の開発、結核予防法の制定と同法に基づく保健所の結核対策への熱心な取り組み等によって、結核の罹患率や死亡率は着実に低下傾向を示しているが、前述したように、近年その減少速度が鈍化している。結核の罹患率を速やかに減少させ、結核の根絶につなげていくため、これまで行ってきた結核予防法に基づく健康診断や入院対応を引き続いて着実に進めていくことは当然のこととして重要であるが、さらに近年の結核患者の特性、地域間格差に着目した重点的な取り組みを進めていく必要がある。そうでなければ、現在以上に結核罹患率を速やかに低下させることは期待し難く、今後、逆に増加に転ずる可能性も危惧される。
 そのため、まず、現在の新規発生の結核患者の過半数が60歳以上の高齢者の既感染発病例であり、高齢者の結核罹患率が高いことに着目する必要がある。また高齢者は、副腎皮質ホルモン服用者や糖尿病合併者等の結核発病(再発)高危険群に属することが多い。したがって、既感染高齢者の中で結核を発病(再発)しやすい基礎疾患を有する者に対して、予防投薬(再発予防治療)を実施することにより、高齢者の結核罹患率を減少させていくことが考えられる。これを早急に実施するため、国が対象地区を指定して助成措置を講ずるなどの方法が必要であり、その際、さらに広く全国での実施に向けて、方法や課題の検討が求められる。
 次に、都市部において、住所不定者や雇用の不安定な単身者等の社会経済的に弱い階層で結核罹患率が高いことに着目する必要がある。この問題は、患者発見の遅れからの重症者が多いことに加えて、治療拒否や医療中断によって再発や薬剤耐性化を招きやすく、その結果として患者本人の治癒率の低さとともに他人への二次感染の危惧につながるものである。このため、国の積極的な関与のもとに地区を指定して、DOTSの推進を図るなど、これらの者への積極的治療等の対策の強化が必要である。
 

(3)結核対策における地域間の連携強化と共同的な取り組み

 現在の結核のまん延状況と対策の地域間格差を克服し、結核罹患率の着実な改善を図るために、各都道府県・政令市等において地域における結核対策の更なる強化が必要である。しかし、各都道府県・政令市等における結核の専門家の減少、行政内部における結核対策の優先順位の低下等が指摘され、結果として地域における結核対策組織の脆弱化が懸念されている。
 このような状況に対応するため、都道府県・政令市等における結核対策の解析・評価、近隣の都道府県・政令市等との連携による充実した対策の推進が求められており、現行の結核対策特別促進事業の着実な継続に加えて、新たに結核対策に携わる行政担当者や専門家からなる都道府県域を超えた対策組織の構築、結核研究所を活用した専門家や指導者の養成等を通じた地域の結核専門家の登録と有効活用が必要である。その際には、国立病院・療養所が結核医療について中心的な役割を果たしているという経緯の中で、これまで蓄積されてきた専門的な知見や人材を活用していくことが重要である。
 したがって、全国単位及び広域圏ごとに連携組織を設けることにより、結核対策の人的・物的及び情報資源の共有、結核対策行政担当者の相互啓発と研鑽を図ることが重要である。
 

(4)院内感染対策

 近年、結核の院内感染の多発や死亡例が報告されており、本来医療を提供するべき場所である医療機関において、逆に感染を受けるという悲劇が生じている。さらに結核院内感染は、結核病床を有する病院のみならず、結核病床を有しない病院においても発生していることに留意する必要がある。すなわち、結核の院内感染対策は、結核病床を有する医療機関の問題にとどまらず、全ての医療機関の外来と入院を対象とした医療提供体制全体に関わる問題であるとの認識に基づいた対策の強化が必要である。このため、厚生省と結核病学会や結核予防会が十分な検討を行い、最新の知見を集約した院内感染対策の指針の作成と全国の医療機関等への周知など、早急な院内感染対策の強化が必要である。
 

(5)結核患者収容モデル事業の拡大

 精神疾患と結核の合併例患者に対する適切な入院治療の確保が求められているが、一般病床において結核の合併症患者を対象として実施されてきた「結核患者収容モデル事業」の拡大等について早急な検討が求められる。また、国立の精神療養所などが積極的な役割を果たしていくことが望まれる。
 

(6)その他

 結核対策の推進にあたっては、結核予防法に規定された健康診断やBCG接種、適正医療、患者発生の場合の届出等が重要であることは言うまでもない。しかし、近年、国民一般、医療関係者や行政関係者の結核への関心の低下等により、それぞれの対策が必ずしも的確に運用されていない事例が報告されている。特に患者発生の際の医師から保健所への届出、保健所から都道府県庁、厚生省への連絡が著しく遅れている事例及びツベルクリン反応検査やBCG接種の実施方法が不適切な事例等がしばしば見られる。
 関係者が結核対策の原点に帰って、現場の実態を調査・分析し、その結果を踏まえて個々の対策を着実に実施されることを切に期待する。
 
4.継続して検討すべき課題について
 当部会においては結核対策のあり方を総合的に見直し、対策の充実強化を図るため、検討を続けていくこととしているが、今回の提言は、緊急に取り組むべき課題について整理したものであり、今後は特に以下の課題を中心に検討を続けていきたい。
 まず第一に、多剤耐性結核対策については、流行監視などの発生動向調査の強化、適正医療の推進やDOTSを通じた薬剤耐性結核菌の発生防止、専門医療の確保、薬剤感受性検査と治療薬の開発・確保等の方策、長期間にわたり医療の提供を受ける患者の療養環境等についての検討が必要である
 第二に、結核発症の高危険群等に対する積極的な対応について、「3.緊急に対応すべき課題」の中で、特に重点的な取り組みが必要な高齢者と社会経済的に弱い階層について明記したが、今後さらにHIV感染者やじん肺罹患者等のその他の結核発症の高危険群に対する施策の強化についても検討を進めていくこととする。
 第三に、地域における対策強化とDOTSの推進については、国及び都道府県レベルでの結核対策推進計画の今後の進め方について検討し、また、地域におけるより効果的な対策の推進方法や日本におけるDOTSのあり方等の検討を通じての、今後の対策の評価指標、専門家の育成など、より具体的な課題について検討が必要である。
 第四に、院内感染対策については、総合的な発生予防対策、報告体制の再検討、発生時における保健所と院内感染発生病院の連携、感染者の発病予防等の各分野における対策についての検討が必要である。
 第五に、結核病床のあり方については、関係審議会と連携を図りつつ、結核患者にとって適切な入院医療を確保するための方策について検討を進めていくこととする。
 第六に、今後のBCG接種のあり方については、平成6年の予防接種法及び結核予防法の一部を改正する法律の附則において改正法施行5年後に検討すべき旨が規定されており、今後、当部会において検討を行う。
 その他、普及啓発活動、定期健康診断、患者家族検診やいわゆる業態者検診を含む定期外健康診断、発生動向調査、家庭訪問指導、集団感染対策、在日外国人対策等の従来からの対策の充実強化についても引き続き検討していくものとする。
 
5.おわりに
 以上、結核対策について緊急に取り組むべき課題を中心に取りまとめを行った。この提言に基づいて、厚生省のみならず都道府県や保健所の結核担当職員、市町村職員、医療現場の臨床医や研究者、さらには一般の国民が、結核の脅威と対策の重要性を再認識され、必要な対応を図られることを期待する。今後、当部会としては、21世紀に向けて「再興感染症としての結核」に対する施策を再構築すべく、さらに関係者からの意見を聴くこと等を通じて必要な検討・審議を積み重ね、来年3月を目途に、最終的な意見を提出することとしたい。

 


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2000年09月28日